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40. ウィームに帰ってきました(本編)



ネアはその日、やっとの思いでウィームに帰還することが出来た。



ガゼットの王城にディノが迎えに来てくれた後より、万象の滞在に焦ったというウィリアムは、鳥籠の解除までをかなり急いでくれた。

その結果の、予定より早い帰宅である。


もっとしつこく絡むかと思った風竜のサラフは、最終日の朝に唐突に姿を消してしまい、別れ際にウィリアムから、ディノの趣味を真似しないようにとあえて追い出したのだと耳打ちされた。

どうやら最終日のウィリアムが余所余所しかったのは、秘密裏にサラフを追い出していたからだったようだ。


(うちの変態が申し訳ない……)


嫌われていなかったと再確認してほっとする反面、申し訳なさでいっぱいになる。


確かに、サラフにはどこか素直な部分があり、竜の長らしい高慢さはあるものの、染まりやすそうな危うさがあったように思う。


ウィリアムが五年程とは言えサラフを育てたと聞いてから、ネアは、出会い頭の暴行を少しだけ大目に見られるようになった気がしていた。

育ての親が傷付けられたと思って、ものすごく視野が狭くなったのだろう。

しかし、その部分の慰謝料を差し引いても、次回に出会った時には鱗を一枚剥ごうと思う。



「雪景色です!ディノ、雪景色ですよ!」


ガゼットよりも気温が低いのは勿論だが、焼け爛れた戦乱の大地から、華やかに栄えた市街地に変わっただけで、安堵のあまり口元が緩んでしまう。

あれだけの悲劇を見ておいて、こうも容易く息を抜いてしまうのは酷薄にも思えたが、ネアは聖人足る程に内面が充足している訳でもない。


あれはやはり、他国の問題だと割り切って、この街に戻れたことを喜ぶことにした。



「良かったね。すぐにリーエンベルクに戻らず、街を見たかったのだろう?」

「はい。あの戦場の後でしたから、イブメリアの飾りつけのあるウィームの街を歩いて、心を落ち着けてから帰りたかったんです。…………ですが、少しだけ、街の皆さんのお顔が荒んでいますね」

「うん、確かに目が怖いね…」



イブメリアの前夜に失踪したという、信仰の魔物。

そんな魔物の失踪のせいで、クリスマス前夜に再度の無期限延期に入ったとなれば、プロポーズを楽しみにしていた恋人達や、プレゼントを心待ちにいていた子供達は荒むだろう。

仕事の上でも負荷がかかるような、関係各所の御役人達の表情は、もう一段階暗いに違いない。


だがネアは、そんな人々の僅かな荒ぶる心には気付かなかったふりをして、美しいウィーム中央の街を歩き抜け、リーエンベルク帰った。



「リーエンベルクが見えます!」



こうして、ウィームの街を歩きたいと言ったのはネアで、エーダリアはすぐにそれを許可してくれた。

待ってくれている人達には申し訳ないが、中心地からこのリーエンベルクまでの道を歩いて、この清涼な空気を楽しみたかったのだが、あの戦乱の匂いを捨てたいと考えた思いを、上司はすぐに汲んでくれたのだ。


戻ったらもう一度お礼を言おうと思いながら、ネアが二重の街路樹で真っ直ぐに伸びたリーエンベルクへの道を歩いていると、ぱたぱたと小柄な人影が走り寄ってくる。



「ゼノ!」


真っ白なコートを着た魔物は、フードを被っているからか、擬態もしていない。

雪の精のような愛くるしさだ。


「ネア、大丈夫だった?怖くなかった?」

「ゼノ、会いたかったです。ゼノが私を探してくれたお陰で、無事にディノと会えたんですよ!」

「良かった。怪我はない?」

「はい!ウィリアムさんという魔物さんが、私を保護してくれたんですよ」

「ウィリアムに会えたんだ。じゃあ大丈夫だね」

「やはり、ウィリアムさんはそういう立ち位置の魔物さんなんですね」

「ウィリアムは人間が好きだから、迷子を保護するのは得意なんだよ」


久しぶりに見るような気がする見聞の魔物は、今すぐにお菓子をあげたいくらいの破壊力だ。

可愛いものを見ると、こんなにも心が和むのかと、ネアはあらためてゼノーシュとの出会いに感謝する。


「ご心配をかけてしまいましたが、皆さんは元気にしてますか?」

「ヒルドも心配してたよ。今は、レイラを狩りに行ってる。エーダリアとダリルは待ってるよ。グラストは寝てる。今朝まで仕事だったから」

「よし、では急いで帰りましょう!」


あのヒルドが、エーダリアの元を離れて狩りに出ているのがとても気になる。

と言うか、大変に恐ろしい。


(ああ。ウィームに帰ってきたんだわ)


さくさくと雪を踏む雪靴を見て、ネアは微笑む。


再会してすぐに、ディノはネアの着替えを手配してくれた。

動きやすい服に着替え、血の汚れのない靴を履いたら、その夜は大事な魔物の髪を掴んでぐっすり眠れた。

ウィリアムがどんなに優しい魔物でも、やはりディノと分かち合ってきたものには及ばないのだ。




「ネア、無事に戻ったか!」


リーエンベルクに戻ると、早速エーダリアの執務室に足を運んだ。

珍しく満開の笑顔を見せてくれた元婚約者の隣には、ほっとしたような微笑みのヒルドが居る。


「はい、只今戻りました。ご心配をおかけしまして申し訳ありません。ヒルドさんも、こちらにお戻りになられていたんですね」

「いえ、私はネア様が戻られると聞いて、一時的に顔を出しただけですよ。さすがに信仰の魔物だけあって、逃げ足が速く苦労しております」

「……………にげあし」


もはや、信仰の魔物の支持率は、そのレベルまで下げられたようだ。


「あの時、転移が出来ないように意識まで奪っておけば良かったのですが、流石に動揺していたようです」

「意識以外の何かは奪ってしまったのでしょうか……」


こちらに歩いてきたヒルドを見上げて、親しいものの気遣いの眼差しにまた安堵した。

大きな雪明りの窓を背に、妖精の羽の鮮やかな色彩に光が入るのを見ていたら、伸ばされた手が頬に触れた。


「よりにもよってガゼットなど。今回程、ディノ様が、不可能を成す高位の魔物で良かったと思ったことはありません」

「私も、今回程にディノを頼もしく感じたことはありませんでした!それに、ウィームの街を見ただけでこんなに嬉しいなんて」

「街から歩いて来られたなら、少し疲れたでしょう。エーダリア様の聴取は早めに終わらせますので、ゆっくり休まれて下さい」

「……ヒルド」


背後の弟子が悲しそうにしているが、ヒルドは淀みなくネアを甘やかしてくれる。

しかし、ここは仕事の場でもあるので、きちんと報告を済ませてしまおうとネアは首を振った。


「いえ、私がいなくなってしまったのは、儀式の途中です。お仕事の上のことですから、きちんとご報告させて下さい」


執務机から立ったエーダリアが、続き間にある会議用の部屋に向かう。

ほっとしたように肩を竦めているその首筋を見て、少しやつれたようだとネアは眉を顰めた。


魔物と妖精の隙間を縫って、元婚約者に声をかける。


「エーダリア様、お食事は摂られていますか?とてもお疲れのようですが、もし今回のことでご負担をおかけしていたのなら……」

「さすがに今回は、初の事例となる事故でもあったからな。それに、信仰の魔物も失踪したことで、教会側が動揺している。とは言え、お前が責任を感じる必要はない。被害者なのだから、報告を終えたらまずはゆっくり体を休めてくれ」


それぞれがテーブルにつきながら、各自の定位置があることに、またほんわりする。

ディノは当初、テーブルに着かずに後ろの長椅子にいたが、今は必ずネアの隣に座るようになっていた。



「それで、ガゼットの内乱は終結したのだろうか?」

「内乱?……ではなく、諸外国の侵略だと聞いていますが」

「成る程、元は一つの国だったから、情報操作したようだな。使う駒によっては、侵略国は面子を保てるわけだ」

「ガゼットに、各自の血族がいるからでしょうか?」

「内乱で斃れた国を切り分けて、周辺国が救済を行なったという筋書きにするのだろう。となれば、最初に動いたのは第一王子の妃か?」

「はい。私が聞く限りは、その方の祖国の使節団が招かれた式典で蜂起し、続けて控えの兵が国境を越えたのだそうです。けれど、第一王子様は亡くなっていますが、王様は生きておられるのではないでしょうか?」

「亡命先の国が悪い。数週間前に王が崩御して、代替わりしたばかりだ。遠からず、あの国の道具にされるだろう」

「その国の新しい王様は、切れ者なのですか?」

「カルウィの王だな。切れ者と言うより、貪欲かつ、残虐な男だ。我が国の国境沿いではなくて、心から良かったというような国だな」


ネアは地図上の位置関係を思い浮かべる。

ヴェルクレアまでは、間に四カ国を挟むので、侵攻などの危険性は少ないだろう。間の国々も、大国ではないが小国でもない。


「新王は、カルウィの元第一王子ですか。私は、当時の第三王子が後継者となると踏んでいましたが、上手く蹴落としたようですね」


そう呟くヒルドの眼差しが、いやに鋭いのはなぜだろう。

その鋭利な微笑みを見ていたら、ちょっと背筋が寒くなった。



「……お前の羽を切り落とそうとして、バルコニーから投げ捨てられたあの王子の父親だな……」

「バルコニー……。国際問題にはならなかったのですか?」

「ええ。偶然の事故として上手く落としましたから。その原因となった彼の悪友は、その後処刑されてしまったと聞きましたけどね」


やはり、この妖精を敵に回してはいけない。

目が合ったエーダリアも深く頷いたので、ネアはしっかりと自分にも言い聞かせる。

羽を触らせられるくらいで、怯んでご機嫌を損ねないようにしよう。



そんな話を聞けば、カルウィという国の王族にもかなりの問題がありそうだが、やはり、この妖精を敵に回してはいけないとネアは強く思った。

目が合ったエーダリアも深く頷いたので、ネアはしっかりと自分にも言い聞かせる。

羽を触らせられるくらいで、怯んでご機嫌を損ねないようにしよう。


なお、カルウィは王族が多い国らしく、次の代の王位継承権を持つ全ての男性が王子の称号を得るのだそうだ。

代わりに、その代で王位を得られなかった者達は、各州都の州王などにはなれるが、二度の国王の座への挑戦は叶わないらしい。


力に重きを置くカルウィでは、国内の王族達を競わせる事で広大な国土を隙なく治めて国力を維持するのだと聞けば、さぞかし壮絶な権力争いがあるのだろう。

国益を損なわなければ暗殺も内戦も好きに行って構わないどころか、生贄の儀式や罪人の処刑なども盛んな国だと聞いたネアは、砂漠の大国に心の中でお別れを告げておいた。




「だが、今回の戦が、内乱から発したものではないという証言だけでも、情報としては有難いな」

「特に要所を押さえていませんが、これで良いのでしょうか?」

「他国の情報など切り貼りだ。カードは一枚でも多くあればいい。お前が持ち帰ったのは、立派な手札になる」

「そういうものなのですね。であれば、王城の様子もお伝え出来れば良かったのですが、どうやら私が滞在していたのは様子が違う側のようで」

「影絵に居たのか。確かに具体的な描写は手札の補強になるが、ガゼットの王城はすぐに略奪で様相を変えてしまうだろうしな」

「略奪をするようなものは、残っていなかった筈ですよ。ディノ、私がいた側だけでなく、あのお城の調度品はほぼ空っぽでしたよね?」

「うん。よく持ち出したものだよね」



ディノが同意すると、エーダリアとヒルドは素早く顔を見合わせた。



「……調度品を丸ごと?あの城は、交易路の旨味を生かした贅沢さで名を馳せている。それを全て動かしたとなると、報告にない魔物を手に入れたか、今回の一件は予め仕組まれていたかのどちらかだな」

「……引っ越しの魔物でしょうか?」


男達が深刻な顔になったので、首を傾げたネアに、ヒルドが教えてくれる。


「膨大な質量を動かせるということは、兵力の移動も出来るので、厄介な戦力になるんですよ。……エーダリア様、少し気になりますね」

「仕組まれていたとなると、カルウィか。さして得る物がなさそうだが、裏があるかもな。ヒルド、兄上に一報を頼む」

「あの方なら上手く使うでしょう」



ただの事故から情報が持ち帰れたことに、ネアは目を開かれる思いがした。

二度とあっては困るが、このような収穫になるのであれば、サラフからもう少し事情聴取しておけば良かった。



(…………あ、)


そこでネアは、一つの失態に気付いてしまう。

せっかくヒルドに与えて貰った庇護の耳飾りを、ガゼットでは身につけていなかったのだ。

今回は事なきを得たが、今後はそのようなものは身に付けておくようにしよう。



「なお、ガゼットでは、風竜さんに会いました」

「な、何だと?!」


音を立てて、エーダリアが立ち上がる。


「エーダリア様?」

「風竜に出会ったのか?どの階位の竜だ?大きかったか?!」

「……エーダリア様は、風竜がお好きなのですか?」

「私の憧れなのだ!生息域が異なるので、実際に目にしたことはないが、奔放で誇り高く、竜種の中では最も好んでいる」



とても熱い憧れをぶつけられて、ネアは後悔する。

やはり、鱗を剥ぎ取っておけば良かったではないか。

最大の顧客が、まさかこんな近くにいたとは思わなかった。



「竜としてのお姿を見たのは、飛んでいるところだけですが、とても大きいと思います。白混じりの緑色で、体の鱗には淡い金色の斑らがありました」

「白混じり!高位の竜だな。金の色持ちとは耳にしたこともない。美しかっただろう?」

「ええ、とても綺麗な方でしたよ。肌が蜂蜜色で異国的で」

「ガレンには、かつて竜の伴侶を得た魔術師もいるが……。風竜か、見てみたかったな」

「………伴侶」


ネアはとても動揺して、思わずヒルドを見てしまったが、ヒルドも特に不自然な様子はない。

憧れの竜の情報が貰えて良かったですねと、穏やかに笑っているだけだ。


(サラフさんは、男性……)



あの距離感で見誤ることはないので、立派な男性の竜で間違いない。

それとも、竜は性別が曖昧だとか、そんな特殊な事情があるのだろうか。



「エーダリア様、その風竜は男性に見えましたが……」


思わずそう返すと、エーダリアはまた立ち上がった。



「……風竜の男性体だと?!成竜か?!」

「は、はい。大人の男性の方でした」

「まさか。……ではそれは、風竜の長ではないか!」

「はい。そう仰っていました」


現場の勢いについて行けずに視線を彷徨わせたネアに、それまで黙ってホットミルクを飲んでいたゼノーシュが口を開く。


「ネア、風竜の雄はね、戦争で一度大部分が死んでるんだよ。だから、ほとんどが雌で、子供達以外で、大人になった雄竜は長しかいないんだ」

「まぁ、そうでしたか。だからエーダリア様は、女性の竜だと思ったのですね。私はてっきり、今回も…」

「ネア、どんな気質の竜だった?」



期待されてしまうと、とても困る事実しかない。

きらきらした目でこちらを見ているエーダリアに、ネアは途方に暮れてしまった。



「………乱暴者の、覗き魔でした。あと、食いしん坊で、シチューが大好きです」

「ネア、もう少し詳しく聞かせて?」



しかし、ネアがおそるおそる告白すれば、今度はディノが食いついてしまった。

こちらを見ているディノの表情からすると、何があったのかをしっかりと話さなければいけなくなりそうだ。












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