リングの妖精と見聞の魔物
「リングの妖精さんから、恋をしたと言われたんです。是非に叶えて差し上げようかと」
ネアが朝食の席でそう言うと、思っていたより激しい反応が返ってきた。
因みに祝祭前のこの時期、世間は熱い告白のシーズンに入る。
祝祭の夜明けと夕暮れ、そして真夜中のどこかで口付けを交わした恋人達は、幸福と繁栄を手に出来るという言い伝えがあるからだ。
「……そ、そうなのか。………で、どんな妖精なんだ?」
そう聞いたエーダリアは、手にしたカップが震えて中身が零れそうだ。
本人もまずいと思ったのか、途中から優雅さを捨てて両手で持っている。
視線が、部屋の窓側で何かの資料を振り分けていた、孔雀色の髪の妖精とネアとで何度も行き交っている。
「とても綺麗な方なんですよ。そして可憐です。何かをしてあげたいと切に思ってしまう妖精さんですね」
「ネア様、その妖精にはどう接触されたのですか?」
いつの間にかこちらに歩み寄ってきていたヒルドが、妙に凄みのある微笑みで質問を重ねる。
ものすごい金属音がしたので視線を下げれば、手にした通信用の伝令管がばきばきに握り潰されており、ネアは戦慄した。
使い古されたものを捨てるにしても、この力任せの廃棄方法はどうだろう。
「グラストさんと、門の外からリーエンベルクの飾り木を見ていたときに、声をかけられたんです。でも、事前に了解を取ってからお声がけしてきたとても丁寧な方ですし、何かの作為があるようにも思えません。あまりにも可憐で、お話し出来て幸せだったくらいでした」
「ネア、………その妖精には、お前が歌乞いであることと、ヒルドの庇護を受けていることは話したのか?」
まだカップの紅茶を上手く飲めていないエーダリアに、ネアは厳しい眼差しをあてる。
手が震えるにしても、ひとまずカップを置くなりすればいいのだ。
純白のテーブルクロスに零れた紅茶の滴は、屋敷妖精達が染み抜きして洗濯する羽目になるではないか。
「お話ししていませんよ。ヒルドさんは恐らく高位の方ですので、その妖精さんを怖がらせたくはありませんでした。不思議ですよね。妖精はもっぱら狩るばかりだった私が、そんな風に大事にしてあげたいと思う野生の妖精さんに出会ってしまうなんて」
「なぜ話さないんだ?!そんな図々しい野生の妖精なんて、さっさと追い払ってしまえ」
「何てことを言うのでしょう。エーダリア様とて、あの綺麗な方に何かしたら許しませんよ!」
「待て、既にそんな入れ込みようなのか?!」
うっかり素直な感想を口にしてしまってから、エーダリアはしまったという様子で口を噤んだ。
我に返り、半分程は零してしまったカップをソーサーに戻すと、今度は突然にお皿の上のケッパーをフォークで突き刺す作業に没頭し始める。
(どうしても残さず取りたいなら、刺さずに載せればいいのに……)
そもそもあれは、サーモンと一緒に食べてこその旨味であると、ネアはますますエーダリアへの評価を下げた。
今朝に限り、エーダリアが妙に不器用になったのは何故だろう。
書類の決裁や何かで、腱鞘炎にでもなってしまったのだろうか。
「ネア様、仮にも人型の妖精は残忍な性質ですので、今度、その妖精に会わせていただけますか?」
「ええ。是非会っていただこうと思っていました。会ってさえいただければ、ヒルドさんも応援してくれると思っていたんです」
「………応援」
「はい。素敵な方なのですよ!目の色が上等な蒸留酒のように赤茶でキラキラしていて、淡い砂色の羽をしているんです。髪の毛の栗色もとてもふくよかな色彩で綺麗で、声がね、低くて柔らかいのがいいんですよ」
「ネ、ネアっ!」
「何でしょうかエーダリア様?………ケッパーが、お皿に落ちましたよ?」
「ケッパーはどうでもいい!それより、隣の魔物の顔色を見てやれ!」
おやと体を捻ったネアは、そういえば先程から喋っていないディノの方を見る。
「ディノ?」
口元にその直前までの微笑みの残骸は残っているが、目を瞠ったまま痛ましげな表情で固まってしまっている。
あまりにも悲しそうな目をしているので、ネアは魔物のお皿の上を目視で確認した。
「どうしましたか?何か嫌いな食材がありましたか?」
「…………ネアが、浮気した」
「浮気?」
「その妖精のことが、好きなのだろう?」
「ええ、好きですが、浮気ではありませんよ?」
「……………まさか、その妖精を本命にするつもりなのか?!」
がたんと体を揺らしたエーダリアに声を張り上げられて、流石にネアはカトラリーを置いてそちらに向き直った。
膝の上のナプキンが落ちないように畳み直し、騒々しい元婚約者に冷やかな微笑を向ける。
「なぜ、そのような結論を出されたのかわかりません。どうしてエーダリア様は、同性間の恋愛にそうも前向き過ぎるのでしょう?ご自身については好きなようになさってくださって結構ですが、私を巻き込まないで下さいね」
「……………同性?」
「むぅ。………どうしてそんな顔をされるのですか?」
「恋をしたのではなかったのか?」
「恋をしたのは、リングの妖精さんです。私は彼女の恋の応援をしたい、ただの外野ですが……」
ネアの言葉を最後まで聞かず、エーダリアは机に肘をついて頭を抱えた。
いやに深く溜め息を吐いている。
視線を上げれば、ディノはなぜか縋り付いてくるし、ヒルドはこちらに背中を向けて何度か息を吐いていた。
羽に光ったような名残の煌めきがあるのが怖い。
「ネア、それでその妖精は誰に恋をしたんだい?」
「私の良く知っている、一押しの魔物さんです!ふわりと白い髪の毛に恋をしたと仰っていました」
にこにことそう告げれば、もう一度カップを持ち上げたエーダリアが、再び手を震わせ出した。
(なんなのだ!)
驚愕の眼差しでこちらを見て首を振っているが、首を振り返してやりたいのはネアの方だ。
「なのでまずは、二人を会わせてあげたいのですが、ディノ構いませんか?」
「………やめて」
「別に私に危険はないでしょうし、特に問題もないのではと思うのですが」
「ネア、やめようか」
「本人の意思ということもありますが、まずはお互いを知らなければ始まりません。お会いするのが難しければ、遠目から彼女の姿を見てみるとか…」
「ネア、私のことは心配しなくてもいいから」
「……と言うことは、ゼノと私とで妖精さんに会ってきても構いませんか?」
「………ゼノーシュ?」
「ゼノは、普段は擬態しているのですが、どこかで本当の姿のゼノをご存知だったようですね。……ディノ?」
ぽいと髪の毛の束を膝の上に落とされて、ネアは首を傾げる。
これは魔物が拗ねているときの技だが、とすると何に拗ねてしまったのだろう。
「………もしかして、ディノも、可愛い妖精さんを紹介して欲しいのですか?」
「ネア?!」
びっくりした魔物が声を上げだが、ネアは何だか複雑な気持ちになってしまって顔を背けた。
うっかり、あまりにも可憐な妖精だと褒め過ぎてしまったらしい。
ディノまでそこに参戦したら三つ巴の混戦になるし、置いてけぼりのネアはとても寂しいではないか。
「ディノ。………もし、祝祭の日にお出かけするなら、早めに言って下さいね。一緒に過ごせるものだと、すっかり油断していました。もし、ディノがいないとなると、ヒルドさんもお仕事ですし…」
「ネア様、その場合はダリルもおりますので、こちらは空けられますよ?」
「ヒルド……!」
蒼白になったエーダリアが首を振っているが、ネアは喜べず眉を下げた。
この歳の大人が、無理を言って仕事を休ませるようなことはするまい。
最悪の場合、ムグリスでも狩ってきてつついて遊べばいいのだ。
「……ネア。私は、ネア以外の誰とも、どこにも行かないから」
がっかりしてしまったネアは、椅子を下げて隙間を作った魔物に、ひょいと膝の上に抱え上げられる。
食事中なのでお行儀が悪い。
「ディノ、椅子にした覚えはありませんよ」
「祝祭の日は、ずっと君と一緒にいるよ」
「……しかし、ディノもお祭りの日くらい、少し羽目を外して遊びに行きたかったりしませんか?」
「遊びに?」
「ええ。単身者の男性は、男友達と綺麗なお嬢さんを交えて大いに騒ぐものです。この前お見掛けした魔物さん達と、パーティをしたりしないのですか?」
「ネアがいるのに、どうして他の誰かと会いたいなんて思うのだろう?」
ふわりと微笑んで、ディノはネアの頭を撫でる。
ついでに髪の毛を手の中に放り込まれたので、やはり引っ張ることは引っ張らなければいけないらしい。
「……ヒルドさん、ディノがお家にいるようです。取り乱してお騒がせしました。お仕事は、休んでいただかなくても大丈夫ですからね」
「おや、少し残念ですが、ネア様がほっとされたようで何よりです」
「でも、お渡ししたいものがあるので、お部屋にいる時間があれば教えて下さい」
「……部屋、でしょうか」
なぜかヒルドが動揺したので、ネアは眉を顰める。
頭の上で溜め息が聞こえたので、振り返ってディノに教えを請うた。
「ネア。代理契約などを結んでいない妖精の部屋に行くということは、その妖精に身を捧げるという意味になるんだよ?君は、一人で訪ねていかないようにね」
そんな事を知らされたネアは、慌てて首を振った。
「も、申し訳ありません、ヒルドさん。妖精さんのご作法を知らずに失礼いたしました!私は食しても美味しくないので、どうか他のものを食べていて下さいね」
「……ある意味凄い断り方してるね」
ディノがぽそりとぼやいている。
「………いえ、こちらこそ失礼しました。今度、我々の作法を幾つか教えて差し上げましょうね」
「はい。ご迷惑をおかけします」
「……お前は何て残酷な女なんだ…」
「エーダリア様、確かに妖精さんは狩るばかりでその生態を知らずにきましたが、言い方を考えて下さいね。私とて、繊細な心が傷付きます」
「……繊細?」
「そして、エーダリア様もイブメリアの日は、お仕事で外なのですよね?」
「ああ。領主としてもガレンエンガディンとしても、公務が重なるからな。もし私にも渡すものがあるなら…」
「大丈夫です。ディノの魔術で、お部屋にぽいと放り込んでおきますから」
「……ヒルドとの扱いの差は何なのだ」
もぞもぞと体を動かし、ネアは魔物に解放の要求をした。
まだ、パンとパテとバターが残っているので、ネアの戦いは終わっていないのだ。
「……で、ゼノーシュとその妖精を会わせたいんだね?」
「はい。だからこうして、ゼノがお仕事でいない朝を狙ってお話したんです。ディノは、ゼノの好みの女性はご存知ですか?」
「聞いたこともないかな」
「ヒルドさんは、何かご存知だったりしますか?」
「念の為に伺いますが、その妖精は魅力的な女性なのですよね?外見の年齢的には、どのような印象でしたか?」
「あんなに綺麗なのにどこか可憐な、少女のような方です」
「……ネア様、となりますと残念ですが、ゼノーシュ様はその妖精には興味を示さないと思いますよ。それどころか、倦厭されるでしょう」
「そうだな。ネア、そんな妖精を連れて来たら、かなり嫌がると思うぞ?」
ヒルドどころかエーダリアにも駄目出しされて、ネアは目を瞬いた。
「もしや、ゼノは大変な熟女好み…」
「違う!なぜお前の思考回路はそうなるんだ!」
「ネア様。彼は、グラストの関心を惹きそうな女性は誰でも受け付けないんですよ」
「……ああ、成る程。グラストさんに可憐なお嬢さんを会わせてしまうと、亡くなった娘さんのことを思い出させてしまうからですね?」
「尚且つ、娘のように慈しむ可能性のある、そして新たな伴侶となる可能性がある、そのどちらでも駄目だと聞いているぞ。騎士達の家族に会うのも嫌がるそうだからな」
ふむふむと頷きつつ、ネアは途中で衝撃の事実に気付いてしまう。
「………つまり、ゼノ的には、私はそのどちらにもなり得ないと。……何故でしょう、少し傷付きました」
「いえ、ネア様の場合は、歌乞いだからですよ。そもそも歌乞いであれば、契約の魔物が離さないですからね」
「………そちらでしたか」
安堵の思いで椅子から解放されたネアは、パンを手に取りつつもう一つの質問を切り出した。
ずっと気になっていたことが一つあったのだ。
「ところで、リングの妖精さんって何でしょう?」
「この街の円環道路、リングの妖精ですね」
「………道路の妖精さん」
バターナイフを取り上げながら、ネアはこの世界の不思議さに上限はないのだなと思う。
あんなに可憐な道路の妖精とは、一体どんなものを司るのだろう。
魔物に引き続き、やはり可動性がよくわからない。
その日の夜、ネアはそっとゼノーシュにお伺いを立ててみたが、クッキーモンスターは、けばけばの歯ブラシのようになって威嚇した。
とても可愛らしかったので慌ててクッキー缶を献上し、グラストさんはゼノのものですと怒りを鎮めていただいた。
なお、リングの妖精はグラストとネアに会っており、グラストからもその話を振られたゼノーシュの怒りを買って、どこかに捨ててこられたそうだ。
せっかく同性の友達が出来そうだったネアは、その報告にとても落ち込み、買い溜めてあった焼き菓子を貪り食べてしまった。