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灰羽と王女


灰羽の妖精と呼ばれて久しい。

元々どんな妖精として王宮に呼ばれたのか、ジルフはもう思い出すこともない。


リコリスのような真っ赤な羽の妖精は、もういないのだ。


「あら、ジルフ!今夜は晩餐会なのよ。エーダリア様とお話し出来るかも知れないわ!」


侍女が冷ややかな眼差しになるのを気にせずに、クリスティーナは朗らかに笑う。

ドレスのスカートを翻し、高価な靴を鳴らして小さな体いっぱいではしゃいだ。



クリスティーナは、所謂能無しの姫だった。



このロクマリアという名の大国で、美しくもなく外交の才があるわけでも、特殊な魔術があるわけでもないクリスティーナは、適当な家臣に下げ渡され、ある程度の血筋を繋ぐ為の道具とされる。



まとまりの悪いぼさぼさの赤毛。

女性的な曲線に恵まれなさそうな、小枝のような肢体。

けれど、クリスティーナの瞳は晴れた日の泉のように煌めく水色だった。



「エーダリア様が近くの席だといいな」


そう笑って、編み込みすらまとまらない頭を撫でてやる。


「ま、無理でしょうね。きっとお姉様が向かいの席だわ。エーダリア様は美しい男性だし、第二王子ですもの。私は隅っこね」


「もったいない。クリスティーナと話せば、誰だってすぐに友達になるのにな」


「でしょう?それなのに世界は残酷だわ!でもいいの。綺麗な王子様は、遠くから見ているだけでも幸せだもの」



その日、確かにクリスティーナは、一番隅の席だった。

エーダリア王子からは最も離れた席で、それはきっと、彼女を虐めて遊ぶ姉達やその侍女達の采配だろう。



けれども運命の女神は、泉の瞳を持つ能無しの王女に、気まぐれに微笑んだ。



「聞いて、聞いて!お庭でこっそりエーダリア様と話したのよ!ジルフ、あの方は私と同類。魔術の術式が大好きな、本の虫なのよ。……ま、エーダリア様には魔術の才能が有り余る程にあるけれどね」



「見る目がある王子様じゃないか。クリスティーナ、良い人に出会ったな」


「うんっ!文通するんだ。ロクマリアの独自魔術を餌にしてやった!」


「はは。それでいい。クリスティーナのことを知って、それで好きにならない奴なんかいるものか」



ジルフという妖精は、元々血のような真紅の羽を持つ妖精だった。

赤を持つ妖精はすべからく、淫奔で卑劣。

そう伝えられている。


しかしごく稀に、滅多にない程の魔術に恵まれた、戦闘と殺戮に長けた妖精が生まれる。



だから、ロクマリアの王宮に囚われたのは、ただの暇潰しだった。

籠に入ったふりをして王族の一人でも殺してやれば、殺すことでしか満たされない何かが満たされるだろうか。


大国の王宮ともなれば、歌に乞われた魔物や、契約の妖精もいるだろう。

殺して、殺されれば、この空虚からも解放される。



「ほら見て、閨房の糧となる妖精よ」

「ふふっ、綺麗な妖精じゃない。見てあの目。星屑のようだわ」

「誰が最初に試すの?」


ひそひそと笑う女達を見て、その女達から真っ先に殺そうと笑う。


その時だった。



「わぁ!あなたとびきりの赤じゃない。こんな色の薔薇は、ものすごく高価なのよ?羨ましいわ、私なんて同じ赤でも屑赤なのに」


頬に手を当てて檻の横にしゃがみ込んだのは、小さな子供だった。

周囲の女達がわざとらしく声を上げて、その子供を笑った。


「見てよほら、あの醜い子供」

「ああ、使用人に産ませた子ね」

「何の才能もないくせに、笑ってばかり」



ちらりとそちらを見てから、声を潜めて子供は笑った。


「ほら、意地悪女達は格好悪いわよね。だからあなた、こんなところに居たら駄目よ。美しいものは、自由でいなきゃ」


その子供は、まだ六歳ぐらいの幼い少女だった。

妖精の国であれば、大事に守られているべき年齢の子供である筈だ。


「私はもうすぐ、この王宮に食べられて死んじゃうの。もし帰る当てがあるなら、逃してあげましょうか?」


特に長生きする理由もないしね、とその子供は笑う。



「お前は、死ぬのか?」


「邪魔者だもの。そろそろ誰か悪さをするわ」


「では勝手に死ねばいい」


「綺麗なくせに嫌なやつ!」



そう頬を膨らませて子供が居なくなった後、檻の中の妖精になど頓着せずに悪意を垂れ流す女達を見ていた。


次の舞踏会までにあの子供を殺すのは、彼女が唯一心を開いた侍女だと言う。

その侍女は、彼女の姉姫の送り込んだ女らしい。




「どうしたの?自由になったの?」



次に会った時、その子供は燃え盛る部屋の中で子供用の椅子に座っていた。

扉は開いているのに逃げようともしない。


「どうして逃げない?」


「逃げてご覧なさい。外には剣を持った衛兵が素知らぬ顔で待ち構えているわ。斬られるのは痛くて嫌よ」


よく見ると、小さな子供の手は震えていた。

炎を映して、泉のような水色の瞳が揺れる。



「わかった。口を閉じていろよ」


「えっ?!」



唖然とする子供を抱き上げたら、片手で抱えても重さを感じないくらいに軽くて、胸の奥が掻き毟られるような気がした。



(小さい)



あまりにも小さくて、ぞっとするくらいに軽い。

この子供は、一体何を食べて暮らしているのだろう。

もしかして、殆ど何も食べていないのではないだろうか。



「やめた方がいいわ。私を生かすのは大変よ?あなたみたいに綺麗な妖精が死ぬのなんて、絶対に見たくない。赤い羽の妖精は、戦ったことなんてないでしょ?」


「うるさい。黙っていろ」


「お口が悪いわ!」



その日、使用人と蔑まれる身分の低い母親を持つ王女が住む離宮が焼けた。


当初は王女も儚くなったと思われていたが、一人の妖精がその王女を助け出した。

焼け崩れる離宮をものともせずに姿を現した六枚羽の妖精が、この王女を庇護する為にロクマリアを訪れたのだと嘯けば、その膨大な魔術に誰もがその言葉を信じた。


檻の外でお喋りに興じていた女達は震え上がっていたが、ジルフはそんなつまらない女達には最初から興味がなかった。



クリスティーナが能無しの王女なら、ジルフが彼女の力になればいい。

ジルフを繋ぐ為にクリスティーナがあり、ジルフを利用する為にはクリスティーナを守らなければいけないと、この国に納得させる必要があったのだ。



幸い、それを成し得るくらいに、ジルフは強い妖精だった。



真紅の羽は、あの炎の夜にありふれた灰色に変わってしまっていた。

妖精の羽が色付くのは、生涯をかけて守るべき相手を見付けた、その時だけだ。



(こんな子供を伴侶に………?)



さすがにそれはあるまい。

であるならこれは、娘を守る父親のような情なのだろう。

そう考えたら、初めて得る慈しみという感情に心が躍った。



確かにクリスティーナには、特別なものは何もなかった。

魔術の才能もなければ、ある程度聡明であっても優秀と言える程でもない。

特別に美しくもなく、特別に心優しい訳でもない。

人の心を動かす訳でも、それ以外の生き物に好かれる訳でもなかった。



ただ、ジルフの心だけは、ずっとクリスティーナのものだった。




(いつか、お前をこの国の女王にしてやろう)



そう考えて、人望の得られない王女に力を集めることが、どれだけ危ういのか、ジルフは知らなかった。

どれだけ残虐であっても卑劣であっても、王位に向く人間というものがいるのだと、それを知らなかった。



「ねぇジルフ、私はね王位なんていらない」


「クリスティーナ、じゃあ何が欲しいんだ?」


「うーんとね、………恋かなぁ」



彼女が文通をしているという、ヴェルクレアの美しい王子。

一度二人の手紙を見せられたが、本のことしか書いていない内容だった。



「あの手紙はないぞ。もっとお前の良いところを知ってもらえる努力をしろ」


「私のいいところってさ、ジルフしか伝わらないんだと思うな」



若造に彼女を任せるのは癪だが、クリスティーナが幸せになるなら何でも構わない。

その為になら、彼女を重用し過ぎると苦言を呈した地方伯を切り捨てるのも当然のことだった。

クリスティーナを虐めた姉達も、もういない。



気付けば、国のあちこちから火の手が上がっていた。



「エーダリア様に、正式にお伺いを立てたわ。私が他国の妃になれば、この不満も落ち着くでしょう」


クリスティーナは小さな子供ではなく、立派な女性になっていた。

相変わらず棒のような体だが、嫁ぐにはいささか遅いとされるくらいの年齢になる。



「私が王位なんていらないと言ったから、ロクマリアの王は、兄妹の中でも一番愚鈍で、毒にも薬にもならなかった二番目のお兄様よ。……この国は、こんなに脆くなってしまったのね」



翌週になると、エーダリア王子から正式な断りが入れられた。

良き書の交流相手だったがと前置きをし、守るべきものがあるのでこれ以上の手札は割けないと、意外にも真摯な手紙だった。



「あーあ。私、ここでエーダリア様を上手く捕まえるだけの才もないのね。嫌になっちゃう。でもね、ちょっとだけ、……ほっとしたわ」



そう笑ったクリスティーナを見て、なぜだか安堵した。

ここにはまだ、誰もいない。

クリスティーナにはまだ、自分しかいないのだと。





最後にクリスティーナに会ったのは、王宮が炎に包まれたロクマリア最後の夜だった。




「ジルフ、門の前の兵をどうにかしてきて」



そう命じたクリスティーナの為に、あらかたの兵を片付けて、王宮に戻ってきて愕然とした。


いつの間にか、王宮の中にまで兵士達が溢れている。

至る所で殺戮が行われ、床には真紅の絨毯が敷かれたようだった。

王族用の脱出路から進入されたのだと、一瞬にして悟る。



慌てて死の気配しかない王宮を駆け回り、クリスティーナの姿を探した。



「ほお、お前が噂の妖精か」



玉座の間で、殺された王の遺骸の横に立っていたのは、白い髪の魔物だった。

血の色とは混ざり合わない、赤紫の瞳を細めて艶然と嗤う。



「お前の主人なら、自分の部屋にいたようだぞ?」


「……まさか、あの部屋にあのまま?」



愕然として走り出す。

燃える王宮の回廊を、羽を使い、魔術を使い、ありとあらゆる手段でその部屋に辿り着いた。



部屋は炎に包まれていた。

最初の夜と同じ、あの色彩に染まる。



クリスティーナは、お気に入りの椅子に座ったまま、生気のない瞳でこちらを見ている。

たった今殺した数人の騎士達が、既に彼女に剣を突き立てていたのだ。



「クリスティーナっ!!」


「ジルフ、来るの遅いんだから。……でもね、これで良かったわ。子供の頃と違って、大人になった私を生かすのは、もっと大変だもの」


「クリスティーナ、……クリスティーナ、もう喋らないでくれ。すぐに治癒に長けた導師を…」



「ジルフ、私ね、こんな王宮なんて大嫌い」



震える手が伸ばされて、返り血に濡れたこの頬に触れる。

慌てて跪き、触れやすいようにした。



「……大嫌いなのに、とうとうジルフは私を連れ出してくれなかった……のね。王宮に食べられちゃうって、……私、言ったのに」



血に咳き込み、どう見ても絶命していてもいい傷を負ってもなお、クリスティーナの言葉は明瞭だった。

その鮮やかな瞳の強さに射抜かれて、何も喋れなくなる。




「エーダリア様と結婚なんて…したくなかった。…………私、……ずっとあなたが好きだったわ」




水色の瞳から涙が溢れて、ぼろぼろの顔でクリスティーナは微笑んだ。




「今度は連れて逃げちゃ駄目よ。……あなたもまた、この王宮から逃げられなくなってしまう」




ぱたりと、手が落ちた。

喘鳴のような呼吸が残り、瞳にはまだ意識がある。


叫び出したいのを必死に堪えて、その頬に手を当てた。



最後だ。


最後の今、今こそこの声を発せなくて、この命に何の意味があるだろう。


どれだけ長く、クリスティーナを待たせるつもりなんだ。



「俺も、君をずっと愛していたよ、クリスティーナ」



震える声を何とか言葉にして、唇を落とした。

触れた唇が微かに歪んだだけだったが、瞳には確かな微笑みの色を見る。



生きて。



クリスティーナが、最後に唇の動きで伝えたのは、そんな言葉だった。

炎がどこまでも無情に、ロクマリアの栄華を誇った王宮を飲み込んでゆく。


炎による粛清はどこか荘厳だ。

全てが一色に染まり、やがて灰に変わる。

クリスティーナも、もういない。





「お前は仮面の魔物だろう。俺に違う仮面をくれないか?」



火が落ちて、王宮の残骸に座って、他の魔物と酒盛りをしている白い魔物にそう言うと、彼は悪意のしたたる美しい微笑みをこちらに向けた。



「炎を司る妖精は、さすがに火じゃ死ねないようだな。仮面を付け替えてどうするつもりだ?追っ手を逃れて、どこぞで楽しく暮らすか?」



ふと考えた。

この王宮がなければ、もはや自分は自由だ。

どこにだって行けるし、何だってやれる。

幸いにも、魔術にも体術にも長けている。



「そうだな。俺でなくなれば、もう何でもいい」



クリスティーナのいない世界で、生きるという最後の命令を叶える為には、この心を捨てるしかなかった。



「成る程。一仕事終えたところだし、気紛れで手を貸してやろう。お前は愚かな妖精だな」



白い魔物が残忍に嗤う。

その遥か向こうに、がやがやと現れ始めた死者の行列と、背中を向けて立っている死者の王の姿が見えた。



疫病達の姿が多いので、これからこの国は疫病に喘ぐのだろうか。

それとも、疫病達はとっくにこの国に巣食っていたのか。



がらがらと音を立てて、燃え残りの王宮が崩れてゆく。

それはさながら、巨大な化け物が大きな顎門を閉じるかのようだった。



(すまない、クリスティーナ)



涙が溢れ、その光景も滲んで遠くなる。



そうだ、どこにだって行けた。

この力があれば、クリスティーナ一人くらい、どこでだって守って生きていけた。



王宮でさえなければ。



あの日見つけた大事な子供を、俺はとうとう助け出すことが出来なかった。

王宮は、確かにクリスティーナを食ってしまったのだ。




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