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健一は1年前に福井真理からレストランの物件を貸し出す提案を受け、開業した曼谷食堂。
だが、1年後には同じ相手に撤退の意向を伝える事になるのだった。
第14話 素晴らしい友と仲間と恩人と その3(14)


「え!」思わず驚く健一。
「このお店は最初に開業したお店なので10坪程度と小さいけど、2号店・3号店は倍以上広いお店なの。
さらに、今考えているのは今までの “喫茶店”と言うのをやめて“カフェ”という名前にして、もっと大きい店を作る予定なの。
その再来月出す予定のお店がね」

福井は、話を中断し、奥へ入って行くと、大きな設計図らしき物をもってきた。
「このお店なの。多分ここの5倍近くあるかしら。
単なるコーヒーだけでなく、他のドリンクや軽食も充実させていこうと思っているのよ。
逆に言えばこのお店はもう用済みなんだけど、最初のお店なので出来れば手放したくはなかったのよ。
そこで誰か信用できる人に貸し出そうと思っていたところに、今の健一君の話を聞いて、
それなら健一君に貸し出してみようかなあと思ったのよ」

「おばさん、急にこんな大きな話を持ち出されても、ちょっと頭が混乱して・・・」
戸惑う健一に、福井は笑顔に戻って優しい口調で、「まあ、ゆっくり考えなさい。私の経験では、嫌な仕事を無理やり続けるよりは、夢を目指した方が、きっと人生が楽しくなると思うわよ。大阪の京子からもあなた達の面倒を見守って欲しいと言われているしね」
        
〜〜〜

1年前、このような形で福井に後押しされ、思わず有頂天になった健一は、
千恵子の同意を得た後、会社をあっさり退職。
大阪にいる母京子から100万円を借りて一気に開業に踏み切ったのが、
この曼谷食堂であった。

だが、今、最愛の妻を失った健一には、もはやタイ料理人への熱意は冷め、
店にも愛着どころかむしろ忘れるべき存在のようにも感じるのだった。

「ごめんなさい。福井のおばさん。僕は新しい人生を歩みます。泰男が立派に成長するまで」健一は、そう誓いながら、ようやく眠りに入った。


健一の夢の中に一人の見慣れた女性が現れた。
それは、紛れも無い千恵子そのものであった。
健一が始めて台湾で出会った時の長い黒髪を結んだバックパッカー姿で笑顔を見せていた。

「ああ、千恵子。俺が悪かった。許してくれ」健一が夢の中で、必死で謝る。
だが、千恵子はひたすら笑顔のまま黙ってうなずくと、少しずつ後ろに遠ざかって行く。
そうか!これは井本が言っていた、生まれ変わる前の挨拶なんだ!
千恵子ありがとう!!次の世界では幸せに生きろよ!」
夢の中で健一が精一杯の声で叫ぶと、瞬間に目を覚ました。

横で、泰男がおびえた表情で泣き出してしまった。
「そうかあ、これが井本の言っていた『リンネ』とか言うやつなんだな。
最後にきちんと謝る事がで来て良かった。ようし!今日から新しい人生の始まりだ!」
健一の表情は清々しいものになっていた。

朝、約束の時間に福井が店に入ると、健一は静かに告げるのだった。
「福井のおばさん、今考えれば、この店を始めるために、去年の5月のことですが、
バンコクで買い付けを行ったときに、いつものようにチャオプラヤー川の辺に来たんです。
でも、この日の流れがいつもより荒々しく感じたと思うと、いきなりスコールが降り出したのは不吉な予兆だったのかも知れません。

同意してくれたとはいえ、今考えれば千恵子は渋々で、買い付けにも来なかったし、
最初から店に入る気もなかったのです」

健一の表情が、少しずつ悲しみを帯びてくる。
「今回僕は非常に大切な物を失ってしまいました。
その原因がこの店にあることはわかっています。
業績も改善しそうにもなく、また気持ちの上でもタイ料理を作る気力が起きません。
中途半端な気持ちで辛いのですが、店をこのまま閉店しようと思います。
わがままを言って申し訳ございません」

頭を下げる健一に、福井は優しく声を掛ける。
「健一君の気持ちわかりました。私も1年前に余計なことを言わなければと
非常に後悔しています。こんな状態で、無理に店を続ける必要はないわ。
ここは、私が引き取り、カフェとして再オープンさせるわ。
屋台とかあってタイの雰囲気がでているからこのままの内装で 
“アジアンカフェ”にでもしようかしら?だから気にしなくていいからね。
それよりこの後どうするの?仕事見つかりそうなの」

福井の問いに、健一は首を横に振りながら小さい声で、
「すぐにあるわけではないのですが、しばらくの間は、
以前やっていた家庭教師のアルバイトでもしながらゆっくり探してみます。
厳しいけどわずかなお金が残っていますので、どうにか生活できると思います。
ただ泰男のことだけ心配で、ご迷惑とは思うのですが」


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