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未定  作者: iRije
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第13章 分胡本

 いつものように、自然に目が覚める。いつもと違ったのは、それが少し早かったことだ。時計は4時30分を指している。早く目覚める朝がないわけではない。しかし、今日はそのどれとも違う感じで、二度寝する気にも、起き上がる気にもなれない。昨日寝つきが悪かった割には眠気も残っていないが、すっきりとしているというのとも違う。理由はわかっている。あんな訳の分からない取引を受けてしまったうえに、今の僕はあらゆることに気持ちの整理がついていない。心のもやもやはときに、肉体にも影響を与える。身体全体が何か居心地の悪さのようなものを感じてどうしようもなく、体をひねったりしてみたが解消されない。

 仰向けになったままで天井をじっと見つめる。なんとなく体勢を変えて今度は壁を見つめてみる。何も起こらない。当たり前だが、それがなんだかとても不安で、布団を頭までかぶって丸くなる。

 こんな時は、何か考えたほうがいい。余計なことを思い出さず、意味のないことを考えよう。この間読んだ文庫本の話を思い出した。確か、虎義竜(とらぎたつ)とかいう物騒な名前の作者だったのを覚えている。枕元に置いてあったかもしれないと思い、再び布団をめくる。目覚まし時計などが置いてあるベッドの小さな物置スペースに手を伸ばしてみるとすぐに見つかった。読書灯をつけて文庫本の背表紙を見ると作者名が竜義虎(たつぎとら)であることに気が付く。まったく、僕の記憶力も甚だあてにならないと思いながら、表紙に目をやる。それは、こんなもんだったかと拍子抜けするほどシンプルで、白地に何色かの円と題名が書いてあるだけだった。題名はこうだ。「年月はポワポンボのはじまり」ポワポンボが何だかはわからないが、題名は嘘つきは泥棒の始まりを捩ったものだろう。一応最後まだ読んだが、ポワポンボ何だかはわからなかった。さっき思い出した一節を探すために、ページをぱらぱらと捲っていく。全体の真ん中より少し進んだところで目当てを見つけることができた。この中で主人公はこんなことを言っていた。



 朝起きると、昨日の自分と今日の自分は本当に同じ自分なのだろうかと考えることがある。一度意識を失っている以上、その連続性を証明することはできない。もしかしたら、自分は朝起きたその瞬間に自分と言う存在になり、それを毎日のように続けているだけなのかもしれない。もし、毎日というような連続した時間の蓄積があるのならだが。



 内容は思ったより面白かった。SFとしてもミステリーとしても十分に完成度が高く、難点と言えば表現が難しく読みづらいことくらいだ。

 この主人公が言ったこと、なんとなくわからないでもない。自分が本当に自分であるという実感が持てない、というようなことがたまにある。深く悩むほどではないが、一方で自分が自分であるという確かな根拠がないと思ってしまうのもまた事実だ。

 文庫本を閉じて元の場所に戻す。時計を見ると時刻は6時になっていた。思ったより時間が経っている。もしかしたらさっきは、時計を見間違えていたもかもしれないと思い、ベッドから降りる。ひとつ背伸びをすると、不思議と全身を覆っていた違和感はもう無くなっていた。




 通学路をいつもと変わらないペースで歩いていると、校門よりかなり手前で沢木に声をかけられた。せっかくなので一緒に歩いていると、沢木にしては珍しくこの間読んだというSF小説の話をしてきた。

「なんでもその世界では、人の願いや希望をエネルギーとして活用する技術が開発されて、これを異なる信念を持った組織どうしが奪い合うんだ。ちょっと難しい文章だったけど、戦闘シーンは緊迫感があって、その世界の様子がわかるような繊細な描写も多くてな。結構面白かったぞ」

 この沢木が、自分でも難しいと認める文章を最後まで読んだんだ。相当に面白かったのだろうと思い、少し気になったところへ話を掘り下げてみる。

「へえ~。願いや希望をエネルギーって?」

 沢木は質問されたことに驚いたのか、少し固まった。その後、思い出すように視線を上に向けて、すぐに答えた。

「たしかな。そうだ。例えば、夢っていうのはそれを叶えたいっていう願いが大きいほど、あらゆる努力をしてそれを叶えようとするだろ?その結果、叶う確率はあがる。願いが成就すれば、人はなりたいものになったとか、やりたいことが出え来たという結果が得られる。逆に言えば、どんな小さな結果にも大抵誰かの願いがあるということになる。水を飲みたいとか、消しゴムを拾いたいとか、そんな些細なことでも行動を起こす前に思考している。無意識かもしれないが、これも願ってるってことだ。これらがなければ、人は行動を起こすことができない。つまり、願いは全ての行動の根源となるものだ。これはエネルギー以外の何物でもない。そのうえ何をするにも必要で、この世界に有り触れている。もし流用できるなら、これは最高の資源になりうるとは思わないか。うまく伝えられたかわからないが、どうだ」

 かなり気に入ったんだな。沢木がこんな話をこんなに長くすることに素直に驚いた。まあだけど、どうだと聞かれたからには答えなきゃならん。

「面白いな」

「そうだろ。気に入ってくれると思った」

「でもおかしな話だ」

「おかしい?何がだ」

「そもそも、願いや希望をエネルギーと捉える事に無理がある」

「それは、SFだからそういう世界があるってことだろ。そこにケチをつけていたら始まらないだろ」

「そうじゃない。いいか、SFで描いて納得してもらえるのは、現在の常識に新たな仮定を足したものまでだ。魔法や呪いが何の説明もなく出てきたら、それはファンタジーなんだよ。例えば、魔法とは技術が進んだ世界の超科学で、こうこうこういう新物質の発見によって確立されたとか、そういうのがあればSFと呼べる」

「それがどうしたんだ。願いがエネルギーとなりうる理由は話しただろ」

「しかし、その仮定が根本的に間違っていれば、これもまたSFではなくなる」

「これがそうだって言うのか」

 ひとつ頷いて続ける。

「この話で大事な仮定は、願いを物理量として捉える事だ。それはいい。それこそそこにケチをつけていては始まらない。しかし、エネルギーだっていうのには無理がある」

「そんな大きな矛盾があるのか」

「矛盾と言うか、きっと作者はエネルギーが何たるかをあまり知らなかったんだろうな。そういう話は好きだけど、物理に明るい人ではなかったんだ」

「で、なんなんだよ」

 話をしていて歩みが遅くなったのかまだ学校につかない。ふっと息を吸って続ける。

「エネルギーってのはスカラー量なんだ」

「なんだそれ」

「大きさしか持たない物理量のことだよ。温度とか長さが同じスカラー量。それ以外に、大きさと向きを持った物理量のことをベクトルと呼ぶ」

「ベクトルは数学でやったな」

「そうだな。ベクトルってのは、運動方程式で表されるような力とか、あとは速度もそうかな。あ、簡単な例があった。速度はベクトル量だが、速さはスカラー量だ」

「ああ」

 生返事が帰ってきたので、大丈夫かと言う代わりに顔を覗き込んでみる。

「ああ、いや、よくわかんねえな」

 なんだよ。

「まあ、ちゃんとわかんなくてもいいや。で、願いっていうのを考えてみると、そいつらは必ず向きを持っている。水を飲みたいとか、消しゴムを拾いたいとか、あとは先生になりたいとか、なんでもいいけどそういうのは向きを示してるだろ。物理量として捉えるなら、大きさも向きも持った量、ベクトル量ってことになる。故に、願いはエネルギー足り得ない。それに、すでに方向が決まってしまっている以上、それはあらゆることに流用できないだろ。ケーキ屋になりたいと願って、ミュージシャンになることはないからね」

 しばらく変な間があいた。沢木は僕の話が終わったことを感じ取ると、何かを言おうと口を開いて、また閉じた。鯉みたいだと思っていると、やっと声が発せられる。

「お前はやっぱりすげえな。まだ16なのにな。」

 おかしなことを言う。

「16なのはお前も一緒だろ」

 そうだなとだけ言って、沢木は黙ってしまった。

 そういえば、沢木はまだ16なのだろうか。僕と彼は誕生日を教えあうような仲じゃないから、知りようがない。まあいいか。

 それとは別に沢木の話を聞いていて、どうしても確認しておきたいことがあったので、昇降口で改めて声をかける。

「沢木、聞いてもいいかな?」

 大丈夫と言う代わりか、沢木はこちらに視線を送ってくるので、続ける。

「さっきの小説、作者の名前はわかる?」

「ああ、それなら覚えてるぞ。たつぎとらだ。恐竜の竜に、仁義の義、タイガーの虎で、竜義虎。変な名前だろ」

 そうだなとだけ言って、今度は僕が黙ってしまった。


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