30. 幽霊屋敷は勘弁して下さい(本編)
ネア達がシュタルトの町に入ったのは、翌日の早朝のことだった。
歌乞いという役職であるので、町長の家などに厄介になるというお決まりの展開もなく、出来る限り外野の人間を巻き込まぬように過ごすことになる。
ひとえに、魔物という存在が関わるからだ。
したがって、湖畔沿いの瀟洒なホテルに宿泊予約を入れるのも今回は見送り、グラストの親族の別荘があるというので、その屋敷を貸して貰うことになった。
人口千人にも満たない小さな町だが、住民に見合わない数の屋敷が立ち並ぶのは、ここがウィームの真珠と呼ばれる場所だからなのだろう。
「今回は二日の滞在ですので、食事は、ホテルのレストランや、町の食堂でいただきます。一食ぐらいは、地元の新鮮な食材で私が作ってもいいかもしれませんね」
「手作り……!」
初めての、二人っきりの遠征だ。
欲望に忠実なネアは、鮮やかなテントの並ぶ朝市が早くも気になって仕方がないのだが、とは言え、荷解きしたばかりで食材を買い込むのも何かが違うので、湖沿いの小さな食堂に入ることにした。
市井の料理店に入る経験がないわけではないので、ディノも頑張って大人しくしていてくれるだろう。
「わぁ、新鮮なお魚のメニューがいっぱいありますね」
擬態しているディノを連れて入店すると、店主は、あんまりな美貌のお客を見て手にした水の瓶を落としそうになったが、貴族達の別荘地ということもあり、すぐさま気を取り直してくれたようだ。
ウィームは、王国時代より、王族や貴族の中に魔術師になる者が多い。
そうなると、このような別荘地では、魔物を見る機会も少なくはないのだろう。
「こうやって、二人で食事するのは初めてだね」
嬉しそうに微笑む魔物に、ネアは頭を撫でてやりたくなる。
しかしご褒美にはまだ早い時間なので、ここはメニュー決めを優先しよう。
「鱒のお料理が有名みたいなので、私はこれにしますね」
鱒に粉をはたいてバターで調理する料理は、濃厚なバターと香草のソースと、ベリーとサワークリームのソースがついているようだ。
付け合せはポテトだが、移動が多くなる筈なので、ネアはすかさずパンも頼む。
こういう場合はどうやって料理を決めるのだろうと興味深く見守っていると、ディノは、割と手堅い郷土料理をオーダーしていた。
意外な発見にネアは少し楽しくなる。
その後は、あつあつの鱒料理を美味しくいただき、食後の紅茶を運んできた店の主人にさっそく聞き込みを開始する。
「こちらでは、やはり街中に見慣れない魔物がいれば目立つでしょうか?実は今、仕事が嫌で脱走した魔物さんを探しておりまして」
「ははぁ、そうか、あんた歌乞いだな。魔物連れのガレンの連中にしては制服じゃないし、様子が違うなと思っていたんだよ。……そうさなぁ、魔物が一人でいれば目立つには目立つが、最近じゃ魔物の観光客もちらほらいるからなぁ」
「魔物の観光客………」
「それだけ、シュタルトが美しい町だってことだろうよ!」
「確かにそうですね。耳慣れない単語に驚いてしまいましたが、ここは魔物さんが一人旅したくなるくらいの、とても美しい町ですね」
「そうだろう! 魚も美味いし、塩も上質だ。貴族達が留まるから金も動いて、町の整備も進んでるしな。仕事じゃ仕方ないが、今度は夏に来てみるといい!」
「ええ、是非伺いますね。……ディノ、夏休みにまた来ましょうね!」
「うん」
グヤーシュを飲んでいたディノは、ぱっと顔を上げて微笑みを深くした。
さらりとこぼれたほつれ毛が、何とも儚げで美しい。
店主が小さく、綺麗なもんだなぁと呟いた。
ご機嫌の時のディノは、どこか排他的な鋭さをなくし、意外にも一般受けがいい魔物なのだ。
「お嬢さんは、どんな魔物を探しているんだい?」
「ぼさぼさの黒髪に、赤いかがり火の瞳をした背の高い魔物さんなのですが……」
お会計時にそう聞かれたので答えると、店主は、いきなりしかめっ面になる。
「送り火の魔物か!わかった、見付けたらみんなでとっちめてやるからな!!」
「とっちめなくてもいいので、報告をいただけると嬉しいです。湖の東側にある、ターテイルさんのお屋敷を借りていますので、何か情報があったら、メモでも差し込んでおいていただけると助かります」
「ターテイルの爺さんの知り合いか!ますます、良くしてやらんとなぁ。任せておけ!」
そのターテイル爺さんのことは全く知らないが、きっと皆に愛されるような魅力的なご老人なのだろう。
グラストの親族というあたり、何となく人柄が想像出来てしまう。
「祝祭が先送りになったせいで、うちの六歳の息子はずっとご機嫌斜めだ。あいつめ、許さんからな」
聞いてみれば、かなりの恨みようだが、この時期の国内には、そのような憎しみに燃える者達も少なくはないのだそうだ。
(中には、祝祭が延びたお蔭で猶予が出来たという、切実な人もいるだろうけど)
祝祭は家族で過ごすのが一般的だが、やはり恋人達の日という一面もある。
ウィームの単身者は、毎年この延期期間に最後の決戦を迎えるらしく、歓迎する者もいなくはないのだ。
「ディノ、まずはやはり、元宰相閣下のお屋敷を見てみましょう」
「少し高台にあるから、この時間は陽が入って明るいと思うよ」
お気に入りのラムネルのコートのネアに対して、最近のディノは、擬態をするとよく着ている濃紺のコートでいることが多いようだ。
リノアールの店員が倒れそうになったことがあるので、このコートは何製なのかは怖くて聞けなかったが、毛足の短い毛皮をかっちりとした形に縫製し、どこか軍服のような仕上げをしている。
浮世離れした長い髪の艶麗な魔物なので、そのような服装をすると高貴な軍人のようでとても映えた。
なお、この足元までのロングコートは、時折ネアの毛布代わりにもなる。
コートは着るが手袋をしない杜撰さは、本来であれば、着ぶくれする必要のない魔物らしさだろう。
コート姿になるのも、ネアと釣り合うように美観として調整しているそうなのだが、ネアとしては、擬態のない本来の魔物としての装いを見ると、ディノだなぁと思うのだ。
脱走者の捕獲の仕事で来ているので、今回の移動は、転移が主軸となる。
ディノに連れられて転移を踏めば、ふわりと空気が立ち昇り、視界が淡く暗転した。
余程の距離を飛ばない限りは特に時差のようなものもなく、次の一歩を踏み出す感覚に近い。
いつの間にか馴染んでしまった、異世界の移動手段だ。
「ほら、ここがその屋敷だよ。ガシュアの木が随分と育ったものだ」
「……………わぁ」
そして到着したシュタルトの高台で、ネアはディノが指示した屋敷を見た途端、ある一つの真実に辿り着いた。
(地下墓地に、棺桶墓場、歌劇場の地下に、……こういう趣味の魔物さんか……)
見上げる屋敷は壮麗だが、残念ながら、非常に配色が暗い。
質実剛健の最たるものなのかもしれないが、この絵葉書のような町に似つかわしくない、どす黒い灰色の建物が、大きくそびえていた。
謎の獣たちの像が立ち並び、ガシュアの木は、ひどく陰鬱な影を落とす異様な雰囲気の大木だ。
枝振りが大きい割に、枝垂れる葉の様子がどこまでも禍々しいので、あの風光明媚な湖岸の町ではなく、離れた高台にこの屋敷があって良かったと心から思う。
おまけに資料館は現在冬季休業しており、無人の筈なのに灯りがついているのがいやに怖い。
「なぜに、あの色の花を飾ったのだ」
屋敷の外観部分には、管理人の手が入っているので無人であっても美しく花が飾られている。
しかし、どう頑張ってしまったものか、漆黒のリボンを添えた真っ白な花はやめて欲しかった。
魔術的な要素があるのか、花が見事に瑞々しいことに妙な不吉さを覚えてしまう。
「ネア、どうしたんだい?」
「ちょっと苦手な雰囲気です。ディノ、特別に手を繋いであげましょう」
「………ご主人様!」
手を繋ぐと聞いて魔物は一瞬恥じらってもじもじしたが、ネアが差し出した手がふるふるしていることに気付き、すぐに手を出してくれた。
この屋敷の探索は予め決まっていたので、町に着いたときに、管理を引き受けた家族から鍵を借りてある。
そのせいで、こんな風に灯りをつけられてしまったのだろうか。
無人の屋敷に灯りが付いている光景は、非常に心臓に悪いので今後禁止しよう。
「灯りは、魔術のものでしょうか?」
「元々、屋敷自体に灯りを維持する魔術がかかっているんだろう。常時魔術を溜めこんで、術式の指示一つで、こうして灯りがともるんだ」
「では、本当に無人なのですね……」
「いや、無人じゃなさそうだよ」
ネアは、特に構えることなしにそう言ったディノを仰ぎ見た。
思い切り嫌そうな顔になってしまったのは、やはりこの屋敷の外観のせいだろう。
「管理人さんが来てしまったのでしょうか?それとも、魔物さんですか?」
「送り火かどうかはともかく、魔物なのは間違いないね」
「……わかりました。乗り込みましょう!」
ディノが鍵束を引き取ってくれたので、大きな鉄の門扉を開けてくれるのかと思ったが、腰に手を回されてすとんと敷地内の正面玄関前に転移する。
通常であれば便利な手段だが、この外観を見せられた後でいきなり屋敷との距離を詰められると、ネアには恐怖しかない。
慌ててディノの髪の毛をリード代わりに掴んだ。
「ネアが、今日は優しい………」
「その魔物さんを確かめたら、こんなホラーハウスとはおさらばします。さぁ、急ぎましょう!」
「ほらーはうす?」
流石に屋敷に入る際には鍵を開けたので、ネアは、ようやく心の準備が追い付かせることが出来た。
「やはりディノも、人様のお屋敷内部には、転移したりしないんですね」
「と言うより、元々の守護の術式が固いんだ。一定以上の高位の魔物が内部に転移すると、屋敷の灯りが落ちるようになっているからね」
「………ホラーな仕掛けが」
がちゃりと鍵の開く重々しい音が響き、ネアはびくりと肩を揺らす。
先程までは聞こえていた、湖の鳥達の声が聞こえないのもなんだか不気味だし、要人の屋敷だったせいか、施錠が何重にもなっており非常に鬱陶しい。
これではまるで、封印のようではないか。
「ふうん、中も整えているのか、人間は不思議なことをするね」
ディノがそう言うのも無理はない。
屋敷に入ると、こちらもまた、つい先ほどまで人が住んでいたかのように花が飾られ、整えられていた。
現在は統一戦争時の資料などを収めた資料館になっていると聞いていたが、それにしては往時のままに整い過ぎではないだろうか。
「資料館らしい設備はないんですね」
玄関ホールには大きな階段があり、その踊り場には、かつての宰相一家と思われる肖像画が飾られている。
激しく損傷したものを修復した様子が見て取れて、そのかぎ裂きの跡が、華やかな屋敷の内観を寒々しいものにしていた。
「残された状態を、そのまま資料としているのかもしれないね。セッターはもういない一族だし」
「…………あまり心臓にいいお話ではなさそうですが、どういうことでしょう?」
「ウィームの要所を預かるセッター家は、魔術に恵まれた一族だったんだ。王家とも婚姻関係で繋がりが深かったこともあり、統一戦争では根絶やしにされてしまった」
ネアは、ほとんど直立状態のまま玄関ホールを見渡した。
つまり、かつてここに住んでいた人間は皆、殺されてしまったということだ。
ディノに魔物の位置を辿ってもらいながらも、絨毯を踏む足がとても強張る。
「ぼ、亡霊さんが出たりしますか?」
「亡霊にもならないよう、人間が殺したと聞いているよ。人間の高位のものの処刑は大抵そうだね」
「ディノは、このセッター家のことに詳しいのですね?」
「そうだね。当主がリーエンベルクで処刑された後、この家の魔術師を刈り取るのに、手を貸して欲しいと頼んできた者がいてね。その頃は暇だったから、結界を剥ぎ取るのを手伝ったことがある」
玄関ホールを抜け、二階へと上がれば長い廊下に幾つもの扉が続いていた。
各部屋の扉にも花が飾られていて、黒いリボンが喪章のようだ。
「ディノが、…………ここを落したのですか?」
「扉を開いただけだよ。さほど高位ではない魔物に擬態もしていたし、ただの暇潰しだった」
「そのことを、エーダリア様には言ってはなりませんよ。他の方にもです。いつかは話すかもしれませんが、当分の間は、私とディノの秘密にして下さい」
「いいよ、ご主人様」
魔物は気紛れで残忍なものだ。
ましてやそれが、手綱のない魔物であれば尚更。
それでも悲劇には人間の心が動くし、きっと断ち切れない痛みや後悔もあるだろう。
安易にそれを知らしめることだけは避けようと、ネアは思う。
ネアはウィームが好きだし、ここに暮らしていたのは、仮にも、かつて一国の宰相であった人の一族なのだ。
「………嫌な話だったかい?」
「私は、その一族の方を知らないので特に感慨はありません。ですが、そのことでディノが何か面倒な因縁を背負ってしまっても嫌なのです。戦争の時にウィームを傷付けたのはディノではなくても、…………万が一に復讐という感情を誰かが抱けば、それはとても厄介なものですから」
「ネア、悲しい顔をしているよ」
立ち止まり、そっと伸ばされた指が額に触れる。
「ディノに何かがあったら、とても困ります。私の大事な魔物なんですから」
やはり心配になってしまったことは隠せなくて、そう項垂れると、なぜか魔物は嬉しそうに頬を染めた。
「ご主人様!足を踏んでもいいよ!」
「どうしてご褒美の流れになるのでしょう?そして、逃げるものを追いかけているので、大きな声はいけませんよ」
「じゃあ、ご褒美を貰えるように早々に捕まえてしまおうか」
ディノがそう言った直後、ばすん、と大きな音を立てて何かが落ちてきた。
ネアは、ホラーハウスでのまさかの仕打ちに飛び上がり、呆然とその落下物を凝視する。
多分これが、この屋敷の中にいた魔物なのだろう。
給仕服姿の柔らかな栗色の髪の女性が、突然の凶行に目を見開いて震えている。
加害者のディノを見上げ、ほとんど固まった。
「誰でしょうか………」
「さあ」
ともあれ不法侵入なので事情聴取をすると、その魔物は、家壁の魔物であることが判明した。
勝手に侵入した古い家の壁を少しだけ修復していく、とても堅実な魔物だ。
この屋敷の家壁には多大な愛を感じるらしく、度々忍び込んでいたらしい。
害はないので捨ててゆくことにして、ネア達は、ひとまず作戦本部に戻ることにした。
空が曇りはじめ、屋敷の中がたいそう薄暗くなったので、ネアの心の限界がきたのである。