31. 地下道を走ってはいけません(本編)
翌朝は良く晴れた。
昨晩は張り切り過ぎて、夕方に水揚げされた湖の魚介で料理をしてしまい、結果、魔物が少しはしゃいで少し遅くまで起きていたので、朝日の眩しさが目に沁みる。
そして明らかに順番を間違えたらしく、晴天の今日は地下の岩塩坑に潜る日なのだ。
こんなに晴れるのなら、昨日の幽霊屋敷めいたお屋敷探索を、今日に持ってくるべきだったのである。
「岩塩坑は、一部を観光客に公開し観光資源とし、残りの部分は現在も採掘中です。地下には小さな町まであり、統一戦争の際には地下での戦闘もあったようですね」
「人間は、塩を見て楽しむのかい?」
「地下深く掘り下げた岩塩坑には、木製の滑り台で下りるんですよ。ハラハラどきどきの、遊具感覚です。ついでに地下の町で、岩塩を加工したランプを買って帰るのが流行みたいですね」
「滑り台……。それに乗るの?」
「私は、今朝の内に心の準備を済ませました。遊園地のアトラクションも好きでしたし、滑り台で地下に向かうのはやぶさかではありません」
「アトラ……?………そうか。君は、楽しみにしてるんだね」
「さては、長距離滑り台が怖いのですか?」
「怖くはないだろうけれど、さすがに経験がないな」
高位の魔物は滑り台で遊んだことがないのか、ディノは随分と複雑そうに転移と呟いていたが、ネアの心はもう既に滑り台に飛んでいる。
湖水栗という木から作った木製の滑り台で、下りの道中に鉱石の妖精のランプで光を灯しているとはどういうものなのだろう。
あまりの興奮に胸が高鳴るのは、送り火の魔物捜索に向けての覚悟であり、決して観光気分ではない。
二人はまず、広場にあるスープ屋さんで軽くグヤーシュの朝食をいただき、岩塩坑の入り口になっている石門に向かった。
大きなアーチ状の石門には繊細な彫刻が施され、シュタルトの岩塩坑という文字が刻まれている。
水晶板に細やかな歴史説明などの記載があるが、そこは読み飛ばして入口で入場券を買ったのだが、ガレンの捜査令状を見せたのに入場料を取るのだから、受付のご老人は中々に商売上手なようだ。
しかしこちらも、滑り台が目当てなので、業務通用口から入るつもりはないのである。
「ディノ、何だか音楽までかかっていますよ」
「地精の楽団がいるね……。雰囲気づくりかな」
「本格的ですし、この曲はとっても素敵ですね」
「エグリアントの序曲かな。今度、どこかの演奏を聴きに行くかい?」
「はい!」
既に元気な観光客が並んでいるので、ネア達も大人しくその最後尾に並んだ。
薄暗い洞窟には妖精の灯りが連なり、とても雰囲気がある。
淡いオレンジ色と、淡い水色の光が明度と彩度を変えて交互に並ぶ様は、どこか不思議な物語の世界に誘うようではないか。
幸い、すぐにネア達の順番になり、熊の魔物から作ったというソリのようなものを用意された。
それに乗って地下まで滑り降りるようで、勿論、ブレーキになるものはない。
木の滑り台の両脇にある溝にソリをはめ込み、最大三人まで一緒に乗れる優れものだ。
勿論ネアは、刺激を求める乙女なので、前に座る。
「ディノ?そんなにがっちり拘束しなくても、私は飛び出したりしませんよ?」
ソリには飛び出し防止柵があるので、勢い余って放り出される心配はない。
また、到着地点は緩やかな斜角になっているので、降下の速度も自然に軽減出来る構造になっているそうだ。
「道中には、妖精がいるからね」
「照明係の妖精さんを狩る程、私は餓えていませんよ」
「油断出来ない」
「あらあら、ディノは心配性ですね」
がこん、とソリが押し出される。
ディノの顔を見てしばし人事不省に陥った係員だったが、ネアのはしゃぎように中和され、無事に仕事を思い出してくれたらしい。
魔物と同じ口調で、決して飛び出さないようにと重ねて注意してくれた。
「わあ!」
その直後、ぐいんと押されて滑り出したソリは、気持ちのいい風圧を与えてくれる。
気の弱い淑女であれば泣き出す速さだが、ネアは大喜びだ。
ゼラニウムとスパイスの甘い香りがするのは、灯りを燃やす妖精の香りなのだろうか。
そんな香りすら、胸を弾ませてくれる。
「あっ! 財運リズモです!!」
「ネア?! 手を出さないで!」
ふわりと横壁に張り付いていたリズモが、手を伸ばす間もなくあっという間に遠くなる。
うっかり獲物を狩ろうとしたご主人様は、警戒心を強めてしまったディノに両手も拘束されたまま、木製の滑り台を橇で滑り落ちていった。
財運に未練はあったが、その爽快さにまた夢中になってしまい、再び笑顔になる。
「お疲れ様でした。ここからは徒歩になりますよ」
到着地点にも、ちゃんと係員が待っていてくれた。
幸せそうな微笑みのネアが背後のディノに全力で拘束されている姿を見ると、何かを察したようだ。
生温い微笑みになったので、このお客はどれだけはしゃいだのだろうと考えているに違いない。
「さてと、地下に着きましたね」
「ネアの両手が、なくならなくて良かった……」
「まぁ。岩壁で削り取る程、私は愚鈍ではありませんよ?」
少し歩くと途端に視界が開け、ネアは目を瞬く。
地下は、かなりの広さだった。
削り出された空間は大聖堂も入る程の高さだと聞くで、横にも広いのか、あちこちから吊るされた妖精の灯りに、夜店のような小さな店が連なる。
簡単な岩塩の採掘展示はあるものの、まだここは観光エリアなので、本格的な採掘現場は奥のようだ。
土産物に少し未練はあるが、さすがにこんな目立つ場所に送り火の魔物はいないだろう。
「あちらの、採掘現場への門を通らせてもらいましょうか」
「うん」
ネアが指示した場所には、一般開放の区画と採掘現場を区切る、簡易門のようなものがあった。
岩塩坑の入り口に似ているが、石積みのアーチはこちらの方が低い。
門に絡んだ蔓薔薇が見事だが、どうやって生育されているのだろうか。
門の近くの詰め所にいた監視員に事情を話して証明書を提示すれば、上からの連絡が入っていたそうで、快く、現場用の地図を貸して貰える。
無計画に掘り進められた時代の名残りから、この先の採掘場はとても複雑な道行きなのだそうだ。
捜索で回る以上はどうしてもくまなく調べる必要があり、そうなると、地図に記載がなく、作業員でも知らない道がある可能性を指摘された。
「ディノ、もしもの場合は、迷子になっても地上に出られますか?」
「大丈夫。迷子の心配はしなくていいよ」
「だそうです。長さ的に現実的ではないので、迷子紐はつけなくて結構ですよ?」
「………うーん。とは言えこの距離ですが、大丈夫でしょうか?転移の可能圏内を超えると厄介ですよ?」
「ディノ、可能圏内は大丈夫ですか?ごめんなさい、初めて耳にする単語でした」
「距離の縛りはないから、問題ないよ」
「良かったです!問題ないそうですよ?」
「…………距離の縛りがない」
背後に残してきた監視員が、距離の縛りがないと何度も繰り返しているが、先を急ぐので旅立たせていただこう。
魔術を多用する現場でもあるのでこちらで働く職員は、魔術師の資格も持つのだそうだ。
うっかりディノの言葉の意味を正確に理解してしまった係員の心を案じつつ、ネア達は先に進むことにした。
大ホールと書かれた滑り台を下りてすぐの空間からからさほど離れていないせいか、採掘坑の中は広い。
横壁には、魔術式の譜面や、不思議で美しい絵のようなものが彫られている。
このような採掘を魔術で行うウィームらしい細工だとディノに教えて貰い、ネアはおおっと目を瞠った。
時折、横穴の向こうに見知らぬ生き物の影が見えたが、ネアはディノの腕をがっしり掴んでやり過ごした。
生涯の敵たる多足性昆虫が現れた場合には、大事な魔物とは言え、即座に盾にするしかない。
「石壁の表面で結晶化しているものが、岩塩なんですね」
どうやら、ネアの知っている岩塩採掘とは事情が違うようだ。
単純な岩塩の壁だけではなく、鉱石のように結晶化したものが壁のところどころにある。
妖精の灯りを映してその結晶が煌めき、坑道の中は星空のようだった。
「こっちは地底湖ですね……」
青白く光を放つ地底湖には、黄緑色にぼんやり光る鯰のようなものが泳いでいる。
そこかしこに蔓を這わせる薔薇は、ここでも、ウィームらしいカップ咲きの花を満開にしていた。
「薔薇が、あちこちに咲いていますね」
「塩の薔薇だよ。植物と言うよりも、魔術が豊かな土地と塩で錬成された、自然の術式のようなものだ。その花が咲き終わると、新しい術式が生まれるのだろう」
「まぁ!こんなに瑞々しく見えるのに、植物ではないのですね!」
「害はないから、触ってご覧」
ディノが指先で薔薇の花に触れれば、花は銅鐘のような音を立てて粉々に砕けてしまった。
真似をして触れてみたネアは、その欠片が塩の破片であることに気付く。
「この塩も、食塩として食べられるのですか?」
「薔薇塩として流通しているのはこれだね。食べるだけではなく、魔術の錬成の儀式等にも使われている」
よく見れば、そんな塩の薔薇を生かして、骨組みに塩の薔薇を巻き付けたシャンデリアもところどころにある。
塩とは言え薔薇であるので、それを好んだ妖精が集まり、その周囲は妖精の灯りでぼんやりと明るい。
「わ、見て下さい。塩の礼拝堂があります。まるで、水晶で出来ているみたいですね」
次に覗き込んだ横穴には、塩の礼拝堂があった。
不純物の多い硝子で組み上げたように、僅かに不透明な塩の結晶で壮麗な礼拝堂が作られており、こうして見ると、大ぶりな水晶の塊のように結晶化した塩の方が、より多く採掘されている気配である。
「塩の魔物の城跡だね」
「………塩の魔物さんがいるのですか?」
「気紛れな魔物だよ。世界中に城を作って回っている。興味がなくなった城は崩してしまうから、こうやって純粋な塩の結晶だけが堆積している地盤が、あちこちに出来上がるんだ」
「では、ここはどちらかと言えば、岩塩坑と言うよりも、塩の魔物さんのお城の遺跡なんですね」
「うん。なので、魔術がとても潤沢だろう?塩もまた、魔術を溜めこむ要素の一つだからね」
ディノが、そう言いながら壁を指でなぞる。
どこか危ういほどに優美な線を描くと、その線がそのまま青白く燃え上がった。
塩が燃える匂いにはなぜか、ローズマリーのような香りも入り混じる。
美味しそうな匂いだと思いかけて、ネアは渋面で首を振った。
「塩の魔物さんは、強いのですか?」
「そうだね、彼は公爵位の一人だ。今の彼は、皮肉屋で気紛れだと言われている」
「と言うことはまさか、お砂糖の魔物さんもいるのでは」
「いるよ。砂糖は伯爵だけれどね。昔、灰被りと戦って片腕になったから、階位落ちしてしまったんだ」
「消費量の多さから、応援したくなる魔物さん達ですね」
「…………どこかで偶然見つけても、懐かないようにね」
あまりにも心配そうに言われたので、ネアは小さく微笑んだ。
「お塩とお砂糖は大好きですが、魔物はディノで間に合っています」
「……ご主人様」
ものすごく嬉しそうなので、本当は少し会いたいと思ってしまったのは内緒だ。
音痴な歌唱力で脅せば、各調味料ごとに、今後便宜を図ってくれるかもしれない。
とは言え、ディノが不安がるといけないので、ここは涙を飲んで諦めよう。
「………ん?」
「………おや、何か来たね」
突然、誰かが物凄い勢いで走る靴音が坑内に反響し、響き渡り始めた。
どんどん近付いてきているので、こちらに向かって来ているのだろう。
ディノは、ひょいとネアを抱き上げると、いとも容易く坑道の上壁のところに飛び上がった。
表面を整えた地上何メートルかの部分と、その上の天井部分を支える部分との境目には、人一人が座れるくらいの幅がある。
ネアを抱いたまま、その上から騒動を睥睨するような位置取りをしてくれたので、騒ぎの元凶が通り過ぎるのを待つことにした。
暫くすると、ものすごい勢いで黒髪の男性が走り抜けて行った。
そしてそれを追いかけるように、十人程の採掘夫達が、スコップを持って走り抜けてゆく。
怒号を上げて男性を追い掛ける様は、捕まえたら袋叩きにするという明確な意志を滲ませており、とても壮絶なものがある。
その採掘夫達が口々に叫んでいた言葉を繋ぎ合わせて、ネアとディノは顔を見合わせた。
「お前のせいで、息子にプレゼントが渡せないとか、お前のせいで告白が出来ないと叫んでいましたが………」
「すごいものだね。一人は、手斧を持って追いかけていたよ」
「あの非難の言葉の内容的からすると、最初に走って行ったのは送り火の魔物さんなのでは…………」
「あれでは、さすがに逃げるだろうね………」
「捕まったら、確実に無事では済まないやつですね」
思わず任務を忘れて呆然と見送ってしまったが、どうやら、送り火の魔物はこの岩塩坑にいるらしい。
とは言え、祝祭には欠かせない魔物が無事かどうかは、今のところ不明である。