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103.銀の馬車のお客人

※20151206 改行位置修正

 目の前ですねたように唇を尖らせている女性に、ルーは内心頭を抱えた。


 ――なんだこれは。ドラジェが誰にも見せないように細心の注意を払い、休憩ごとに天幕まで準備させるほど大事にしている相手が目の前にいる。


 いや、確かに誰が乗っているのかを探っていたし、ドラジェがどういう伝手でトリエンテを直轄地にさせたのか、王都の商業組合に参入できるようになったのかを調査してもいる。

 その調査対象と直接接触することになろうとは。


「あの、奥様?」

「奥様だなんて呼ばないで頂戴。わたくしはラフィーネという名前がございますのよ」

「ラフィーネ……様?」


 戸惑いながらそう口にすると、ラフィーネは嬉しそうに口元をほころばせた。


「ええ、そう呼んでよろしくてよ。王都までまだ十日もあるのでしょう? 一日中馬車の中に閉じ込められているのでさえうんざりなのに、目の前にいるのが枯れ木のような老人。もううんざりですの。せめて見目麗しい男性であれば、目の保養にもなりましょうに、あれではねえ……」


 そこまで一気に喋ってから、ふとしゃべりすぎたかしら、と口元を扇子で覆う。


「ああ、なるほど」


 ルーの相槌にやはりラフィーネは嬉しそうに笑い、扇子を閉じる。


「あなたもそうお思いになって? 嬉しいわ、ご理解いただけて。それで他の人を呼ぶよう申し付けましたの。貴女が来てくれて嬉しいわ。流れるような金の髪に素敵な瞳。肌も白くていらっしゃるのね」

「あの、ありがとうございます」


 これほど手放しに褒められるとやはり照れが出る。

 扇子を座席に置いてラフィーネはルーの膝に置かれた手を取り上げた。


「ら、ラフィーネ様?」

「手もこんなに細くてたおやかで、本当に便利屋なの? もったいないわ」


 そっと手を撫でるラフィーネは素直に羨望の眼差しを隠さない。


「いえ、その」


 彼女は指の一本一本を撫で、爪をくるくると撫でさすり、指の間をこする。人に手を取られ、やわやわと撫でられることがこれほど扇情的とは思わなかった。しかも相手は女だというのに。


「これで剣や短剣を振るえるなんて……信じられないわ」

「それが……仕事ですので」


 そっと手を抜こうとしたが、阻まれた。

 もしこれが彼女の手管ならば、他の傭兵などに二人きりで会わせる訳にはいかないとドラジェが思ったのも無理はない。

 ここまでされて勘違いしない男はいないだろう。彼女は手を撫でながら上目遣いで見上げてくる。彼女から手を差し伸べられ、繰り返し触られることで立場や格差などの壁が消えたように錯覚するのも当然だ。

 狼に食べてくれと身を差し出しているようなもんじゃないか。

 だからルーしか選択肢がなかったのか。

 大きな街まで二日の間、とドラジェが言っていたのをルーは思い出す。街で彼女の話し相手になる人間を雇うのだろう。宿場でしかない小さな村では人の余裕もないのだ。


「そういえば馬車に入る時にどこかを打ったでしょう? 手当しましょう」


 思い出したようにラフィーネが顔を上げ、微笑んだ。


「い、いえ。大丈夫です。日常茶飯事ですから」

「遠慮しないで見せて頂戴。膝だったわよね?」

「いえ、あの、だから大丈……っ!」


 いきなり膝下あたりを掴まれて、ルーは悲鳴を飲み込んだ。あまりの痛さに涙がにじむ。


「ほら、大丈夫じゃないじゃない。見せてご覧なさい。冷やしてあげるから」


 仕方なく、ルーはブーツを脱ぐとズボンの裾を膝上まで引っ張り上げようとした。が、体にぴっちりしたズボンは痛い部分にくい込み、それ以上上がってこない。


「ああ、それじゃだめよ。ズボンを脱いで。……女性同士ですもの、何も恥ずかしがることはないでしょう?」

「い、いえ。あの、本当に大丈夫ですから」

「いいの、任せなさいな」


 ルーの抵抗をものともせずラフィーネによってあっという間にズボンを剥がされた。思わず上げかけた悲鳴を口を覆って往なす。


「さあ、足をこちらまで伸ばして」


 ルーはもう何もかも諦めた気分になって、下着一枚で座席に腰を下ろすと、ラフィーネの横に足を載せた。思っていたよりもひどく打っていたようで、左足の向こうずねに青あざができていた。少し腫れて押すだけで痛む。

 ラフィーネはと見ると小ぶりのかばんから小さな瓶を取り出すと指ですくってあざの部分に軽く載せた。


「女性が体に傷などつけるものではなくてよ。こんなに綺麗な足ですのに」

「はあ……」


 足まで撫で始めるラフィーネに、さすがにルーは我慢しきれずに抵抗してズボンを身に着けた。このままどこまでも言いなりになっていたら身ぐるみ剥がされそうだ。

 残念そうにラフィーネは唇を尖らせている。


「すみません、でも万が一の場合にラフィーネ様をお守りできなくなるのは嫌なので」


 そう答えると、嬉しそうに頬を緩ませて「ならいいわ」と機嫌を直してくれた。貴婦人の機嫌を取るのは難しい。

 ベルトを元に戻し――隠しに入れてあった薬も確認して――ラフィーネの前に座り直す。窓はどちらも分厚い布で幾重にも隠されていて、話題のネタになりそうなものが何一つない。

 微妙な沈黙が場を支配する。


「あの、ラフィーネ様」

「なあに? あら……わたくしったら、貴女の名前を聞いておりませんでしたわね? お名前はなんと?」

「ルーとお呼びください」

「ルー、ね。ねえ、貴女、便利屋としてあちこち旅してるんでしょう? 色々話をしてもらえないかしら。せっかく初めて長旅ができるチャンスに恵まれたのに、顔を出しちゃだめ、声を上げてもだめ、笑ってもだめ、窓も塞がれて風景も見えなくて、つまらないと思わない?」

「え、ええ」


 その気持ちはよく分かる。貴族の、それも上流貴族の奥方となれば、領地と王都の往復、たまに宿下がりぐらいで、その生活のほとんどが王都か領地で完結する。他所に思うままに旅するなんてチャンスはなくなるのだ。


「じゃあ、色々お話してね?」


 ふふ、とラフィーネは楽しげに笑った。

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