76.温泉回(前)
時はイッシたちがラッガナイト城塞を占領した当初に遡る・・・。
「というわけで、敵がもっとも恐れていたのが水攻めだったということよ」
白髪の少女、歩く大図書館ことビブリオテーカは集まった参謀本部の面々に語った。
この場にいるのはイッシ、プルミエ、アルジェ、ナハト、マロン、クレール、ベルデ、フォルトウーナロッソ、アマレロ、マリゴールド、スミレ、そしてビブリオテーカの11人である。
わざわざこれだけのメンバーが集まっているのは、これがラッガナイト城塞占領作戦の第2段階に関する作戦会議だからだ。
彼らは楕円形のテーブルを囲み、様々な課題ついて意見を戦わせていた。
ビブリオテーカからはたった今、彼女の頭脳に所蔵される”ラッガナイト城塞都市戦争計画書”に基づき、敵がもしも城塞を攻めるならどういった方法を取るか、という点について説明がなされたのである。
「なるほど、遠見で見てはいたが、確かにこの街の地形はお椀の様に見える。納得できる話だ」
イッシが頷くとビブリオテーカは少し照れた様子で「はい」と答えた。
「もともと、この場所は沼地か湖だったようです。しかし何かしらの気候変動、または地殻変動によって何百年も前に水が干上がってしまったと言われています。その真偽はともかくとして、実際に水はけが相当悪い土地のようですね。治水技術の低かった頃は台風などで何十年かに一度、近くを流れるロラ川が氾濫を起こしては街を水浸しにしていたようです」
今は違うんだ? と質問するナハトに、少女は首を縦に振った。
「ええ。ロウビル公爵の代になってから、かなりお金を掛けて護岸工事をしたらしいわ。もちろん、領民のためじゃないわよ」
彼女の言葉にスミレが口を開く。
「なるほどな。その話がさっきの説明につながるんだな? ロウビル公爵はラッガナイト都市が水に弱いことを知っていた。河川を利用した水攻めは基本だもんな。防衛のために大規模な投資をしたってわけだ」
そういう事ですわね、とマリゴールドが言う。
「先ほど透明化致しまして、ベルデと一緒に現地を拝見してまいりました。本当に念入りに工事がされてましたわ。あれを敵が破壊するのは、なかなか骨が折れるでしょうねえ」
「わたしたちにとってはー、ありがたいはなしだー。てきからのーみずぜめはー、かんがえなくてだいじょーぶそーだからー」
ふむ、とアルジェは頷く。
「もし水攻めを受けたら、ここの城塞は陸の孤島じゃからのう。普通なら干上がってしまうか」
「そう言えばジルムの町から遠見していた時、ロラ川周辺に毎日見張りが立っていたわね。アレって水攻めを警戒してたんだ」
フォルトウーナロッソも思い出したとばかりに呟いた。
「まあ、水攻めの可能性はあまり考えなくても良いでしょう」
プルミエがまとめるように言う。
「そもそもラッガナイトには50万の領民がいます。戦争に勝つためとは言え、彼らを犠牲にする事はないはずです」
そうであるな、とマロンが同意する。
「民を大切にしているとは思えないであるが、税を治めるのは領民なのである。あまり減らすのは得策ではないのである」
「飯の種を自ら捨てる阿呆はいない」
クレールの言葉に、よく分かった、とイッシが口を開いた。
「水攻めはなさそうだ。その点について過度な警戒は不要だろう。むしろこちらの”アーク計画”がうまくいくかだ。気付かれないよう慎重に頼むぞ」
彼の言葉に参謀本部の面々が一斉に頷いた。
そうしてプルミエが次の議題を提示する。
それはラッガナイト城塞占領後の統治ビジョンであった。
議論は当然のように深夜まで及んだ。
・・・
・・
・
時は再び現在に戻る。時刻は夜明け前である。
本来ならばロウビル公爵軍との戦闘が始まっている頃だ。
だが、アルジェとタマモが遅滞作戦「蜃気楼」を成功させてくれたおかげで1日余裕が出来た。
これは極めて貴重な1日である。
明日の昼頃にはロウビル公爵軍が戻って来るが、それまでに全ての準備が整う見込みがついたのだ。
イッシもここ連日徹夜であったが、どうやら先が見えたと感じていた。
「さすがに少し休憩しないとな。ついでに彼女にも作戦を伝えとかないといけないし・・・」
まだみんな寝静まっている。
一方彼は魔神と融合した影響か眠気自体は大したことはなかった。
ただ、疲労感は募っている。
そんなわけで、彼はこの神聖なる場所へやって来たのだ。
ここはもともと公爵やそれに連なる者しか利用できない、城塞の最奥に位置する秘密の部屋である。
この習慣は異世界であっても欠かすことはできない・・・。
彼はおもむろ衣服を脱ぎ捨てると、布切れを片手にドアを開ける。
中は大量の湯気がモクモクと渦巻いていた。
もちろん、風呂である。
だが、さすが公爵家だ。イッシが住んでいた家の物とは桁が違う。
なぜなら、そこには何十人も入れそうな大浴場があったのだから。
「ラフィーティア、いるかい?」
イッシが湯煙に向かって問いかけた。すると奥の方から、
「はい、いっしさん。ここにいますよ」
と、しっとりとした声が返って来る。
彼が声の方へ近づいて行くと、湯船の縁に腰掛ける女性がいた。
もちろん服は着ている。だが肌が見えそうな程、薄い生地のものだ。
仕草はとても落ち着いていてしどけない。
少女のはずなのだが、実は人妻と言われても違和感がない雰囲気をまとった不思議な娘である。
彼女こそNo.0100のラフィーティア。ホムンクルスの少女たちの中でもっとも評判の良い娘である。
なぜならば・・・。
「このようなお時間にお越しになるとは少し驚きました。随分会議が長引いたのですね・・・。でも念のためお待ちしていて良かった。いいお湯加減になっていますよ」
なぜならば彼女のギフトとは、水をお湯に変えるものだからである。
そう、現在少女たちの間で話題沸騰中のお風呂は、ラフィーティアの力なくして成立しないのだ。
もちろん、自分たちで薪 (まき) をくべても良いのだが・・・。
「いつもすまない。火を炊くとどうしても熱すぎたり冷たかったりするからなあ。やっぱり君に沸かしてもらうのが一番だよ」
そう言うイッシに、少女は艶っぽく微笑んだ。
「今日もお仕事お疲れ様でした。このような事で喜んで頂けるのであれば、いつでも申し付けください」
彼女はそう言うと彼に椅子をすすめて、かけ湯を手伝ってくれる。
絶妙のお湯加減が疲れたイッシの心身をほぐした。