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ウィリアム



真夜中こそが、終焉の時間でもある。


それなのに最も忙しい時間に城に帰ったのは、保護した少女が不自由していないかどうかを確かめる為だ。

案の定、寝台に膝を抱えて座ったまま、疲れた顔で魔術の火を見ている彼女を見付ける。



「眠れないのか?」



声をかけると、困ったように微笑んでこちらを見上げた。

その色彩の健やかさに、ああ、これは愛されるだろうなと理解を深める。


魔物は無垢なものが好きだ。

けれども、魔物と語るには決して無垢ではいけない。

だからこそ、無垢ではなく、この世界にのみ無垢である迷い子は、魔物の心に触れる形をしているのかもしれない。



「ウィリアムさんは、眠らないのですか?」

「夜から夜明けにかけては、多くのものが終わる時間なんだ」

「終わるものも、時間の格差があるのですね」

「夜の海や、雨の日。なぜかよく晴れた春の日も、終わるものが多い」

「………雨の日」


そう反芻した声に、雨の日に誰かを亡くしたのだとわかる。

だから、次の言葉は少なくて良かった。



「雨の日だった?」

「ええ。雨の日に両親を亡くしました」

「君に死の影が見えるのは、だからかな」



危うい憧憬に僅かな抑制も込めてそう言えば、また少し苦味を込めて笑う。



「ウィリアムさんは、とても鋭い方なのですね。大丈夫です。決して死のうとしているわけではありません。……ただ、それが怖いものだと知ってしまったことが、とても怖いんです」

「死が恐ろしくなかったのは、死に触れたから?」

「そんなことを深く考えることもないままに、それに触れてしまいました。その後に為すべきことを終えてふと気付けば、世界はとても静かになっていました」


こういう告白を聞くのは、初めてではない。

終焉に触れるとき、このような言葉を得る者はとても多い。

だからきっと、この少女は自分の領域に足を踏み入れた人間なのだろう。


そう思うと、妙に色々なものがしっくりきた。


シルハーンの指輪持ちだからと言うだけではなく、彼女は確かに自分の系譜の者なのだ。

サラフと同じように、また今まで手を貸してきた幾人かと同じように、終焉に住んだことのある、終焉の子供。


だからこそ、守ることが自然と身に馴染み、特に違和感もなかったのか。



「それもまた、終焉の一つだな。生きていても、幸福でも、その静けさは終焉の領域だ」

「……そうですね。そうだったのだと、私もそう思います。その後の生活は穏やかでした。失うものはなく、手放せない未来がないということは、とても安らかなんです。私は我儘に、そういう生き方を楽しんでいましたし」



彼女が失ったのは、家族なのだろう。

けれども、健やかな女性が、他に誰かを愛することもなかったのだろうかと思えば、微かな檸檬の香りがした。


時折、俺にしか嗅ぎ取れない独特な死の香りがある。

亡霊や妄執にすらならなかった、死の残響めいたものだ。



「でも他にも、誰かを愛したことがある?」

「む、そんなことまで見抜かれてしまうのですか」

「うーん、俺の領域のものだったからかな」


そう続けると、目を伏せて息を吐くように深く微笑む。

誰もいない夜の雪原めいた、静謐な微笑みだ。


「ええ。そのような方がいました。遠くから見ていただけですが、確かに愛していたのだと思います。私が、……殺してしまいましたが」


静かな声が、それが激情の抜け落ちた後の遺骸のようなものだと教える。

けれども決して忘れることもないのだろう。残響を伴う死とは、そういうものだ。



彼女が告白するのは、俺が終焉だからだ。

人間はよく、終焉の前では雄弁になる。



「シルハーンには?そういう執着心すら、彼は嫌がるかも知れないから、話す時には気を付けた方がいい」

「話しています。ディノなりに判断をつけて、特に問題はなく済ませてくれました」



そこで、じりっと火が揺れ、その音に驚いたのか子供のように目を丸くする。

燃える火や流れる水を不安定にしてしまうのは、終焉の悪癖だ。

実は家事に支障をきたすので、結構困っている。



「ウィリアムさんは、誰かを愛したことがありますか?」

「俺が?」



そう尋ねられたのは初めてで、少し驚いた。

終焉に問いかけられる言葉は、大抵の場合はそれに纏わることばかりなのに。



「あなたのような方は、きちんと誰かを愛してきた方ではないかと思いまして。サラフさんのことも、とても大事にされてますものね」

「確かにそうだな。だから、サラフの鱗を狙うなら、命に支障のない腕の鱗にしてやってくれ。五枚が限度だ」

「心得ました。腕の鱗に留めます」


微笑んで和ませたつもりだったが、かなり本気で剥ぐつもりのようで驚いた。

華奢な体躯の割には、随分と豪胆だ。

まぁ、この程度のしなやかさがないと、シルハーンと生活してゆくのは難しいかも知れない。

王は、良い歌乞いを選んだようだ。



「そうだな。百年くらい前に、好きだった女性がいた。彼女はよく笑う可愛らしい人で、幸いにも幼馴染みと結婚して、産褥で亡くなるまでとても幸せに生きてくれた」

「まぁ!告白されたりはしなかったんですね?」

「その幼馴染みに勝てる見込みがなかったからな。気のいい男で、彼女は彼に夢中だったよ。かなり羨ましかった」



男爵家の三男の彼は、実直で優しい男だった。

病気がちで死と近しい彼女に夢中で、誰が見ても安心出来るような見事な愛し方をした。



「ウィリアムさんの心を奪ったような女性が愛する方なら、きっと素敵な男性だったのでしょうね」

「ああ。敵わないと思ったからこそ、二人が短い間でも、幸せになってくれて嬉しかった。ただ、やはり人間の命は短いな……」



感傷的になるのは、この国の王子を思い出したからだ。

独立戦争の時に戦場で出会った、若い騎士。

彼は、まだまだあなたの世話にはならないぞと、清々しく笑っていた。

ああいう良い青年が死んでしまうのだから、時に、人間の欲と命はとても虚しい。


そんなことを考えていると、彼女は目に見えて落ち込んだ様子を見せた。



「すまない。俺が人間の寿命の話をすると、生々しいか」

「紛らわしくて御免なさい。やはり、魔物の方はそう感じてしまうのかと考えていたんです。………私は、この国に来て、置いていく訳にはいかなくなってしまった責任の重さを痛感していたところなのです」

「ん?置いていかれる怖さではなくて?」

「それは前回分ですね。今回は、どう考えてもディノの方が長生きですし、逆なのでしょう。……私はあの魔物に、私が感じたような寂しさを味わわせたくないんです。いずれは避けられなくても、さすがにまだ可哀想です」

「もしかして、それが不安でこんな時間まで悩んでいたのか?」


健気に思って、死なないという安堵感に任せてその頭を撫でると、微かな困惑を明け透けに瞳に浮かべた。

獣の子のようで、少し可愛くなる。


「私が私の為に感じる怖さですよ。まるで、子を持つ父親になった気分です。子供の為に死ぬわけにはいかなくなったのですが、独身時代の気楽さがちょっと恋しくなりました」


真剣に悲しげに言うので、これには思わず少し笑ってしまった。


「父親?母親ではなくて?」

「私は、未婚女性です。ここでディノの母親と例えてしまうと、何やら途端に物悲しくなってしまいます。困ったことに不得手な分野ですが、これでも素敵な恋への憧れだってあるのに……」


これには笑ってはいられなくなった。

彼女はとても真剣だが、かなり危うい発言だと気付いていない。



「シルハーンには、絶対にその願望は言わない方がいい。暴れそうだ」

「ですよね。でもまぁ、ディノがいるので、結婚出来なくても寂しい人生にはならないでしょう」

「あくまでも、彼は候補に入れないんだな」



その途端、先程までの稚さは消え失せ、妙に達観した世捨て人のような顔をされた。



「私の魔物はお恥ずかしながら、変態的嗜好を持っています」

「ん、ああ。そう言ってたな」

「あのアルテアさんにすら、難易度が高いと言わしめる程です。そんなディノと、危険を冒してまでその手の妄想をしてみる程、私はまだ経験値を積んでいないのが現状です」

「アルテアがそう言ってたのか……」


さすがにそれは不安になった。

アルテアであれば、大抵の不埒な経験は積んでいるだろう。


(その彼が、難易度が高い……?)


「……長生き云々よりも頭の痛い問題がありました。……ウィリアムさん、そちらのご経験は豊富でしょうか?!」


急に生き生きとして、縋るような目で見られるが、嫌な予感しかしない。

慌てて両手を上げた。


「すまないが、俺は独創的な色事の経験はさほど積んでいないから、実技指導は出来ない」


「出会ったばかりの恩人にそのような仕打ちはしません!そうではなくて、その手の道から足を洗うような指導助言をいただけないでしょうか?」


「うーん、性癖なら無理じゃないかな」

「アルテアさんと同じ投げ方!」

「そう言われると傷付くな……」

「これはやはり、専門店の店員さんにお力添えいただくしか………」

「うわ、くれぐれも一人で乗り込まないようにしてくれ。騒動の予感しかしない」


ヴェルクレアなら治安はいいだろうが、とは言え花街の界隈の治安の良さなど上限がある。

慌てて止めようとしたら、サラフを倒そうとしていた時とよく似た暗い眼差しを向けられた。



「しかし現状孤立無援です。ディノは日々新しいご褒美を見つけてしまいますし、力を借りられそうだった知人は更に振り切った変態さんでした。今後、私はどうやって対処法を学べば……」


先程の穏やかさと感傷を返して欲しい。

どうしてこうなったのかを考えたら、不用意な発言で方向を変えてしまったのは自分だったようだ。


「わかった。聞いてしまった以上放ってもおけないからな。助けになるような知恵がどこかで借りられないか、俺も調べておこう」




そう約束してしまったことを後悔したのは、まさかの危険を冒してこの城に押しかけてきたシルハーンと、彼女のやり取りを目撃した時だ。


見る限り、シルハーンは足を踏んで貰いたがっていて、場所を選べと叱られていた。

最後の終焉を果たし疲れて帰ってきたところで、あまり見たい光景ではない。


とても上手く躾けてはいそうだが、確かに荷が重そうだ。

サラフに見せてはいけないような気がして、彼を適当な理由をつけて急ぎ城から追い出した。

身勝手かもしれないが、子供の頃から見てきた風竜の長を、あの道にだけは踏み込ませたくない。

彼女との別れが惜しいのか、かなり抵抗されたので、最後は力技で他国に放り出す羽目になった。



一刻も早く、専門家を見付けよう。






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