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ケーキの箱とスパイス




ネアが、その小さな紙を見つけたのは偶然だった。


ザハで買ってきたチョコレートケーキの木箱をどうしようかなと持ち上げた時、店舗紹介の小さなカードと共に、小さな紙片が入っていたことに気付いたのだ。


因みにこちらに来てから、文字は苦なく読めてる。

言語と同じように、幾つかの文化圏のものを習得している模様だ。


ネアは最初、その技能を生かして大きな仕事が出来るかなと思ったのだが、学徒の街を持つくらい教育熱心なヴェルクレアの国民は、大抵複数の言語に通じているのだそうだ。

特に魔術の扱い上複数の言語習得を好むウィーム領民は、更に優秀であるらしい。


物語では、そのような特殊技能で評価されたりするものだが、複数言語を駆使して上司を驚かせる筈だったネアは、意気消沈するばかりであった。



「………レシピ」


半透明の茶色い紙に、ブロンズ色の印字で、ケーキに合うお薦めの飲み物のレシピが書かれている。


紅茶のレシピと、葡萄ジュースのレシピだ。

特に、温めた葡萄ジュースとスパイスの飲み物は、とても心を動かされた。


葡萄ジュースは毎朝の選択肢にあるものだし、スパイスも馴染みのあるものだ。

厨房にあるもので簡単に作れそうでそわそわする。



(真夜中の、半刻手前の時間…………)


時計を見ると真夜中の少し手前。

誰かの手を借りるには少し遅いが、幸いなことに、この王宮には終日勤務の任がある為に、厨房にも常に妖精がいる。


(よし、行ける!)


お鍋と材料を借りてこの飲み物を作ってみようと、ネアは立ち上がった。



「ネア?」


巣の中で寛いでいたディノが、慌てて立ち上がる。


「この紙で紹介されている、お薦めの飲み物を作ってきますね。スパイスを入れて温めた葡萄ジュースなんですが、ディノの分も欲しいですか?」

「欲しい」


あまりにも即答なので、ネアは少し考えた。

この魔物は、ご主人様の手をかけたものは何でも大喜びしてしまう。

しかし、味覚には個人差があるものなので、きちんと自分の好みを主張して欲しい。


「もし、他の飲み物で欲しいものがあったら、別に作ってあげますよ?」

「ネアと同じものでいい」

「ではそれを持ってきましょう」

「一緒に行く」


慌ててへばりつかれたので、ネアは眉を上げた。

ついさっきまで少し眠そうにしていた筈なのだが、無理をしていないだろうか。


「でもディノはのんびりしていたところでしょう?リーエンベルの中からは出ませんし、ぱぱっと作るのでお部屋で待っていていいですよ」


夜更かしをして書き物机で魔物の成長記録をつけていたネアと違い、既に寝室の方にいたので、さすがに躊躇う。


「……留守番」


気を遣ったつもりなのだが、魔物は逆にしょぼくれてしまった。

尻尾を振ってこちらをキラキラの目で見ていた犬が、尻尾を下げて項垂れてしまった絵面に似ている。

妙に罪悪感を覚えるのでやめて欲しい。


「一緒に行きますか?厨房で隣に立っているだけですが、お喋りしながら作りましょうか」

「ご主人様!」



元気になった魔物を連れて、ネアは真夜中の厨房を訪れた。

この時間になると料理人達は既に休んでおり、簡単な夜食程度のものを作れる家事妖精が厨房を治めている。


そんな厨房に勝手に入り込んでいるとなるとさすがに迷惑だが、リーエンベルクでは、時間外の調理などは個人で行っても構わないのだそうだ。

これは、施設規模に対しての人員の少なさに起因しており、ヒルドなどが、遅くまで執務を行うエーダリアの夜食としてスープを温めることもあるらしい。


ネアは、ぱたぱたと羽を動かす黒いもやのような妖精に事情を説明し、葡萄ジュースにひと手間加えるだけなので、自分でやるからと道具と材料の場所を教えて貰った。


(蝶々みたい……)


家事妖精は、ちょうど夜勤の騎士の為の軽食を作っているようで、グヤーシュとホットサンドを調理しているところだった。

普段は見られない光景なので、何だか裏舞台を見ているようで楽しい。


羽を動かしながら行き来し、黒いもやの尾を引いて仕事をしている家事妖精は、不思議な蝶のようだ。



「まずは、鍋底に砂糖を焦がしつけてから葡萄ジュースとスパイス。ホットワインに似てますね」


ナツメグとクミンにシナモン。

この世界の固有名詞は、元いた世界のものと多く重なっていることが多い。

複数国の言語上での名称が重なるとなると、やはり何か関連があるのかもしれなかったが、ネアはあまり難しいことは考えずに恩恵だけを受け取ろうと思う雑な人間だった。


「………夜の雫があれば一滴」


そして、時々謎なものが混じり込むのもまた、こちらの調理なのだろう。


「夜の雫はありそうかい?」

「ええ。さすがリーエンベルクの厨房ですよね」


夜の雫や、朝焼けの粉、夏露のかけらなどは、少々高価ではあるが常用のスパイスとされる。

星の雫と月の雫はもう少し高価となり、以前の世界でいうところの最高級のトリュフのような扱いとなる。


そのどちらにも共通しているのは、星の数程のスパイスの中で、全てを揃えるのは難しいというところだ。

直接味を左右する度合いが少ないものは、どうしても後回しになりがちになる。

その点、常用希少に関わらず、これだけ多くのスパイスやハーブを取り揃えた厨房は素晴らしい。



「夜の雫を入れてから、淡い瑠璃色の湯気がたったら、……はい、完成です」


白磁と青磁のマグカップを出して貰い、そこに注いでトレイに乗せた。

ディノに状態保持の魔術で保温して貰ってから、使った鍋などを手早く洗い上げる。

家事妖精は恐縮していたが、今回は作ることも醍醐味だったので片付けまでさせて貰い、夜食の方に専念して貰おう。


ただ、ネアの可動域ではお鍋を乾かせないのでそこはディノにやって貰い、道具類は元の場所に戻さずに石造りの作業台の上に置いておく。

元の収納棚に戻しても良かったが、洗い方などの管理が足りていないと迷惑をかけるだけなので、その旨を伝えて任せるべきところは任せることにした。



「さ、戻りましょうか」

「……こういうのも、楽しいものだね」

「ふふ。シュタルトでお料理も楽しいと覚えましたね。また、厨房の方のご迷惑にならない範囲であれば飲み物くらい作ってあげますよ」

「グヤーシュも?」

「夜中に時々お腹が空くこともありますよね。今度、そういう用途で借りてもいいかどうか、エーダリア様に聞いてみましょう。正直なところ、もう少し簡単に使用できる規模の厨房があればいいですね」



ネアはこの時、自分の失言に気付いていなかった。

しかしその結果に惑わされるのも、ご主人様の営業時間を設けて夜間業務を厳しく線引きするのも、その後の話だ。



「わ、美味しいですね!」

「うん。美味しいね」



部屋に戻ってから飲んでみると、さすが名店のレシピだけあり、簡単な手順ながらとても美味しかった。


「このふわっとした甘さを出しているのが、夜の雫でしょうか」

「夜の雫は、加えたものの甘みを引き出すスパイスだからね」

「……見てください、ディノ。飲み終わりに星屑みたいなスパイスの欠片が残るのも、夜の雫を入れたから?」

「ああ、見事に夜を残したね」

「残さないこともあるのですか?」

「質が悪いものだとね。これは、随分上質な夜の雫だよ」

「ディノは物知りですねぇ」



褒められた魔物がはしゃいだので、ネアはひやりとした。

これは寝れなくなるパターンかもしれない。



「……ディノ、夜は短いものです。きちんと寝ないと明日を損してしまいますよ」

「……椅子」

「落ち込むまでの経緯がもはや謎過ぎますね。夜中にはしゃぐからですよ」

「……そう言えば、ネア最近爪先を踏んでくれなくなったね」

「………意外に鋭いですね」



実はご褒美を増やされている現状を憂えたネアは、こっそり古い順にご褒美を削ろうと画策しているところだった。


本来は飛び込みなどを削りたいのだが、新しいものはやはり執着が強いようで難しい。

また、常用されるシンプルなものも外し難く、選抜に選抜を重ねて削ろうとした矢先のことだったのに。



「……ご主人様」

「ディノ、私は取捨選択出来る魔物が好きです。あまりたくさんのご褒美を管理するのは、非効率的だと考えました」

「ひどい……」

「悲しい顔をしても駄目ですよ!……そうですね、せめて十個にしましょう」

「………増えた」

「え……」



ネアは愕然とした。

減らすつもりが増やしてしまったようだ。



(ど、どうして?!まさか、ご褒美としてカウントされていないものもあるから、純粋に変態用のご褒美はまだそんな数がなかった?!)



口付けや手を繋ぐ等、甘えや捕獲の一環であり、変態性の少ないものはご褒美外。


また、頭を撫でるのも特に許可制のご褒美として管理していない。

洗髪や髪結いはご褒美ではなく、面倒を見る作業の範疇だ。

寝台に上げるのもそう。


(……………厳しく取り締まっていた、変態用のものだけを許可制のご褒美にしていた!)



「お、おのれ……!」


打ち負かされた悪役のような呻きを上げたネアに、ディノは嬉しそうに頬を染めている。

後々に市場調査をしないと、そもそも魔物がどこまでをご褒美としているのかも怪しいと、ネアは痛感する。


ネアの目算では、二個増やされる予感だが、もっと増やされてしまったらどうしよう。

たった一個の違いでも、明暗を分けそうな気がする。


「………ディノ、念の為に伺いますが、私に巣から引き摺りだされるあの行為は、ディノにとってはご褒美ですよね?」

「ネアが甘えてくれてるんだよね?」

「そう来たか!」



魔物は、頭を抱えたご主人様をひょいと持ち上げて椅子になってしまう。

頭を撫でられながら、ネアは、ご褒美とは何がどこまでだろうという大いなる心の迷路に迷い込んでいた。








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