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仮面の妖精とご褒美のケーキ


アルビクロムの劇場通りで、その姿を見たのは偶然だった。

調査対象ではあるが、実際に彼自身を追い掛けているわけではない。

それどころか、彼を刺激して余計な手を入れられたら厄介だ。


もういっそ擬態に取り入れてしまったのか、灰被りの頃と同じ淡い灰色の髪を片手で掻き上げる。

細い煙草から煙を立ち昇らせ、すれ違った女性が思わず振り向く程の美しい所作で灰を捨てた。


今夜は青みがかった紺色の夜会服を着ている。

そう考えていたら、純白の杖をくるりと回して、鮮やかな瞳をちらりとこちらに向けた。


「………!」


慌ててグラストを連れて転移しようとして、


「ゼノ?」


思いがけない声を背後からかけられてびっくりした。


「ネア?!どうしてここにいるの?」


揃っている状況的に、あまりいいところではない。

片手でグラストの腕を掴んでしまっているので、もう片方の手で慌ててネアを捕まえた。

二人を抱えて転移するのは簡単だけれど、ここで足が遅くなるのを承知で転移をして、果たして背後の公爵の注意を引かないことなど出来るだろうか。


「ネア殿、少し不安定ですのでご注意を…」


グラストがすかさず補足し、僕も頷く。

綺麗な鳩羽色の瞳を瞠ってから、ネアは一度短く頷いた。


「では、労働力を補填しましょう。アルテアさん!」

「えっ!」

「ネア殿?!」


慌てて、声を張ったネアの唇を指先で押さえた。

びっくりした顔で、ネアがこちらを見返す。

その隙にグラストがさっと僕たちの盾になってくれていたので、慌ててその前に回り込む。

グラストだけは絶対に傷付けさせない。


「どうした?待ち合わせには少し遅いぞ」


「女性は少し待たせるのが華だと、ウィリアムさんから伺いました。ちなみに、ウィリアムさんは向こうでディノに捕まっています」


「………おい、何であいつも連れてきたんだ」


「今回の説得者は、アルテアさんだった筈です。雑な仕事をしましたね。お蔭で、ウィリアムさんがその後始末に追われています」


気軽に話しかけてきているアルテアに、ネアは一通り答えてしまうと、手の動きと眼差しで、アルテアをひとまずその場所に拘留した。


僕の見たものが間違っていなければ、飼い犬にするように、“待て”と命じただけだ。

それから僕とグラストを連れて少し離れると、首を少し傾げて魔術の壁の有無を問う。


「大丈夫。音は閉じてるよ」


「良かった。先ほどの様子を見ると、もしやアルテアさんが、調査対象ですか?」


「アルテアが対象じゃないんだけど、アルテアが通じてる妖精が対象なんだ。ネアはどうしてここにいるの?」


紺色のすっきりとしたドレス姿のネアは、袖口のレースが白いので、同系色の髪色になったアルテアと対になったような色合わせをしている。

これを見たらディノが嫌がるだろうなぁと、僕はこっそり考えた。


「ウィリアムさんと、アルテアさんとの定例会だったんですよ。ディノもついてきちゃいましたが」


「………定例会?」


「はい。ディノの困った趣味嗜好を、どうにか改善しようの会です。私とウィリアムさんが同盟を組んでいますが、アルテアさんは毎回冷やかし要員に近いところですね」


「仲良くなったんだ……」


僕は呆然とした。

ウィリアムは、死者の王だ。

人間のことは大好きな魔物だけれど、だからこそあまり人間とは長く付き合わない。

彼はあまりに多くの死を成し過ぎる。


(そっか、ディノがいるから安心したのかな?)


ウィリアムは一応王族に相当する魔物なので、もしここに来たら、僕は一応臣下の礼を取らないといけない。

どんなに親しみやすい笑顔を浮かべていても、彼はそういう階位の魔物なのだ。


「そして、その妖精さん問題こそが、ゼノとグラストさんが過重労働している理由なのですね?」


「なかなか戻れずにご迷惑をおかけしてます。少し厄介な案件でして…」


「いえ、こちらこそ大事な時に戦力になれなくて申し訳ありませんでした。グラストさん、ちゃんとお体を休められていますか?エーダリア様が心配されていました」


エーダリアが心配していると聞いて、グラストは少しだけ微笑んだ。

こういう笑い方は本当に嬉しい時と、心からほっとした時の癖なので、僕はちょっと寂しくなる。

エーダリアは心配しているだけで、一緒にお仕事しているのは僕なのに。


「もう少し早くに終える予定でしたが、いや、中々に手強い妖精でして」

「あわいの妖精だから、隠れるのが得意なんだよ」

「……あわい?………直訳すると、隙間妖精ということでしょうか?」


何を想像したのか、ネアはものすごく嫌そうな顔になった。

隙間に挟まる妖精じゃなくて、隙間を行き来する妖精だからねと言ってあげたくなったが、あまり変わらないかもしれないと思って言うのはやめておいた。


「そして、その妖精さんが、アルテアさんと悪巧みしているのでしょうか?」

「その妖精は、ロクマリアの宮廷妖精だったんだ」


ロクマリアは、一昨年に、継承争いと疫病で滅びた大国だ。

今は旧ガゼットを含む十一の国に分かれていて、

宮廷妖精とはヒルドのような王族に仕える妖精の総称になる。

つまり、王族に近しい位置にいた妖精が国内に入り込んでいるのだから、

国の上層部が警戒しているのは当然のこととも言えた。


けれど、今回エーダリアが懸念しているのは、

その妖精とアルテアの間に、話し合いの場が持たれているからだそうだ。


「純粋に転職相談であるとか、或いはご友人ということはないのですか?」


「彼は、羽が色付く程に主人を盲信していたと有名な妖精でした。加えて、ロクマリアの政情が不安定になってきたときに、主人であった第二王女から、エーダリア様に縁談の持ちかけがあったので」


「……それは物騒ですね」


グラストの補足に、ネアはすぐに頷いてくれる。

特別何かの知識に傾倒するということもなく、その分表層の知識が多いけれど、ネアは呑み込みが早くて要点を押さえるのが上手い。

前に話したときには、詳細まで理解してないからだと笑っていたけれど、取捨選択が上手いのは良いことだとヒルドも褒めていた。


「だから、本当はアルテアと会いたくなかったんだけど、偶然見つけちゃったんだ」


「ごめんなさい、ゼノ。今日は待ち合わせをしていたので、アルテアさんも目立つ場所に立っていたのでしょう。これはもう、是非に責任を取って貰いましょうね」


「……え?」


僕の張った結界をするりと抜けて、ネアは意地悪そうな微笑みを浮かべているアルテアの前に歩いてゆく。

ひやひやして見ていると、まずは自分の服装との相似性に気付いて、 ちょっと嫌そうな顔をした。


「アルテアさんが目立つところに立っていたので、不愉快な思いをした方がいたそうです」

「その理論で語られると、俺は一体何なんだ」

「相変わらず、悪い奴ということでしょう」

「酷いまとめようだな」


僕たちは勿論ここに長居しない方が良いのだけれど、見てしまった以上、ネアをアルテアと二人にしておくことなんて出来ない。

ひとまず、グラストだけ安全な場所に転移で隠しておこうかなと思ったけれど、怖い顔で首を振られてしまった。



「おや、ゼノーシュか?」


困ったなと思っていたところで、後ろから声をかけられる。

これだけ警戒しているのに気配もなく出てきてびっくりしたけれど、なんとか体を揺らさないように振り返ることが出来てほっとした。


「ウィリアム、」


「久し振りだな。大きくなったか?」


「べつに………大きくなった」


少し悪戯っぽい挨拶に、何も変わってないと言おうとして、グラストに成長して姿が変わったと話してあることを思い出して、慌ててそう言いかえた。


「………大きくなったのか?」


高位の魔物は、基本的に生まれた時から姿を変えない。

それがわかっているから、ウィリアムは驚いたみたいだけれど、目を合せないようにする。

目線だけ逸らしたまま、胸に手を当てて深く一礼した。



「ウィリアムさん、私の荒ぶる魔物は落ち着きましたか?」


姿を現したことに気付いたのか、ネア達もこちらにやってくる。

なんだろう、この魔物密度。

周囲を通り過ぎてゆく人間達が驚かないのは、魔術で注目を避けるような術式が上手く織り上げられているからだろう。

きちんと避けていってはくれるけれど、誰の視線もこちらを見ない。


ひとまず、小さな女の子の姿の魔物がいないので、僕は胸を撫で下ろした。



「ああ。でも、今日はシルハーンも交えて食事にでも行くか。ゼノーシュは仕事中か?」

「……仕事中」

「いや、四人で食事とか意味がわからないからな」

「ディノ、今夜はアルテアさんの奢りだそうです!食べたいものはありますか?」

「ネアが好きなものでいいよ」


呆気に取られて、高位の魔物達の会話を見ていた。

グラストに何かあっても嫌なので両手でその腕を掴んでいたら、怖がっているのかと思ったらしく、僕の腕をしっかり掴んでくれる。

何だか嬉しかったので、それはそのままにした。



「そういえば、ディノ。アルテアさんが悪い友達とつるんでいて、私の生活環境を脅かします。懲らしめて下さい」


「わかった」


「………は?何のことだ?」



あまりにも自然にネアが切り出したので、僕とグラストは顔を見合わせたまま固まった。

慌ててネアの方をみたけれど、どうしてかネアはこちらを見ようとしない。

あくまでも、自分事としてどうにかしてくれようとしているみたいだ。


「ロクマリアの妖精さんと、何やら悪巧みをしているのですよね」

「ロクマリア?一昨年あたりに滅びた国だな」


ネアの言葉に露骨に嫌そうな顔になったアルテアに、ウィリアムも会話に加わる。


「はい。その妖精さんの元ご主人様は、お国が危うくなってからエーダリア様に求婚されたのだそうです。そして私はこれでも、エーダリア様の元婚約者です。この事実の並びだけでも、身の危険しか感じません。きっと、茹で肉の魔物さんを帽子に放り込んだ件で、私に報復しようとしているに違いないのです」


「やっぱりお前か!」


「それは不安にもなるな。俺からも確認しておこう」


にっこり微笑んで向き直ったウィリアムに、アルテアは慌てて数歩下がった。

僕たち魔物は良く知っていることだけど、ウィリアムのこの微笑み方は怖い。

ネアの方は、慰めにきたディノになぜか髪の毛を持たされている。

ネア自身の目も虚ろになったけれど、僕には王がそうする理由はわからないので、ウィリアムはこっちを見ないで欲しい。


「あの妖精が俺をつけ回しているのは私怨だ。俺から接触したことは、今まで一度もないぞ?」


「……え?」


思わず声を上げてしまったら、赤紫の鋭い瞳がこちらに向けられる。

この問題を精査する為に彼女を使ったのはお前だろうと、

鮮やかな鋭さが刃物みたいにそう笑った気がして、背筋がひやりとした。


「うわっ?!」


その次の瞬間、アルテアが悲鳴を上げて飛び上がる。


「ムグリスですよ。私に似てるでしょうか?」


じっとりとした目のネアが、空中で捕まえた何かをアルテアの襟元に放り込んだからだ。

内側に入り込む前に慌てて掴み出し、アルテアは、ムグリスを空に放り投げる。

勿論ここから少しでも遠くに離れたかったに違いないムグリスは、慌てて飛んでいった。


「何でいつも、稀少な妖精や魔物を手掴みで捕獲出来るんだ……」


ウィリアムが驚いていることに、少しいい気分になる。

ネアが狩りの女王であることは、まだ知らないらしい。


「…………結論で言えば、色は同じだな。それと、あの妖精は行く先々に勝手についてきて迷惑している。欲しけりゃくれてやるぞ?」

「どうして付き纏われているんだ?」

「もしや、恋でしょうか。つけ回しをする方に以前出会ったことがありますが、理由は恋でした」

「黒煙と一括にするな!あいつが俺を追うのは、あいつの記憶を奪ったのが俺だからだ」


「………悪さをしたんですね」


「そのお前の評価はなんなんだろうな…………。向こうから呼び出されて、仮面の付け替えを依頼されたんだ。余程忘れたいことでもあったんだろう。そのくせに、これだけ時間が経ってから、やはり記憶を返せと言い出したわけだ」


「まぁ、優柔不断な妖精さんなのですね。私はてっきり、アルテアさんは妖精に目覚めてしまったのかと……」


「……あれは、男だぞ?!」


「何を言っているのでしょう。昨今珍しくもありません。アルテアさんなら経験済みの筈です」


「ふざけるな……」


「でも、その妖精が記憶を取り戻すと厄介なんじゃないのか?」


「私とエーダリア様が、真っ先に狙われますね……」



「ネア、心配しなくても後で排除しておいてあげるよ」


「ディノ、有難うございます。でも排除はいけませんね。拘束して、ゼノにあげましょう」


もうあまり興味はなくなってしまったのか、ネアは適当にそう言って、それまで握っていたディノのおさげをぽいっと捨てた。

悲しげな顔になったディノにまた、お労しいという気持ちが募る。

明らかに、仕事をさせるまでのご褒美だった。



「………ひどい、ご主人様」


「ディノ、アルテアさんのお説教が終わったら、何を食べたいか考えておいて下さいね」


「ネアの好きなものでいいよ?」


「本日は、ディノの好きなものを食べに行く会にします。ゲテモノ以外であれば、アルテアさんがお財布になるので、遠慮しないで言って下さいね」


「待て、何で俺の支払いが決定しているんだ……」

「じゃあ、ザハにしようか」

「………おい、シルハーン」


ザハは高価なチョコレートケーキの有名な、老舗ホテルだ。

十年程前に倒れた王家から出奔した料理人たちが奮起し、ザハという歴史は長いがあまり奮わなくなっていた高級ホテルの料理部門を安定させた。

あのホテルのケーキを食べるのかなと思ったら、何だか羨ましくなる。


「もしや、素敵なケーキで有名なところでしょうか。ゼノ、お土産はホールがいいですか?カットケーキを色々の方が嬉しいですか?」


「ネア殿、それは……」


慌てたグラストがお財布を取り出そうとしたら、ネアは微笑んで首を振った。

歴戦の将軍のように目線一つで、どこか寂しげな表情をしているアルテアを指し示す。


(お土産も、アルテアがお財布なんだ……)





「私たちはもう行くので、どうぞゆっくり休まれていて下さい。妖精さんの件は、心配して下さって有難うございました。ディノにどうにかして貰って、後で報告しますね」



きちんと丁寧に頭を下げて退出の挨拶してくれたネアに、僕は腕を掴んだままのグラストを見上げた。



僕たちの探していた妖精は、あちこちで人や魔物を殺して移動していた。

実際の交戦がなくても、いつどこから現れるかわからない妖精を追跡するのは、人間には消耗する作業なのだろう。


僕は移動も出来るし、探せるし、グラストはもっとのんびりしていてくれればいいのに。

そう思っても、いつもグラストは僕の前に出てくれてしまう。


「グラスト、ネアが持っていってくれたよ?」


「騎士としてはいささか情けないですが、仮面の魔物が敵に回らなくてほっとしました」



以前のネアの一件で、仮面の魔物がアルテアという第三席の魔物だと判明した。

僕はそれまでに一度も会ったことがない公爵だったけれど、あまりいい噂は聞かない。

特に人間と添い暮らす契約の魔物にとって、多くのものを壊す彼は、とても不穏な存在だった。


だから僕は、いつもよりたくさん時間をかけて仕事をしてしまった。

アルテアが出てくるようであれば、相手の方が強いのだ。警戒には警戒を重ねる。

ただでさえ、………人間はあまり長くは生きないのに。


(グラスト、疲れてるなぁ……)


だからネアは、一緒に行こうと声はかけなかったのだろう。

グラストを休ませてあげなければいけないと、同じ人間としてわかっていたのだ。



「リーエンベルクに帰ろう、グラスト。僕、すごくいい枕持ってる!!」

「はは。それは楽しみで……だな。しかし、ゼノーシュの枕がなくなりませんか?」

「六個あるから大丈夫だよ」


ネア達みたいに、言葉を滑らかにするのは難しい。

でも少しずつ、時間を重ねて僕は僕の欲しいものを手に入れよう。

これは短い時間だからこそ、大事に大事にするものなのだ。


「明日休みを取れるようであれば、イブメリアに欲しいものでも買いにいきましょうか」

「うん!」


今回の仕事は厄介なので、

解決すれば一週間はお休みが貰える約束だった。

幸い、イブメリアは延期してくれているので、どうにか間に合いそうだ。


(じゃあ仕事も終わったし、ヒルドに正確な情報を渡しても大丈夫かな?)



仕事が終わるまでレイラを捕まえられないように、少し古い情報をヒルドに渡していたのは内緒だ。








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