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正しい悪魔の飼い方 作者:庚 真守
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半陰陽の悪魔のこと

「亡者どもは望んで、ここへ来た」
 静かな口調で、アスタロトは言った。

 ――望んで、ここへ来た。

 アスタロトの言葉を頭の中で繰り返し、咀嚼する。
 まったく判らない。
 地獄の公爵は、あたしを振り返って、うっすらと微笑んだ。

「判らぬという顔をしておるな。人は皆、己が思うままに生きる。死んだ後さえそうだ。わしがそなたの前に現れたのも、そなたが望んだことじゃ」
「望んだ覚えはないわよ」
 すかさず、言い返してやった。
 悪魔を望むなんて、よほどのオカルトマニアではないか。あたしは、怖いのは苦手だ。

「地獄を望むは、生前の罪を誰かに罰して欲しいがため」
 あたしの言ったことに答える気はないのか、公爵は囁くように続けた。
 まろやかでよく通る不思議な声だ。
「いわばここは、人々の楽園。己の贖罪をここでなくして、どこでできるというのか」


 アスタロトの言葉にあたしは混乱する。
 子供のころに見た菩提寺の地獄絵図そのままの光景がここにあるという。
 寺の地獄絵は、本堂に掛けられ住職が絵解きをしてくれる。
 鮮やかな彩色は、血腥く恐ろしかった。
 今も絶えず、亡者は地獄の鬼に責められ続けている。
 だが肉体を持たぬ魂たちは、どこか人形のようにも見えた。
 公爵のそばにいて、守られているだけで、恐ろしい世界とは隔絶されているような錯覚があたしのうちにある。

 だが、やはり怖い。
 今さらながらあたしは、アスタロトを恐れた。
 もし、アスタロトの手が離れたら……。
 生きながら地獄へ流されてしまった人間はどうなるのか。
 不安はしだいに肥大していく。
 嗅覚が変になりそうなほどの壮絶な臭いは、なんだろう。
 耳をふさいでも、聞こえる亡者の恐ろしい声は獣のようだ。
 息が苦しい。
 瞼の裏側に閃光が走る。叫ぶのに声が出ない。咽喉が焼けるように熱い。



「ゆっくりと息をしろ」
 アスタロトに言われて、あたしは自分の呼吸が異常に早くなっていることに気づいた。
 深く息を吸い込む。
 体ががくがくと震えるのを、アスタロトは自分の身に着けていた裾の長いマントのような布で包んでくれる。
 抱きしめられると、それまで感じていた不安が少し薄らぐような気がした。
 女公爵の手が、優しいと感じられたからかもしれない。
 あたしは、アスタロトの胸に顔を押しつける。
 冷たい鎧の感触が、逆上せた今のあたしには心地よかった。

 地獄は九つの圏から構成されているそうだ。
 ある一つ場所から次の場所へ移る境界では、亡者も悪魔もいない。
 岩ばかりの曠野であたしは、ようやく息がつける。
 岩石の表面には蛇のような紋様があり、それがどこまでも続いくかのようだ。ときおり岩から、まるで溶岩が溢れるかのように炎が噴き上げる。

「キリスト教の神様って、罪人でも許してくれるんじゃないの。悔い改めても、罪は許されないものなの」
「許すも許さぬも……それを望むのは人そのものじゃ。ここへ来るのは、望む者だけに開かれた扉であって、望まぬ者には別の扉が開かれよう」
 アスタロトの金色の双眸が、地獄の炎で炙られて底から輝くようだった。
 なんて美しいのだろう。
 この異常な状況において、あたしの感覚はひどくずれていた。
 魔性の美しさというのは、やはり地獄の中にあってこそ際立つのではないだろうか。

 その眸の色に心を奪われた瞬間、あたしはアスタロトにくちづけをされていた。
 まるでついばむように。
 唇にそうされたのは、初めてのことだった。
 彼女は必要以上のスキンシップをしたり、あたしをからかうように額や手の甲にくちづけしたりしたことはあっても、唇だけにはしたことがない。
 つまり、一線を越えてしまったのか。
 だが、例え公爵が悪魔であったとしても。
 この場で頼れる者がこの女公爵だけしかいなかったとしても、あたしはそっちの趣味はないのだ。
 遠くで地獄の業火で焼かれる亡者の悲鳴が聞こえた。あたしはなおもアスタロトの漆黒の鎧にしがみつく。
 硬く暖かい感触。
 鎧だと思ってつかんだのは、公爵の胸だった。
 いつもはふっくらとして、柔らかく弾力のある丸い二つの胸がやたらと硬くごつごつして扁平だった。
 鎧や鎖帷子などではない。
 男の胸だ。

 ――どういうこと……?

 頭の中が、疑問符で埋め尽くされる。
 もしかしたら、これは公爵ではないのではないか。
 不安にかられて離れようとしたがたくましい腕は、あたしを放そうとはしなかった。
 優しいくちづけは、不意に強引で乱暴なものに変わった。
 あたしの唇を割るように、熱い舌が滑り込んでくる。
 思い切って口を開き、相手の舌に噛み付いてやろうとした。
 男は舌をひっこめ、ゆっくりと唇を放した。
 相手の胸に腕をつっぱって、少しでも離れようともがく。
 だが、あたしより頭ひとつ大きなその男は、よく見知った顔で……。

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