第三十四章『よよよい、よよよい…』
「戦時中ではあるけれど、新年を迎えたことはめでたいですね。
本年もよろしくお願いしますよ。それと…ハイ、お年玉」
1942年、元日早朝、女中のセツとサチを少し喜ばせながら雑煮を食う。
作ってもらっておいて何なのだが…椿は雑煮はあまり好きではない。
子供のときはけっこう楽しみにしていたものだが、酒を飲むようになってからは
好みが変わったというか、酒とつまみ以外のもので腹を膨らませたくなくなったのだ。
平成になってからは食ってなかったはずなので、二十年ぶりの雑煮ということか。
会議があるのでお屠蘇は…普通の酒だが…一杯だけ。
セツとサチにも飲ましたところ、飲みつけないのだろう…二人ともたちまち頬を染めて
何やら声のトーンも上がったようだ。その風情は可愛くもあるのだが、
なにせ年がいってるので…椿のゾーンより五・六歳だけど…
街の風景は戦局が逼迫していないこともありそれなりの華やぎを見せている。
当時というか、昭和三十年代初期頃まで日本人にとってハレの日は正月ぐらいしか
なかった。バレンタインもクリスマスも大方の仏教徒にとりあまり縁のないものだった。
まあ、クリスマスにはキャバレーなどで三角帽をかぶって大騒ぎしたおとーさんが
土産に『寿司折り』を持って帰ったり、子供達がボール紙でツリーをこしらえて
風呂場の煙突に靴下をぶら下げたりはしたけれど…
キャバレーといえば、なぜか七月十四日のフランス革命の日を『パリ祭』として
おとーさん達が大騒ぎする風習があった。なにかというと大騒ぎするのはおとーさんと
子供達だけという時代だった。
紋付に山高帽をかぶったおとーさんが歩いている、半ズボンに足袋と下駄で丸刈りの
男の子が凧をかついで走っていく。どこかで見た眺め…ああ、まんが『サザエさん』の
1〜3巻ぐらいだ…波平とカツオ君だ…史実で連載が始まるのはそう遠いことじゃ
ないんだなあ。
総連でも、挨拶もそこそこに議事に入った。
予定されていた議題は対ソの外交戦略と本土防空システムの構築状況だったが、
まずは飛び込んできた『米太平洋艦隊動く』の報に話題が集中する。
想定内の事態であり、とるべき対応策は実施部隊である連合艦隊とも打ち合わせ済みであるが、
やはり緊張と興奮は押さえきれない。なにしろ相手は規模においてこの時点で世界最大の
艦隊なのだから。
「アメリカさんもやってくれますな。元日早々動き出して休みをくれないとは…」
「むこうはクリスマスの休暇を楽しんでしまったから…ということでしょう」
なんだかんだいっても、まだ余裕がある…いつこれが驕慢になるか…だが。
「全部隊とも既定の方針に基づき行動を開始しています。あとは各将兵の勇戦敢闘に
期待するだけですな」
海軍代表委員の豊田中将が広大な作戦海域を模した兵棋盤を見おろしながら言った。
いまや総連は大本営直轄の一大部局となっており、霞ヶ関のビルを一棟占有している。
太平洋の地図の上で敵味方の駒が刻々と変化する情報に基づき位置を換えていく。
動かしているのは海軍が採用した軍属の女性職員である。
「我々はその後をにらんで、するべきことを粛々と進めますか」
陸軍代表委員、史実ではこの世にいない永田鉄山中将が議事の進行をうながす。
それを受けて塚原二四三海軍中将が言葉をつないだ。
「本土防空は陸海軍共同で行うという基本方針の元に協議を重ね、機構の構築を
行って参りました。このたび東京を中心とした首都圏だけでありますが運用を開始する
運びとなり、私が本部長を拝命いたしました」
防空システムといってもこの時点では、関東各地の電探と陸海軍の航空基地を
直通電話で結び、指揮運用を一元化したという初歩的なものにすぎない。
電探の質量ともの向上とオペレーターによる空戦指揮という形態にいたるまでは
まだ時間がかかるだろう。
「陸軍の百里基地、海軍の厚木、木更津基地…そして陸海共用の羽田基地が
機構内にありますが、肝心の機体、搭乗員についてはまだお寒い限りです。
鍾馗、雷電という迎撃に適した機体は前線にとられてしまっていて数えるほどしか
ありません。隼、零戦についても同様で、とりあえずは旧式機とBマイナス程度の
搭乗員で訓練を行い練度をあげていくしか無い状況です」
「一式複戦が配備されると聞きましたが?」
「はい…『月光』が十六機…あ、これは海軍が夜戦用につけた名前で『屠龍』のこと
ですが、厚木の園田少佐から具申のあった改造を施しているので少し遅れます。
当面は百里に配備される陸軍の十八機だけ、それも新型機ということで慣熟には
それなりに時間がかかるかと…」
史実よりいくらかましとはいえ、これが大日本帝国の限界でもある。
救いは、懸命に進められている搭乗員の大量養成が結果を出してくる半年後ぐらいからは
機体さえ揃えば全体の練度…戦力の低下は押さえられるだろうということだ。
実際この世界の日本には練度が超Aといった熟練パイロットはあまりいない。
訓練でAまではいっても、その先は『実戦』という経験が必要だからだ。
日中戦争をしていない日本の航空隊に多数の歴戦の勇士が存在するわけも無く、
陸海共に少数のAと大多数のBプラスで占められている。
軍上層部には開戦にあたっての懸念材料にあげたむきもあったというが…
「これでいいんですよ。歴戦の勇士がたくさんいる国家というのは始終戦争をしている…
政治、特に外交が破綻してるということですからね…金もなくなるでしょうし」
椿はそう言って懸念を払い、さらに続けた。
「まずいのは一部の超Aと大多数のBマイナスあるいはCという構成です。
熟練パイロットでも戦えば必ず消耗しますから、そのときの急激な全体の練度低下は
致命的な結果をもたらしかねません。常に最大多数をBプラスに保つよう努力しなければ
なりませんよ。正面戦力だけでなく…Bがたくさんいれば、例えば退役した者を徴用しても
少しの訓練で後方の連絡や輸送の任務に就かせることができますから、全体の戦力向上を
考えたときには大いに有効でしょう」
アメリカがやるであろう、桁の違うパイロットの大量養成を思うとこころもとない
限りではあるが、それでもこの点は史実よりよっぽどましになるはずだ。
元日の会議はソ連への特使派遣を上申することを決めて散会となった。
兵棋盤上の駒同士がぶつかりあうまでには、まだしばらく時間がかかるだろう。
とりあえず今日は酒を飲んで…正月用に入手した刺身が楽しみだ…寝よう。
つづく
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