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○―――第1部.誕生編―――○

第1章.前世
 上杉謙信に生まれ変わる前、つまり前世の記憶について、おおまかに書いています。

※誕生編の脚注※
 この頃の越後では、府中お(たて)にすむ守護(しゅご)の事を『お館様(おやかたさま)』と呼び、府中春日山城に住む守護代(しゅごだい)を『御実城様(おみじょうさま)』と呼び習わしておりました。

※小説内では上杉謙信公が越後国主となった時に、『お屋形様』と呼ぶようになる予定です。

第1部.誕生編☆第1章.前世


 澄み渡る五月晴れの空に一陣の風が、墓前にそなえられた線香の清雅な薫りをくゆらせ吹きぬけた。

 静かに漂う時間に身をまかせ、そっと瞼をふせて手をあわせる。脳裏には、過去の回想が走馬灯のように浮かんでは消えていった。

 納骨の儀式がおわって、和尚やほかの家族が本堂へいった後も、私は墓前に佇んでいた。肩を遠慮がちにぽんぼんと叩くと同時に優しく気遣うような声がかかる。

「母さん、もう帰ろう」

 ふと我にかえり後ろを振りかえった私の目に、20代後半になった娘の美佐子の困った顔がうつる。

―――予想以上に長居してたから、心配でむかえに来てくれたのね。

「……待たせてごめんねえ。さあ行きましょう」

 小高いやまの中腹にたつ高台寺、その本堂へつづく登り階段をめざし、美佐子が片手に墓参用の桶を持って歩きだす。そして、私もつられて立ちあがり、彼女について歩きはじめた。

 その階段は、満開の皐月に色鮮やかにいろどられ美しかった。階段のなか程で、眼下に規則正しく佇む墓のむれを、ぼんやりと眺めていると、意図しないつぶやきが漏れてしまう。

「……いつか私があの世に行ったら、一緒にお茶でも飲みましょうね」

 数ヵ月まえ、私たち家族に使途不明の多額の負債をのこし、18年もの間行方不明になっていた元夫が、交通事故で入院したと一報がはいった。

 私は子供たちの反対の声をふりきって、元夫が収容されてる病院にかけつける。しかし元夫は、昏睡状態に陥ったまま数日のうちに、あっけなく亡くなってしまった。

「……母さん、ぼっー―として大丈夫?ごめんね、本堂へ早く行かないと、兄貴達が痺れ切らしてるかもしれないし」

「……あ。ええ、そうね。少し急いで行きましょうか」

 私は美佐子の声に促されてまた歩きだした。



 娘はふりかえりつつ、私を気遣いながら足早に歩く、その後ろ姿に幼かった日の娘の姿を、懐かしく重ねあわせた。

―――子供達がまだ幼かった頃は、笑い声のたえないごく普通の家庭だったのに。

 実家に反対されての駆け落ち結婚だったが。会社員の夫と私は、二人の子供にめぐまれて平凡な日々を送っていた。

―――今から思えばあのときは幸せの絶頂だったのかもしれない。

 私たち家族に変化が訪れたのは、ちょうど美佐子が小学校へ入学したばかりの頃だった。

 上昇志向の強い夫は、家族になんの相談もなく脱サラ。そして数ヵ月の修行へ行ったかと思えば、勝手に自宅を改装し、ラーメン屋をはじめる準備をする。

 もちろん貯金は店の改装資金で空っぽです。私は不安なきもちをおし隠し、破天荒だけどお人好しな夫の夢を、一緒に叶えようと開店準備にいそしんだ。

 あの頃の夫は未来の夢を信じ、目をかがやかせ『昇龍軒(しょうりゅうけん)』と名銘。作ったばかりの小さな店舗を、満足そうにみわたすのが常だった。

「俺も一国一城の主、ラーメン屋で一発あて成功してみせるぞ!」

 力強くいう夫の口癖をききつけ、たのもしくおもう反面、商売の先行きや子供たちの将来をおもい、不安な気持ちが、水辺の波紋のように広がり、私を弱気にさせた。

―――やはり不安は、つぎつぎと現実となり。私達を取り巻く環境も最悪の一途をたどる。

 始めたばかりの店は、明日の仕入れのお金さえつづかない。山下家の食卓にのぼるのは、店の残り物だけというありさまに胸が痛くなった。

 救いは、気に入って通って下さるお客様が、少しづつ増えていたことだけ。絶望的な状況のなかで、私はこの窮地を乗り越えなくては、夢は一生叶えられないと、なおいっそう仕事に勤しみました。


 一方夫は厳しい現実から目をそむけ、しだいに仕事を疎かにするようになり。あげく逃げるようにパチンコや競馬にのめり込んでいった。

―――夫はこの時期から借金を重ねていったのかもしれない…………。

 今から思えば、もっと早くに彼の状態を察して何とかしていれば、最悪の事態は防げたのにと、後悔がつのります。夫が放棄した店を支え続けることが、精一杯だった私に、何が出来たというのだろう。

 私達家族が地獄の淵に立たされたのは、ラーメン屋を始めて4年後のことだった。



 やがて私たちは、高円寺の本堂につづく広縁にでた。すると迎えに現れた孫たちが見えた。すぐに私たちを見つけた2歳になったばかりの美佐子の末っ子が、無邪気な顔で笑って呼ぶ。

「ばぁばぁ――…」

「あっちゃん―…」

 両手を広げふらふらした足取りで近づく孫を、腰をかがめながら両手を広げて受け止めた。

「ごめんね、待ちくたびれちゃったかな?」

 そして最近では良くなついてくれるようになった残り3人の孫たちも、そばに走りよってきた。私は、周りを取り囲こんだ孫たちに頬がだらしなく緩む。

―――ここ最近はかわいい孫と遊ぶのがゆいつの楽しみだもの。

 長男の息子が何か言いたげに、私のスカートを引っ張って遠慮がちに言う。

「ねえお祖母ちゃん、パパがさっきから怖い顔してるのは、ボクらのせい?」

 この少年は聡い子で、大人の態度にびんかんな反応をみせる子供だった。私は彼と視線をあわせ、優しく少年の頭を撫でた。

「きっとおばあちゃんが帰ってくるの遅いから怒ってるだけよ」

 すると傍で話しを聞いていた美佐子が憤慨ぎみに口を挟む。

「ああ……子供にまで変な心配させて、兄貴はいつまで拗ねたら気がすむんだろ。よし!!おばちゃんがガツンと言ってきてあげる!!」

 止める間もなく、ドシドシと床板を踏みしめて本堂に入って行く娘。私は慌てて孫たちを連れて後を追った。

すぱーんっ――――。

 ふすまを乱暴に開ける音が、本堂に響き渡る。つかつかと兄の克哉(かつや)の前に歩みより、ぐいっと兄の耳を引っ張る美佐子。

「いい加減にして!!いつまで子供みたいに拗ねてるつもり!!」

 憮然とした表情の克哉は、美佐子の手を振り払い耳をおさえた。

「痛いぞ美佐子…………あいつがお袋に迷惑かけるのが悪い」

 克哉は鼻柱にしわをよせて、さも嫌そうに低い声でボソリと言う。かたくなな兄の態度に失望して肩をすくめる美佐子。

「わざと痛くなるようしたのよ!……ねえ兄貴、周りの事を考えてよ!みんなが嫌な気持ちになるの解ってるの?」

参・義人side


―――ああ、なんだろこの雰囲気。

 突然、乱入してきた美沙子が、いきなり兄弟ゲンカをはじめた。二人とも良い年だというのに、大人げないだろと思いつつ、俺はお節介で頑固者の山下家独特の気質が、けっこう気に入ってたりする。

 だからって日常茶飯事に行われる、こいつらの兄弟ゲンカを仲裁するのは遠慮したい。小心者な俺は、愛須 義人(あいすよしと)と言います。そして、襖を狂暴に開けた美佐子の夫やってます。

 少し遅れ、孫達を連れて本堂に入って来た義母の山下 登美子(やましたとみこ)さんと目があった。や、やばい!!俺は義母の期待するような眼差しに弱いんだあ――――。

 とりあえず、夫として嫁くらい宥めてみようかと、二人を刺激しないようにそろりと近づいて、美佐子の肩を後ろから柔んわりと引き留めた。

「まあまあ……美佐子もおちつけ。義兄さんもきっと解ってるんだよ」

 俺は美佐子をなんとか宥めすかし、その場に落ち着いて座る様に勧める。一方の義兄を見ると決まり悪るそうな顔して、座りなおしていた。

―――やはり義兄も気持ちの切り替えが効かないんだろうな。

 俺は困惑と少し好奇心で、義母の顔をそっと伺う。意外にも優しい笑みを浮かべて二人を見ていた。この人の懐の大きさには、俺はいつも驚かされる。

 義母は孫達に、安心させるような笑顔を向けると、そっと俺に目くばせをして、子供たちを預ける仕草をしてみせる。きっと何か考えがあるのだろと、俺と義兄の妻の真理(まり)さんとで子供達を保護した。

 義母は落ち着いた素振りで、兄弟の間に何食わぬ顔で割って入って座り。各々の手を取り合わし、両手で包み込みんでいた。そしてさも嬉しそうに、ニッコリと笑うと鈴が転がす声で笑いだした。

 意外な義母の態度に、二人の兄弟は毒気の抜かれた顔を見合せ、少しだけ苦笑いを浮かべた後、ブフッと吹き出して笑いあった。終いには俺も義姉も側にいた子供達でさえも、安心したのか声をあげて笑っていた。

―――あの無愛想な義兄が笑ってる??この場を笑顔ひとつで変える義母は不思議な人だと思う。

四・義人side

 俺の聞いたところによると、義母の人生は波瀾万丈に充ちている。何百年と続く老舗の織物問屋の娘に生まれたと言ってたな。

 貧乏学生であった亡き義父と大恋愛の末駈け落ち結婚という当時では大胆な行為を成し遂げてしまう。

 まったく世の中が自由な気風の高度成長時代のなかにあっても旧来の因習に縛られた実家をよくも飛び出せたもんだと関心するよ。

 そして夫の裏切りとも言える行為にも屈せずに、持ち前のど根性でラーメン屋を存続させ。そのうえ、もともと商才があったのだろう、バブル期にはラーメン店を手始めに居酒屋なども経営し、昇龍軒を大手飲食チェーン店に押し上げてしまった。

―――驚嘆すべき偉業を成し遂げたパワーは、この小さい体の何処から出てくるんだろう?

 義母の堅実な会社運営と斬新な企画力、人材育成方法の巧さには多くの経済人からの支持を集めている女傑である。

 ちなみに現在は社長の椅子を長男克哉にゆずって、商品開発や仕入れのために海外を飛び回っている。まあ趣味と実益ってやつだろうな。最近は孫の面倒をみるのが楽しいらしく、めったに仕事はしなくなった。本当にごく普通の孫バカ婆ちゃんになってしまったようだ。

 俺達家族は義母が大好きだし、いままで苦労してばかりだったから、せいぜい長生きしてもらって、いっぱい親孝行してやりたいなと思ってたりする。



 ひとしきり皆で笑いあった時に、和尚さんが太った体を震わせて笑いながら近づいてきた。

「あははは……登美子さんご苦労様じゃったな。家族は仲良くせんといかんぞ」

 小じわの寄った目で悪戯っ子みたいに皆を見回す。

「あらいやだ……見てたのですか?和尚さんも人が悪いですよ」

 私は少し上目遣いに和尚さんを睨んだ。いったい何時から見ていらっしゃったのかしら?

 克哉がもっともらしく咳払いをし、美佐子が克哉の後ろに隠れようとしていた。

 兄弟の微笑ましい様子に、和尚さんと一緒にまた笑ってしまった。

 そして私たちは、和やかな雰囲気の中、納骨のお礼をすまし寺を引き払うことにした。

 帰り際、住職に呼び止められ暖かい労いの言葉をもらった。

「登美子さん幸せになったの……あの時に子供を置いて自殺しなくて良かったじゃろ。あんたも苦労したぶん、これからは第二の人生を楽しまなくてはいかんぞ」

 実はあの地獄の様な日々に負けて、自殺を考えた事がある。私たち夫婦を仲人してくれた和尚さんへ、子供達を託すため高台寺を訪れていた。

 思い浮かべた過去の追憶に涙腺が緩みそうになった。私は、言葉にならず深々とお辞儀して子供達の後を追いかけた。

「さぁみんな、納骨も終わったから美味しい物でも、食べに行きましょう。何がたべたい?」

 家族それぞれが食べたい物を挙げていく。みんなの声を聞きながら幸せを感じていた。

―――しかし運命の女神のいたずらか本人の思枠をよそに、大きくきしんで回りはじめた。

 奇しくも元夫の納骨式の帰り、車道へとびだした二歳になる孫をかばって、大型トラックに接触し即死。山下登美子享年62歳。

第1章、前世[完]


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