ご褒美の怪 2
ここはどこだろうと考える。
ここは、どこだろう。
崩れた城壁の裏にお茶会の部屋があり、
更にその向こう側には壮麗な王座の間がある。
曖昧な空間や変にけばけばしい衣裳部屋、その全てが混在する景色は少々狂気的だ。
(まぁ、大丈夫だとは思うけれど……………)
今回もまたどこかに迷い込んだようだが、ネアがのんびりしているのには理由がある。
何しろ、隣りにはネアの頼もしい魔物がいるのだ。
おまけに、ウィリアムとアルテアもいる。
「ネア、一応心配だからこれ持ってて」
「なぜ髪の毛なのでしょう。手の方がいいです。手を繋いでいて下さい」
「…………ご主人様」
「照れる項目の様子がおかしいですからね」
そわそわしながらではあるが、ディノは素直に手を差し出してくれたので、ネアはその手をがっしりと掴んだ。
ガゼットの件などもあるので、こうしておけば安心だ。
「………これは、とばっちりというやつですかね」
「言うなれば、俺もとばっちりだぞ?」
背後ではウィリアムとアルテアが、憮然とした表情で周囲を見回している。
四人で食事に行った帰りでこの襲撃を受けたので、まさかの上から第三席までの魔物も節操なく飲み込まれてしまったのだ。
なお、ネアには判断出来ないことではあるが、この風景はロクマリアのものであるらしい。
即ち、この空間の様相はアルテアをつけ回している妖精の手によるものだろうということだった。
「その妖精さんは強いのですね」
「時々、妖精にも魔術などに恵まれた、祝福の子や災いの子が出るんだ」
「妖精にもということであれば、他の種族にもいるんですね」
「ウィームの王家の一部の者達も、そのような資質を持つ系譜の人間だよ。人間にしては魔術に恵まれ過ぎているのはその為だ。祝福の子の血筋を伸ばし、そのまま王族になったのだろう」
人間について教えてくれたのはディノだった。
ネアは、まさにそのウィームに暮らしているのだと思い、思わず目を輝かせてしまう。
「知りませんでした!そうなると、エーダリア様はとても優秀な血筋の方なのですね」
「補足してやるが、灰羽と呼ばれるジルフは災いの子だ。誘惑や欲望の系譜やその資質が強い者が多いといわれる赤羽の妖精の中に、ごく稀に生まれるあわいの妖精の中でも、更に殺戮に長けた妖精だ」
「……………最近、赤い羽の妖精さんとの遭遇率が高いような気がします」
「今は灰羽妖精だけどな」
「うわ。思い出したくなかったな……………」
そこでネアはふと、羽が色付くという事象について考える。
よく聞くことであるし、特に自分周りに支障がないので聞き流していたのだが、そもそもそれはどういう変化なのだろう。
いい加減な情報を卸しそうなアルテアの方はあまり見ないことにして、ディノの手を引いて尋ねてみる。
「妖精さんが羽の色を変えるのは、なぜなのでしょう?成長だったりするのですか?」
「妖精が羽の色を変えるのは、生涯をかけて庇護するべき相手を得たときだよ」
「そうなると、ヒルドさんも……」
最近またエーダリアと仕事をしているようだから、彼もきっと幸せなのだろう。
職場の空気が穏やかなのはとてもいいことなので、ネアは何だか心がほっこりした。
「うん。ヒルドもそうかもしれないね…………」
「やはり、エーダリア様のことを大事にされているのですね。あの二人の師弟の絆は、鬼教官による恐怖政治が垣間見えたとしても、何やら微笑ましいです」
ほんわり頷いたネアに対して、ウィリアムとアルテアは、そっとディノの表情を窺う。
妖精の庇護が何たるか、ネアがわかっていないことを問題視したのだ。
「ヒルドは、面倒見がいい妖精みたいだからね」
「ええ。おこぼれで私も色々良くしてもらっています」
「誤魔化したな……」
「この運用で進める気なんですね……」
こそこそと背後で魔物二人が何か話しているので、ネアはちょっとだけ振り返った。
隣りに立ったアルテアが、わざわざウィリアムの横に戻っての会話なので、件の妖精が近くにいたりするのだろうか。
それだけ優秀な妖精となると不安もあるので、ディノの手をぎゅっと握り直した。
「ご主人様……」
「なぜそこで頬を染めるのでしょうか。もっと他に色々ありますよね……」
手をにぎにぎされるのが嬉しいらしい。
色々頑張ってもらうかもしれないので、ネアはこんな健全なもので喜ぶなら安いと思って、何度も手に力を込める。
「ネアが大胆過ぎる……………」
「………え」
刺激が強すぎたのか、目元を染めた魔物に、手を引き抜かれ隠されてしまった。
代わりに、三つ編みの髪の毛の尻尾が投げ込まれる。
呆然として他の二人を振り返ると、ウィリアムもアルテアも痛ましげな顔でこちらを見ている。
三つ編みをリードにしたまま視線で助けを求めたが、重篤な患者を診る目で首を振られた。
「ディノ、髪の毛を掴んでいる場合、これが、ちょん切られたりはしないのでしょうか?」
「君は、短い髪の方が好きかい?」
「いいえ。今のままの方が良いです。ただ、敵がこの中継地点を攻撃しないのかなと思いました」
「私が望まない限り切れないから大丈夫だよ」
「謎のシステムだった……」
背後からちょいちょいと肩を叩かれたので振り返ると、ウィリアムが心持ち深刻な顔をしている。
「魔物の髪はその魔術の質だから、切ると言ったら止めるように」
「わかりました!」
そう言えば、以前に髪質も器の形だと聞いたことを思い出したネアは、とても素直そうな艶さらの直毛を持つウィリアムと、しっかりウェーブした髪のアルテアを見比べる。
どちらの髪も、宝石を紡いだようにふさふさの柔らかな毛質に見えるが、髪の形状という意味では正反対だ。
「……なんだ?またろくでもないことを考えているんだろ」
「いえ、魔物さんの髪質は、その魔術の器の形だと前に聞きまして」
「ああ、確かにそう言われているし、厄介な気質という意味では、アルテアは合っているだろうな」
「その通りだったら、こいつとシルハーンの髪質はどうなるんだよ………」
「そういえば、黒煙さんも直毛で謎でしたね…………」
「人間も同じだぞ。魔術汚染で人格が塗り替えられでもしない限りは、髪質の変化はあり得ない」
「そうなると、こちらの世界では、真っ直ぐな髪を薬品で巻き髪に変えたり、その逆のことをしたりするようなお洒落はないのでしょうか?」
思いがけない価値観の違いに慌てて尋ねると、そのような行為は望ましくないと判明し、ネアは驚いてしまった。
正体を隠す為の擬態ならまだあり得るそうだが、こちらでは、お洒落などの一環で行う髪そのものの形状変化ですら、あまり望ましくない行為なのだそうだ。
「ただ、ネアみたいな髪質であれば、舞踏会などの髪結いでよりしっかりと髪を巻くということはよくあるな。本来の毛質から、別の気質や性質を思わせるものへの変化が好まれないというだけなんだ」
(だとしても、直毛で生まれた人が、パーマをかけたいというようなことは歓迎されないのだわ)
自由に髪型を変えられる土地で育ったネアは、そう思うととても不自由に感じてしまうが、髪型に纏わる変化が倫理観で制限されているのであれば、人々が疑問に感じるようなこともないのだろうか。
幾つもの名前や姿を持って悪さをしているアルテアですら、髪質の変化を必要とする擬態は不愉快だと言うのだから、余程のものなのだろう。
「付け加えておくが、階位落ちさせたくない人外者の髪は切るなよ。魔術の関係でひと房きり与えるというようなことはあるにはあるが、総量を減らすと命や階位を減らすぞ」
「ぎゃ!もしかして、こちらでは人間でも髪の長さが変えられないのですか………?」
「ん?普通の人間なら、可動域の調整や祝福付与で、髪を伸ばせるぞ。……あ、そうか」
「む?ウィリアムさんはなぜ、しまったという顔でこちらを見たのでしょう?」
「お前が特殊だからだろ。いいか、お前の場合は、普通の人間のように髪が伸びることはまずない。人間は、魔術階位や可動域の変化が髪の長さに影響するが、お前の可動域のふざけた低さだと、一度髪を切ったら、自力で伸ばすのは事実上不可能だろうよ」
「何という残酷な世界なのだ……」
「成長という意味では難しいけれど、損傷の範囲であれば元に戻せるよ」
アルテアの言葉に震え上がったネアを、ディノがすぐさまそう安心させてくれた。
だが、思いがけないところで世界の常識が違うことを知り、ネアは何だか途方に暮れてしまう。
高位の魔物達が、生まれた瞬間から姿形が変わらないということを、随分と浅く見積もっていたようだ。
(そうか。髪型を好き勝手に変える自由というものを、この世界の人達は知らないのだわ)
そんな思いで見つめた手の中の髪の毛は、宝石のように美しい。
この一房ですら、恐ろしい程の執着の対象になるだろうと考えると、確かにこんな特別なものが簡単に補える筈もないのかもしれない。
もし誰かが大事な魔物の髪を傷付けようとしたら厳しく死守せねばなるまいと、ネアは自分を戒めた。
「ネア、ご覧。あれが最盛期のロクマリアの王宮だよ」
ディノの差示した方を見れば、黄金に輝く壮麗な部屋がある。
豪奢な調度品に飾られた部屋が、誰の気配もないままぽつんと配置されていた。
何となく、これは記憶のコラージュのようなものなのだとネアは思う。
主役になるべき生き物がどこにも見当たらないのは、そのどれもが既に死んでしまっているからだろうか。
どうやら秋の景色らしい足元の地面には、刺繍入りのハンカチや、可愛らしい人形などがあちこちに落ちていて、全てが、小さな女の子の持ち物ばかりだった。
「妖精さんのご主人は、小さな女の子だったのですか?」
「いや、王宮が落ちたときにはもう立派なご婦人だったな。少女のようにほっそりした子だったけれどね」
「ああ。充分に女の顔をしていたぞ。拾い上げた時が、この世代の子供だったんだろ」
ウィリアムとアルテアは、実際にその王女を知っているようだ。
仮面を施したのがアルテアであり、ウィリアムは司るもの上、関わりを持ったのだろう。
こうやって、彼女が子供だった頃のことを思うのなら、その妖精は保護者としての愛をかけたのだろうか。
それとも、取り戻したい幸福な時間としての子供時代を願うのだろうか。
「………あ」
遠くで、誰かの慟哭が聞こえる。
ざっと風が吹きわたり、どこにも火の手は見えないのに燃え盛る炎の影が揺れる。
ぱちぱちと火が進む音まで聞こえてきて、ネアは思わず髪の毛をきつく握った。
この綺麗なものがうっかり燃えてしまったりはしないだろうか。
(このひとは、ずっとこんな場所で泣いているの?)
魔物達は、魔物らしい酷薄さでこの慟哭には頓着しない。
だからネアは、その悲痛な叫びの元にいる妖精について考える。
アルテアの魔術によって仮面を付け替えられ、彼は記憶を失っているのだと言う。
であればこのコラージュは、彼が必死に集めようとしている過去の切れ端なのか。
そこまで推察して、ネアは疲れた顔になった。
「ネア、疲れだだろう。すぐに終わらせるからね」
すぐに気付いたディノが、そう気遣ってくれる。
「いいえ。精神的疲労ですから。…………この場所を作った妖精さんは、何て愚かな方だろうと考えていました」
「……愚か?」
「ええ。この残骸の寄せ集め具合は、とても悲痛なものです。実際、妖精さんはとても苦しんでおられるのでしょう。でも、自分の意志で手放したものを惜しむなんて、どれだけ身勝手なのだろうと思って」
「意外だな。人間の方が、そういう感傷を持つと思ったが」
赤紫の瞳を瞠って、アルテアが不思議そうにする。
魔物らしい純粋さに微笑み、ネアは短く首を振った。
「手放すということは捨てることです。自分の苦痛と天秤にかけて、愛するものを一度捨てたのなら、それはもう諦めるべきだと私は思います」
「お前は、共に滅びることになっても手放さないのか?」
揶揄でもなくただの素朴な質問なので、ネアは短く頷いた。
「私は強欲ですから、手放しませんよ。勿論、忘れてしまいたいという苦しみは誰にだってあります。でも、愛するものの記憶を手放せば、そのものとの縁は切れてしまう。愛するものに対して、どうしてそんな仕打ちが出来るでしょう。……この妖精さんは、愛するものを切り捨てた自分と向き合うしかないと思います」
そっとかがみこんで、拙い刺繍が施されたハンカチを拾い上げる。
子供の手によって刺されたものなのだろう、がたがたの文字で、ジルフへと刺繍されていた。
絵柄でもなく、線で表記される文字を選んだことからして、この少女は刺繍が苦手に違いない。
稚い愛情が、いっぱいに詰まったハンカチだ。
それなのに、このハンカチの持ち主は、もうこれを見ても渡してくれた主人のことは思い出せないのだとしたら、彼女が彼に残した愛情は、いったいどこへ行ってしまうのか。
「……持って行ってあげれば良かったのに。共に滅びるとしても、穏やかに鎮めて過去のものにするとしても、それでも、…………この子も連れて行ってあげれば良かったのに」
「………ネアは、私が先に死んだら覚えていてくれる?」
唐突にディノがそんなことを聞いたので、ネアは動揺してしまった。
手にしていたハンカチをぱさりと地面に落とし、憤然として立ち上がる。
「どうしてそんなことを訊くんですか?ディノ、どこか悪いところがあるのですか?!」
鳩羽色の瞳を潤ませて慌ててその胸元に掴みかかると、驚いたディノは、突撃してきたご主人様を抱き上げた。
「違うよ。安心して、ネア。ただ聞いてみただけだから」
「もし悪いところがあるなら、すぐに申し出て下さいね。薬になる妖精や精霊をたくさん捕ってきます」
「うん、ごめんね。だから、不用意に狩りに出る必要はないからね」
「いざとなったら、私の寿命を半分こにしますので、いつでも言って下さいね」
「………ご主人様」
どう考えても、そうそう死にそうにないのだが、ディノがとても嬉しそうなので、他の魔物達は大人しく黙ることにした。
あまり関わって、このよくわからない会話に巻き込まれても堪らない。
ネアは大真面目だが、これはただ魔物が甘えているだけの一場面だ。
「それと……ディノ?」
どうしても早めに言いたいことがあるのだが、恥らってもじもじしている魔物の視線が持ち上がらない。
周囲を見回せば、なぜかウィリアムもアルテアも、こっちを見ようとはしてくれなかった。
仕方なくネアは、えいやっとディノの長い髪を引っ張って方向転換させる。
「ディノ、ちょっとあちらを見て下さい」
「………ネア、今の何?」
「……………今の?」
(ああ、さすがに打撃がご褒美のディノでも、首がぐきっとなったかな)
「方向指示です。ごめんなさい、痛かったですか?」
「…………すごい可愛い」
「……………え」
慌てて振り返ると、ウィリアムとアルテアはわかりやすく呆然としている。
歴戦の魔物達の目には、微かな怯えすらあった。
「もっとやって」
「…………もっと?」
ネアは途方に暮れて、手の中の三つ編みを見つめた。
「これはまさか、男を操縦する悪い女的な……?」
「いや、確実に違うからな。どうにか耳馴染がいい方向に持って行くな」
「操縦は操縦ですけどね……」
何とかウィリアムが丸く収めようとしてくれたが、アルテアは厳しい顔で首を振った。
そんな男達を暗い目で眺めてひとつ溜息を吐いてから、ネアは自分の魔物に状況報告を伝える。
「ところでディノ、妖精さんは逃げてしまったようですよ?」
「え?」
「さっき、あの扉みたいなところから出ていくのが見えました。羽があったので妖精さんだと思います。だから引っ張ったんですよ」
「………では、帰ってもいいのかな?」
「帰れるなら帰りたいですよね。睡眠は削りたくない主義です」
「帰ろうか」
「…………なんだろう、余分に歩いただけでしたね」
「なんで俺を見るんだよ。あの妖精の所為だろうが」
結局、思ったより高位の魔物がたくさんかかってしまったので、早々に妖精は立ち去ってしまったらしい。
捕まえるべき妖精がいないのであればと、その後すぐにお開きとなった。
とは言え、不本意にご褒美を増やしてしまったネアとしては、一刻も早く元凶となったその妖精をどうにかして欲しいと思っている次第だ。