薄暗い店内に浮かぶ淡いロウソクの灯り。粗末ながらも手入れの行き届いた木製のカウンターには、酒を飲む黒服の客と酒を注ぐ支配人の二人の姿が照らし出されていた。燭台から放たれるその淡い輝きを受けて、支配人の白い手がそっと伸びる。その手に残されたのは酒の注がれた透き通ったグラス。カウンターに腰掛けていた黒服の男は今ゆっくりとそのグラスを手に取り、一息に飲み干す。
「どうにも物騒な世の中になったもんだな、支配人」
空になったグラスに無言で酒が注がれる。
「この数ヶ月で十人以上も犠牲者が出てる。犠牲者は皆子供。その遺体からは皆首がもぎ取られてるときてる。なぁ、狂ってると思わないかあんた?」
黒服の男は注がれたグラスに手を掛け一気に飲み干した。
「注いでくれ」
黒服の男の言葉に支配人はふとグラスを拭く手を止めた。
「余計なお節介かもしれないが、今日はもう帰った方がいい」
気を配っての事なのか、無愛想にもとれる支配人の言葉に黒服の男は苦笑を漏らした。
「帰った方がいいか。悪いが今夜はここに泊めてもらおう。とことん飲みたい気分なんでな。さあ、注いでくれ」
男の言葉に支配人は諦めたように、酒を注ぐ。
その間、二人の間に言葉は無い。そこに居るのは注ぐ者と注がれる者、ただそれだけだった。
時は刻々と、静かに流れてゆく。
「あんたの眼、深いな」
ふと黒服の男が呟くように言った。
「まるで、幾度も人を殺めてきたような、そういう眼だ」
真顔でそう言い放つ黒服の男に、支配人は何も答えない。
「なんてな、冗談にもならん。十何年もこんな仕事やってると、どうも人を疑ってかかる癖があってな。まさか、連続殺人鬼がこんなところで酒場の支配人なんてやってるわけないな」
黒服の男はそう言うとグラスを置いた。
「どうも酔い過ぎたみたいだ。あんたの言う通り、今日は帰るとするか」
黒服の男が立ち上がる。
「一つ聞きたいんだが」
支配人はそこで口を開いた。
「仮に自分が殺人鬼だとして、あんたは一体何を得るんだ?」
支配人のその唐突な言葉に、黒服の男から酔いが一瞬醒める。その問い掛けは自身にいつも課していた事だった。この仕事で自らが何を得るのか、それは金か、地位か、名誉か、違う。
「信念だ」
その言葉と共に、黒服の男の身体が揺れる。身体に違和感を覚えた時には既に遅い。
椅子が倒れ、黒服の男はふらふらと身体を大きく揺らしながら、ついにはその場で崩れ伏せる。
「何を……飲ませた?」
視界の先で揺らめく支配人の影。
その言葉を最後に、黒服の男の意識はそこで途切れた。
男が再び眼を覚ますと、そこは窓一つ無い暗い地下室の中だった。酷く寒い。理由は明らかだった。着ていた衣服が身包み剥がされている。身体に不自由を感じ、ふと肢体を見ると、両手両足が鎖で繋がれていた。
どういう事だ、俺は何故ここにいる。思考を巡らせようと闇を見つめていたその時、闇の中から薄っすらと現れたその不気味な影に男は息を呑んだ。
真白な面に十字型の黒い縁取りがされた瞳、ちぐはぐなその面に不自然に浮かび上がる赤い鼻。全身を着余ったぶかぶかの衣装に身を包んだその道化の姿は滑稽というよりか、男にとって底知れぬ恐怖を感じさせた。
「今カラ三ツ、質問シヨウ」
どこからともなく響いてきた不気味な声。闇から現れたその声の主の姿に男は固まった。道化の片手に握り締められたているのは短剣、それが何を意味するのか、男はその答えを知ることを拒絶していた。
「俺をどうする気だ」
そう男が声を上げると同時に、男は悲鳴を上げた。
膝を襲った鋭い痛み、道化が握り締めた短剣は何の容赦もなく男の太腿に突き立てられていた。
「質問以外ノ答エハ認メナイ。嘘偽リ無ク答エル事ダ」
激しい痛みに襲われながらも、道化の狂気に男は言葉を失っていた。
「質問ソノ壱、ドウシテココヘヤッテキタ」
感情の読み取れない無機質な問い掛け。
その問いに男は、痛みを堪えるように言葉を漏らした。
「……ただ酒が飲みたかった」
男の答えに、握り締められた短剣が再び振り下ろされる。
苦痛の悲鳴が上がる。
「……本当だ、本当なんだ。ただこの付近で殺人事件が多発してるから俺は酒を飲むついでにたまたまここで話を聞いてみようと思っただけなんだ。あんたと話したのも全ては偶然なんだよ」
男は必死に弁明をする。
「もし……あんたを本当に殺人鬼だと思っていたのなら、ここで酒を飲むような真似は絶対にしない」
男の弁明に道化が再び口を開く。
「質問ソノ弐、今日ココヘ来ル事ヲ誰カニ話シタカ?」
その質問に男は咄嗟に思考を巡らせる。今日ここへ来た事は誰にも話していなかった。だが、ここで話していないと言えば、間違いなく殺されるだろう。男は生き残るためにただ残された選択肢を言葉にした。
「……話した」
道化の返答は無言だった。
「ここで俺が死ねば、きっとギルドの連中がここを嗅ぎ付けてやってくる。それは確かだ」
流れる静寂。
暫しの間をおいて道化は静かに言った。
「嘘ダナ」
その言葉に男の背筋が固まる。
「今オ前ハ、コウ考エテイル。ココデ話シテイナイ言エバキット殺サレル、ト。サッキ、オ前ハ言ッタナ。ココヘ来タノハ偶然ダト。タマタマ来タ人間ガソノ場所ヲ他人ニ報告スルカ?答エハNOダ」
再び、短剣が振り上げられる。
「待て、待て!」
再び悲鳴が木霊する。
「最後ノ質問ダ」
道化は抑揚のない声でそう告げた。
「オ前ハ信念ト言ッタガ、オ前ニトッテ命ト信念、ドチラガ大切カ、答エヨ」
道化の言葉に押し黙る男。暫しの沈黙が流れる。
男はその静寂を切り裂くように一つの質問をした。
「一つだけ質問させてくれ」
道化は無言で男の質問を促した。
「その選択の一つには生きる道があるのか」
男の言葉に道化は一言答えた。
「約束シヨウ」
その言葉に男は唾を飲んで頷いた。これで生きる道は示された。あとは突きつけられたこの不条理な選択を残すだけ。
命か、信念か。どちらが正しい答えなのか。不様に命乞いをするべきか、それとも誇り高き信念を貫くか。だが信念のために殺される可能性もある。ならば命乞いをするか?神経を集中しろ。今この場で読み取れる全ての情報を読み取るんだ。この道化は俺に何を求めてる?
「時間だ」
そう言って道化が短剣を振り被った。
「待ってくれ」
もはや考えている暇はなかった。自らの命を守るために、男は一つの答えを出す。
「命だ!頼む、助けてくれ!」
その言葉に道化の腕が止まる。
―助かったのか―
ふと男が気がつくとそこは店の中だった。どうやらカウンターでいつの間にか眠っていたらしい。ついさっき感じた痛みも傷も何も残っていなかった。全ては夢だったのだ。
「お客さん、もう店じまいだよ」
支配人の声に思わず身を起こす。
「すまない。いつの間にか眠ってしまったんだな。迷惑を掛けた」
悪い夢を見ていたようだ。
黒服の男はよろよろ立ち上がると勘定を払おうと懐に手を伸ばす。
「どうにも、わからないね。そんなにボロボロになってまで、どうしてそんな仕事をするのか。そこに何があるんだい?」
「……信念さ」
黒服の男はそう答えた。だが、それは偽りの答えのなのかもしれない。
あの夢の中では自分は命乞いをしてでも、助かりたいとそう願った。自分の命を懸けたあの状況で出したあの答えこそが、自分の本当の姿なのかもしれない。
「いや、訂正しよう。俺の信念なんて所詮は幻想だ、自分の命にかえてまで人を助けたいとは願えない。俺にはこの仕事は向いてないのかもしれない」
黒服の男の言葉に支配人はただ黙って俯いていた。
「また、新しい仕事でも見つけるさ」
黒服の男は勘定を払うと、そうして店から去っていった。
そして店の中に残された支配人は、またいつものように濡れたグラス拭きの仕事へと戻る。
その口元に冷たい微笑みを浮かべながら。
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