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38. 竜の餌付けに成功しました(本編)



夜が明けた。

ネアがこの世界で初めて過ごすイブメリアの日が、あっという間にやってくる。


ずっと楽しみに待っていた日がこんな風に訪れてしまったのだと思うと、丁寧に作り上げたケーキが床に落ちているのを見るような惨めな気持ちだ。

たかが祝祭一つと受け流すには、多分、ネアがそんな喜びを得られずにいた時間が長過ぎたのだろう。


(ずっと一人で、誰かと過ごす祝祭に憧れていた)


薬代を切り詰めて量り売りのハムを何枚か買うのがやっとだったネアにとって、ご馳走を食べてカードや贈り物を交換して過ごす筈だったイブメリアは、やっと世界が不公平ではなくなる幸せな日になる筈だった。


そんな日をこんな風に過ごすのだと思えば、堪らない惨めさに胸が詰まりそうになる。




「ネア、俺に乗れれば、この国を見せに連れて行ってやるぞ?」

「確実に落ちて悲惨な目に遭うので、ご辞退させていただきます」

「意気地のない奴だな」

「サラフさんの暴言は積立式です。一定数値に達したら、その腕の鱗を剥ぎますよ?」

「……なっ?!」


昨日未明に出会い頭のネアを殺しかけた風竜は、その後も不用意に浴室に進入したりと接触を試みて、散々ネアの心を搔き乱した。

その上なぜか、鍋と捌いてもいない食材を持ち込まれて料理人の指名をされる有様。


しかし、餌を与えたところ何故か懐いた。


(そして面倒くさい……)



思っていた以上に紳士的で安定感のあるウィリアムでほっとした部分の全てを、毎回この竜がひっくり返してゆくのが辛い。



「サラフ、人間は高度と飛行に慣れていない。安易に空に連れて行くと壊れてしまうから、無理をさせては駄目だ」

「だが、魔術師は竜に乗る者もいるぞ?若い竜にすら乗れるのだ。俺ならもっと穏やかに飛べるが」

「サラフ、彼女は魔術可動域が……………」


その瞬間、ネアはこちらを憐れむように見たサラフに、にっこりと微笑みかけた。

手にしたパンを捻り千切ったのは抑えられない衝動なので、容赦して欲しい。


「ウィリアムさん、このお城は地理的にどのあたりにあるのでしょうか?地図的なものが城内にあれば拝見したいのですが」


ウィリアムは、何かまずいことをしたらしいと大人しく黙ったサラフにちらりと視線を投げて、申し訳なさそうに微笑む。


このディノの知り合いは、とても人間的な表情を駆使する魔物だ。

それまでは人間的だと感じていたアルテアが、ウィリアムを知ってしまうとやはり魔物らしい気質だと痛感する。


(その微笑み一つで、地図はないと、申し訳ない、が伝わるんだから、表情の作り方がとても上手だわ)



「俺としても、見たいだろうと思って探してみたんだが、城を退去した国王軍が、持ち出してしまったようだ。敵方に情報を残さないという意思もあるんだろう。すまないな」

「いえ、ご無理を言ってすみません。よく考えれば、これは国そのものが揺らぐような戦争なんですものね。手に入るものが少ないことは気付いて然るべきでした」

「結実の声が近いから、あと数日もすれば天秤が傾くだろう。そうすれば鳥籠も解除出来るからな」

「……鳥籠?」

「国が滅ぶ時には、必ず、俺を筆頭とした終焉に従事する魔物や妖精が呼ばれる。死に纏わる魔物が集まる時は、その毒が漏れ出さないように、鳥籠と呼ばれる結界を作って国を封鎖するんだ」

「昨日お話しされていた結界は、そういう理由で展開されていたのですね」


ネアの向かいの席に座ったウィリアムは、今朝も自分で淹れた紅茶をマグカップで飲んでいる。

簡素な白いシャツに騎士服のズボンだけの姿で、出仕前に寛ぐ騎士のように見えた。


「そう。だからこそ、シルハーンは入れないんだ。除外するべきものとして、俺達は万象を考慮するからな。俺が仕事をする場所に彼がいると、相乗効果で国土そのものを殺してしまいかねない」

「それは、ディノの司るものと、ウィリアムさんの司るものが結びついてしまうからですか?」

「ああ。彼の影響はとても強く、また、それを調整する気質でもないからな。君が昨日歩いてきた平野部は酷い有様だが、ここは本来、森と川に恵まれた良い土地だ。生き残った民達が上手く育てれば、良い国になる」

「……不思議ですね。ウィリアムさんの司るものは容赦がなさそうなのに、あなた自身はとても穏やかな方に思えます」



ふっと柔らかな微笑みを浮かべて、ウィリアムは目を細めた。

美貌を美貌として冷たく感じさせないくらい、彼はその気質を前に出して柔らかく笑う。

ネアは勝手に、温和で仲良しな家族の優しくて頼りになる長男、そんなイメージまでを受信してしまった。


「終焉は元々穏やかなものだ。戦乱が絡むと表情を変えるが、それもまた一面に過ぎない。でも、残念ながら、そちらの悪評ばかり先行してしまうな」



困ったように笑うと、ウィリアムは立ち上がって、ポケットに突っ込まれていた手袋をはめた。

いつの間にか、卓上にあったカップは消えている。

椅子の背にかけていた上着を手に取り、打って変わって冷徹な眼差しで窓の遥か向こうを見据えた。


「やれやれ、死者の行列が始まったな。俺も行かないと。……君は、この城にいなさい。今のこの国の民は神経を尖らせているから、変に目に止まって、同族に刃を向けられても虚しいだろう」

「有り難くそうさせていただきます。注意事項はありますか?」

「決して、城の外には出ないように」

「わかりました」



ディノへの友情を慮るにしても、この城内までが彼の好意の限界なのだろう。

ネアは、無駄な冒険はしない主義だ。

一刻も早く無事を伝えたいとは言え、身の程をわきまえない努力はしないことにした。



(無駄に死ぬようなことだけはするまい)



サラフも共に出て行き、やがて空の向こうがまた赤く染まった。

巨人の足音のような爆音と、びりびりと石の城に伝わる地響き。

歩いたばかりの戦場の、折り重なった遺体を思い出す。



「………っ、」



目を背けたつもりでも、視界のどこかからか侵食したのだろう。

忘れたくても、記憶の隅にこびりついて離れない映像に、ネアは体を折り曲げて吐き気を堪えた

この手で成した死ではなく、見知らぬ死だからこそ、知らないものの死の容貌は恐ろしい。



じりじりと窓から離れ、寝台を与えられた部屋に走って戻った。

かつてこの城を使っていた人間達は、一体どこへ行ってしまったのだろう。

城が万全の状態なのだから、ここは防壁になった筈だ。

それなのに放棄してしまったのは、高位の魔物がここをねぐらにしていることと関係があるのだろうか。




「ディノ、私は無事ですよ。安心して下さいね。今日も何やら怖い場所ですが、ご主人様は大丈夫です」


こうして指輪に話しかけるのは何度目だろうか。

すっかり癖になってしまったが、これをすると涙腺が緩むので困るのだ。

涙がこみ上げてきて、すんと鼻を鳴らす。


大切なものが出来てからの方が、この世界は少しだけ怖くなった。

いつでも穏やかに幕を引けるという安寧を捨てて、向き合うということで心を削る。



(…………でも、)



「心が動く時に、呼ぶことが出来る名前があるのは、とても幸せなことだわ……」



心を落ち着かせるのに少しの時間を要し、他にすることもないネアは、城内を歩いて見て回ることにした。


聞けば、ウィリアムとサラフ以外の滞在者はいないようだし、時折訪れる他の魔物にも、ネアのことは周知してくれたらしい。


探索をしてみようと思い立ったのには理由があって、ネアはそろそろ替えの靴が欲しかった。

とてもよく気のつくウィリアムだが、他人の血が染みた靴が嫌だという感性はないようで、ネアの靴はあの日のままの華奢なものだ。


しょうもないことで我儘を言うつもりはないが、そろそろ、誰かの血がついているこの靴を履くのが嫌になってきたのだ。



「リーエンベルクとは、随分違う建物だわ」


独り言を呟いてしまうのは、不安だからだろう。

一人上手の称号は返還せねばなるまいと考えながら、どこまでも石の色をしたところを、黙々と歩いている時だった。


「何をうろうろと歩き回っているんだ」


不意に背後から声をかけられ、ネアは心臓が止まりそうになった。

小さく体を揺らしてから振り返れば、不審そうにこちらを見ているサラフの姿がある。


人外の高位のものの例に漏れず美しい容貌だが、蜂蜜色の肌のせいで異国風の印象の方が先に立つ。

白夜のある国ではなく、暑い砂漠の国の装束の方が似合う生き物に思えた。



「城内に、人間達の備品が残っていないか探していました。私の靴は長歩きに向きません。もし替えのものがあれば、靴を履き替えようと思って」

「長歩きの必要があるのか?よくわからないが、綺麗な靴だと思うぞ」

「綺麗なのは、この靴が儀礼用で日常使いのものではないからです。履き口が硬い靴では足を損ない易いですし、きっと住まいに帰るまでには、色々と動く必要は出てくるでしょう」

「……そうか、お前は転移も出来なかったしな」

「………そうですね。魔術可動域が低いもので」



そう答えれば、サラフは少しだけ怯んだように頷いた。

この、不手際があったと理解はするくせに仕損じるところが、何となくエーダリアに似ている。


「お前には死の気配があると聞いた。随分と多くの死を成しているくせに、不思議な奴だ」

「……死の気配、ですか?」

「そうだ。お前がその手で葬ったものがたくさんあるだろう」


つい首を捻ってしまってから、ネアはすぐに思い至った。

ここに来てから無力過ぎて、自分が狩りの女王であることを忘れかけていた。


「妖精や精霊のことでしょうか。それならば随分と手を下した自覚はあります」


鋼の妖精などは大規模な殲滅戦であった。

直接の死因は雷鳥の魔物とは言え、塩水を振りかけて死を招いたのはネア自身だ。

もっと直接的に手を下した獲物となると、蝶の精霊や、雷鳥の長など、これもまた幾つか思い至る。



「……そ、そうか。そのケープの結晶石も、シーの育てたもののようだしな」


顔を引きつらせてサラフが頷いているが、まさかネアがシーを倒したとでも考えているのだろうか。

これはシーが贈ってくれたものであって、ネアはヒルドを殺して手に入れた訳ではない。


「このケープの石は贈り物ですよ?」

「贈らせることが出来るのもまた力だろう。シーは、己の伴侶以外に石を贈ることは滅多にない」

「そうなんですね、知りませんでした」


きっと、ヒルドが与えてくれている庇護のお陰だとネアは思う。

彼は、守るべき民を持たないシーだ。

男児は自立させる主義のようだし、エーダリアだけでは庇護欲が満たされないのだろう。


「そのケープの毛皮も、竜のものだろう?」

「ええ。とても丈夫だと言って、うちの魔物が持って帰ってきました」


時期的に、まさかジゼルではないかと慌てたが、ジゼルは体表が鱗で覆われる種の竜であり、知らない竜のものだったようだ。


「使役する魔物に、竜を狩らせることも出来るのか……」

「サラフさんは竜ですし、あまり気持ちの良いものではありませんでしたね」


さすがに無神経になりかねないのでそう詫びると、サラフはきっぱりと首を振った。


「いや、俺達は別の一族のことは頓着せぬ。それに、毛皮を残すということは、人型になれない種の竜だからな。人型になり言葉を交わせる竜は、死ねば砂になるばかりだ」


知らないことであったので、ネアは驚いた。


「まぁ、ではよく聞く人間の世界に出回っている鱗や角はみんな、人型にならない竜のものなんですか?」


「……い、いや、その持ち主の竜の意思で渡されたものであれば、鱗も角も形を成したまま切り離せる」


なぜか目線が少し泳いでいるので、ネアが鱗で路銀換金の野望を持っていたことを、ウィリアムから聞いて知っているのかも知れない。

換金どころの目算が立たないので諦めたが、持っている分には損もないだろう。

視線で威圧すればくれるだろうかと考えてから、ネアはなぜ彼がここにいるのかを聞いていないことに気付いた。



「そう言えば、サラフさんはどうして戻られたのですか?出掛けられてから、まだ一刻も経っていませんが、お仕事は終えられたのでしょうか?」


当然の疑問なのに、なぜか彼はむっと口元を強張らせる。


「俺は、呼び寄せられた対価分の依頼は、既に済ませている。それでも戦場に出ていたのは、少しでも早く戦乱を終わらせてしまう為だ」

「依頼でこの国に来ているのですか?」

「愚かな王子が、殺される前に願ったのだ。自分の魂と引き換えに、自分を殺す者達を殲滅してくれと」

「あなたは、その願いを聞き入れたのですね?」

「戦乱の幕引きは戦力が偏ることだ。多く殺せば早く終わる。対価を得て人間を殺せるのであれば、悪くない取引きだ」


(この竜は、本当に人間が嫌いなのだわ)


それなのにネアのこんな質問に答えてくれるのだから、彼を説得したウィリアムとは良い友人なのだろう。


「ごめんなさい、つまらない質問でお時間を取らせましたね。お引き止めして申し訳ありませんでした。私は、もう少し靴探しをしてみます」


そう頭を下げると、サラフはまた嫌そうに顔をしかめた。


「俺が戻ってきたのは、お前を一人にしておいて死なれても困るからだ」

「……このお城は安全だと伺いました。もしや、お城ですし、触ると危険な罠か何かが仕掛けられているのでしょうか?」

「そういうものはない。だが、人間は階段から落ちても死ぬというではないか」

「階段の状態と、落ちる距離にもよりますね。ですが、さすがに私もそんな激しい無茶はしませんよ?」

「一人でも餌を作れるかどうか、見ている必要もあるしな」

「……もしや、餌付けのせい……」



ネアは遠い目になった。

シチューを気に入っていたようなので、餌係として気に入られてしまったのかもしれない。

ネアを保護してくれているのはウィリアムなので、サラフの為に労力を割くのは本意ではないのだが、厄介なことにこの竜は我が儘そうだ。



「まだ時間ではないので、料理は、お昼が近くなったらですね……」


少し疲れた声で答えると、サラフは眉を顰めて、鮮やかな色の瞳をじっとネアにあてた。



「……疲弊しているな。その靴が原因だろうか。よし、靴ぐらいどうにかしてやる」

「制服まで支給されたら逃げられない気がする……」

「制服?」

「いえ、こちらのことですので聞き流して下さいませ」

「それにしても、靴を替えるまでに死んでは困るな」

「そんなに短時間で急変はしませんよ?……ちょっ!サラフさん?!」



手を伸ばして抱えようとされるところまでは慣れた事案だが、まさかの背中に荷物のように抱えられる盗賊スタイルだったので、さすがにネアも抗議した。


「おい、暴れるな。落としたらどうする」

「私は小麦袋とは違います。この持ち方はやめて下さい!」



足をばたつかせて抗議を続けようとしたら、ネアを抱え上げたサラフが、唐突に振り返った。

急な方向転換に振り落とされそうになって、ネアは危うく舌を噛みそうになる。





「私のものから、手を離してくれないか」




石造りの回廊に、

ひたりと、刃物のように鋭利な声が落ちた。


「魔物か?貴様、どこから入った?」


「……ディノ?」



息を呑んだネアは、体勢上、かなりの無理を背骨に強いて何とか顔を上げる。

反らし方が足りずに前髪に視界をだいぶ遮られたが、何とか、少し離れた位置に立つその姿を認識することが出来た。



視線の先にいる魔物は白くなかった。

ネアと同じ、青みがかった灰色の髪をしている。

珍しい漆黒の装いは、まるで薄汚れたように、どこか燻んだ印象がある。



でも、瞳の色はいつものディノのままだ。

ネアの、大事な大事な魔物だった。




「……っ!おい、ネア?!」


突然、ばすばすと胸を両手で叩かれて、サラフが声を荒げる。


「………サラフさん、一刻も早く私を解放して下さい!」

「じっとしていろ、見慣れない魔物がいるんだ!」

「それは私の魔物です!」

「……は?」

「降ろさないと鱗を毟りますよ?!」


大慌てで竜を脅して解放させると、ネアは床に手をついて立ち上がり、転がるように走った。



「ディノ!」



伸ばされた腕の中に力いっぱい飛び込み、ぎゅうっと抱き着く。

きつく抱き締める腕を背中に感じ、首筋に顔を埋められて、軋むような安堵の溜息が触れた。



「ネア、無事で良かった」



たった一日と少し離れただけなのに、その声が足りなくて泣きそうになる。

ここにディノがいると思うだけで、胸が潰れそうになった。


こんなにも長く放置されていた魔物に、一刻も早くご褒美をあげなくてはと思いつつ、涙腺の統制が取れなくなりかけたネアは、ディノにしがみつく以外のことが出来なくなってしまう。



「ごめんなさい、ディノ。いきなりいなくなってしまって、怖い思いをさせてしまいましたね」


「あんな思いはもう二度としたくないけれど、それよりも、君にこんな怖い思いをさせてしまった」



来るのが遅れてごめん、そう囁かれたらもう駄目だった。



張り詰めていた色んなものが決壊して、目尻に何とか留まっていた涙が一筋溢れてしまう。

それを拭う指先の温度を感じながら、ネアは、やっといつものように息が出来るようになった気がした。







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