39. ご主人様は魔物を労います(本編)
「……竜を狩れる割には普通の魔物だな」
「黙りなさい。サラフさんの暴言積み立ては、あと二回で鱗ですよ」
「なっ?!」
ウィリアムはまだ帰ってきていない。
彼が影でどうにか連携を取り、結果ディノがここに来たのかと思えば、ディノがかなりの無理をして、自力で辿り着いてくれたのだと判明した。
ネア達は、ディノが疲弊していることと、お世話になったウィリアムが帰城してないこともあり、城内にある会食用の部屋に落ち着いている。
この城の中のものはかなり持ち出されていたり、破棄されており、複数人が座れる部屋はここしかないのだ。
移動しながら話を聞くと、ウィリアムがどうにか連携を取ってディノを呼んでくれたのではなく、かなりの無理をして自力で辿り着いてくれたのだと判明した。
どうやらこの魔物は、ウィリアムがディノには越えられないと話していた結界をどうにかして、ここまでネアを迎えに来てくれたようだ。
(もしかして、だからこんな風に、……ディノの色がくすんで見えるのかしら)
魔物が身に持つ色彩は、その階位や力そのものなのだと、ネアはエーダリアから教えて貰った。
だからこそ、高位の魔物が持つ色彩は夜闇や物影に損なわれる事はないし、自分より階位の低い要素に染まる事もない。そしてそれは、擬態をしていても内包する力が失われないものなのだ。
(だから、普段のディノは擬態をしていても、何だか凄く綺麗という印象がそのまま残るのに、今日はいつもとは違うような気がする……)
「ディノ、指を見せて下さい」
「心配しなくて大丈夫だよ、ご主人様」
こうして顔を覗き込めば、やはり第一印象は間違っていなくて、ディノは、実際に少しヨレヨレになっていた。
素直に差し出された指先は、綺麗な皮膚が灰色に変色している。
可哀想で可哀想で、その指先をそっと両手で包んだ。
「ディノ、本来ならすぐにでも椅子にしてあげるところですが、ここまでの道行で疲れている筈ですので、元気になってからにしましょうね」
「ご主人様!」
ここに来るにあたり、ウィリアムの言った鳥籠とやらが、やはり障害になっていたのだそうだ。
「ウィリアムは器用な男でね、条件付けの編み込みが上手いんだよ。単純に壁であれば壊すだけなんだけれど、柔軟性が高くて厄介なんだ」
「だから、こんなに傷だらけになってしまったんですね」
ネアの位置を特定したのは、ゼノーシュだったらしい。
本来ディノは、指輪を持つネアの元に容易く転移出来るのだが、今回は鳥籠の結界がその邪魔をした。
「転移自体は、どうにでもなったんだ。でも、鳥籠の中だと判明したからね。万が一にでも傍で死者の行進があった場合、強引に降り立つ方が、ネアの身を損なってしまいそうだったんだ」
「死者の行進とは、そんなに厄介なものなんですね」
「死と災厄を撒きながら歩く一団だからね。下手に燃料を焼べてしまうと、行列以外のところにも爆発的に飛散してしまう」
彼らは、足元の影から這いずり出して死肉を喰らい、または虫の息の者達をその影に引き摺り込む。
死そのものを吹きかける死の妖精と、疫病の魔物。
そして、悪意と失意を囁く悪夢の精霊。
「……で、出会わなくて良かったです」
参加者の内訳を聞いて、ネアは椅子の上で丸まりそうになってしまった。
ただの陰惨な戦乱だけではなくて、そんな恐ろしい者達が跋扈していたなんて。
「かけてある守護で、死者の行進は避けられるよ。だからこそ、その守りを壊したくなくて困ってしまった」
眉を下げて小さくなっていたネアの髪を撫でて、ディノは本当に嬉しそうに微笑む。
ご主人様を取り戻したということが、とにかく嬉しいらしく、その艶麗な微笑みにネアも嬉しくなってしまう。
「では、ここにいる間、ディノは私から離れないで下さいね。それで守ってみせます」
「いざとなったら擬態を解くまでだから、ネアは安心していて構わないよ。でも、私から離れないようにね」
「ウィリアムの知己なのであれば、彼に頼ればいいだろう。俺は長らく見知っているが、あいつが誰かをここまで気にかけたのは初めてだ。よほどお前を守ろうとしているのだろう」
サラフは、そう評して不思議そうにディノを見ている。
通常であれば、大方の魔物はディノが擬態していても、この美貌で高位の魔物だと判断する。
けれども、ウィリアムが側にいるサラフは、友人と比較してディノをその下に見積もったようだ。
(でも、王様だから一番強いという訳でもないのかも?)
ネアがそう考えていた時、何の気配も感じなかった筈なのに、ディノとサラフが同時に視線を動かした。
「………是非に、俺を頼って下さい。そして、ガゼットではどうぞ何もされませんように」
「………ウィリアム?」
激しく苦労人の顔をしたウィリアムが、戸口の壁に手をかけて立っていた。
ディノのように目に見えてわかる傷があるわけではないのだが、いやに疲れて見える。
サラフが眉を顰めるくらいには、あからさまなぐったり具合だった。
そんなウィリアムを振り返りもせず、ディノは唇の端をゆったりとカーブさせる。
「ネアが困ることが何もなければね」
「万全を期してますから、くれぐれもその擬態を解かないで下さいね。俺は、国土まで殺すつもりはないんです」
「ディノ、ウィリアムさんはお仕事中です。この方は私の命の恩人ですので、お邪魔しないようにしなくては!」
少し気の毒になってそう補足すると、ディノは何やら思案深い目を向けてくる。
「……浮気」
「違います!こうして無事にディノに再会出来たのは、ウィリアムさんがディノとの友情を大事にしてくれたからですよ?」
「ウィリアムは友人ではないよ?」
「こらっ!」
ウィリアムが友達でなくて、アルテアも違うというのなら、ディノには友達がいなくなってしまう。
ネアとしては、リーエンベルク以外での魔物の交友関係も保持しておきたかった。
同じような立場の友人は、とても大事なものだと思う。
そう言い切るには、友達が少なくて泣けてきそうではあるが、とても大切なものだ。
「ネア、もしかしてその服を着たきりなのかい?」
「ディノ、ケープは護身用ですし、現状の私は、大事な魔物が側にいてとても満たされています。幸せとは、多くを望んではいけないものです」
「でも、ネアは割と環境には貪欲な方だし、着替えたいよね?」
「ディノ、私は周囲の空気を読める大人の女性です。私の魔物にもそう育って欲しいと切に願います」
ネアは窘めたのだが、魔物は綺麗に微笑んであざとく首を傾げた。
返事をしないのが何やら怪しいし、背後ではウィリアムが深い溜息をついている。
「ウィリアム、何でこんな格下の魔物に、お前は敬語なのだ?」
「サラフ、暇そうだな?よし、仕事をしようか!」
またしても不用意な発言をしてしまった風竜は、あっという間にウィリアムに引き摺られてゆき姿を消した。
部屋に残されたネア達は、遠ざかってゆくサラフの声を生温く見送る。
「あのお二人を見ていると、エーダリア様とヒルドさんとはまた違う、愉快な関係性があるのだなと気付かされます」
「ウィリアムは随分前から、あの竜の面倒を見ているからね。確かナジャガルの滅亡の時に、砂の王宮から拾ってきて面倒を見ていた筈だ」
「ちょっとした、育ての親でもあるんですね」
「とは言え、竜は竜と生きるものだから、五年程で一族に戻していたかな」
「もう少し教育が完了していたら、サラフさんはとても素晴らしい竜になったでしょうに」
「……ネア、ウィリアムのこと気に入ったよね」
ディノのその質問は、若干答え難いものであった。
ネアとしては、柔和で面倒見も良さそうなウィリアムの気質は、かなり好きな部類だ。
全くの初対面で統一し、見知った限りの魔物を一覧にして並べれば、恐らくウィリアムを選ぶだろう。
そもそも、変態はまず選ばない。
何が一番大事かで言えばディノなのだけど、好みの人格のタイプであるという事実は如何ともしがたい。
「そうですね。とても良い方だと思います。でも、私の魔物に敵うものはどこにもいないので、私は浮気はしませんよ?」
「やっぱり気に入ったのか……」
「私の語彙ではこれ以上の言葉は捻り出せないので、拗ねないで下さい。ほら、少し乱れてしまっているので、髪の毛を編み直しましょうか?」
「……編む」
「飛び込みでも、体当たりでも何でもしてあげますが、まずは旅の疲れを癒して下さいね」
鳥籠の魔術の隙間を通って入国したディノは、魔術の織りの隙間を縫うことが出来るくらいに、極限まで自身を作り変えてきている。
ほとんど人間と変わらないだけの状態で、国境から国の中心地だというこの城まで、一日で踏破して来たのだ。
道中には山間部や激戦地もあり、この魔物が現在どれだけの持久力があるにせよ、指先を損なうくらいには大変な旅路だったのだろう。
「椅子になる」
その心配な手を使って膝の上に抱き上げられ、ネアはどきりとした。
魔物の皮膚事情はわからないが、痛かったりはしないのだろうか。
「指先は、痛くないですか?」
「痛くないよ。でも、髪を洗うのは大変かもしれない」
「今夜は私が洗ってあげますね。幸い、洗髪料などは、良いものを揃えて貰いました」
結び直す前に椅子になられてしまったので、ネアは長い髪を手にとって、途中からだけ編み直してやる。
お気に入りのリボンを綺麗に結んでやるのに、角度が逆になっているせいでやや苦労してしまった。
「……あの後、みんなはどうしていましたか?イブメリアにいなくなってしまってごめんなさい。カードも贈り物も、ちゃんと用意していたんですよ?」
どうしても悄然とした声になってしまったせいか、椅子は両手でネアを拘束した。
ぎゅっと抱きしめられると、安堵して胸の強張りが解けてしまう。
魔物がこんなに疲れているので、いざという時に敵と戦えるよう、どうか利き腕は自由にしておいて欲しい。
「ネアは、イブメリアを楽しみにしていたものね。大丈夫だよ、信仰が逃げたから、また延期になっている」
「………はい?」
想定外の返答に、ネアは呆然とした。
「祝祭において、送り火よりも欠かせないのが信仰なんだ。レイラが捕まらないと始まらない」
「……なぜレイラさんは逃げてしまったのでしょう?」
ネアは、何だか嫌な予感がした。
何しろあの時の混乱は、明らかに彼女のご乱心の結果だったのだ。
「ネアが隔絶に落ちてしまって、私を怒らせた後に、ヒルドにも叩きのめされていたからかな?追い討ちをかけるように、アルテアからも何か言われていた」
「……そもそもアルテアさんは、文句を言う権利がある方でしょうか」
しかし、アルテアであれば、効果的でより心を抉る言葉を使いそうだ。
更に言えば、会うだけで失神していたような相手を怒らせ、ネアが知る限り最も恐ろしい妖精に叩きのめされれば、確かに心は折れたかもしれない。
(送り火さんよりは高位だし、果たして見つかるのだろうか……)
とは言え現金なもので、イブメリアに参加出来るかも知れないと考えたら、ネアは少しだけ口元が緩んでしまった。
その様子に気付いたのか、頭の上で小さく満足げに微笑む気配。
「そう言えば、私は何故、こんなところに放り出されたのですか?」
「あの香炉の煙で、空間のあわいが剥き出しになっていた。あの時、何か死にまつわることを考えたかい?」
たちこめる香の煙と、司祭の朗々とした美しい詠唱。
教会音楽に、鐘の音。
「……あまり意図していませんでしたが、両親の葬儀を思ったかもしれません」
「そうか。……今回のことは、高位の魔物が集まり過ぎた場を不安定にしたことが要因だ。そこに、願いや成果を司るレイラの魔術が浸透し、開かない筈の扉を開いてしまった。やろうとしてもやれないくらい、とても稀な事故だろう」
「私が死を思ったから、死の蔓延するこの国に来てしまったのでしょうか?」
「そうだろうね。ウィリアムは、死と終焉を司る魔物だ。せめてもの幸運は、最もそれに近い彼の近くに落ちたことかな。死者の行列の中に落ちたら、無事とは言え、相当に嫌な思いをしただろうからね」
先程どんなものかを知った、死者の行列の中に落ちることを想像してしまって、ネアは身震いした。
「……ディノ、今夜はお隣で寝ることを許します」
「ご主人様!!」
声に喜悦が混じり、大変に幸せそうなので、ご主人様はとても良い褒美を与えたようだ。
(あれ、でも私が今いるのって、ウィリアムさんの続き間だったよね?)
魔物が二人同じところにいて、上手く過ごせるだろうか?
ふと心配になったが、その後戻ってきたウィリアムに昨日と同じ部屋を使うように言われてそこに戻れば、ウィリアムの部屋があった筈の場所はなぜか壁になっていた。
ネアは空気を読める大人であるので、その謎を口にすることはなく、終焉を司る魔物の危機管理能力にあらためて感心した次第である。