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毛布妖怪と洗濯妖精



「そろそろ、この毛布の山をどうにかしなくてはいけません」

「………え、ひどい」


ある日、ネアが腰に手を当てて巣の前に立ちはだかると、魔物は悲しげな目をこちらに向けた。

どれだけ泣こうが騒ごうが、今回ばかりは逃がしてあげることは出来ない。

ご主人様は、本日からの三日間が、雪曇りの日が殆どの冬のウィームが、珍しくとても良いお天気になると知っているからだ。



「ディノ、毛布はやはり消耗品です。一度、洗濯妖精さんに頼んで綺麗でふかふかの毛布に戻して貰いましょう」

「またこの形に戻るのかな……」

「組立は本人が行って下さい」

「………ご主人様」

「そんな目で見ても駄目ですよ。ご主人様は、魔物の巣作りの方法を知りません。再構築のお手伝いは出来ませんが、とは言え、ひとまずこの山を洗濯に出します」



その後ネアは、傷心のあまり部屋の片隅で丸まってしまった魔物の毛布を、姿すら定まっていない割にはとてもたくましい洗濯妖精に預けた。


一枚一枚を広げて畳み直し、余分なものが混入していないか調べて篭に入れたが、幸い、宝物は専用の箱に仕舞い込んでいるので、危惧するようなものは何も出てこなかった。



(良かった。犬とかだと、昔のおやつや、ご主人様の靴を隠しているって言うから心配したけど)


かつて抜け毛を採取されたことがあり非常に恐ろしかったので、今回も心の準備をしていたのだが。

どうやら空模様と同じくらい、晴れやかな気持ちで一日を終えられそうだ。


「ほら、ディノ。この隙にお買いものにも行きましょう。新しいリボンを買うのでは?」

「……………買う」


紺色のリボンについては、昨晩に行った協議の末、ご隠退いただくことになった。

くたびれたリボンでもディノは構わなかったようだが、ここまで美しい髪に結ばれてしまう以上、天鵞絨が禿げそうな箇所のあるリボンはどうしても目立ってしまう。

ディノは、お気に入りだからと指で撫でてしまう癖があるのだから、この摩耗は仕方あるまい。


ディノが捨てられない魔物であることは知っていたので、退位いただくリボンは、スクラップブックのようなものに一部を保存し、購入日と永眠日を記載しておくことにした。

そうしておくと、集めていくのも楽しいからと、何とか納得させたのだ。


ネアも物は大事に使う主義だが、常用する品物の摩耗までは防げない。

本気で死ぬまで使いたいリボンに出会ったら、状態保持の魔術をかければいいし、それ以外のものは見苦しくない程度に入れ替えていこうと思っている。


ディノに持たせたままだと絶対捨てないであろうリボンの残りは、エーダリアに相談して魔術の気配を綺麗に洗い流してから孤児院等に送られる収集物の一団に加えてもらった。


孤児院の子供たちが使う品物の中に、かつて魔物の王様が使ったリボンがあるというのも素敵な話だ。

加えて、魔術を洗い流してもそのような品物は、持ち手に幸運を授けることがあるらしい。

ただ、もし退位したリボンがどこかでリメイクされた姿に出会っても、決して取り上げてはいけないと魔物を諭すのに、深夜までかかってしまったのは、ネアにとっても計算違いであった。



「最初に買って貰ったリボンは、絶対に捨てないよ」

「ええ。そういう節目の品物であれば、保存しておけるように手をかけましょう。でも、リボンは新品過ぎると風合いが出ませんので、今くらいで状態保持の魔術をかけておきますか?」

「……うん」


結局一番お気に入りにしているリボンを、そっと手に取った魔物は安堵したように微笑む。

日頃から、こんな風に大事にしてくれているので、ネアも何だか嬉しくなってしまう。

飾り紐に至っては、もう少し摩耗性が高いものになるので、早々に状態保持をかけられているらしい。


一つの品物を長く使うことがなかったディノが、天鵞絨のリボンが摩耗すると知っただけでも、今回の一件は意味のあることなのだろう。

こうして、魔物の王様としては必要のなかった知識や体験を積み重ね、ディノには、ここでの暮らしや日常に馴染んでいって欲しい。


いつか人間でしかないネアがいなくなっても、積み重ねた知識や生活のその端々に、こんな何でもない日々が在ってくれればいい。

そうすれば、そんなことだけでもご主人様はとても幸せだ。


(元々、持って生まれた寿命が違うから)


そう考えると、老齢になってからの飛び込みは勘弁して貰おうとしみじみ考えた。

この魔物が大事とは言え、さすがに骨折の危険までは冒したくない。



「今日は休日ですので、リボン屋さんに行ってから、新しく出来たスープ屋さんでも行ってみましょうか。ディノ、スープ好きですよね?」

「………うん」

「リボンは二本までです。一本は汎用性の高い黒か紺にしますよ」

「ネアが選んだ方にする」

「品物によって艶や色合いが違いますので、実物を見て決めましょうね」

「うん」

「……ディノ?」


さらりと揺れた髪が頬に当たったので目を瞠ったら、額に口付けられた。

これはどうやら魔物的に最大限の甘え方らしく、ネアはしたいようにさせることにした。


時々唇を狙ってくるので、その時は頭突きで黙らせる。

しかしその先もご褒美になってしまうので、ネアはいつかきっと搾取する側になろうと思案していた。



「巣がない………」


しょんぼりと背中を丸めて大人しく付いてくるディノは、心なしかいつもより髪の毛もぱさぱさに見えた。

ネアはふと、このしょぼくれようは、居場所を奪われたようで怖いのかと考る。



「ディノそんなに不安なら、こうしましょう。巣が戻らなければ、今夜は私の寝台を使っても構いません。それなら不安にならないですか?」

「……最初から?」

「ええ。お泊まり会みたいで楽しいでしょう?でも、今日は良いお天気なので、毛布達は夕方までにふかふかになっていますよ」

「………天気か」


魔物がぽそりと何かを呟いていたが、推理が当たっていたようで、その後ディノは元気になった。






街までは転移を使った。


イブメリアが無期限延期になったせいか、季節はほんの少しだけ歩みを戻している。

お天気の日が続くと、積もった雪の表層が溶けて歩きにくいのだ。


素敵な雪靴を手に入れているネアはそれでも構わないのだが、ディノの服裾が汚れるのは何だか忍びない。

擬態はしていても、繊細なステッチで仕上げられたカシミヤのような素材のコートのとても高価そうなその服裾を、跳ねた泥水で汚すなど言語道断ではないか。


冬服は洗浄に手間がかかるので、ネアは慎重に管理していた。


(なお、私は服裾を少し上げて貰っているので、歩道だけを歩けば大丈夫!)


ドレスの内側にたっぷりと詰め込まれたアンダードレスの白いレースなどは、水跳ねが心配なのだが、一種の守護刺繍が施されている素材なので、簡単な汚れは払うだけで落ちてしまう。

一般的なレース編みのレースより、コットン地のスカラップレース素材がウィームの産業として機能しているのは、そんな実用性の高さにもあるのだそうだ。


(ボリュームはぐっと抑えられているけれど、ウィーム中央の女性のドレスのスカートのシルエットは、骨組みなしのクリノリンスタイルに近いのかな。綺麗にふわりと広がる形で、腰帯のリボンを後ろに流すデザインのドレスは、腰回りだけバッスルスタイルにも似たシルエットなのかも)


円環という術式が重要になるこの土地では、スカートの落ち方も円形になることが好まれる。

そんな輩がいたら犯罪者だが、真下から見上げた時にドレス裾が円形になるように仕立てることで、スカート裾の刺繍や、アンダードレスのレース模様などがリース状の魔術を組み上げる仕掛けなのだとか。


(服裾や袖口や襟元、色々なところに植物柄を上手に配置して、魔術を取り入れている)

 

そんなウィーム風の服装が識別出来るようになると、ネアでも、他領や他国からの観光客を識別出来るようになってきた。


赤や鮮やかな黄色、はたまた橙色などを主色に使う装いの者達はまずウィームの住人ではないのだが、賢明な滞在者は、ウィームに滞在している間は礼儀上装いの色を合わせてくる。

前述の色彩は、ウィームを滅ぼした統一戦争の色を帯びていると知っているのだろう。


ネアは、ご主人様に褒められて弱ってしまったディノを連れて、以前にも来た事のあるお店の、巻きリボンの絵柄をステンドグラスで美しく表現した飾り窓のある扉を開けた。

中に入ると、背後で重たい魔術錠の付けられた扉が閉まる音がする。



「いらっしゃい」



店主の声に微笑んで頷いたネアに対し、ディノは、初めてこのような個人商店に入るのか、こちらを見ている店主が怖いのか、ネアの背中にへばり付いている。


乾燥させたラベンダーのような独特な香りがして、所狭しと木製の棚を詰め込んである店内は、古びた風合いが素敵な木製の商品棚の森のよう。

そこに、色とりどりのリボンの色が入るのだ。


「以前に来た時は気付きませんでしたが、この棚は新商品なのですね」

「新商品なのだね……」


ここは、ネアの愛用のリボンと紐の専門店だ。


以前はビーズも扱っていたらしいが、収容棚の形が不揃いになるのでやめたらしい。

リノアールもある高級商店の建ち並ぶ目抜き通りの一本裏通りにあり、世界中のリボンや髪紐を揃えている。


「そいつは、西の小国に住む少数民族が織るリボンだ。朝焼けのリボン、そぞろ日のリボン、午睡のリボン、夕暮れのリボン、夜闇のリボン、どれも高価だが色合いがいい」


店主は隻眼のご老人妖精で、リボンの為にどこかの王族を殴り倒したという豪傑であるのだとか。安価なものは子供達にも幅広く売るが、心の籠らない買い付けには頑として応じない。ウィームに統一戦争前から店を構える、リボンの達人なのである。



「夜闇のリボンは良い色ですね」


ネアは、他のお客がいないのでと擬態を解いて貰ったディノの髪を手に取り、夜闇のリボンの隣に並べてみる。


黒紺に僅かな瑠璃の艶が混ざるそのリボンは、天鵞絨織りで手触りも良さそうだ。

やはり並べると素晴らしいので、少し値段は張るが、ディノへの贈り物なので候補に入れた。

高価ではあるが、ある程度現実的な値段をつけるのが、この店を贔屓にする理由だ。



「後は、灰雨のリボンも入荷したよ。あんたが来るようになる前から品切れしていたから、見るのは初めてだろう」

「これにするよ」


見るなり、ディノはそのリボンに即決した。

青みがかった暗い灰色は、天鵞絨の艶感といいネアの髪色にとてもよく似ている。

リボンのふちに、目を細めて見ないとわからないような細さで、虹の紡ぎ糸をステッチしているのも細やかな作業だ。


灰色の雲と青さのある冷たい雨、時折雲間から覗く陽光の虹色の煌めき。

そんな商品紹介に心躍らせてから、空っぽの巻き軸を見ているばかりだったが、やっと実物を見ることが出来た。


「では一つはこれですね。後は使いやすい色合いのもの。先程の夜闇か、こちらの鴉翅、もしくは炭織、後は以前と同じ夜紡ぎでしょうか」


黒紺に、黒緑、灰黒と、紺色。

幾つか無難な色合いのものを選定して選ばせると、ディノは黒紺の夜闇のリボンを選んだ。


(思っていたよりも、早く買い物が終わったわ)



選んだ二巻を測ってから裁断して貰い、端の処理を丁寧に仕上げて貰う。

その間に店内を見ていると、聞き覚えのある刺繍妖精の名前のあるリボンが並んでいた。

リボンの片端にだけ蔓草模様を刺したもので、シンプルな刺繍だからこそその美しさが際立つ。


一瞬欲しくなってしまったが、ネアの髪にもディノの髪にも似合わない鮮やかな緑色だったので、使いこなせる誰かの為に手を引くことにした。


店内はいつも天井までびっしりとリボンをひらめかせた巻き軸が並び、飴色の使い古された木の棚がなんとも言えない柔らかさを醸し出している。

これだけ様々な色のリボンが並んでもけばけばしくはなく、高級テーラーのような落ち着いた店だ。


とことこと歩いてきて、アーヘムの刺繍リボンに釘付けになってしまった砂色の羽の妖精の子供を見ながら、ネアは真っ白な封筒に入ったリボンを受け取った。

スープ屋に寄るので、手提げ袋は断って、ディノのコートの内ポケットに入れて貰う。



「ネア、有難う」

「どういたしまして」


ディノは、買って貰ったリボンをしまった胸をそっと押さえて、とても嬉しそうに微笑む。

今回は、催事の時や、妖精狩りの時以外は髪を結わないネアは、購入は見送っていた。

惰性で買おうとして店主に落胆されても堪らないので、また今度にしよう。



その後、出来たばかりのスープ屋に寄って、二人はパンとスープのお昼をいただいた。


ネアはスパイシーなトマトのクリームスープ。

ディノは山羊のチーズとズッキーニの花、じゃがいものスープを飲んでいる。

ネアが山羊のチーズのスープにどハマりしていた影響を受けて、魔物にもブームが来たようだ。

最近はよく、チーズクリーム系のスープも飲んでいる。


パンを手にして一度途方に暮れてから、ネアの真似をしてスープに浸して食べた。



(…………可愛い)


目が合うとふわりと微笑んだので、食事が終わったら頭を撫でてあげてもいいかもしれない。

しかし、先に食べ終わった魔物から逆に頭を撫でられたネアは、スープを食べるという繊細な作業時には、その行為はとてつもなく邪魔だと理解した。


こんな形で現実に触れる事があるのだなと考えていたネアは、何となく窓の外を見て愕然とした。



「………雨が降っています?」


今日は一日中良いお天気だと聞いていたのに、外はまさかの土砂降りだった。

店内にいるお客達も、まさかという目で外を見ている。


「なんてことでしょう。ディノ、雨です」

「うん。頑張ったから」

「え?」

「いや、これだと毛布は乾かないね」

「そうですね、残念ですが。巣がないと不安でしょうが、今夜は私の寝台で我慢して下さいね」

「ご主人様!」




しかし、なぜか大喜びする魔物を連れて帰ったところ、毛布達は洗濯妖精の素晴らしい魔術でふかふかに乾いていた。


これで無事に巣作りが出来るとネアはほっとしたが、ディノ曰く形成したばかりの巣は組み立てが馴染んでいないので、まだ今夜は使えないそうだ。

結局その夜はお泊まり会が開催され、ディノはネアの寝台で寝ることになった。




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