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鍋の魔物とチーズパイ


その日は朝からお休みだったので、ディノを連れて街に繰り出すことにした。

昨日にちょっとした告白大会があった結果、魔物がご主人様を甘やかすべく張り切ってくれた。


「ネア、食べたいものはある?」


「揚げチーズパイを所望します!私はそれを調査しなくてはいけません」


「じゃあ、まずはそこに行こうか」



残念ながらご主人様が傷心だと思い込んだディノの献身の結果、ネアはなぜか彼の髪の毛を握らされている。


喜ぶと思われたのが大変に不可解だ。



「ネア、何か買ってあげようか?」


「揚げチーズパイを!」


「リノアールには行かなくていいのかい?祝祭の間際だから、色々と新しいものもあるかもしれないよ」


「………ここで散財し過ぎてしまうと、この先の季節をどう過ごせば良いのでしょう」


当分の間は、初めましての季節ばかりだ。

中身もわからないような祝祭も控えていて、その準備も楽しそうで心踊る。


年明けにある冬の星祭りや、謎の毛皮人形の舞い踊るボラボラの日。

バレンタインに該当する薔薇の祝祭に、傘の日というこれもまた謎の奇祭。


特にボラボラの日は、一人で森に行くとボラボラに食べられてしまうらしく、謎は深まるばかりだ。

ボラボラとは何なのか知りたい。

因みに、本の挿絵で見た祭りの風景は、茸に似た毛皮人形がたくさん集まっていた。


「買ってあげるのに?」

「ボラボラを?」

「……ネア、ボラボラが欲しいの?」

「ごめんなさい。思考回路が混線しました」


髪の毛のリードで魔物を牽引したまま昨日の場所に向かえば、白と緑の屋根が鮮やかな屋台が今日も出ていた。


ふくよかなご婦人が鍋でチーズパイを揚げており、茶色の包み紙に包んで渡してくれるようだ。


ディノを見て大喜びのご婦人がはしゃいでいる内に、ネアは三つのメニューとの死闘に入る。


「挽肉とトマトのチーズパイ」


「それにする?」


「音にして想像力を膨らませている最中です。……ベーコンとスパイスのチーズパイ、そして、林檎とシナモンとクリームチーズのパイ」



どうやら甘いのもあるので、二種類は確定だろう。

しかしそう考えると、三種類いってもいいのではと悩み始めてしまった。

もはや選ぶべきは、その問題になってきている。



「挽肉のパイにします!そして林檎のものを時間差で下さい」


「あらあら、二個とは嬉しいねぇ」


「ディノはどれにしますか?」


「ベーコンのにするから、一口食べてみるかい?」


「………むぅ」


ネアは悩んだ。

揚げチーズパイの醍醐味は、真ん中あたりの、あつあつトロトロだろう。

中身の形状も考えれば、一人で一個を完食するのがスマートだ。

何しろパイ生地は崩れやすい。



「いえ、ここは自分のものは自分でいただきます。一個を丸ごと食べてこそ、このパイの良さが際立ちます」


「……じゃぁ、林檎のにしようかな」

「さては無理しましたね!」



「はい、どうぞ」


ご婦人が差し出してくれたパイを受け取り、隣で支払いをしてくれるディノを見ている。

魔術の効果なのか、熱が手に伝わることもなくとても食べやすい。


はふはふしながら噛み付いて、中のトマトソースとチーズに辿り着く。

さくさくのパイ生地が、中身の具材との境目のあたりでもっちりしているのが堪らない。


笑顔で食べながら、ばすんと隣のディノに体が触れる程度の体当たりをした。


「ご主人様……」


魔物は自分のパイを袋から取り出しながら嬉しそうに頬を染めたが、ネアは今の一言が屋台のご婦人に聞こえてなくてほっとしていた。


「ご褒美です。調査の結果、私の入賞おやつになりました」


「おやつなんだね……」




「………ディノ」


もう一個食べられそうだったら、林檎のやつを遅らせて貰おうと考えながら屋台の方を見ていたネアは、ふと、パイを揚げている鍋に目が釘付けになった。


「どうしたの?もう一つのも食べるかい?」


「ディノ、……あの鍋には顔があります」


「……ん?………本当だ」



どうやら、ディノですら気付かなかったらしい。



パイを揚げている鍋は、炊き出しでもできそうな大きな深鍋である。

揚げ鍋には向かなさそうな形状であるが、季節によって料理を変えたりする屋台では、あまり珍しくない光景だ。


そして、その鍋の斜め右側あたりに、妙に生き生きとした、目鼻立ちのはっきりとした男性の顔がついているのである。



「かなり異様ですね」


「……魔物みたいだね。見ていると何だか不安定な気持ちになるな」


こそこそと噂しているのが伝わったのか、鍋の顔がちらりとこちらを向いた。



ネアは無言でディノにしがみつき、鍋からの盾にする。

冷めてしまうと困るので、パイを食べる手も緩めない。



「何だお前達、鍋を見るのは初めてか?」


「喋った!」

「喋ったね………」


「驚いてどうする、俺は鍋の魔物だぞ?」



「なぜに得意げに自己紹介するのでしょう。そして、屋台のご婦人はあやつが怖くないのでしょうか?」


そうこうしていたら、林檎のパイが出来上がってしまったので、鍋に話しかけられて怯えきったネアは、ディノに取りに行って貰う。

既に挽肉のパイは完食済みだ。



「あら、お嬢さんもうお腹いっぱいになっちまったかい?」


少し離れて見ていたら、誤解されてしまったようだ。

ネアは首を振ってから、視線で鍋肌を示してみた。


「そちらの鍋は、魔物さんなのですか?」

「あ、そうそう!うちの鍋は男前なのよ」


からからと笑っているが、どう出会ってどう馴染んだのかが闇に包まれている。

もしや、鍋の魔物を従えた凄腕魔術師なのかもしれない。



「ご店主、そのお鍋とはどこで出会ったのですか?」


ネアが問いかけると、ちょうど客足が途切れたところだったので、ご婦人は首を傾げて記憶を辿ってくれた。


「雪が降る前だったかしらねぇ。道端に落ちてたのよ」


「捨て鍋だったのですね……」


「拾ってみたら喋るでしょう?深さが使い易いと思ってねぇ」


喋ることとの関連性は見えないが、どうやら形状がお気に召したらしい。


「その、鍋の魔物さんはなぜ落ちていたのですか?」


「さあな。俺は記憶がないからな」


「まさかの記憶喪失でしたか……」


非常にドラマティックな履歴だが、相手が鍋となると複雑な目で見てしまう。

戻ってきたディノから林檎のパイを受け取り、さくさくやりながら鍋を観察した。


「ディノ、あの鍋の方は自力で移動出来るのですか?」


「……出来ないと思うな」


もはや、謎しか深まらない。


「ご店主、その鍋の魔物さんは、どうやって洗うのですか?」


「いつも束子だよ!丈夫で助かるよ」

「俺は頑強な男だからな。束子などに負けない」



「………そうでしたか」


「因みに今は油が跳ねてこんなんだが元は赤毛のいい男だ」


「……赤毛」


「はっはっは。馬鹿だねぇ、あんた。髪の毛なんざ、いつも焦げて真っ黒じゃないか」


「あれ、そうだったっけかな」



「……焦げ落ちてしまったのですね」


確かに鍋の魔物の外観には、髪の毛らしいものは見当たらない。

焦げているのが暫定のものであればいいが、恒久的な現象となればそれはもう毛髪活性不良ではないのだろうか。



「……禿げ」

「ネア、やめてあげよう」

「………そうですね。そしてそろそろ失礼させていただきましょう。私も心が不安定になってきました」

「そうだね。リノアールでも寄って行こうか」


正しく整ったものが見たいという欲求に負けて、ネアはずしりと重たく頷く。


林檎のパイの最後のかけらを口に放り込みながら、店主と鍋に別れを告げ、何となく早足でその場を離れた。

歩きながらディノと寄り添ってしまうのは、怪奇現象に遭遇してしまった本能のようなものだ。


そこで何か、思い出さなくてはいけないものがあるような気がした。


(何だろう。何かどこかで記憶に触れるような……)



「………赤毛」


「ネア、どうしたんだい?そんなに怖かったのかな……」


小さく震えたネアの肩に、ディノはそっと手を回す。

震えてきたのは恐怖だけではないが、ネアは有難くその心遣いを受け取った。


「……ディノ、あの方に赤毛を想像で加えると、何となく見たことがあるお顔になるのですが……」


「え、まさか鍋の魔物にも浮気……」


「…………それで確信しました。もしやあれ、元煉瓦の魔物さんでは………?」



ぎぎっと視線を向けると、ディノは困ったような慄いたような顔でネアを見返す。


「………あれが?」


「煉瓦の魔物さんは、結局何に練り直したのですか?」


「……さあ。特に考えてはいないから、行き先までは知らないんだ」



ネアはとても遠い目になった。

薄めの美貌で、味わいのある素敵な殿方だと思っていた煉瓦の魔物の顛末だとすれば、あんまり知りたくない事実だった。


記憶喪失とは言え、あのような性格に走って行ってしまったこともとても悲しい。



「ディノ、雑なお仕事をしましたね」

「ネア、そもそも君の浮気相手だ。丁寧に練り直しするわけがないだろう」

「鍋と浮気したなど、大変に遺憾な濡れ衣です……」



だいぶ離れた屋台をちらりと振り返れば、香ばしいパイの香りがここまで届く。



「……高温の揚げ油は辛くないのでしょうか」


「鍋だから大丈夫だと思うしかないね」



笑顔のご婦人が、立ち止まったお客様にパイを手渡していた。

家族連れなのか、子供達が鍋を指差して大喜びしている。



「……まぁでも、あのような厳しい扱いには、常人には立ち入れないくらいに強い絆があるのでしょう。幸せそうで何よりです」


そう纏めてリノアールへの道を歩きながら、ネアはディノからの返答がないことに眉を顰めた。


「ディノ………?」


(もしや、煉瓦の魔物への仕打ちに後悔の念が……)



「厳しい扱いに耐えると、他人には踏み込めない程に強い絆が生まれるんだね」



「しまった!違う方に走り出しましたね!!」






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