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32. 送り火の魔物はもふもふでした(本編)


とりあえず、みんなが走って行った方に向かうことになった。

ディノが若干困惑を隠しきれない様子のままだったので、ネアは、魔物の王様も怯えさせてしまう、噴出した人間の怒りの強さを思う。

生き生きとした罵声は非常に語彙に富んでおり、こんな高位の魔物すら慄かせているのだ。


「手斧………」

「あの方達だって、お子さんに責められたり、恋人候補さんとの曖昧な関係にやきもきしたりして、精神的苦痛から追い込まれてしまったのでしょう。彼等もまた、被害者ですよ?」


距離を置いても追ってゆけるほどに、声は遠くからでもよく響いた。

坑道は現在の採掘地から外れてゆくのか、照明が少しずつ減ってゆき、道も入り組んでくる。

真っ直ぐな道が突然行き止まりで左に曲がり、またその先のカーブを越えると幾つもの分岐がある。

正直、ディノが一緒でなければ怖くて進めない程、迷路のような地下道だった。


「だいぶ暗くなってきましたね」

「もう少し進むと、湖があって明るくなるよ」

「この道を、知っているんですか?」

「そうではないけれど、水の歌が聞こえるからね」


耳を澄ましてみたけれど、ネアには水の歌は聞こえてこなかった。

また少し歩いて、今度は右に向かう大きな分岐を曲がる。


「反対方向ではないんですか?」


もう随分と遠くなったが、賑やかな声はそちらから聞こえてきていた。


「撒いたみたいだね」

「と言うことは、送り火の魔物さんはまだご無事ですね。……わ、ここから先は、湖がたくさん!」


ディノの示した道は、どこまでもどこまでも緩やかな下り坂になっていた。

ここまで深い場所を下ってゆくのに、どんどん空間は広くなる。

左右に広がる地底湖は、やはり青い光源を溶かしたように明るく、見たこともない魚がゆうゆうと泳いでいた。

時折、天井から落ちてきた水の滴が、澄んだ水音を立てる。



その最奥の壁に、壁一面の大きな聖典のレリーフがあった。

カーテンのように塩の薔薇を這わせて、それ故にその周りだけぼんやりと明るい。


幻想的な光景の美しさに、ネアはぼんやりと見とれる。

この世界に来てから多くの見知らぬものを見たが、これはまた新しい種類の美しさだ。

人間の歴史に現れた様々な生き物達が、塩の魔物の周りで饗宴を繰り広げるという構図らしい。

中央の祭壇の上に腰かけているのが鹿角の魔物、経典の聖女だろう。

竜や妖精も彫り込まれ、とても壮大なものだった。



そんなレリーフの下に、誰かが膝を抱えて蹲っていた。


地底湖と、塩の薔薇の複雑な色合いの照明の織りの中でも、その位置だけは光が届かずにひどく暗い。

折れそうな程にぎゅっと膝を抱えた姿は、自業自得だとわかってはいても何やら痛ましい。

ふと、足元に淡い色の術式が弾けたので視線を上げると、ディノが一つ頷いてくれた。

どうやら、足音を消すような術式を組んでくれたようだ。



ゆっくりと距離を縮めていっても気付く様子もなく、詰められるだけの距離を詰めてしまったネアはどうするべきか暫し悩む。

ディノがこの場にいる以上、このまま捕獲するのは簡単だろうが、道路の隅っこで震えている野良猫のようで胸が痛んだ。



「こんにちは」


そうっと手を伸ばして、ばさばさの黒い髪を撫でる。

ごわごわしているのかと思えば、艶やかで上等な毛皮のように素晴らしい手触りだった。

やはり、こんな姿をしていても魔物は魔物なのだろう。


「………誰だ?」


ぱっと顔を上げて、ぼさぼさの髪の隙間からネアを見上げたのは、かがり火色の赤い瞳。

はっきりとした色なのに、透明度が高く橙と金色が散らばる美しい瞳だ。

その濡れたような輝きに魅せられて、思わずまじまじと覗き込んでしまった。


「こんなところで、どうされたのですか?何か怖いことでもありましたか?」

「知らない人間達に追い掛けられた。あいつらに、捕まえたら毛皮を剥ぐと言われた」

「まぁ、それは怖いですね。………毛皮?」


蹲った送り火の魔物を観察したが、毛皮らしきものは確認出来なかった。

興奮し過ぎて何を言っているのかわからなくなってしまったのだろうか。


「お前も、………俺の毛皮を剥ぎに来たのか?」

「そんな酷いことはしませんよ。ほらほら、そんな風に唇を噛むと傷付いてしまいますよ?」

「………じゃあ、なんでここにいる?」

「こんな風に逃げていたら、怖いばかりでしょう。お家に戻っては如何ですか?」


前髪がぼさぼさでよくわからないが、きゅっと引き締められた口元の様子から、送り火の魔物が眉を顰めたのがわかった。


大男と聞いていたが、どこか筋張った手足はまだ細く、身長だけ伸びすぎてしまった青年のようだ。

声は低く男性的な良い声ではあるものの、言葉尻がどこか年若い。


「家に戻ったら、みんなに晒し者にされる」


(もしや、それは檻に入れられてしまうから?)


逃げなければそんなことにならなかったのにと、ネアが思いかけたとき、


「祝祭なんて嫌いだ。あんな大勢の目の前で晒し者にされるのは嫌だ」

「もっと根本的なやつだった」


この魔物の生存意義にすら関わるものだ。


「舞台に上がるくらいなら、この坑道で朽ち果てる」

「絶対的に後ろ向きですね。そして朽ち果ててはいけませんよ。どうせなら、外に出て何か美味しいものでも食べませんか?」

「……飲食店に入ったら、包丁持って追いかけられた」

「あら、それは祝祭に前向きな方のお店に入りましたね」


ちょっと涙ぐんでいたので、ネアはよしよしと頭を撫でてやった。

そうすると、不本意ながら嬉しいらしく、仏頂面のままぐりぐりと頭を擦り付けてくる。


(犬みたいだな………ん、犬?)


「ぎゃっ!」


突然、送り火の魔物が悲鳴を上げた。

ネアが、おもむろに髪の毛の中にあった両耳を掴んだからだ。


「……送り火さん、この耳は何ですか?!」

「何するんだ!離せ!!」

「もふもふの耳が!」

「千切れる!」

「ご、ごめんなさい。痛かったですか?思わず興奮しました……」


慌てて頭を撫でてやり、犬にするように顔の両端をわしわしと擦ってやる。

そうすると、ぼさぼさ前髪でよく見えない顔なりにふて腐れた様子で、ぼそりと呟く。


「……頭がいい」

「はいはい、痛くしてごめんなさいね」

「……………ネア」

「……!!」


精彩を欠いた低い声が背後から聞こえ、ネアは捨て猫改め、捨て犬に夢中になってしまった自分を呪った。

慌てて弁解する。


「ディノ、……この子にはもふもふの耳があります」

「送り火の魔物は、狼の魔物だからね」

「狼さん!」


喜んではいけないのだが、つい笑顔になってしまい、ディノは目に見えて萎れた。


「……浮気」

「浮気ではありません。縫いぐるみ的な愛くるしさです!」

「……俺は縫いぐるみじゃない」

「あら、耳がしょんぼりしてしまいましたね」


わしわしと撫でると、送り火の魔物は頬を染めた。

狼のくせに雑種の子犬のような愛くるしさに、ネアは少しだけ気が遠くなる。

計算だとしたら、史上最強のあざとさだ。

競り負けて、お菓子でも買ってあげてしまうかもしれない。

勿論、クッキーモンスターのいない遠征先限定の格上げである。


クッキーモンスターを打ち負かすには、クッキー缶を抱えて完食する特技がなければ。



「とりあえず、ここにいるとまた追いかけ回されてしまいます。一緒に来ませんか?」

「……お前は、毛皮を剥がないか?」


ネアに頼るのも不本意ながら、追っ手に見付かるのも怖いという様子である。

どこか捨て鉢な不貞腐れ方が、餌を与えたくなる天性の才能を持っている。


「そんなにふかふかの毛皮を剥ぐものですか!あなたは、転移は出来ますか?」

「………そんなものはなくても生きていける」

「ふむ。出来ないとなると、歩いて帰るしかありませんね。擬態は出来ますか?」

「お、俺は自分を偽ったりしない!」

「出来ないんですね。……ディノ、どうしましょう?」

「……ネアは、送り火に夢中だね」

「そんな目をしないで下さい。私は職務に忠実に生きています。この子のお持ち帰りに協力して下さい、ディノ」


捕獲にしか精を出していないのだが、ディノは絶望的な眼差しでこちらを見ている。

ちらりと送り火の方を見た目には、明確な威嚇が込められていたのだが、そもそもそちらを見ていない送り火は気付かない。


ほとんどの魔物はディノが擬態していても気付くのだが、あまりにも殻に閉じこもり過ぎていて、斜め上を見ていないようだ。


「……やっぱり俺はどこにも行かないぞ。お前にはもう魔物がいるじゃないか!どうせ撫でるだけ撫でて、俺のことなんてどうでもいいんだ」

「……しっかり見えてはいるんですね。そして、大変に面倒臭く捻くれている」

「ど、どうせ俺は面倒臭い毛玉だ!」

「毛玉になるには毛量が足りませんが、確かに面倒臭いもふもふですね」


また膝に顔を埋めてしまったので、ネアは、仁王立ちで腰に手を当てた女王様スタイルで眉を顰めた。

その直後、今度は飼い犬の方に背後から拘束されて、遠い目になる。


「ネアは、私のご主人様だよね?」

「なぜ、飼い主を巡る戦いになったのでしょう……」


もう一度視線を向けた送り火の魔物は、よく見れば身体にぴったりと巻きつけたふさふさの尻尾を持っていた。

ところどころに巻き毛の混じった漆黒の毛並みは、思わず抱き締めてみたい毛皮っぷりである。


「送り火の魔物さん、ここに、このまま居ると、さっきの方達に捕まって、耳と尻尾を刈り取られてしまいますよ?」

「……っ!」


髪の毛の隙間から、かがり火の瞳が驚愕の眼差しをネアに向ける。


「手斧をもった方もいました。職務放棄の罪でバラバラにされて、この地底湖の魚の餌にされてしまうかもしれません」

「……っ?!」


慌てて顔を上げた送り火の魔物のふさふさの耳は、ぺたんと寝てしまっていた。


「助けて差し上げたかったのですが、どうしても一人ぼっちで死にたいとあらば、涙を飲んで逝かて差し上げるしかないのでしょう」

「………俺は、殺されるのか?」


声が掠れ、尻尾までふるふるし始めた。

しかしここで、甘やかしてやるわけにはいかない。


「可哀想ですが、その見込みが高いでしょう。一年に一度の仕事すら満足に出来ない魔物に、世間の目は批判的です。私は助けてあげたかったのですが、あなたの心を開いてあげられませんでした。力不足で申し訳ありません」


背中にディノを張り付かせたまま、丁寧に頭を下げると、綺麗な目に涙を浮かべた送り火の魔物と目が合った。


優しく微笑みかけ、最後の攻撃で殺しにかかる。


「せめて、……あまり酷い最後でなければいいのですが………」

「い、行くっ!お前に助けられてやってもいい!」

「あんまり乗り気ではなさそうですね。……本当に、助けて欲しいのですか?」


微笑みは、エーダリアを懲らしめているときのヒルドを参考にした。

イヌ科の獣は立派な縦社会なので、一度上位に立ってしまえば扱い易くなる。

捻くれものが懐かないなら、群れのボスになるまでだ。


「た、……助けて欲しい」

「助けて欲しい?」

「…………助けて下さい」

「お仕事もきちんとしますか?」

「………晒し者には…」

「仕事ひとつ出来ない軟弱狼であれば、魚の餌も妥当かもしれません」

「仕事も、……する」

「まぁ。いい子ですね!では、お仕事が終わったら、何か美味しいものでも食べに連れていってあげましょう」


頭を撫でてやろうとしたら、その手をさっと背後から押さえられた。


「ディノ……」

「浮気は駄目だよご主人様」


またしても犬の縄張り争いが勃発しては困るので、ネアは、何度目かの苦渋の決断をし、あまり切りたくなかったカードを切った。


「これはお仕事ですよ、ディノ。このお仕事が無事に終わったら、ディノにはとっておきのご褒美をあげますから」


送り火に聞こえないよう、背後から抱き着いているディノの耳元に囁く。

仕事上の情報管理はとても大切だ。


「………どんなご褒美?」


そう問い返した魔物の声は不服そうだが、目元が赤い。

ここで選択肢を間違えてはいけないので、ネアは、報酬の大盤振る舞いをすることにした。

どう足掻いても、ディノの助けなしにはこの仕事を完遂出来ない状況なのだから。



「ディノが欲しいものでいいですよ。ただし、一つだけですからね」


そう言ってやれば、ディノはネアを解放してよろりと後退すると、片手で顔を覆った。

もう片方の手は、ネアが囁きかけた耳を押さえている。


「……ずるい。ご主人様はずるい」



(この様子だと、飛び込み体当たりになりそうかな……)


変態の、現状最高のご褒美を思いつつ、ネアは苦く微笑む。

かつての純粋さを思い、今や変態へのご褒美に慣れつつある自分を笑った。

ここでせめて、洗髪の方を選んでくれればまだ救いがあるのだが。



「………俺はどうなるんだ?早くここを出たい」


放置された捨て犬が痺れを切らし始めたので、ネアは背後でずるいと呟き続けているディノをそのままにし、送り火の魔物に視線を戻す。



「そうですね。まずはここを出て、私達が借りているお屋敷に避難しましょうか?夕飯は何が食べたいですか?」



そう言って、背後の魔物が立ち直る前に、そっと頭を撫でてやった。

飴と鞭の飴を与えなければ、躾にならない。



このまま無事に連れ帰れたら、ヒルドに躾の方法を学ぼう。





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