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束の間の午睡

その日は、久し振りにリーエンベルクに半日だけ戻っていた。


かつてあの白い魔物の王が、歌乞いの為に持ち帰ってきた品々の中に紛れていた竜王の王冠。

今はもう滅びた光竜の王が作った王冠とされ、それを手にした者は終生揺らぎない王位を手にする。

王冠を持つ王が治める国も安定するので、最上級の魔術の至宝とされていた。


ただ一つ欠点があり、その王冠を使えるのは隔世なのだ。

当代の王が使えば、次代の王には使えない。だからこそ、かの品が留まるのは一国ではなく、彷徨う宝として切望されてきた。



そんな王冠と引き換えにして、ヒルドは事実上の自由を、エーダリアと当代の歌乞いのお目付役としての役職を手に入れていた。

対外的には別の薬に対する褒賞だと公表されているが、実際にはこちらの王冠の成果が大きい。


(久し振りに狩人として動いたな)



信仰の魔物を追い始めて、まず最初に感じたのはそんなことだった。


第一王子に仕え始めた頃や、エーダリアの身の回りがきな臭くなった頃には、随分とこのような仕事をした。

違うのは獲物を殺すかどうかの違いくらいだ。



(…………少し疲れたな)


そんなことを考えてる自分が可笑しかった。

どれだけこの場所で甘やかされているのだろう。

こんな腑抜けたことを考えることが出来ている自分に、何やら感慨深くなる。

あの深い森を離れてから、こうして幸福を噛みしめる日が来ようなど、考えたこともなかったのに。



「ごめんなさい、起こしちゃいましたね」



柔らかな声がかかって、目を瞠った。

視界の端に艶やかな灰青の髪が揺れる。

思わず手を伸ばして触れれば、微笑んでこちらを見下ろしているネアがいた。


ここは何でもない客間の一つで、以前ネアが昼寝をしていたところだ。

ダリルに辟易としていたので自室を出ており、誰も来ないと思って考え事をしていたら、眠ってしまっていたらしい。


「いえ、眠ってましたか?」


「はい。羽が下敷きでとても気になってしまって……」


そう言われて下を見てみれば、よほど雑に座ったのか、羽を巻き込んでしまっていた。

感覚があるのになぜ気付かなかったのだろう。


「おや、私としたことが」


体を浮かせてから片手で引き出すと、ネアはぎょっとした顔になる。


「痛くないですか?」


「そうですね。……子供の頃は羽の扱いに困ったこともありますが、もう慣れましたね」


妖精が不注意で自分の羽を損なうのは、大抵が生まれたばかりの幼い妖精達だ。

ある程度育てば、多少雑に扱っても痛みなどはさして感じない。



「……慣れた」

「ネア様?」

「いえ。……ヒルドさん、何かお手伝い出来ることはありますか?」


心配そうに見つめる瞳の美しさに、少しだけ心が疼いた。

唇の片端を持ち上げて微笑みの形にする。


彼女が話しているのは、そういうことじゃない。

疲弊しているようで心配してくれたのだと、勿論わかってはいる。



「何でも手伝ってくれるんですか?」


「………ヒルドさんに危険のないものでお願いします」


「……私に?」


「あの、……ヒルドさんは、いつも危険なことをしがちと言うか。もっとご自身を大事にして欲しいです」


「危険……でしょうか?」


「そうです!」



暫し考えたが、よく考えれば彼女は、魔術可動域も低い普通の人間の少女だ。

戦闘に纏わるそれ自体、恐ろしく感じるのだろうか。


「では、隣に座っていただけますか?」

「隣にですか?」

「ええ」


体を起こし、隣を指し示すとネアは微かな逡巡の後、素直に腰を下ろした。

隣に座ったことを確認してから、そちら側の羽を反対側に寄せる。


「肩をお借りしますね」


「………む」


あまり体重をかけすぎないように魔術の調整をかけ、その肩に頭を乗せる。

配置的なことを思えば、決して寝心地がいいわけではない。

しかし、それ以上に奇妙な安らぎを感じる。


こちらが目を閉じたからか、暫くの間は彼女も何も言わずに肩を貸してくれていた。



どこか遠い場所で、絡繰り時計のオルゴールが聞こえる。

ざあっと風が枝葉を揺らす音に、キンと凍った窓が軋む音。



ややあって、がくりと頭が揺れた。

本気で眠るつもりはなかったのだが、一瞬眠ってしまったらしい。


「……ヒルドさん」


(残念、ここまでか)


片目を開けて、今起きたばかりのように深い息をついた。

さすがにこれ以上は欲張りすぎだ。


「………すみません。重かったでしょう」


あっという間に体を離されて、少し警戒させただろうかと内心の溜息を噛み殺す。

しかし、長椅子の端まで座り位置をずらしたネアは、なぜか太腿を叩いた。


「肩枕はいけません。私にヒルドさんの頭を支えるだけの筋力がありませんし、肩はごつごつしています。膝枕にしましょう」


「………膝枕」


「はい。私がこちらの端っこに座れば、ヒルドさんの身長で横になっても、足の先が飛び出すくらいで済みそうです。ささ、こちらですよ」


どうやら彼女は、唐突に庇護欲に溢れてしまったようだ。

ゼノーシュに食べ物を与える時と、同じ眼差しをしている。



「………ではお借りしますね」


「はい。ご存分にどうぞ」


「………存分に」



特に紳士ぶるつもりもないので、有り難くこの機会を堪能することにしたが、この危機感の薄さはどこかで調整しようと心に誓った。



一度座り直してから、彼女の足の上に頭が乗るように体勢を整えた。

腕で体を支えてから横になろうとすると、不思議にも気恥ずかしくなった。

彼女があまりにも気負わないせいだろう。


「………っ」


深く考えないようにして、目を閉じた。

やはり先程よりは格段に落ち着く。


けれども、異様に無防備になっている気がして落ち着かない。

今までの手練手管を剥ぎ取られて、何もしらない無垢な妖精に戻されたような気分だ。




(あの森は深かった……)


ふと、記憶の奥であの森が揺れる。


太古より魔術に満ちた、豊かな原始の森。

決して枯れることのない清廉な泉に、水飛沫と共に虹をかける大きな滝。


森の奥にある大木の横に、その城はあった。

一欠片でも宝石として重用される極上の緑柱石で出来た城の尖塔にはいつも、大きな月光の結晶石が輝いていて。


一族は、森と、湖。そして宝石を育てる妖精として古くからその森に住んでいた。


家々は木々に添うように建てられ、人間の国の王女達は、デビューの年には必ず、妖精の舞踏会を訪れ妖精達と踊る。

笑いさざめく声、羽の煌めき、優雅なワルツと拍手の音。


自慢の月光の剣を磨き上げ、ずっとあの国で生きていくのだと思っていた。



ずっと。



目を覚ませば、見上げた視線の先で居眠りをしている少女がいる。

うつらうつらと揺れる頭に合わせて、灰青のヴェールが微かに揺らめく。



(守りたいものが出来た)



思わず手を伸ばし、起こさないようにその唇に指先でそっと触れた。



守りたいものが出来た。

それは決してわかりやすく一重のものではなく、強欲に願えばこの手元にある全てを。


ここにある全てを、損ないたくない。


大切な弟子を、友人達を、そして彼女を。

彼女を取り巻き守る魔物達さえ、この生まれたばかりの小さな箱庭の住人として欠かせない。



だから、この国を損なわせないためのあの王冠は、ひどく有難いものだった。



王冠を最後に見たのは、森の城の宝物庫だ。

竜を狩る一族の至宝として、祖父の代に使われ、次は自分が使う筈だったあの王冠。



最高位の魔物があれを手に入れてきたということは、あの王冠を奪い取った精霊王は果たしてどうなったことか。


王冠の力を以てしても、あの魔物には敵わなかったのか。

或いは使うべき時期を計っている内に、奪われてしまったのか。


いずれにせよ、小気味好い。



「あなたが、この世界に落ちてから」



低く囁く声には、充足と喜悦が滲んだ。

彼女がここにいるから、為された幸福の形。



微笑みを浮かべて、目を閉じた。

暫くすれば、あの魔物が彼女を回収しに来るだろう。

せめて、もう少しだけ。





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