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34. 詰めるべき問題を話し合います(本編)

大聖堂の正面にある広場には、大きな噴水がある。


そこには、送り火の魔物が無事に帰還し、祝祭が再開されたことを祝う民衆が集まっていた。

がやがやと声を上げ、肩を叩き合ったり、笑い声を上げたり、中には商魂逞しく屋台を出してきた商人もいる。


とは言え、教え子や領主が揃い立つ大聖堂である。

警備上、広場の噴水より向こうは魔術で結界が張られ、うっかりよろめいてしまった者がいても、見えない壁に阻まれて体が押し戻されてしまうようになっていた。

聖堂を背にして立つ衛兵の誰かが、この結界の主人である魔術師なのだ。



しかし、会合が持たれたのはそのどちらでもない、噴水の水面に映り込んだ大聖堂のその奥のこと。



その大聖堂の中には、祭壇も何もない。

がらんとした殺風景な空間の真ん中に、無造作に置かれた円卓についた三人の男がいる。



「騒々しいことだ」


ウェーブのかかった純白の髪に赤紫の瞳の男がグラスを傾けて笑う。

漆黒の燕尾服に切り取られたように白い手袋が際立つ。

お気に入りの帽子を指先でくるりと回す姿は、見る者を不安にさせる何かがあった。


「信仰が来てるんだろ?会ってやらなくていいのか?」


「そんなに彼女が気になるなら、君が寵を与えてやればいいんじゃないかな」


そう、純白の盛装姿の男が薄く微笑む。

その刺繍や装飾品、布地の織の全てに、ありとあらゆる白がふんだんに使われている。

純潔の色彩には初々しさの欠片もなく、ひたすらに重く静謐な白さだ。


「シルハーン、レイラにも選ぶ権利がありますよ」


穏やかにそう笑ったのは、短い白髪に白金の瞳をした男で、純白の騎士姿は、清廉だがどこか柔和さが漂う。

凄艶な美貌を持つ他の二人に比べ、目が合えば穏やかに微笑み返せそうなぬくもりのある美貌の持ち主だ。


「おい、ウィリアム……」


「普通に考えて下さいよ。シルハーンとアルテアでは、あまりにも質が違うでしょう」


「言葉を返せば、俺にも選ぶ権利はあるってことだろ」


「嫌な気持ちになるなら、茶化さなければよかったのに。こっちを見ても、俺だってレイラは嫌ですよ」


「妖精に誑かされてから、随分と愉快な性格になったものだね」


「信仰は良くも悪くも、世相に影響されるからな。ああして俗欲に灰色めいてくると、人の世も乱れやすくなる。俺としては願ったり叶ったりだ」


「死が増えれば俺の領地は増えますが、最近は少し退屈になってきたかな。ヴェルクレアはもう少し複雑になってもいい」


「ほぉ、ウィリアム殿は、戦乱をご希望か?」


劇的な仕草で手を広げたアルテアに、ウィリアムは穏やかに笑う。


「派手好みですね、アルテア。俺は堅実に楽しむ派なので、悪しからず」


「お前のやり口は地味だからな……」


「俺が司るのは、終末ですよ?最後の最後まで煩いと、うんざりしますからね」


「死者の王が怠惰なことだ」


「怠惰ということなら、万象には敵いませんが」



ウィリアムとアルテアの視線を集めて、ディノはわざとらしく目を瞠った。


「私が怠惰に見えるかい?万象とは総じて緩やかにさざめくものだ。それに最近は、仕事もしていることだし」


「シルハーン、薬の魔物に転じたそうですね」


ウィリアムは、そう小さく苦笑して、白いカップを傾ける。

ガイホーンという夜闇の酒を飲んでいるアルテアに対して、ウィリアムが飲んでいるのは特別さの欠片もない、ただの珈琲だ。


「なかなかに面白いよ。人間が朝靄のような脆弱な薬で大騒ぎする。私の恩寵も喜んでくれるしね」


「お前が朝靄と同列の感覚で卸しているのは、ある程度稀有な薬だからな?」


半眼になったアルテアが、ウィリアムに短く首を振ってみせる。


「あの程度であれば、面白いと言える範疇だよ」


「卸している組織の中の運用が手堅いだけだ。あんなもの無作為に流してみろよ。あっという間に戦争になるぞ?」


「シルハーンが、恩寵を得るとは思いませんでしたね。俺も歌乞いを捕まえてみようかな」


「ウィリアムが手を出すと、早々に死ぬだろ。お前が行く先々、死体の山じゃないか」


「そういうアルテアは、華奢な生き物を汚さないだけの健やかさがないですからね」



その時、すいと円卓の上をなぞるように手を振ったディノに、ウィリアムとアルテアはぴたりと口を噤む。


鏡のようになった円卓に映ったのは、一人の人間の少女だ。



「……お前、気になるなら一人で出歩かせるなよ」


「一人で行かせれば、恐らく隙と見てレイラが弄びにかかるからね。他の魔物とあまり縁を深めないように、壁を高く育てるいい機会だ」


「お前、またあいつに叱られるぞ……」


「ん?アルテア、シルハーンの歌乞いはそういう性格の子なんですか?」


「関わらないことを推奨する。酷い歌で耳殻が破壊されるからな」


「………歌乞いではないんですか?」




鏡に映された反対側では、一人の歌乞いが民衆の中から大聖堂を見上げていた。



「帰りは馬車を使わないんですね」


「公の手段を選べば、教会側の接点を作ります。こちらから抜けて、次の広場で転移を買いましょう」


「ヒルドさんが市販のものって、珍しいのではないですか?」


「市販の転移には、銘がないんですよ。銘ある転移は辿りやすいので、道筋を記録されて、次に使う時に出先で待ち構えられているなんてことになり兼ねないですからね」


「ヒルドさんは用心深いんですね」


「今回は教会の連中がおりますので、少し慎重になります。信仰の魔物が釘を刺しましたが、あなたに下手に興味を持たれても嫌ですからね」


「凡庸なものはお嫌いでしょう、ああいう方達は。道具にするにしても、もう少し特別なものを好むのではないでしょうか?」


「………あなたは、十分な特別さを示しましたけれどね。幸い、エーダリア様は相手に獲物から興味を失わせる術式が得意です」


歩きながら、ヒルドはネアの背中に手を当てる。

これだけ美しい妖精が歩いているのに、周囲の人間達が無関心なのもその魔術だろうか。


(そう言えば、聖堂を出てからこちらに紛れるまで誰も私達に注意を払わなかったな……)


「……ネア様?やはり、信仰の魔物のからかいはご不快でしたか?」


考え込んだネアを案じて、ヒルドがそっと尋ねる。


「……あ、先程の黄色い妖精さんとの?私より、ヒルドさんのことをあれこれ言われたのが不愉快でした」


「王都の王宮などではありふれた駆け引きや趣味ですからね。私は慣れておりますよ」


ネアの言葉にヒルドの眼差しが優しくなる。

指先で頬をなぞられて、ネアは目を細めた。

いささか甘過ぎるが、父親が子供にする仕草に似ている。


「好みませんが、あの程度なら私も大丈夫です。昔、ああいった揶揄に晒される場所にいたことがありますから。それに、ダリルさんが懲らしめてくれました」


「……あのような場所に?」


こちらを見たヒルドの眼差しに微かな非難が混ざるのはなぜだろう。

ネアはその侵食を不思議に思いつつ、賑わう群衆を中をすり抜ける。


「ええ。とても人気のある権力者の方の取り巻きの輪に、少しだけいたことがあるんです。あの様な方達が大勢いました」


(………似てる)


あの遠い日の広場に、この空気は少しだけ似ている。


「…………そう仰られると言うことは、貴女は誰かを望んだことがあるのですね」


「………ええ。その方のことが好き、……でした。困ったことに、好きだったのだと思います」


ネアがそう答えたのは感傷と、そして安心感からだった。

もうないだろうと考えていた新しく大切なものが出来たとき、過去は本物の過去になったのだ。



「……ヒルドさん?」


返事がないので仰ぎ見れば、ヒルドは奇妙に硬い表情を浮かべている。


「…………意外でした。ネア様は、そのような執着は持たれないと思っていましたので」


だからなぜ、責めるような眼差しになるのだろうか。

ふと、自分が属しているのは権力の溜まり場でもあるのだと、そう察してネアは眉を顰める。

変な勘違いで警戒されてしまったのだろうか。


「その方の持ち物はどうでも良かったんです。その方でなければいけなくて、そうして側にいただけですよ?」


「……失礼、ご不安にしてしまいましたね。今のネア様がそのような野心を持たれているとは思っておりませんよ。ただ、その様な場所で、清濁併せ飲むこと自体があなたには似合わない。そう思っただけです」



気付いて掬い上げてくれるくせに、時々その評価は、まるで線引きの向こう側に投げ込まれるようだと、ネアは思う。


あなたと私は違うのだと、守るように他人にしてゆく隔絶を、何度もどかしいと思っただろう。


「ですから、あなたまでこの様な場所に馴染む必要はありません。……私の様にはならなくても良い」



ドレスの裾を揺らす風。

すっかりお気に入りになったラムネルのコートと、初めて外でつけた耳飾り。

大切な指輪に、ゼノーシュがくれたハンカチも持っている。

ここはウィームという街で、この世界には魔物や妖精がいて。


見知らぬ場所だった筈なのに、もはやこんなにも自分のものに思えてしまう。



「きっとヒルドさん達が経験したことは、知っている世界は、私には想像も出来ないような場所でしょう。それをさして問題ないと軽んじてしまうつもりはありません。でも、私も私なりに、清濁併せ飲むことは出来るんです」


「ネア様?」


「ディノもね、時々今のヒルドさんのような目をするんですよ。私の手を掴んだまま、寂しい目をして、あなたと私は違うからと、私を脅すんです。その度に私はいつも、少し寂しく思う」



それはただの脅しでも、

それがただの確認でも、

信じてくれなければ、いつかその手が解けてしまうことがあるかもしれないのに。



「私はとても無力ですが、決して清廉ではありません。強欲ですし、とても我が儘です。権力や思惑の絡む土地の仄暗さも、違う生き物達の残酷さも、合わせて愛おしいと思える程度には頑丈です。だからどうか、線引きの体でいつかどこかで、私を置いていってしまわないで下さいね」



そうお願いすれば、瑠璃色の瞳が途方に暮れたような色を浮かべてこちらを見ていた。

剥き出しの無防備な目を見て、ネアはやはりとまたそう考える。



「私から見ると、ヒルドさんやエーダリア様も。私の大切な魔物も。あなた達の優しさの方が、とても無防備で純粋で心配なくらいなのですが……」


「……私が、……いえ、私達が、あなたを手放すことは決してないでしょう。足りない言葉で不安にさせてしまいましたね?口にする程、我々はあなたの不安の質を理解していなかったようだ」



見上げたヒルドの眼差しがとても柔らかかったので、ネアはほっとした。

ここが好きなのだ。

耐性がないからと置いていかれたら、今更もうどこにも行けないではないか。


「ディノ様にも、今と同じ言葉であなたの不安を伝えて差し上げるといいでしょう」


「ディノにも、散々私は大丈夫ですよって言っているんですけどね。時々、試される作業のどこかで、うっかり事故で手が離れていなくなってしまいそうで怖いので、おのれ魔物めと思います」


「ひとまず、私はきちんと飲み込みましたので、安心して下さい。……きっとあの方も我々も、あなたが大切なあまり、不安になるのでしょう。やっと見付けたものに失望されて立ち去られること程、恐ろしいことはない」


「私達は違います。だからそう考えて不安になるのもお互い様なのではないでしょうか?それなのに一方的に試されるのはとても不可解です。……今度やられたら、私とて報復措置を…」


「ネア様、ディノ様への不満はあの方に向けて下さいね。私はあなたの側におりますから」


慌てて遮ったヒルドが慄いていたので、ネアは正気に戻る。

片手を取られて拘束されたのは、もしもの時に荒ぶらないように捕獲されたのだろう。


「…む。……申し訳ありませんでした。先程、アルテアさんに似た方を見たので、過去の心の傷まで爆発しました」


「………あの魔物に似た者がいたのですか?どこにです?」


「大聖堂の、絵画を保護していた水晶板の中に映っていました。おやと思って周囲を見回したのですが実際に該当する方はいませんでしたので、光の角度とかで、映り込む人影が歪んだのだと思います。心配ないですよ」


「……で、あればいいのですが」






「アルテア、見られてましたね」


人気のない大聖堂に、困惑の沈黙が落ちる。


「時々妙に勘のいい人間がいるからな。……おい、シルハーン。息してるか?」



呆れ顔で声をかけた先で、彼等の王は円卓に突っ伏していた。



「どうしよう。……ネアが可愛い」


「ここで垂れ流すなよ。帰ってやれ」


「ヒルドが会話の相手だったのが不愉快だけど、あんな風に思ってくれてたなんて……」



「ウィリアム、重症者が出たから続きはまた今度にしないか?これを放置すると、そのうちに惚気が始まるぞ」


「いや、寧ろ聞いてみたいですけどね。……それにしても、歌乞いとはやはり、かくも強きものなんですね」


「あいつが特別製なんだ」


「あれ?アルテアも、あの少女がお気に入りですか?」


「やめろ。絡むとろくなことがない」


「あのシーも、随分な入れ込みようでしたね」


「そうだ。……シルハーン、あの妖精はあれでいいのか?」


「時々殺してしまいたくなるけど、あのくらいの執着と覚悟がないと、番犬にはならないからね。慣れない守護で過信はしたくないから、隙間を埋めるのに必要なんだよ」


「……どれだけ四方を塞ぐつもりだよ。隙間まで埋めると窒息するぞ?」


「だからこそ、私ではない要素の穴埋めも必要なのさ。私だけで目隠しすると、私こそが枷だと思って怖がらせるのは嫌だし」


「………と言うことだ、ウィリアム。早く退散しないと長くなるぞ」


「だから、俺は寧ろ聞いてみたいですけどね。歌乞いを得た魔物は、その後永遠に閉ざされる。そのいい例を見た気がしますね」


「……まぁ、あれは魔物が生涯に唯一つだけ得ることが出来る恩寵だからな」



歌乞いは恩寵である。

その魔物の、誰にも叶えることが出来ない願いを叶えることが出来る、唯一つの手段。


だからこそ魔物は歌乞いに執着し、閉じ込める。


そして、唯一つの歌乞いを得た魔物は、その後決して別の歌乞いを選ぶことはない。


その孤独を恐れて、最初から複数の歌乞いを手にする信仰のように、魔物をそこまで恐れさせる甘美な毒なのだ。



「こうして、ムガルの後任を君に任せるくらいだし、俺も歌乞いを探してみたくなりましたね」


「そのムガルはどうしてるんだ?」


「歌乞いに想い人を奪われて、随分と落ち込んでいますね。当分、国を治めるのは無理そうだ」


「三百年も片思いなら、いい加減に脈がないと分かるべきだと思うが」


「分からないからこそ、こんな風になったのでは?」


「お前、相変わらず嫌なやつだな」


「はは。褒め言葉だと思っておきますよ。………さて、万象の王。俺は西方で戦乱が起きそうなので失礼しますね。ムガルに代わり、ヴェルクレアの統括はアルテアに一任します。それで宜しいですか?」


「そうだね。それで構わないよ。……ただ、アルテア?」


「安心しろ。俺は俺の耳が惜しい。お前の歌乞いには害を為さない」


「では終わりにしようか。私もそろそろ、あの子を回収しにいかないと」



一瞬で人影は消え失せ、そこにはもう誰もいなかった。

水面の奥の大聖堂はがらんとしている。


何もないそこには、朽ちた円卓と壊れた椅子の残骸が散らばるばかり。

水面を揺らした風に砕け、あっという間にただの映り込みに戻った。




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