13区の流星雨
その夜、ウィリアムから貰った天体鏡をディノに展開して貰った。
まだ信仰の魔物は捕縛されておらず、何やら、少し大掛かりな任務で王宮を外しているゼノーシュ達もいない。
エーダリアが単独になる為に、今夜のリーエンベルクにはダリルが滞在している。
とは言え、二人共執務室に缶詰になっていたが。
だからネアは、今夜はとあるお願いを、この天体鏡の流星を見ながらディノに切り出そうと思っていた。
流星雨が設定されているらしく、少し火花が散ると言うので庭で展開することにしたのだが、蓮華の花のような形をした天体鏡に特定の術式を刻むと、ふわりと開いて幾つものパーツが宙に浮かぶ。
とてもわかりやすく、魔法が動いているという感じがして、ネアはわくわくしてしまう。
「ディノ、どんな星空が見られるんでしょう?」
「13区の流星雨が設定されているね」
「13区?」
「だいぶ前に、西方の小さな国が一つ滅びた。その夜に降った流星雨だよ。ウィリアムは、また懐かしいものを選んだね」
そっと窺ったディノの横顔は穏やかだ。
雪灯りと魔術の展開を映しても、ディノの独特な髪色はあまり変化しない。
固有の色彩を失い難いというのが、魔物の色であるという。
「ディノにとって、思い入れがある夜なのですか?」
「ウィリアムはああいう男だからね、思い入れがあると考えたのだろう。私には特にないよ」
「でも、そういう風にウィリアムさんが考えるような、何か特別なことがあったのでしょうか」
浮かんだ天体鏡がぱちぱちと音を立てる。
その奥で、重たい歯車が回る、重低音のオルゴールのような音も聞こえていて、雪の上に広がった魔術の光の影は、淡い緑色をしていた。
「その国の王子と王女に、何度か会ったことがある。二人が子供の頃に襲われていたところに遭遇してしまって、私が助けたことにされていたからね」
「助けてあげたのではなくて?」
「いや、通りがかっただけだ。それで、襲撃をしていた魔物が逃げたんだよ」
「まぁ。ディノのお手柄だったのですね」
褒めると嬉しそうだったので、ぽいと渡された髪の毛を引っ張ってやる。
最近、この三つ編みの投げ込みが上手くなってきたのは気のせいだろうか。
「その後、王女の方から何度も呼び出され、暇だったし何度か会いに行った」
「ディノが会いに来てくれたら、きっと嬉しかったでしょう。命の恩人で、こんな綺麗な魔物なんですから」
「ネアは、もう慣れてしまったけどね。……ある夜、その王女に頼まれたんだ。自分の契約の魔物、或いは伴侶になってほしいと」
「なんと、……」
少しだけ考える。
その時のディノは、どんな気持ちだっただろう。
嬉しかっただろうか。
それとも不快だったのだろうか。
少しでもその申し出が暖かなものであれば、若干もやっとはするが喜ばしい。
心が動いていたのであれば。
「……嬉しかったですか?」
「どうだろう。困ったなと思ったよ。あまり深く踏み込まれると煩わしくなってしまうからね」
「む、むぅ!」
「何でネアがここで怒るんだろう…………」
唐突に捕獲され、ネアは抗議の唸り声を上げる。
頭の上に顎を乗せられると、流星雨が見えないかもしれないし、傘も持ちにくいではないか。
「私は狭量ではないので、私の大事な魔物が過去に幸せであって欲しかったんですよ。……では、せっかく王女様に告白されたのに、ディノは困っただけなんですね?」
「断ると泣いたしね。なぜか王子にも落ち込まれた。妹は、ずっと私に好意を持っていたのだと言われて」
「仲の良いご兄妹ならそうなりますね。その後はどうなったのですか?」
「彼女は私にその申し出をするにあたり、大国からの縁談を一つ断っていたんだ。それが口実となって、その国は攻め落とされたよ」
「………一番酷い展開になりましたね」
「そうかな。珍しくはないだろう」
「ではその後、もうお二人には会えなかったんですね」
そう言ったネアに、ディノは小さく首を振った。
「国が落ちる夜に会ったよ。私とその王家の繋がりを知って、ウィリアムが気を利かせたつもりだったようでね」
国が落ちる夜。
それはどれだけの悲劇だろうと、ネアは思いを馳せる。
あのガゼットで見た戦乱よりも尚、その最後の夜は凄惨ではないのだろうか。
「お二人には会えましたか?」
「王子に、せめて妹を助けてやってくれと言われた。王女からは、せめて最後に一度だけ口付けを与えてくれと」
淡い光を弾けさせた天体鏡が、最初の流星雨を降らせた。
お天気雨の雫のように、きらきらと柔らかな光を煌めかせて落ちてゆく。
やがて星々は空に上がり、本格的な流星雨が流れ出す。
「助けて差し上げたのですか?或いは口付けを?」
「いや、そのどちらも与えなかった。高位の魔物の口付けは祝福でもあるし、それを庇護しているわけでもない相手には与えないよ。助け出すこともしなかった。侵略国に手を貸したのは私だったからね」
尾を引いて流れてゆく星の雨の中で、そんな告白を聞いている。
「………どうして、侵略国に手を貸したのでしょう?」
「言っただろう。煩わしくなってしまったと。手を伸ばされるのは構わないけれど、自分に紐付けされるのは不愉快なものだ」
「その事を、お二人に話したんですね?」
「ああ。なぜと問われたし、隠す理由もないからね。疑問を持つ事自体が不思議だと思わないかい。私は私のものなのに」
「……寧ろ、その顛末でなぜ、ウィリアムさんはこれを設定したのでしょうね」
「ウィリアムはその内訳までは知らない。私が立ち去る前に王女は自害してしまったし、捕らえられた王子は処刑されるまで、二度と口を開かなかった」
「……その国がなくなった後、どう思いましたか?」
「やれやれとは思ったけれど、それくらいかな。……それと、」
不意に、拘束が少しだけ強まりネアは視線を持ち上げる。
ディノの顔は見えなかったけれど、なぜだか今は微笑んではいない気がした。
「その時に、私には情愛の心がないと言われて、そうなのだろうかと少しだけ考えた」
「お辛いのはわかりますが、八つ当たりですね。心がないことと、心が動かないことは別のものです」
「………すごいね。ネアはどこにも行かないんだね」
ぽつりと落とされた声には、本物の微かな驚きが揺れる。
「行かないと言ったのに?私の魔物はなんて疑い深いんでしょう」
「……最近、寝台に上げてくれない」
「あの最終形態を欲しがらなければ、入ってきても構いません。そもそも、婦女子にあんな体勢を要求してはいけません」
「ネアは私のものなのに?」
「しかしながら、私がご主人様なのでしょう?ご主人様が嫌がることはしてはいけません。その代わり、いい子でいたら、ご主人様も魔物に優しくします」
眠気に負けないときには躾をしっかりする主義のネアに窘められて、ディノは不思議そうに首を傾げた。
これで反逆されても困るが、基本的にディノはこういう場面では素直に言うことを聞く魔物だ。
「ネアは私を契約の魔物として使うのはあまり好まないのに、時々そういうことを言うね」
「ディノが暴走するからですよ!暴走しなければ、私は、常に穏やかで慈悲深いご主人様です」
「ネアは、……………私が好きかい?」
「大好きですよ。ほら、頭を撫でてあげるので、私を持ち上げることを許可します。流星雨をもっとよく見せて下さい」
魔物が良い子で指示通りにしたので、ネアは綺麗な髪を撫でてやり、少しだけサービスを上乗せしてその額に口付けしてやった。
ネアからはしてくれないと、最近拗ねていたからだ。
「………ご主人様」
目元を染めて恥じらう魔物は可愛らしい。
こんな生き物に情愛の心がない筈もないではないか。
ただ、それを彼等には与えられなかったことだけが、本物の不幸だったのだろう。
「あの人間達は、どうして悲しんだりしたんだろう。こうやって触れ合う者がいたのに、どうして不幸だったんだろうね」
暫くして、魔物がそう不思議そうにそう聞くから、ネアはそっと微笑みかけた。
「どうしても、それでなければ駄目なものがあるんです。その王女様にとって、それはきっとディノだったのでしょう。国や愛する家族を守る為に、あなたを諦めることが出来ないくらい、あなたでなければと思ってしまったんです。それと同時に、彼女のご家族にとっては、それが彼女だったのかもしれません。危うい橋を渡ってでも、その王女様の願いを叶えてあげたいと思った方が多かったのかもしれませんね」
こんなに美しい魔物に出会って恋をしたなら、それはそれは、焦がれる程に甘い苦しみだっただろう。
思い起こす記憶はいつも麗しく、出会えば変わることなくいつだって魔物は美しい。
他の物では代わりにならないと心が叫んでしまったら、破滅への道行きでも手放せないものもある。
例え、自分や誰かを殺すことになったとしても。
「私が、どうしても君じゃなければ駄目だと言ったら、もっと色々くれるかい?」
「一番大事なものだという称号を差し上げた後、何をあげればいいのかもはやわかりません」
「ウィリアムや、………アルテアやヒルドでも代わりにならない?」
「ディノの代わりにくれると言われたら、そのどなたもディノの代わりにはなりません」
「…………ご主人様」
また頬を染めて幸せそうに目を輝かせるので、こうやって大事だと何度も重ねて伝えてゆけば、ご褒美の回数も減らせるかもしれない。
そう考えたネアの表情も明るくなる。
候補にゼノーシュが入っていなかったが、あの可愛いクッキーモンスターを例えに出されたら一瞬考えてしまったことを気付かれないで本当に良かった。
取り替えようとは思わないが、あの可愛さは一種の罪だ。
「じゃあ、後で体当たりしてくれる?」
「…………駄目だった!」
「足でもいいけど……」
「ものすごく不満そうですね!」
そこでネアはふと思い出す。
流れがおかしくなってしまったので、お願いを切り出すには最悪のタイミングの気がするが、もはや後には引けないのがとても悲しい。
次の機会を狙えば、決定が明日になってしまう。
それだけ仕事を開始するのが遅れるので後々に響くのだ。
「ディノ、…………では、あの最終形態をやってあげるので、信仰の魔物さんを探すのを手伝って下さい」
「ネアはもう、レイラに関わらなくていいと思うよ」
「でもディノ、イブメリアが終わらないと、私の誕生日もやって来ないのです」
「……………誕生日?」
「……………言いましたよね、私の誕生日は、イブメリアの七日後です」
明らかにその意識はなかったという顔をした魔物に、ご主人様はストライキに入ることにした。