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35. とばっちりとはこういうことだと思いました(本編)



イブメリアの前夜祭。

その、日付の切り替えまでを儀式で祝福するのが、二日目のクラヴィスの夜だ。


香木を焚いた大聖堂の中で、領主と教区の司祭が、クラヴィスの夜への守護を誓う宣誓の儀式。

この儀式は観覧者を入れることなく、限られた者達で行われる秘儀である。

儀式の間だけは大聖堂前にある飾り木の明かりが消され、終了と共に再点灯される、儀式としての面に重きを置いた祝祭とされていた。


いよいよ、イブメリア当日の始まりとして大いなる熱狂を生み出すその瞬間。

大聖堂前の広場には観覧席が設けられ、貴族や街の有力者達がその始まりを待ち構えている。



「濃密だけれど、いい匂いですね」


そう呟くネアの瞳は、残念ながら涙目になっている。

天井から鎖で吊るした香炉を激しく聖堂内で回し広げる儀式があったばかりなのだ。

煙で清める意味もあるのか、この夜の聖堂内は、現在、とにかく煙い。

良い匂いではあるのだが、煙が目に染みるのである。


不慣れなネアが涙目になっているうちに、司祭とエーダリアによる術式の詠唱は終わりかけていた。

交互に重ね合う詠唱は、聖歌のように韻を踏みとても美しい。

整った音階の美しさに、立ち会った魔物達もほうと感嘆の息を吐く。



(我々は、クラヴィスの夜の終焉とその万全たる守護をいざ誓わん)


そう宣言して、エーダリアから柊の葉を受け取るのがネアの役目だ。

詠唱の終わりで壇上に上がり、受け取った柊を香炉に投げ込んで燃やす。

その後に同じ行為をエーダリアと司祭も行い、この儀式の終了となる。


そろそろ出番なので、ネアは壇上近くに控えていた。


香炉の煙は、この世界のあわいに浸透するものなのだそうだ。

浄化に伴い空間が不安定になるので、ネアの隣には契約の魔物が常に寄り添う。

初めての事ばかりだが、ディノが傍にいるので不安にならずともいいだろう。

香炉が揺れる度に、見たことのない生き物や見たことのない景色が煙の向こうに揺らめくが、心を鎮めて出番を待っていた。


(司祭様、なんていい声なのだろう)


ご年配の方だが、艶やかで張りのある、どこか切なくて素晴らしい声だ。

彼の詠唱の度に空間がざわざわするのは、人ならざる者達が囁き合うからであるようだ。

壇上の中央に立つ信仰の魔物も、うっとりとその声に聞き惚れているので、少しばかりにんまりしてそんな様子を見ていたら、ふと、その信仰の魔物が顔を上げるのが見えた。


何かの違和感に気付いたように、ぱっと視線をこちらに向ける。


(………まさか?!)


もしやディノの擬態に気付かれたのかとひやりとしたが、レイラの視線は、ネアの少し左横にずれている。

ディノが立つのとは反対側だった。



「貴様………」



詠唱が途切れ、歯軋りごと怨嗟の声に変える、鋭い声。

魔物の本物の怒りに触れて、ネアは思わず総毛立つ。

精神圧一つで人間をぺしゃんこに出来る、高位の魔物らしい暗さに、思わずよろめいた。


「ネア、下がっておいで」


すかさずディノが前に出てくれる。

よろめいた際にふわりと揺れた純白のケープが、やけに白く目に映った。



「兄上を殺しておいて、よくも私の目の前に顔を出せたものだな?!」



わぁぁんと、金属の香炉が激しくぶつかる音がした。

煙で霞んだ視界の向こうで、膝をついたエーダリアに駆け寄るヒルドの鮮やかな妖精の色が見える。

ネアを庇うように伸ばされたディノの手と、その向こう側で、倒れた司祭を助け起こしているガレンの魔術師の姿。



「許さんぞ、アルテア!!」



そして、引き絞るようなレイラの声が続いたその瞬間、ネアは、後退した場所に床がないことに気付いた。



「え、…………」



がくんと体が揺れる。

咄嗟に伸ばした手が、ディノを掴もうとして届かないことに驚愕する。


この背後はただの床だった筈だし、ディノは手を持ち上げれば触れられる距離にいた。

ネアには魔術の粋はわからない。

けれどなぜか、ここはもう此方ではないのだと、無意識にそう思った。


「ディノ!」


すぐに叫んだ筈なのに、その声は水の中にいるみたいに淀んで掻き消される。

噎せ返るような香の香りと、雪崩に押し潰されるような圧迫感に息が止まり、


すとんと、意識が落ちた。



( …………ディノ!)




押し潰された意識の中でも、その名前を呼んでいる。


それは、ネアの大切な、とても大事な美しい白い魔物だ。


そこから引き剥がされるのは真っ平だ。

今度こそ絶対に、失うわけにはいかないのに。



ディノ。


ディノ。




「………ディノ?」



そう呼びかけて、そんな自分の呟きで息を吹き返した。

空気がうまく飲み込めなくて小さく噎せると、あまりの苦しさに涙ぐんでしまう。

そして、何とか気道を確保してから目をこすると、そこは見知らぬ世界の真ん中だった。



「………ここは、どこ?」



こうこうと、大地が燃えていた。

空気は淀み、赤黒く染まり、様々なものが燃えている。


薙ぎ払われ、荒廃した世界の真ん中に、ネアは一人で立っていた。

あまりにも多くのものが喪われてゆく気配は、アルテアに呼び込まれた夢に似ていると思って、あの夢にはなかったあまりにも生々しい世界の温度にぞっとする。


「………っ!」


ひたりと広がったものに靴が濡れて、ネアは、慌ててその場から飛び退いた。


儀式用の繊細で華奢な靴を濡らしたのは、地面に倒れた誰かから流れたどす黒い血だ。

呆然と視線を持ち上げれば、今まで認識出来ていなかった幾つもの灰色の塊は、折り重なり絶命した甲冑姿の人間達だと理解する。



戦場だった。

生きている者の姿はどこにもなく、どこか遠くで誰かの慟哭が聞こえる。

遠い咆哮に慌てて空を仰げば、分厚い煙と雲の合間を飛んで行く竜の影が見えた。

禍々しい黒い肢体に、また重ねて血の気がひく。



(まずい、……私は目立ち過ぎるわ)



ネアは、儀礼用の純白のケープ姿だ。

この重たい色彩に塗り潰された戦場では、目印をつけたように際立ってしまう。

慌てて脱ごうとして、アーヘムから、このケープには守護がかけられていると言われたことを思い出した。

水竜の毛皮と、妖精が紡いだ糸の刺繍はウィームの刺繍文化の叡智が縫い込まれており、ディノが用意した真珠と、ヒルドが育てた宝石に、エーダリアの魔術も織り込まれている。

ケープの下は普通のドレスなので、寧ろ脱いでしまう方が命取りかも知れない。



(でも、怖い………)


しかし、こんな場所で目立つ純白のケープを羽織っていることは、堪らない恐怖だった。

頭上にいるあの竜にだって、的にしてくれと言っているようなものではないか。


ついさっきまで、安全で美しい場所に守られていたのに。

そう考えてしまった自分の惨めさに、ネアは短く首を振った。



(こんなことを考えている場合じゃないわ。少しでも頭を使って、ここから無事に帰る手段を探さないと)


視線を落とせば、見事な刺繍のある手袋が目に入る。

上からなぞると、その下の指には確かにディノの指輪の感触があった。



「…………良かった」



あの世界は夢ではなかった。

それに、ディノの指輪を嵌めたままであれば、ここはあの世界のままなのだろう。

そのことに、涙が出そうなくらいに安堵する。



(向こう側は……駄目だわ。火の手が強いし、そうなると戦闘従事者がいる可能性がある。こっちも駄目だ。死体が多過ぎるし、この靴では歩けなさそうだ)



拙い思考で何とか判断し、立っていた位置より後方に下がることにする。

元は民家だったであろう瓦礫が連なっており、その奥には比較的原型を留めた廃墟もある。

まずはせめて、身を隠す場所と替えの靴を探せればいいのだが。


ネアはここで、一つのことを自分に言い聞かせた。


(どんなに見た目が凄惨でも、どんなに怖くても、私と背格好が似た死体があれば、その人の靴をいただこう)



足は動力だ。

この状態では、いざという時に逃げることもままならない。

美しい靴だが、ヒールが地面に沈み、障害物が多いこの土地では足を痛めてしまうだろう。


(でも、燃えた後の土地だから、万が一のことを考えれば裸足にもなれないわ)


歩き易さを求めて、足裏に火傷でもしたら元も子もない。

自分がかなり動揺しているのがわかったので、ネアは、何事も行動に移す前に脳内で一度整理しようと、再び自分に言い聞かせた。


だが、どんなに言葉を心の中で連ねても、体は正直だ。

移動を開始すると、ネアはそのことを痛感させられた。

足がもつれ、重りでも曳くかのように上手く歩けない。

それでも必死に歩を進めると、ようやく最初の遮蔽物のところに辿り着いた。



「……っ!」


しかし、安堵したのも束の間、焼け残った壁の影には死体が積み上がっている。

慌てて顔を覆ってから、必死に目を背けてやり過ごした。

ここでは駄目だ。

もっと別の場所を探さなくてはならない。



また少し歩いた。

ほんの少しの距離なのに、半日ほどにも感じてしまう。

次の廃墟までの距離がとても遠く感じられ、重たい足を引き摺り、ケープを跨いでゆく死体に引っ掛けないようにして進む。



(…………泣くな、)


泣いても何の救いにもならない。

泣くとしても今ではない。


「………ディノ」


指輪に呼びかける。

きっと。

きっと、あの魔物は来てくれる筈なのだ。



「ディノ、私はここに居ます。助けに来て」



助けに来てと呟いたら、不意に胸が詰まって息が止まりそうになった。

とは言え、泣く訳にはいかないのだ。

ここで張り詰めていたものが解けたら、きっと倒れてしまうだろう。

そうならないように歯を食いしばって、何とかそれなりに大きな廃墟のところまで辿り着いた。


一度火が入ったのだろう。

ところどころ高温に晒された石積みが焦げてはいるが、幸い中には死体が積み上がっていることもなく、ただの廃墟だった。

残念なのは、一面の壁が大きく残ってはいるが、家としての形は成していないことだ。

他の三面の壁はほとんど失われ、屋根は勿論残っていない。


それでも、少しだけ息がつけた。



ネアは、漸く身を隠せたのだからと、胸の奥に詰まって固まった息を何度も吐き戻し、どうにかして体の強張りを解こうとしたのだが、すぐに諦めざるを得なかった。

逆に指先が震え、落ち着いてしまった事で、戦場に投げ込まれた事への動揺がぶり返してきてしまう。



(困ったな…………)



何度も握ったり開いたり、無駄な抵抗をしながら、ネアはふと、先程見た竜のことを思い出した。


(あの竜は、どこに行ったのだろう?)


同じ地上にいる者達からは姿を隠せても、ここは、空からは丸見えなのだ。

であれば、頭上にも警戒しておいた方がいいだろう。



「…………」


そう考え、慌てて視線を持ち上げたネアは、とても後悔した。

ネアが寄りかかった瓦礫の外壁の上に、誰かが立っていたからだ。

そしてその誰かは、不思議そうにこちらを見下ろしている。




「どこから来た子なのかな……」




通常の人間ではあり得ない場所に立ち、こちらを見下ろしている男性の髪は白い。

真っ白な軍服姿をしており、はたはたと風に揺れる白いケープの裏地は、ぞくりとするような深紅であった。


不思議な程に光を孕む白金色の瞳を見た途端に確信する。

ネアを見下ろしているのは、明らかに白持ちの魔物だった。







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