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ある旅人の手記 作者:まみや ろも
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コーヒーとカメラ

坂の多い街だった。

道路はきれいに整備されているが道幅が狭く入り組んでいるようにも見える。
起伏があるので見通しもあまり良くないのではないか。

到着したばかりのわたしとしては少々不安だ。
なにより、運転に集中して周りを見ないという事態は避けたいところである。
という言い訳をしたところで、見つけた駐車場に車を置いて歩くことにした。

歩くのは嫌いじゃない。

というかなんというか、深夜のテレビ番組で見た迷路のような街。
その中をさまよい歩くことにほのかな憧れがあった。
次から次へと曲がり道が現れ、階段をあがり坂道を降り、行き止まりを引き返し次の道を進み。
そうしているうちに、本当に迷ってしまった。
さまようことが目的なのだからこれはこれで本望なのだろう。

駐車場のある通りの名前は覚えていたので、このまま行き倒れになることはない。
ないが少し疲れてしまった。
そういえばこの街に到着するなり休憩もとらずに結構な時間を歩いていたはずだ。
どこかで一休み、と見回すとちょうど一軒の喫茶店が目に入った。
あまり大きくはない、かわいい感じの三角屋根のお店だ。


ここに決めよう。
カラン とドアが開いて カラン と閉まった。
店内は外から見る以上に古く落ち着いた雰囲気だった。
そして店主も。
かわいい感じどころかちょっと怖そうな老人だった。
それでもわたしは、怯えている事を少しも洩らさぬよう細心の注意をはらいカウンターに座った。


「観光かい?」


意外と、と言っては失礼だろうが、店主はとても穏やかな声をしていた。


「はい、ちょっと前に到着しまして」


わたしは店主の声に安心し、素敵なお店ですねーなどと言いながらコーヒーを注文した。
気が楽になると今度は店内の様子が気になってくる。
お客はわたしを含めて二人だけ。
カウンターの右端に若そうな女性が座っている。
どうやら読書中らしい。
入ってきたわたしを見ることなく、本に集中している。

音楽はクラシックを、レコードでかけているようだ。
たまたまなのか好みなのか。
曲は低音弦楽器がメインの協奏曲だった。
お店の壁には何枚かの写真が額に入れて飾られている。
それは風景だったり人物だったり。
そういえば店主の後ろの棚に、カップやグラスと一緒にカメラが一台置いてある。

これだ。
この話題でいこう。

会話の糸口が見つかるとなんとなくほっとする。
さて、マスターと呼ぶべきか?
しかしどうもそんな雰囲気ではない。
ここは無難に。



「ご主人は写真を撮られるんですか?」

店主は後ろをちらりと見ると。

「昔ね」

と短く答えた。

「わたしも好きで一台持ち歩いているんです」

リュックからカメラを取り出すと、店主に見えるように差し出した。
彼はきちんと断ってから、ゆっくりと慣れた手つきでカメラに触れ、そっと返してくれた。

「古いね」

「ええ、そのようです」

「貰い物かな」

「はい」

「いいカメラだよ」

「はい」

短い会話をしているうちにコーヒーが出された。
店主はカウンターの中にあるイスに座ったらしく頭の先しか見えなくなった。
少しの間、コーヒーを楽しむことにする。
味を語るほどではないが、コーヒーは好きだ。
野宿の時でも必ず淹れることにしている。

「昔ね、旅に出ていたことがあってね」

良い香りの湯気の向こうから声がした。
いきなりで驚いたが、行儀良くだまって聞くことにする。

「そこの棚にあるカメラと一緒に色々なところを歩いたものだよ
そして色々な写真を撮った
沢山の写真を撮っては自分の家に送ったんだ
目に入るもの、気に入ったもの
全ての思い出を残しておきたくてね
でも、ある時ね
たまたま家に帰ってきてその写真を見たんだが
思い出せないんだ
いや、もちろん思い出深い写真も沢山あったよ
でもそうじゃない写真も沢山あった
それからだね
旅先での写真は各地で一枚だけ
本当に心から残したいと思ったものに出会ったときだけ、シャッターを押すことにしたんだ」


そして店主は、店内に飾られた写真の一枚一枚の思い出を話してくれた。
よい話もよくない話もあった。
楽しい話も楽しくない話もあった。
でも、それらを全部話すことが出来るその思い出を いいな と思った。


「ご主人はいい旅をされたんですね」


店主は小さく笑うと。


「わたしのことはマスターと呼んでいただきたいね」


意外とハイカラだった。

と、カウンターに座っていた若い女性が本から顔を上げマスターに声を掛ける。

「おじいちゃん、ミルクティーおかわりちょうだい」

しかもアットホームな店のようだった。

「店の手伝いをしているわたしの孫なんです」

家族経営だった。
本当に本に夢中で気付かなかったらしい。
この街の大学に通っていて学校の先生になるための勉強をしているそうだ。

なんだかんだですっかり長居してしまった。
わたしはマスターとお孫さんに挨拶をし、店を後にした。

時々思うのだが素敵な喫茶店の中は時間の流れが違うのではないか。
思った以上に時間が経っていたようだ。
さて、これからどうしようかな。と考えていると、後ろから声がかかった。
先ほどのお孫さんだ。


「おじいちゃんがこれをあなたにって」

それは小さなバックいっぱいのフィルムだった。
これはありがたい。
素直に頂くことにしよう。
丁重に御礼を言わせてもらう。


「でも残念ね」

彼女はちょっとだけいたずらっぽく笑う。

「この街はとくに何も無い普通の街なんですよ
心に残るとか、そういうのとはちょっと無縁かな?」



そういう彼女の後ろには、素晴らしい夕焼けに染まる綺麗な街並みがあった。

「住んでいるとなかなか気付かないものですよ」

わたしはそう言ってカメラを取り出した。
旅先で一枚だけ。とは、ね。
欲張りなわたしには少し無理がある。
カメラをかまえると三角屋根の喫茶店をフレームに収めた。
慎重にピントを合わせる。
ただ、シャッターは一度だけ。
思い出のために押すシャッターは一度だけにしよう。
例えピンボケになっていてもブレていたとしても。
それがその時の、わたしの思い出なのだから。
それに大丈夫。



この写真のことはきっと忘れないだろうから。
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