#002 立食パーティー
日和町から車で二時間ちょっと。
俺と雪那を相手に巻き込み事故を起こした外野くんと共に、俺達は高層ビルとも言えるような大きなホテルの前で、ようやくリムジンから降り立った。
少なくとも、これから一生に二度もあるかどうかという乗り心地だった訳だが、それより何より、華流院さんが手配したこんな状況を、多少の緊張を感じさせる雪那はともかく、一切の緊張すら感じさせない外野くんに戸惑いを隠せない。
……コイツ、慣れてやがるのか……。
あんな痛々しい頭をしちゃった事を止める大人はいなかったのだろうか。
さて、古き良き時代の名残の方が多いと言える日和町とは大違いな、まさに見上げるような建物の多い都会。
そういう場所で暮らしていた事もあるんだが、この一年四ヶ月程はこの場所を離れていただけに、なんだか落ち着かない。俺はシティーボーイにはなれないらしい。
リムジンから降りると、ホテル入口横に立っていたドアマンが扉を開け、中へ入れと言わんばかりに会釈してきた。
外野くんの意外な順応力によって従業員から会場の場所を聞き、俺達はパーティー会場になっているへと向かって歩いて行く。
途中で目にした看板には、『華流院園美、第十七回目 生誕パーティー』と書かれている。
十七回目って事は、あの子……俺達より一つ年下なんだよな。生まれて間もない段階でパーティーを行いでもしたんだろうか。
さしずめ、昨日の夜はイヴを祝したのだろう。
ともあれ、俺達はホテルの七階にある宴会場の前へと辿り着いた。
「悠木くん、ネクタイ」
「あぁ……。よし、こんなもんだな」
「……曲がってるわよ」
「そうか? こんなモンだろ?」
「ダメよ。正装はしっかり着ないとみっともないだけよ。はい、顎あげて」
雪那が俺の正面に腕を回し、襟を立てている。
……なんだろうな。こうして世話されるのも悪くないんだが、非常に恥ずかしい気分だ。
近くにある雪那の顔も心なしか赤くなっていて、気まずさに視線を外すと、外野くんと目が合った。
「……永野くんと櫻さん、やっぱり付き合ってるんだ」
「え……ッ!? な、何言ってるのかしら、別に付き合ってなんて……!」
「うええぇぇぇ……ゆ、雪那、首……ッ!」
「あ、ご、ごめんなさい!」
雪那が俺のネクタイと共に俺の首も締め上げるという暴挙に出た。
まったく、外野くんのせいで危うく絞め殺される所だった。
「いや、寮でも噂になってるよ。永野くんと櫻さん、いつも一緒にいるから」
ネクタイを直す雪那と目が合い、顔が熱くなった。
雪那は雪那で顔を赤くしてるし、これはちょっと脈ありなんじゃないだろうか。
だが、外野くんのニヤニヤ顔が視界の隅に映ったのがいただけない。
おかげで気分が冷めてしまったではないか。
「そういえば茅野くん。華流院さんにパーティーに呼ばれたのはお前なんだから、脈ありなんじゃないか?」
「っ!? みゃ、脈って……。華流院さん、ね……。俺はいっそ脈が止まりそうな予感がするよ……」
「お、うまいな」
「冗談で言った訳じゃないんだよ! あの人、よく背中とか叩いてくるんだよ! ちょっと勢いが笑えない時もあるんだから……!」
何故か背中を丸めながら戦闘民族の実力を語り、顔を蒼くする外野くんが小声で訴えてきた。
さすがは戦闘民族。その力を余すことなく外野くんだけにぶつけ続けてくれる事を、俺は切に願っているよ。
「……うん、悠木くん。ネクタイできたわよ」
「あ、サンキュ」
「……でも、うーん。やっぱり髪の毛ボサボサよね……。せめて少しぐらい整えた方がいいと思うのだけど……」
「まぁいいだろ、今日の主役は華流院さんと茅野くんだし」
「っ!?」
いや、そう驚かずとも主役はキミだとも。
不服そうにしている外野くんが先頭に立って扉を開け、中へ入る。
その後ろに続こうとした所で、雪那が俺の腕にそっと手を回した。
「エスコート。紳士の義務よ」
顔を赤くしながら前を向いて告げる雪那に、思わず心臓の鼓動が高鳴った。
ふむ――ならばせっかくだ。
紳士風にいこうじゃないか。
紳士的な笑みを浮かべ、肘を少しだけ立てて俺は言う。
「イエス、マム」
「それ違うわよ……」
ツッコミは呆れと共に飛んできた。
「あれ、違ったか。まどもあぜる?」
「……はぁ。行きましょ」
ついにツッコミもなくなり、俺と雪那は会場の中へと足を踏み入れた。
会場の中は結婚式の披露宴なんかで使われる様な広々とした会場だった。
やっぱりバイキングだ。
ビュッフェだかなんだか知らんが、立ち食いで自由に取れるアレだ。
天井からはシャンデリアが吊り下げられ、壁紙や天井は白で統一されているようだ。床にも赤を基調にした嫌味のない色合いの絨毯が敷き詰められていて、これぞまさにパーティー会場、といったよく分からない実感が湧いた。
正装した大人の男女達が談笑しながらシャンパンを片手に語らっている。
クルッと回ってる髭をしたおっさんとかいないかな。
是非生で見てみたい。
「驚いた。ずいぶんと著名な方々がいらっしゃってるわ」
「お、芸能人か?」
「んー、ちょっと違うわね。どちらかと言うと権力者とでも言えば良いかしら」
「……なるほど。つまり腹黒が多いんだな」
「悠木くん……あまりこういう場でそういう事、冗談でも言わないでね……!」
雪那に腕を抓られ、俺は頷いて答えた。
さすがに俺だってそんなお偉方に睨まれたくはないし、今のはちょっとした冗談のつもりだったんだが。
「茅野くんどこに行ったのかしら?」
「さぁ……。まぁいいや、何か食おうぜ」
「ダメよ。最初に主催者に挨拶するのがマナーよ」
てっきり適当にスピーチでもするのを聞いてりゃ良いのかと思っていたが、違うのか。
「って事は、茅野くんもそれをしに行ったのかね」
「かもしれないわね。奥に行ってみましょう」
人が談笑している中を歩いて行くと、奥の方で外野くんと誰かが話し込んでいる姿が見えた。
その話している相手を見て――俺は思わず目を剥いた。
――まさか、とでも言うべきか。
それとも、どうして、とでも言うべきなのかもしれない。
茅野くんが話している相手の姿を見て、思わず息を呑んだ。
――あり得ない。
俺の感想はただただそんな一言に尽きる。
「……お、おい雪那、あれ、華流院さんだよな……?」
「……え、えぇ……。多分……」
そう、外野くんと話しているであろう相手の姿に、俺と雪那は驚愕を隠そうともしなかった。
何せそこに立っていたのは、戦闘民族さながらのDNAを持った華流院さんではなく、何が起きたのか、普通の女性とまではいかずとも少しふくよかな程度にまで進化し、お嬢様オーラを発している華流院さんがいたのだから。
少し似た程度の影武者か何かかと思ったが、どうやら違うらしい。
聞こえて来る声のトーンも喋り方も、まさしく俺の知る華流院さんだ。
「あら、永野さん、櫻さん。ようこそいらっしゃいました。今日は来てくれて有難うございます」
「華流院さん、お誕生日おめでとう。見違えたわ」
「櫻さん、ありがとうございます。少し弛んだ生活をしていたので、頑張りましたわ」
「少し……?」
「ちょ、ちょっと、悠木くん……!」
自信満々に言っている華流院さんにちょっとイラッとしたが、今日は許そうじゃないか。
雪那も止めてきたので、改めて言葉を選ぶ。
「ほんと、見間違えたかと思ったよ」
「ちょ、ちょっと悠木くん……!?」
「あぁ、そうだった。華流院さん、本日はお招き頂きやがりまして、恐悦地獄にございま――」
「――ゆ、悠木くん! さっきから本心がかなり全面的に出てるから……っ!」
雪那に腕を引っ張られ、耳元で囁きながらツッコミを入れられた。
そんな俺と雪那を見て、華流院さんは口元に両手を沿えて目を丸くしながら「まぁ!」とか言いながら頬を赤くした。
「相変わらず、と言うより、以前に増して仲がよろしいんですね、櫻さん」
「そ、そういう訳じゃないけど……。でも、色々話したりもしたかな……」
「腕を組んでいる姿もお似合いですし、羨ましいですわ」
「え、あ……」
今も俺の腕に沿えられている雪那の手を見ながら、華流院さんが笑みを浮かべる。
「エスコートするってのが紳士の務めらしいからな。それに、ハイヒールで歩きにくそうにしてるしな」
「え……ゆ、悠木くん。気付いてたの?」
「まぁ見てりゃ分かるだろ」
いつもハイヒールなんて履いてなかったし、視線も何度も足元に向いていた。
それを見抜いてそんなところだろうと当たりをつけただけだ。
基本モテたい俺はそういう所をしっかりとチェックしている。
なんとなく気付く、なんて言い出しそうな巧とは違うのだよ。
しっかりと計算しているのだよ。
「永野さんは紳士ですのね」
「俺が紳士だとしたら、世の中の紳士はみんな下心が満載……あり得るな」
「っ!? し、下心……?」
俺の言葉に雪那が声をあげた。
「あぁ、無論だ。それと、華流院さん。マナー云々は雪那と茅野くんは分かるみたいだけど、俺は知らないんだ。適当に目立たない所に避難するけど、つまらないって訳じゃないから」
「ふふ、お優しいのですね、永野さん。所詮は私の誕生日パーティーという席ですので、気になさらなくてもよろしいのですけど、有難うございます」
「どういう意味?」
「まぁ! アナタはもうちょっと永野さんを見習うべきですよ、卓さん」
外野クンに華流院さんが声をあげる。
名前呼び……。
そうか、もうすでに外野くんは標的として確実に捕捉されているのか……。
「それじゃ、誕生日おめでとう。今日聞いたばかりで俺と雪那はプレゼントとか用意出来てないんだ。今度何か用意しておくよ」
「いえいえ、来て頂けただけでも十分なプレゼントですわ」
「じゃあ、俺も……」
「その前に卓さん? どうしてお二人が今日聞いた、と仰っているのか。説明して頂きますよ……?」
「ひぃっ!」
良かった。
見た目が普通になっても戦闘能力は健在だ。
外野くんの情けない悲鳴を耳にしながら、俺と雪那はその場を後にした。
俺と雪那は華流院さんの学友だと分かったのだろう。
特に誰かが話し掛けて来るという事も少なく、適当に食事をして退避するポジションを探す。
途中、スピーチとやらが始まってグラスをテーブルに置かずにいたら、雪那に怒られたが。
ホテルのテラスに出る窓が開放されていたので、飯を食った俺はそちらに退避していた。
雪那は化粧直し、とやらだ。
お花を摘むというヤツだな、瑠衣のおかげで学んでいるとも。
「……はぁ……、疲れた」
思わず独りごちる。
慣れない場にいたせいか、すっかり身体が固まってしまった。
そんな俺と少し離れた所で、ドレスを身に纏った女の子がそちらでも嘆息し、俺の方に顔を向けた。
室内から漏れて来る光の外にいるせいか、顔もしっかりと分からないが、恐らく目が合っている。
そしてその子は、ふと耐えられなくなったのか笑い出した。
「ごめんなさい、つい。私もこういう場が苦手で、あなたの呟きが聞こえたら何だか力が抜けてしまって……」
「あー、気にしないで下さい。てっきり俺の顔に何かついているのかと思いました」
「そんな事ないですよ」
一歩二歩と歩み寄って来た少女の顔が、室内から漏れる光に照らされて浮かび上がる。
「外国人……?」
そこに立っていたのは、灰色――というよりもアッシュカラーとでも言うべきか、長いストレートの髪の女性。
髪より少しばかり黒みがかり、それでも同系色を思わせる瞳。
正しく外国人といった容姿の、綺麗な女性だった。
「母がアイルランドの出身で、母の血が濃いですけどハーフですよ。そちらは園美さんのお友達、ですか?」
「あ、えぇ。同じ学園で、寮で親しくなってまして」
「寮生……、なら成績も優秀だったのですね。学年は?」
「二年です」
「あら、同い年だったんですね」
外国人とは思えない程の流暢な日本語で、女性は答える。
「あ、ごめんなさい。私は美堂レイカ。園美さんと貴方と同じ学園に通う、二年生です」
「聖燐の……?」
「えぇ。って言っても、今年の春に転入したばかりですけどね」
ハーフの綺麗な女性。
そんな生徒がいるなんて俺も聞いた事がなかった。
聖燐学園の生徒の綺麗な女子となれば、鈍感系主人公体質の巧の親友である俺が知らないはずがない――と、言いたい所だが、そういえばそれは二年になってからはあまり発揮していなかったか。
あいにく、俺は寮生で読書部。
情報が入ってきにくい環境で、交友関係も別に広くないしな。
「それで、あなたの名前は?」
「あぁ、永野悠木、です」
「……せっかくこうして会えたのだし、同い年なんだから敬語はなしでいきましょ。私もその方が楽だもの」
「……だな。改めて、永野悠木だよ」
「ユーキ……。どんな字か、教えてもらっていいかしら?」
外国人ならではのコミュ力か。
気楽に言ってくれる。
それにしても字に興味あるなんて、外国暮らしが長かったのか。
「悠久の悠に木々の木だ。って、言って分かるか?」
「……えぇ、もちろん。ありがと。それじゃあ、私は先に戻るわね」
「あぁ、うん」
「また会いましょ、ユーキ」
気安く名前を言って、美堂レイカと名乗る少女は中へと入って行ってしまった。
やはり名前で呼ばれるのは、何故か心が踊る。
俺安定のチョロさ。
しかしウチの学園、ハーフの生徒なんていたのか。
ずいぶんと綺麗な人だとは思ったけれど、チェックしていなかったな。
しかしさすがはハーフか……。スタイルが外国人を物語っていた。
何がとは言わないが。
「悠木くん、お待たせ」
「あぁ、雪那……って、お前なんでそんなに顔真っ赤なんだ?」
「……? そうかしら……?」
ほーっとした表情で戻ってきた雪那が、手に持っていたグラスを見る。
「……何飲んでんだ?」
「んー?」
「ちょっと貸せ」
雪那からグラスをひったくり、中身の匂いを嗅ぐ。
これは、どう考えても赤ワインだ。
「……雪那、これワインだぞ」
「……飲んじゃった」
「水もらって来てやるから、ちょっと待ってろ」
まったく、酔っ払って潰れるとかそういう定番イベントに入るのかと思ったら、ワインを飲んでいた事に気付いて血の気が引くなんて、どんなイベントキラーだ。
せめて呂律が回らないぐらいまで潰れてくれればちょっとはイベントがあっただろうに。
そんな事を考えながら中へ入ろうとした所で、雪那が俺の服の裾を引っ張って止めた。
「ねぇ、悠木くん……」
「どうした?」
振り返ると、雪那が赤い顔で俯いていた。
……これはあれだろう。
酔っ払っちゃったイベントの大定番で、爆弾発言でもするんだろう。
うるんだ瞳でこちらを見上げた雪那は、静かに口を開く。
「私、私ね……」
「うん」
夏休みに入って、俺はついにこの距離を詰める事になるんだろうか。
来るか、俺のイベント。
「………………気持ち悪い」
「知ってた! 知ってたよ! どうせそんな事だろうと思ったよッ!」
近くのテーブルにワイングラスを置いて、俺は雪那を抱えてトイレへと向かう事になったのであった。