ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
悲しみながらも、かつて千恵子にプロポーズした事を思い出す健一。大学の後輩野崎が必死に励ますも、今の健一には全く通じないのだった。
第十一話 沈黙の日々 その6(11)


健一は千恵子に会うと、ゆっくり深呼吸をして一言「結婚しよう」とプロポーズをしたのだった。
「え!本当にそれでいいの?」嬉しそうに問い直す千恵子に健一は、「子供は絶対生んで欲しいし、やっぱり君のことが好きなんだ。
ただ、今の大学院生の身分では、生活ができるかどうかはわからないから、就職することに決めたんだ」「えっ、研究をやめるの?」
驚いた千恵子に、「うん、今の研究は最近行き詰っているし、将来続けたくなったらまた再開すればいいと思ったんだ。
それより今の僕には“タイ料理 ”のことが大事。
どこかのレストランに就職して、いずれは、タイ料理店を開きたいんだ」

タイ料理に没頭しすぎている健一に、千恵子はあまりいい感じを持ってはいなかったが、
それよりも結婚して子供が生めることのほうの嬉しさが上回った。
「健一、ありがとう」千恵子は涙ながらに健一に抱きつくのだった。
このとき、健一24歳、千恵子26歳であった。

〜〜〜
千恵子との思い出に浸りながら、涙が止まらない健一に、横にいたモヤシのようにやせ細っている野崎がハンカチを手渡した。

野崎龍平は、健一の大学の2年後輩で、健一がタイ料理の世界に引きずり込んだ一人。
タイ料理研究会(TFRA)では、常に健一のそばで助手を務め、一緒にバンコクにも連れて行ったこともあった。
健一が店を始める事で忙しくなってからは、健一に代わってTFRAを取り仕切っていた。
正にナンバー2の存在でもあった。
「大畑先輩。お気持ち非常に良くわかります。でも自分を責めないでください。先輩が、私をタイ料理の世界に誘ってくださったおかげで、私もこの世界の虜になり、TFRAの活動もどんどん活発になっているではありませんか!
先輩の研究会での活躍と比べれば、代理である私など足元にも及びません。
先輩にもう一度タイ料理の世界で輝いてして欲しいのです」

野崎の必死の励ましにも、健一は首を横に振り、「野崎、ありがとう。でも、もうタイ料理への気力を振り絞れる状況では無いんだ。
ちょうど和本さんもいるからこの場で正式にTFRAの会長をやってくれ。
アジア食文化協会(AFCA)の理事もな。実質的にはそうなんだからいいだろう」

TFRAをはじめ、各国の料理研究会は、AFCAから半独立した組織で、おのおのが独自に組織を作り活動を行っていた。AFCAは、持ち株会社のようなイメージで、上位に位置し、各研究会の会長が、AFCAの理事を勤め、全体としての理事会を定期的に行っているのだった。

健一は、TFRAの会長として、独自に研究会内の組織を整備し、幹部会を作ってそれらの育成もしたため、野崎のように代理を務める者にも不自由する事はなかった。

野崎は、心配そうな表情で、横にいる和本の様子を伺う。
和本はしばらく目をつぶって黙っていたが、目をゆっくり開いたかと思うと、
「大畑さん、わかりました。
今日付けで野崎君を正式にTFRAの会長とAFCAの理事として頑張ってもらう事に
しましょう。
ただし、あなたはあくまで“休会”扱いとします。
いろいろな気持ちもあると思いますが、是非ともこのまま会に留まって欲しい。
いつでもいい、気が向いたときに戻ってくれればいいから」
「先輩、私はまだ、未熟者ですが、頑張って会を盛り上げていきます。
和本さん、よろしくお願いします」
野崎も和本の答えを聞いて表情が緩みながら答えた。

2人の決意を聞いた健一も、僅かばかりの笑顔になって「2人とも僕のわがままを聞いてくださり、ありがとうございます。今しばらく一人で今後の事を考えたいと思います」

「大畑君、早く元気を取り戻してくださいね。では、私たちはこれで」と言い残して、和本と野崎の2人は店を後にしたが、健一はまだ表情が暗いままであった。
「みんな、励ましてくれて嬉しいんだけど・・・」
そういいながらまた一人で泣きじゃくるのだった。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。