31.夜曲からのレクイエム
(我らに命じられた任務は敵の戦力についての情報収集。フルテライッシ、そしてホムンクルスどもについて、その規模や装備を調べてくることだ。だが、我ら斥候にはもう一つ役目が与えられておる。覚えているか?)
息を潜めた鷲鼻の囁きに、出っ歯は頷く。
(もちろんだ。斥候の任務は生還こそが第一の目的。万が一にも敵に捕まることは許されず、もし捕まれば情報を吐く前に自らの命を断ち切る)
そこまで言ってから、だが、と言葉を続ける。
(しかし、もしその万が一がなく、しかも決定的な一撃を与えるチャンスが到来する場合は、例外的に柔軟な判断を行っても良いとされている。つまり・・・)
そうだ、と鷲鼻が応じる。
(此度の潜入によって、相手が相当の間抜けでしかないことは既にわかっておる。だが、こうした情報を我らが持ち帰っても、賢き公爵様は必勝のため、多数の兵を揃えて出陣なさるであろう。しかし、此度の戦は自領の失地回復に過ぎず得るものはない。この戦費はそのまま税として無辜の民たちに重くのしかかる事になるであろう)
鷲鼻や出っ歯たちがこうした裏の世界の住人となったのも重税と貧困が原因であった。
だからこそ鷲鼻は今回のイッシの正義なき反乱が許せない。
理念も正当性もない彼の行動により、また何百、何千という民が飢えることになるのだ!!
そんな義憤にかられながらも鷲鼻は今後の方針について口にする。
(今回、我々が万が一にも捕まることはおよそ考えられぬだろう。元々は軍事機密に関する資料や敵軍の装備、規模といった情報を奪取し、離脱するつもりであった。だが、民をいたずらに泣かせる訳にはいかぬ)
そう言って熱のこもった視線を出っ歯に向ける。
出っ歯も「そうだな」心から同意した。
(今夜、殺ろうぜ。こうして敵の拠点に潜入していても警邏に一人として会わないぐらいだ。どうやら本当のマヌケらしい。足りない頭で世間を騒がせてしまったことには同情するが、残念ながらそれが許されるほど世の中は甘くも優しくもない。そのことを教えてやることにしよう)
(ああ、では行こう。おそらくフルテラ・イッシはディアン様の私室を使っているであろう。もうすぐ到着する)
二人の侵入者は風のよう早く、静かに廊下を進むと、敵の首魁イッシが眠っているであろう、ディアンの私室の前へ間もなくたどり着く。
鷲鼻は鍵のかかったドアをたやすく解錠し、するりと部屋の中へと忍び込んだ。
すると広い部屋の中に大きな天蓋付きベッドがあり、そこに一人の人間が毛布をかぶり眠っているのが見えた。
(これが永遠の眠りになることも知らずに愚かなことよ)
だが、プロは獲物を前に舌なめずりをする様な愚かな真似はしない。
鷲鼻はスルスルと床を滑るように移動すると、音もなく懐から毒の塗られたナイフを取り出す。
それはオーク程度なら一撃で仕留められる猛毒を塗った、まさに外道の武器であった。
しかし、鷲鼻の男はこの一撃が民たちを飢えから救う正義の鉄槌であると信じる。
(さらばだ、愚か者よ。次に生まれてくるときは私のように、ロウビル公爵様やご嫡男のサリュート様といった選ばれた方々に仕えることだな)
そして、ちょうど月明かりが部屋へと差し込む。
鷲鼻が振り上げたナイフがぎらりと光った。
男はためらうことなく、そのナイフを毛布の上からイッシへと突き立てた。
そうして、腹からは赤い液体がとめどなく噴き出し、口からも喉をせり上がってきたソレが溢れ出す。
鷲鼻は振り下ろしたナイフを見開いた目でまじまじと見下ろしたあと、更に下を見るようにして視線を移した。
そう、とめどなく腹や口から血を溢れ返らせているのは全て自分なのだ!!
腹を背後から突き破るようにして姿を見せた、銀色に輝く刃が容赦なく視界に映っている。
その時、背後におそらく自分を刺したであろう人の気配を感じた。
鷲鼻は目を剥くと、ギョロリとした目で後ろを振り向く。
だが、見たものが信じられず思わず叫んだ。
「グッ、グっ!! なっ、なぜだッ!! なぜ貴様ッ、裏切ったか!!!」
鷲鼻が目にしたのは、背後から彼に剣を突き刺した、仲間であるはずの出っ歯の男だったのである。
「あ、アレ? おかしいな、俺は何にもしてないのに?」
そう口にする男に、鷲鼻は激高する。
そして最後の力を振り絞り、ベッドに突き刺していたナイフを引き抜くと、
「巫山戯るなッ!! この裏切り者がぁぁあぁぁあああああ!!」
鷲鼻は腹に剣を突き立てられたまま、凄絶な表情で出っ歯の男へと襲いかかったのである。
「ぐげっ・・・あ・・・なんで・・・?」
眉間に猛毒のナイフを突き立てられた男は、すぐに神経を冒され、ものの数秒で地面へと崩れ落ちてしまう。
「はあ、はあ、はあ!」
裏切り者を粛清した鷲鼻も既に大量の血を失い、意識が朦朧とし始めている。
「そ、そうだ・・・フルテラ・・・イッシ・・・。あの狂人めは・・・確かに手応えが・・・」
うわ言のように言いながら、地べたを這いずるようにしてベッドへと近づくと、先ほどナイフを突き立てた毛布をなんとかひっぺがす。
「なっ、こっ、これは・・・ッ!?」
彼は目を見開いて思わず唸り声を上げた。
なぜなら布団の上に寝ていたのは、いつも見る顔・・・、そう死相を浮かべた自分の顔だったからである。
「な、なぜ、私が、一体・・・が・・・どう・・・ってい・・・」
彼は自分に一体何が起こっているのか最後まで理解できぬまま、その波乱の生涯に幕を閉じたのである。