チョコレートケーキと生クリーム
翌朝、ネアはザハから持ち帰った戦利品を、仲間達に披露した。
昨晩は、アルテアの奢りで、ザハという高級ホテルのレストランで食事をしたのだ。
最初はあんな嫌そうだったくせに、買い物の場面になるとアルテアは金払いのいい男だった。
よってネアはまず、ゼノーシュ用の木箱入りのチョコレートケーキを一つ確保し、後はありったけの種類のカットケーキを持たされ、食べ物は自分で持ちたい主義のネアでさえ、渋々ディノの魔術を頼ることとなったくらいだ。
当日は夜も遅かったので状態保持の魔術冷蔵庫で一晩寝かせ、朝食後のお披露目となっていた。
このあたりは、ディノの潤沢な魔術に感謝するしかない。
「どれを選んでもいいの?ネアのはどれ?」
自分専用の木箱を抱えたまま、ゼノーシュが瞳を輝かせる。
あまりにも幸せそうにケーキを見ているので、ネアは昨晩の疲れが吹き飛ぶような気がした。
やはり、自分事ではないとはいえ、過去の悲劇の一片に触れるのは気分がいいものではないので、ゼノーシュの笑顔で心洗われる思いだ。
「私はこっそり、薔薇のクリームのケーキを確保しています。一番を押さえたので、後は残り物で構いません。欲望のままに好きなケーキを確保して下さいね」
「グラストはどれがいい?」
健気にも、ゼノーシュは、ぷるぷるしながらも先にグラストの好みを尋ねる。
可愛さが爆発しているゼノーシュに、グラストは微笑んで首を振った。
「多過ぎて選べませんね。ゼノーシュの食べたいものを先に選んで下さい」
「わかった!………………ええとね、…………これにする」
ややあって、ゼノーシュが選び抜いたのはホワイトチョコレートとブルーベリーのケーキだ。
その斜め上にある苺のケーキも何度も見ていたので、ネアはそれも男前に指し示した。
「ゼノ、これも押さえておきましょう。いっぱいありますからね」
「………いいの?」
ほわっと花が舞うような微笑み方をして、また健気にも見聞の魔物はグラストを見上げた。
お菓子を貰った子供が親に報告する仕草に、観覧者は皆表情を綻ばせる。
「ゼノが選んでくれたので、後は皆さんお好きなものをどうぞ。料理人の妖精さんと、給仕妖精さんにも一個ずつ差し上げるので、最低二個だけは残しておいて下さいね」
最初からじっとケーキを見ていたエーダリアは、甘党ではない。
だが非常にバランスよく食事をするタイプの彼は、お茶の時間になると適度に茶菓子も摘まんでいる。
ネアは密かに、場の雰囲気で流されて食べ物を選ぶのだろうと考えていた。
例えば、本日よりお茶の時間が絶滅したとして、それで永遠に茶菓子が食べられなかったとしても、彼は別に苦に思わない筈だ。
チーズやハムが絶滅した場合の方が、きっと憔悴するだろう。
因みにその場合、ネアも早々に死んでしまう自信があるので、そんな悲劇には起こらないで欲しかった。
「私はこれにしよう」
エーダリアが選んだのは、グラスに入った柑橘類とミントのゼリーのようなもの。
淡く金色に輝いているゼリーの部分は、香草のゼリーとなっていて、爽やかな甘さの一品だ。
「では、私はこれにしましょう。どうせグラストは、この二つの内のどちらかでしょうからね」
「……なんでわかったんだ」
「同僚ともなれば、一緒に食事をする機会も多いので、食の好みくらいは察せますよ。ネア様、いただきますね」
「ネア殿、俺にまですみません」
ヒルドが選んだのは葡萄と葡萄酒のゼリー。
グラストが選んだのは、シフォンケーキのようなシンプルな紅茶のケーキだ。
何となく透けて見える性格に、こういう趣味も面白いものだなと思う。
「いえいえ、美味しいものはみんなで分けましょう。お財布はアルテアさんですので、安心して貪って下さい」
その一言で、事情を知らなかったエーダリアとヒルドが、無言で顔を上げた。
「………お前は、あの魔物に奢らせたのか?…………贈答品とは言え、食べ物を?」
「ええ。昨日の飲食代は謝罪相当ですから。ねぇ、ディノ?」
「うん。アルテアは元々、こういう買い物は好きだから気にしなくていいよ」
本日の魔物は、自分で結んだリボンの結び目がお気に召さないらしい。
しょんぼりとしていて心ここに非ずなので、後で結び直してあげよう。
(そして、紺色のリボンは角がくたびれてきたから、買い替え時期かな)
その場合、収集癖のある魔物は荒ぶるのだろうかと少し不安になる。
「アルテアさんは、お買いもの好きなのですか?」
「洋服もその他のものも、何でも好んでするよ。自分の屋敷は、内装もかなりこだわっていたみたいだし」
「……自分の屋敷?」
「そう。私達は元々、魔物としての領域にそれぞれの城があるけれど、アルテアは人間の国にも自分の屋敷を持っているんだ」
どうやって土地や屋敷を購入するのだろうと、この世界の不動産売買に詳しくないネアは首を捻った。
財産の育て方に比較的柔軟なヴェルクレアでは、その手の仲介業者がいるのは知っているが、国によっては土地もみな領土の一部として厳しく管理されている。
「その土地に何か由縁でもあるのでしょうか?」
「いいや。単に、集めた品物を使いたいからだよ。庭も監修していた筈だ」
「…………庭」
ますます、アルテアのイメージから遠ざかってしまった。
料理や庭いじりなどは、どちらかと言えばウィリアムの領分だ。
「そういう趣味を持つならば、ウィリアムさんの方だと思っていました」
「ウィリアムは、何でも自分でやる生活が元々好きだからね。アルテアの趣味とは少し違うのかな」
「わかるような気がします。料理で例えるなら、ウィリアムさんが普通のお塩なら、アルテアさんって、こだわった稀少なお塩とか使いそうですものね」
「………ああ、成程」
アルテアとしか会ったことはないのだが、思わず頷いてしまったエーダリアは、恐らく料理などは出来ないような気がする。
見た目と総合評価でそう勝手に判断し、ネアは視線をケーキの箱に戻した。
(私の料理レベルだと、下手したらウィリアムさんの方が上手なのかな)
とは言え、自分の食べたい範疇で、美味しいものが作れればいいのだ。
手の込んだものは専門家に作ってもらえばいいので、ネアは特に修行などしない。
プレーンなものは知っているので、変わり種のグヤーシュの作り方は何種類か学んだが、それはネアの魔物の大好物なので、当然のことである。
「ディノはもういいですか?」
「部屋にある一個で充分だよ」
「では、私はこの林檎とシナモンのケーキを一ついただくので、計二個になります。無難そうなチョコレートケーキと、苺のケーキを料理人さんと給仕さんに差し上げるので、残ったものはみなさんで取って行って下さいね」
あまり長々と選ばせても面倒なので、配布用をさっと取り上げると、ネアはケーキを箱ごと残した。
いざとなれば、クッキーモンスターがケーキモンスターを兼業してくれるので、一切の憂いはない。
あらかじめ用意して貰っていた取り皿にそのケーキを移し、ベルを鳴らして来てくれた給仕妖精に託すと、常より妖精は贈り物と甘いものが大好きなので、彼はとても気持ちよく受け取ってくれた。
「僕、この白葡萄の!」
「では、私はこちらのチーズケーキを貰います」
こうして見ていると、同じように妖精のヒルドも甘いものは好きそうだ。
(でも、ウィリアムさんが、甘すぎてケーキを食べられないのは意外だったな)
だが、特に食事をしなくてもいい魔物ではあるが、嗜好品を隅々まで楽しんでいる。
定例会の仲間達のそんな貪欲さが、ネアは好きだった。
彼等がもし、食事なんて必要ないと考える魔物であれば、ネアはここまで深く関わらなかっただろう。
食事の出ない定例会であれば、あまり具体案も出ていないことだし、開催を半分に絞っていたところだ。
「ゼノ、さっきのチョコレートケーキは、木箱入りで日持ちしますよ。食べるときは、硬めにたてた生クリームを添えるといいです」
「わかった!今日はケーキが四個あるから、明日食べる」
「明日には、もう参戦出来てしまうのですね……」
ウィームの気候は、食べ物の保存には向いているのだろう。
尚且つここに居る者達はみな、食糧の悪化や劣化を防ぐ魔術ぐらい、造作なく使える者ばかりだ。
(という事は、またケーキを持って帰って来られそうだわ)
またお土産を買って来ようと思って、ネアは微笑む。
幸せだった子供の頃、ケーキの箱を持って帰ってきた父の姿を思い出し、何だか胸の奥が温かくなるような気がした。