42. 誕生日の為に動き出します(本編)
「エーダリア様、私達も信仰の魔物さんを捕獲に出たいのですが」
本日必要な薬を確認しに行きがてらネアがそう告げると、エーダリアは目を瞬いた。
とは言え、そろそろ再始動の頃合いだろう。
信仰の魔物の失踪により、イブメリアは未だに訪れずにいる。
教会組織の中枢機関があるガーウィンから呼び集められた者達もレイラの捜索をしているが、我が儘っ子さを前面に出してきていても信仰の対象となる高位の人外者である。
同階位か、それ以上の者達の助力を得られない限りは、このままレイラが出て来るのを待つしかなくなってしまう。
(このような形で祝祭の運行が止まると、待ち時間としての日付のない日々が続くのだそうだ)
例えば、十二月には日付が振られた日が、なんとネアの生まれ育った世界と全く同じで三十一日あるが、祝祭の運行が停滞すると、その期間中は日付なしの曜日だけの日が生まれる。
そのイレギュラーな適用の中でも、更に季節が巻き戻る仕組みは複雑で、四日と五日の合間の日付のない時間が、いつの間にか二日と三日の間になっているというように、じりじりと後退していくのだ。
つまり、気を抜くと日付の認識すら危うくなるので、国が発表している公式日時の確認はとても大事なことであった。なお、これは魔術による観測で厳密に成り立っているらしい。
「幸い、まだ季節の後退は顕著ではないと聞いていますが、このままだと季節そのものに障るというようなお話を、街に出た時に耳にしました」
「…………ああ。それは、確かに懸念されていることだ。今回は、三祝祭に入ってからの停滞だったので、祝祭の系譜の者達や、季節の人外者達は既に揃っている。それが幸いして後退は起っていないのだが、……この、待ち時間というものも厄介でな」
小さく息を吐き、エーダリアは持っていた万年筆の蓋を閉め、執務テーブルの上に置いた。
びっしりと文字の書かれた書類が積み上がり、その殆どに割り込み案件用の水色の付箋めいた紙片が貼られているのだから、本来の執務がどれだけ圧迫されているのかは確認するまでもない。
「あまり、日付がない時間は長くない方がいいのですよね?」
「日付というのも、一種の領域だからな。それを得られずに存在する時間は、あわいのようなものだ。ウィーム領では対策を行っているが、それでも、あまり好ましくない影響も出て来る。………とは言え、逆にこのような時期にしか適わないこともあるので、一概に悪いばかりでもない」
暦などの影響を考慮した呪いや障りは、このような時期に鎮められるのだという。
ただ、そのような活用は三日もあればいいので、グレイシアの脱走時に概ね終わってしまっていたそうだ。
うっかり日付のない日に告白やプロポーズを行なってしまった結果、カレンダー上複雑なことになった人々もいる。
だが、そのような弊害だけでは済む筈もなく、この期間に生まれたことで、誕生の祝福を正しく得られなくなる子供もいる。そのような子供達は、境界のこちら側との縁が薄くなってしまい、あわいの怪物に攫われやすくなるのでとても苦労するのだ。
(そして、魔術的な弊害だけでなく、経済に与えられる打撃も大きくなっていってしまうもの)
食品や生花などの損失については、領内の魔術師達が状態保持の魔術をかけてくれたり、代金の保障などをしてくれたりする制度が昔からあるのだとか。
いつもは送り火脱走時の為の保険だったが、今回はまさかの信仰にまで適応されることになった。
とは言えその制度も、先々の予定を立てられないという負担までは減らせないので、待ち時間が与える損失は必ずある。
唯一の救いは、信仰の魔物が逃走したという事実については、折り合いの悪い人物に出会い、暴れて逃走したというありのままの報道がされていることだ。
その表現でいいのかなと思う発表文面も含め、ヴェルクレア国民や、世界中の人々が混乱しないだろうかと考えていたネアは驚いた。
(ウィーム領の責任ではないし、ヴェルクレア国の責任ではないにせよ、この事態が与える損失のせいで外交上の問題になるのではないかと、不安だったのだけれど………)
しかし、こちらでは、所詮、魔物は人間とは違う生き物。
教会側も、信仰の魔物が逃げ出した理由を、気象予報が外れるくらいの気安さでさらりと明かしてしまった。
夏至祭でも、よく夏至の魔物が腹痛で倒れて延期されているらしいと言われると、またかという感覚程度のものなのだろうか。
なお、夏至祭の魔物は、祝祭が近くなると大騒ぎする夏至祭の系譜の仲間達の面倒を見るのが嫌で、ストレス性の腹痛になりがちな繊細な魔物なのだそうだ。
魔物という生き物は、本当に奥が深い。
「いいのか?お前の魔物は、信仰と関わるのを嫌がっていただろう?」
「イブメリアが過ぎなければ私の誕生日が来ないことを、すっかり忘れていたようです」
ネアの発言に、部屋の奥の椅子に座っていたディノがびくりと肩を揺らす。
魔物に誕生日を忘れ去られていたネアは、傷心のあまりストライキに入った。
現在、飛び込みと体当たりの、ハードめなご褒美は無期限で差し止め中である。
「誕生日など、ゆっくり待っていても良いのではないか?」
「いえ、初めて、濁った安価な石ころめが誕生石ではない誕生日を過ごすのです。一刻も早く来ていただきたい!」
この国の規定の誕生石は、十二月のものが夜霧の結晶石だ。
とても高価で、透明度の高い菫色をしている。
楽しみ過ぎて辛いくらいで、ネアは自分へのご褒美としてその石のブレスレットを注文済みである。
ついぎらぎらと目を輝かせてしまい、エーダリアは怯えた表情になった。
「そ、そうか。こちらとしては、捕獲に加わってくれれば有難い」
「ヒルドさんの状況はどうなっているのでしょう?」
「都度、寸前のところで逃げられていてな。殺しても良ければすぐに捕まえられるがどうしますかと、昨晩伝令が来ていた」
「……相当、鬱憤が溜まっていますね」
「そうだ。だから、是非ともヒルドよりも早く捕らえてやってくれ」
「こちらにもディノがいますよ?」
「……そうか。今年は、人事不省気味の信仰の魔物で、イブメリアを祝う事になりそうだな」
エーダリアは、とても虚ろな目をしていたが、取り敢えず許可は下りた。
まだ冴えない顔色のディノを連れて、ネアはリーエンベルクを出る支度をする。
使用者以外には無地に見える羊皮紙片をちらりと見て、最新の記入を頭に入れた。
これは、兄弟紙と言われている魔術道具で、かつて五兄弟の大海賊が使っていたものだ。
どんなに離れていても、誰かが記入したり、話しかけたりしたことを全員に共有してくれる。
現在、エーダリアとヒルド、グラストとダリル、そして今回はネアも持つことになった。
(あ、情報が更新された)
紙片の奥から、鈍く紺色に光る文字が浮かび上がってきた。
「ディノ、ヴェルツに行ってくれますか?」
「ヴェルツに居るという情報が入ったのかい?」
「ええ。ヒルドさんも向かっているみたいですよ」
「じゃあ行こうか」
王宮の玄関ホールで踵を鳴らし、転移の合間の薄闇を抜け、次の一歩はヴェルツの地に着地する。
何の手順もなく転移出来る魔物さえ踵を鳴らすのは、これから転移しますよというお作法らしい。
急ぐ時には省くことも多いが、発車しますという挨拶に近いそうだ。
そうして迎えたヴェルツの最初の一歩は、漆黒の石畳だった。
ヴェルツは、建材の黒大理石の産出地だ。
最も暗い夜の来るヴェルツでは、純粋な黒の大理石が産出される。
生粋の黒は珍しい為、ヴェルツの黒大理石は各国で重宝されていた。
また、この大理石は光を吸うことから、貴人の大罪人の牢獄にも使用されている。
「何て暗い街でしょう」
ネアが驚くのも尤もである。
ヴェルツは、四方をその黒大理石が採掘される山で囲まれている。
土壌も黒が強く、生い茂る木々も黒みの強い針のようなモミの木ばかりだ。
黒みの建材のほとんどが揃うヴェルツは、この土地の建物の殆どを黒いものに揃えてしまっていた。
その代わり、どの家々にも壁に手書きでレリーフや柱などが色鮮やかに描かれており、それがこの土地の伝統的な建築手法となっている。
「騙し絵の域を超えた壁ですね……」
「どうして普通の煉瓦を使わないんだろう」
ディノが首を傾げたのは、漆黒の壁に丁寧に煉瓦を書き込み本物のような陰影までつけてしまった邸宅だ。
「郷土愛ですかね」
「人間って不思議だね……」
「ほら、あのお屋敷には窓から覗いている人まで描かれていますよ」
「……どうして肩に猿を乗せたんだと思う?」
「衣装も奇抜ですので当時の流行りか、絵柄を決めた方がどこかで心の迷路に入ったのかもしれません」
ネア達が到着したのは、裕福な商人などの屋敷が建ち並ぶ辺りのようだ。
そんな家々の間を抜けて、商店や役所などが連なる大きな通りに向かった。
羊皮紙片に記された記述によれば、最新の目撃スポットは大通り沿いにある教会の一つだった。
「ここは雪が降らないんですね」
ウィームの旧王都には雪が積もるこの季節だが、この土地には雪が降った気配がない。
だから、いっそうに街全体が暗いのだろう。
「夜の気配が強すぎて、雪雲を避けるそうだよ」
「そんな土地もあるんですね。不思議です」
「一つの要素が強過ぎると、他の要素を避けてしまうんだ」
なぜか街中には人影がない。
紙片の補足によれば、現在は魔術汚染の警報中につき、住人達には自宅退避命令が出ているという。
高位の魔物が、結界のある土地に許可なく出現した証だ。
信仰の魔物は魔物として認識されている。
それが故に、いかに信仰とは言え全ての場所に許可なく侵入出来るわけではない。
いくら教会の施設とは言え、そこはシビアだった。
「擬態もせずに土地を荒らすのは、あまり褒められたものじゃないね」
「そういうものなのですか?」
高位の魔物はもっと我儘だと思っていたネアは、少し驚いた。
特にお忍びでない場合は、高飛車に好き放題かと思っていたが違うようだ。
「土地が荒れるからだよ。土地は無限にある訳ではないし、我々は特に影響を与え易いからね。あまり我が儘が過ぎると、統括の魔物に制裁を受ける」
「アルテアさん仕事してます?」
「今回は、アルテアを表立って動かすと、寧ろ場が荒れると判断したのかな。こういう場合は、領主と統括の魔物、そして土地を治める精霊や妖精が話し合いをして、方針や施策を決めるんだよ」
「ウィームにも、そんな精霊さんや妖精さんがいるのですね」
「ウィームは、冬を司る精霊と、雪を司る竜の王がそれに該当するね」
「……ジゼルさんにも、そんなお役目が」
冬を司る精霊とやらには会ったことがないが、あまり外側には出てこない思念体のような曖昧なものらしい。
精霊の中で明確な姿を持つ者には二種類あり、殆どが低階位となり、一部高階位の者が混ざる。
はっきりとした姿を持たない冬の精霊は、とても高位のものなのだそうだ。
「そのような状態で、会話などは出来るのでしょうか?」
「鍋や水盤で話せるそうだね」
「……………鍋?」
「特別な鍋を火にかけて、その鳴り具合で答えを占うらしい」
「素人には思い及ばない世界でした」
今日のディノは、漆黒のコートを着ている。
ネアと同じ色の髪色に擬態しているので、濃紺の服を着たネア共々、色彩としては背景に混ざり易い。
それなのにディノだけ見事に浮かび上がるのは、魔物の色彩の特異さだろう。
案外、擬態した魔物の見分け方に生かせるだろうかと、ネアは考える。
「あの角を曲がった突き当たりの教会だそうです。まだ、そちらにいそうですか?」
「いや、いないと思うよ」
「む。……追いかけられますか?」
「成果の魔物だから、ここから転移を追うのは難しいだろうね。彼女が“逃げること”を願えば、追うことを補助する術式が不安定になるという仕組みなんだ」
「困った魔術ですね。……では、レイラさんと接触した方からその時の様子を聞きましょうか」
「うん」
ネアは、羊皮紙片に小さく書き込みを入れた。
ヴェルツの教会より信仰の魔物は逃走、現在目撃情報の聴取に向かう、と。
案外勘のいい魔物なのだとしたら厄介だが、ディノの見立てはどうだろうか。
「レイラさんは、勘の鋭い魔物さんなのですか?」
「運に恵まれる魔物だね。何しろ信仰だから」
「何重にも厄介でした……」
逃げてしまったのは残念だが、少しでも捜索に関わった者として貢献したい。
しっかりと聴取して、その情報から微力ながら力になれればいい。
(しかし、信仰の魔物さん寄りの教会の人は協力的だろうか)
不安を抱えてお邪魔した教会で、ネア達を迎えたのは激しく荒ぶる司祭だった。
イブメリアという一大行事の前で何度も延期され、今回はまさかの当日午前からの延期。
怒りがピークのところで信仰の魔物に出会い、つい荒れ狂ってしまったところ、レイラは逃げ出したそうだ。
シュタルトの捕物騒ぎもそうであるし、何かの壁を乗り越えて荒ぶってしまった人間というのは、魔物からしても恐ろしいものであるらしい。
「二時間も語ってしまうくらいにとても協力的ですが、追い出した本人なので何の情報も持っていませんでしたね」
「……この手の展開が多いんですよ」
合流したヒルドと共に聴取に当たったが、結果は惨憺たるもので、ヒルドはそう呟いて額に手を当てた。
ある意味国家公務員なので司祭の愚痴めいた報告も無下に出来ず、随分疲れていそうである。
「……次の情報を待つしかありませんね。私は引き続き捜索にあたりますので、ネア様達は一度リーエンベルクに戻っていただけますか?」
「はい。ひとまず王宮待機ですね…」
情報担当のゼノーシュが別件で動けなくなっているので、追跡情報が入るのは毎日朝一のみだ。
その日の情報を外すと厄介とは、こういう事情だったのかと、ネアは実感した。
業務終了時間まで後四時間。
本日の捕獲は難しそうだし、明日からは週末休暇に入ってしまう。
(来週かなぁ……)
ネアは少し遠い目になる。
今回の件は、休日出勤をする程でもないし、ディノを酷使する程でもないのが逆に時間がかかる要因なのだろう。
自宅退避令が出ている以上、せっかく来たこの街で遅めの昼食をというのも難しそうだ。
(大人しく帰りますか……)
幸い、その翌日、別件が解決したゼノーシュからとても手厚い情報が入って捜索は格段に進展した。