#001 巻き込まれた二人
――――夏休み。
一ヶ月以上もの長期休みというものは、普段は抑制されている欲望やらを含めて学生がハメを外すには十分な期間だと言える。その反動もあってか、八月の最終日が近付くに連れてとんと学生が街から姿を減らし、宿題のラストスパートに精を出すという何年も受け継がれていた伝統的な行事を含め、それは通年の流れというものだろう。
八月に入って、まだ間もない。
俺と雪那は夏休みの宿題を八割程度まで終了させ、空調の直った寮の食堂でノートにシャーペンを走らせていた。
そんな俺達の方へと向かってくる、一人の生徒。
横目でちらりと見ただけであったが、どうやらそいつは俺達に用事があるらしく、俺達の座る四人掛けのテーブル、空いている椅子へと腰を下ろした。
必然的に俺達はそんな闖入者である生徒へ、「邪魔だし誰だよ」と言わんばかりの目を顔へと向けて――同時に目を見開いた。
「永野、櫻さん。久しぶり」
「……えぇ、久しぶりね。どうしたの、その頭」
「ふふふ。いやぁ、地元に帰って、友達とノリで染めちゃってさ。あ、これ俺からお土産」
「あら、ありがとう」
そいつは不慣れな髪色の脱色に失敗し、カラーを入れていないせいかどうも下品に見える赤茶の髪を自慢げにアピールしてきていた。
ムラのある色合い、染め具合というなんとも情けない姿をした、外野の聖人――茅野くんその人である。
どうやらこいつ、俺と雪那の「あぁ、こいつやっちまったな」と言わんばかりに向けている生温い視線にも気が付いていないらしい。
「あぁ、気になる? 気になっちゃう? いやー、髪染めたのはなんて言うか、気分転換って言うのかな。まぁほら、ちょっとしたオシャレみたいなものだよね。真っ黒っていうのもちょっと芋臭いって言うかさ。夏だし、ね」
「そ、そう」
「どうかな? 俺的には結構――」
「茅野くん」
「ん? どうしたんだよ、永野」
珍しく俺が苗字をちゃんと口にした事に僅かに驚きつつも、外野くんはそんな俺にまで髪の毛の感想を求めているらしい事は、ニヤニヤとした表情から見て取れる。
ここは一つ、俺も彼に感想を伝えるべきなのだろう。
「髪染めたからって馴れ馴れ鬱陶しい」
「っ!?」
「ゆ、悠木くん……。それはさすがに……」
「いいや、こういう奴には言ってやらないとダメなんだ。似合わない奴が髪を染めてカッコ良くなる訳がないだろう、雪那。そういう勘違いをして、むしろ痛い方向に転ぶ事があるって事実に気が付く前に、感想を求められたらしっかりと答えてやるべきだ」
…………。
「例えばな、雪那。華流院さんの髪型は百歩……万歩ぐらいは譲って良しとしよう。黒い髪でゆる……ふわ……? ……まぁ地味ドリルだ。だが、もしあれが金色になってフリフリのドレスを着ていたら、さすがに痛いだろ? 喋り方はお嬢様だが、見た目は戦闘民族か何かだ。そういうのが許されるのは色白美少女であるという但し書きが必要になる」
「……そ、それはそうかもしれない、けど……」
「この聖燐学園に在籍しながら、しかも特待生でありながら髪を染めた俺、ちょいワル系とか思ってるコイツの考えはいちいち聞かなくても分かる。夏休みだからってハメを外したい気持ちは分からなくはないが……似合ってるかどうかは別だ!」
「っ!?」
机に拳を打ち付けて断言する。
気分はさながら、ドラマの中の裁判官に訴える弁護士だ。
「加えて、そんな痛い見た目になっただけなら、俺と外野くんの関係性から見ても“あぁ、馬鹿な真似したな”と見て見ぬふりをしていてもいいだろう。そんなに親しくもないし。だが、そんな見た目に誘発されるように、中身まで馴れ馴れしく、この鬱陶しい態度ってのはいただけない」
「ゆ、悠木くん……? ちょっと落ち着いて、茅野くんの目が涙目だから……」
「おい雪那、これは義務なんだと思うぞ。夏休みの間に大人の階段を昇ったと勘違いして、夏休みが終わったと同時に、周囲からの印象では“ただの勘違いで面倒臭い馬鹿”でしかないという現実に直視する前に、せめてここで、オブラートに包んで言ってやるべきだと思わないか。もちろん、こんな事あまり声を大きくしては言えないが」
「ゆ、悠木くん……! 目の前にいる相手に言うのは声を大きくして言うのと同じなんじゃ……! オブラートに包まれてすらいないわよ……!」
………………。
「あぁ、まだいたのか、茅野くん」
「お、お前って……! お前ってヤツは……!」
「と、言うのが俺の本心であって、建前上はこう言わせてもらおう。……んんっ……。まぁ、いいんじゃないか? 夏なんだし」
咳払いして立ち上がり、肩に手を置いてそう告げる。
それと同時に茅野くんは椅子から立ち上がり、走って部屋のある階段を駆けて行った。
まったく、認められたぐらいでそんな感極まって走って行かなくてもいいのに。
ウブな奴よの。
「……悠木くんのその毒舌って、心を抉るなんてものじゃないわね。心を粉砕しているように見えるわ」
「よせよ、照れるじゃねぇか。一撃必殺は相手を思った上での情けだ。それに、こうして俺が言ってやった事でアイツは恥をかかなくて済むのさ」
「き、聞こえはいいけど容赦ないだけよね、それ……!」
バレたか。
まぁ外野くんが間違った方向にデビューした件について、しっかりと現実を意見しておいてやったのは、俺なりの優しさだと思っておいてほしい。そういう事にした。
「それにしても、ウチの学園って髪染め許可してたっけか?」
「えぇと、過度な染め方は禁止しているわね。少しぐらいなら許容の範囲みたいよ」
改めて椅子に腰掛け、俺は雪那に問いかける。
そういえばウチの学園は黙認している節があったな。
聖燐学園は基本的に、お嬢様学園のレッテルが貼られているし、髪色やら服装やらに対する指導は厳しい方だ。
が、共学化するにつれて規制も少しは緩和した傾向がある。
というより、俺もどちらかと言うとネクタイは慣れなくて少し首元を緩めているしな。
まぁ、だからと言って不良に憧れた挙句、「俺、聖燐なのに不良やってるぜ」みたいなヤツはいない。
加えて、ヨーヨーを凶器にする女子もいない。
そういう時代錯誤な者は、自分だけの道を歩いているような顔をしているが、ただ孤立し、除外されているだけだ。
当然、そんな間違った方向に進むヤツは自ずと減る。
聖燐学園でそんな頭の悪い方向にはっちゃければ、必然的に指導からの停学退学コンボでフィニッシュされるのが関の山だろう。
「ふーん……。でも、雪那も沙那姉みたいに茶色くしたら似合うかもな」
「そうかしら? あぁ、そうそう。姉さんで思い出したんだけど、この夏は昔住んでいた家に泊まるから、暇潰しに付き合ってって言われたわね」
「へー……」
「……他人事みたいな返事だけど、多分悠木くんも含まれてるわよ」
「え、俺も雪那の家にお邪魔するのか?」
「違うわよ……。暇潰しに付き合うって方」
「まぁ構わんが」
沙那姉と雪那、それに俺か。
確かにあの夏はそれが日常だったりもしたし、沙那姉とはあの日以来、スマホを使って何度かメッセージのやり取りはしている。別に気まずいって事もないのは確かだが。
「あ、茅野くんが戻って来た」
「は……?」
振り返ると外野の聖人がこちらに歩み寄って来ていた。
何やら先程とは打って変わって真剣な面持ちである。
「永野、櫻さん……。ちょっと相談があるんだけど」
「断る」
「聞いてないのに!?」
「いや、相談って言われても……。茅野くん、非常に言い難い事ではあるんだが、残念ながら俺には力になれないんだ。お前の女装癖に対するアドバイスなんて、俺には……」
「俺女装癖なんてないよっ!? 何でそんな設定盛られてるわけ!?」
「ゆ、悠木くん、話が進まないのだけれど……」
失敬な。まるで俺が脱線させたみたいじゃないか。
否定はしないが。
「それで、茅野くん。相談って何かしら?」
「さ、櫻さん……! 綺麗なだけじゃなくて優しいなんて……! ありがとう、相談乗ってくれて」
「いえ、乗るとは言ってないけど? 聞かなきゃ始まらないもの」
「っ!?」
上げて、落とす。
なるほど、俺はまさにそれを見た気がする。
「いいからさっさと吐け。楽になるぞ」
「俺は何かの犯人なの!?」
「バカ言うな。まったく……。犯人じゃなくて容疑者に言うセリフだろうが」
「そこなの!? ツッコミはそこなの!?」
「ねぇ茅野くん、早くしてくれないかしら? 私達、こう見えて宿題を進めていたりもするから、事と次第によっては邪魔しているようにしか思えないもの」
「お、お前らって……! お前らってヤツは……っ!」
わりと辛辣な雪那の一言に、外野くんはとある相談事を持ちかけてきたのであった。
その日の夕方。
俺と雪那、それに外野くんは制服――ではなく、パーティー向けのフォーマルな正装に身を包み、生まれて初めて乗るリムジンとやらの中で沈黙を貫いていた。
「……ねぇ、悠木くん。華流院さんの誕生日パーティーに、どうして私達が招かれたのかしらね? それも半ば強引に、こんな服まで用意されて」
「それはだな。どっかの男が誕生日パーティーに誘われて、俺と雪那を引き合いにして断ろうとした結果、俺達まで巻き込んだからだと思うんだ」
「……そう」
黒いスーツの俺と、深紅のワンピースタイプのドレスに身を包んだ雪那。
じっと外野クンに目を向けると、外野クンが目を逸らした。
「……それにしても、悠木くん。せっかく正装しているのにその髪の毛どうにかならなかったの? それに首元のネクタイも外しちゃってるし」
「無茶言わないでくれよ。俺はこういうの着慣れてねぇんだから。というか、茅野くんよ。そんな頭で大丈夫か?」
「大丈夫じゃない、問題だらけだ……。せ、正装で茶髪って……なんか、なんか……!」
「馬鹿なお坊ちゃんの痛々しい反抗期みたいで、実に不似合いな見た目だな。おっと、大丈夫、口にしないから」
「言ってる! 言ってるから!」
華流院園美、十七回目の誕生日パーティー。
今、俺達はそれに付き合わされる為に、華流院家の迎えのリムジンに乗っているのだ。
――事の発端は夏休み前。
外野くんが、かの戦闘民族である保護者かペットの方に誘われた事がきっかけだったそうだ。
華流院何某さんは、どうやら「学園の友達を呼びなさい」と彼女に戦闘民族のDNAを余すこと無く伝えた親御さんに言われたそうで、外野くんに白羽の矢が突き刺さったそうだ。
その時、夏休みは寮にいるという俺と雪那の名前を出し、引き合いに出して断ろうと画策。
それが何故か一緒に行くと受け取られ、そのまま誤解を解けずに今日を迎えてしまった、と。
しかし夏休みが始まると同時に、外野くんは帰省。今日まですっかり忘れていたそうだ。
そうしてさっき、俺の親切極まりない優しい助言に感極まって部屋へと戻った外野くんのスマホが、鳴動した。
華流院何某さんから、今日の準備をさせる使用人達を寮に送った、というものだったらしい。
結果として、俺と雪那は外野くんの説得に難色を示している最中に華流院家の使用人達が登場。
あれよあれよと言う間に俺達は仕立てられ、着替えさせられ、断る事もできずにこうして拉致られた、という訳だ。
「……それにしても、パーティーねぇ……」
「さ、櫻さんはパーティーとか行った事あるの?」
「お父さんとお母さんの会社でやっている事もあったみたいだけど、そういうのはお姉ちゃんに任せっきりね。そもそも華流院さんの家みたいな伝統ある家とはその規模も違うでしょうけど」
そう言えば、雪那も化粧品メーカーの社長令嬢、ってヤツだもんな。
そう考えると、ウチとは大違いだな。
「って事は初めてのパーティーが拉致まがいのパーティーって訳だな。俺と一緒だな」
「悠木くんも?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
遠回しな皮肉に、外野くんの謝罪の声が飛んだ。
「それで、茅野くん。パーティーって行った事あんのか?」
「あぁ、ウチはそういうのたまにあるけど、櫻さんと同じで兄貴任せなんだ」
「……は? そんな家に住んでんの?」
「う、うん。というか、聖燐の寮生ってそういう生徒が多いと思ってたんだけど、永野……くん、は違うの?」
さんざん俺がくん付けして呼んでいるせいか、彼の心が折れたらしい。
呼び捨てが解消された。
「俺がそんなお坊ちゃんに見えるか?」
「……見えないわね」
「まぁ、そういう事だ」
外野くんも頷いてやがる。
お前にまで頷かれる筋合いはないんだが。
「そういえば悠木くんの家の事って、聞いた事ないわ」
「ま、普通だよ。それにしたって、今日は何をどうすりゃいいのかね。パーティーっつったら、立ち食いのバイキングみたいなヤツ? それともディナーショー的な着席?」
「た、立ち食い……。誕生日パーティーはだいたい立食式が多いらしいわ。ただ、華流院さんの家は格式ある華道家の家って聞いてるから、想像できないわね」
「洋風の正装だし、どこかのホテルでやるって聞いてるから立食だと思うけど……」
「あぁ、バイキングね……」
………………。
「ゆ、悠木くん? 立食パーティーよ」
「え? 自由に取れるヤツだろ? バイキングみたいな」
「バイキングって言うとすっごく安っぽく聞こえるから……! せ、せめてビュッフェとか……」
何が違うんだ。
言い方か?
この前、トイレに行く時に瑠衣が花を摘むとかのたまわっていた、あれみたいなもんか?
「ま、食えればいいわ」
「……そ、そうね。悠木くんなら、きっと何とか口八丁な感じでどうにかするだろうしね……」
「おい聞き捨てならないぞ」
まったく、人聞きの悪い。
そんな事を話しながら時折外野くんをからかい続け。
俺達はようやく会場へと到着したのであった。