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僕の彼女は○○○
作:三条司



Please don't be angry, sweety


 「塙太こうたのばか!ばかばかばか!」

 乾いた音をたてて、皐月さつきが塙太をひっぱたく。その反動で少しばかりよろめいた塙太は左右にたたらを踏んだ。それでも、涙を浮かべてきっとこちらを睨んだままの皐月に何かを言おうとしてドアに向かい、眼前で思い切りよく閉められたそれに鼻っ面をこれまた思い切りよくぶつける。いててと呻いて数歩下がると、そこには先程皐月が投げつけてきた毛抜きがあって、そうとは知らずにその上に全体重をかけた塙太は悲鳴を上げる羽目になった。その拍子に体のバランスを今度こそ崩して壁に肩から斜めにぶつかると、その勢いで外れた額縁の角が脳天を直撃した。

 「何やってるの、塙太」

 声も出せないほどの痛みの中で、視界がゆらゆらとゆれる。背後からかけられた声の方へやっと振り向くと、声の主はきらきらと艶めく黒い毛並みをこれ見よがしに輝かせて、じっと塙太が回復するのを待っていた。

 「瑛里えいり……」

 どこからどう見ても黒猫以外の何者でもないその生き物は、しかして流暢な日本語で塙太に話しかける。

 「おれ、皐月怒らせちゃったみたい」
 「いつものことでしょう、それは」
 「いや、今日のはまじで酷かった。ほら見て、これ。ひっぱたくのはもう慣れてきたにしてもさ、首筋噛んだんだってば。超痛かったよ、もう……」
 「首筋噛まれるほど怒らせる塙太の気がしれないけどね、ボクは」

 つんとすました顔で、冷たくそう言い放たれると、塙太は途端に大人しくなった。

 「何でこうなっちゃうのかなあ」

 そう呟いて、ずるずると衣擦れの音をたてながら壁にもたれるようにへたりこんでしまうと、塙太はフローリングの床の木目をじっと見つめたまま黙りこくってしまう。その顔は十九歳とは思えないほどの哀愁をたたえていて、瑛里は聞こえない程度に一人ごちた。

 「どっちもどっちだと思うけれど」


皐月が塙太の家に居候し始めてからかれこれ四年の歳月が経つ。皐月の母親が塙太の亡くなった母親の親戚だとか何だとかの縁で、塙太の家を頼ってきたらしい。

 お世辞でも何でもなく事実として、皐月は天下無敵の美少女だ。それは生涯初の一目惚れを経験した塙太が保証する。ただ、彼女はただの美少女ではなかった。

 魔女だった。

 好きかもと思ったときには、彼女はもう魔女だったのだ。受け止めるしか仕方あるまい。そもそも、皐月は皐月で魔女だとかはあんまり関係ない。と、塙太は思っていた。そんなわけで始まった魔女っことの『お付き合い』が平々凡々としているわけもなく、塙太の生活はそれから一変した。感情の起伏の激しい皐月による生傷の絶えない日々。マジシャンが使うマジックの如く使われる魔法によって驚かされ続け、胃がきりきりとストレスで痛むことなどは日常茶飯事。何よりも、諾々と過ごしていた時間は皐月によって色鮮やかなそれにとって代わられた。

 些細なことで皐月は怒る。それはもう、怒り狂う。そしてそれをとても正直に塙太にぶつけてくる。それはもう、一直線にぶつけてくる。
 それでも、塙太は皐月が好きだ。それは容姿うんぬんの話ではもはやなくて、ただただ好きだ。でなければ、毛抜きを魔力で飛ばしてきて自分の眼球を狙うような女の子と誰が一緒に暮らすものか。

 好きだ。その気持ちに嘘偽りなどない。なのに、皐月はたまにそれを信じない。今日みたいに。

 塙太はそれが何故なのか、四年経った今でもわからない。



 「皐月?聞こえてる?」

 何度目かに塙太が皐月の部屋をおそるおそるノックする。もちろん、今回も返事はなしだ。小さくため息をついて、そっとドアの前から離れる。未練がましく振り返りながら廊下を渡って階下へと向かった。

 リビングルームでは無害なテレビががやがやと音を立てている。特別見たいわけでもなくて、ただつけてみただけのテレビ。

 「塙太!」

 その無害で大人しいテレビ画面いっぱいに皐月の顔が写る。皐月は魔法を荒使いするところがある。そこも可愛らしいのだが。

 ソファに座ってて良かった。

 声に出さずに塙太は思う。危うく腰を抜かしそうになったから。

 「皐月」
 「あのね。あたし、すっっごい怒ってるの。わかる?」

 気付かないひとがいたら異常だと思う。

 「う、うん。わかるよ」
 「じゃあ何であたしが怒ってるか言ってみなさいよ」
 「え、ええと、あれかな。おれが今朝牛乳をコップに入れないで直にボトルから飲んだから、かな……」
 「違う!ていうか、あんた、あたしがそんなみみっちいことで怒り狂うような女だと思ってるの?違うわよ。全然、違う!もっと重要なことなの!」

 そんなみみっちいことで怒ったことがあるのは皐月なのに。

 「じゃあ…何だろう…」
 「もういい!塙太にひとの気持ちを慮るような繊細さを要求したあたしが馬鹿だったのよ!もういい!!」

 一方的に怒り、一方的に会話を中断、再開し、一方的に捨て台詞を残す。実に皐月らしい。哲学者の目線で塙太は、もとの控えめな箱に戻ったテレビを見つめる。

 「今回は何だか長引きそうだね」
 「うわぁ!」

 耳元で囁かれて、塙太は今度こそソファの上で軽くジャンプをする羽目になった。

 「瑛里かあ。驚かさないでよ。足音くらい立ててくれればいいのに」
 「それって、猫としての常識に反するんだけど」

 しれっと返してくる黒猫に苦笑で応ずる。それから、深い深いため息をついた。

 「お手上げだよ、瑛里。なんなの?何がそんなに気にくわないの?もうね、全然わかんない。色々、手は尽くしたんだけどさ……」
 「色々って?」
 「苺をね。皐月のお気に入りのハート型の皿に盛って部屋の外においたんだ。ホイップクリームも忘れないでつけておいた。ほら、前にバタークリームでやっちゃったときは、カロリーと健康にも気が付かない男って最低って、怒鳴られたからさ。それから、イチゴミルクのシェークを急いで作って部屋の外においた。ちゃんと、氷も入れてだよ?ぬるいシェークなんて、感じが悪すぎるって皐月が言うからさ。それから、ええと、ブーツは全部磨いたでしょ、リネン類もアイロンをあてておいた。あ、もちろん、皐月の好きなリネンウォーターを使ってだよ。あとは、あ、香水入りのキャンドルも部屋の外に……」
 「塙太」

 器用に前足の二本の爪だけをにょきりと出してみせて、瑛里はその漆黒の瞳に呆れの色を如実に表すと、

 「ひとつ。皐月は何、キミの彼女なの?それともペットなの?ふたつ。塙太は何、皐月の彼氏なの?それとも執事なの?」
 「彼氏彼女だと思うんだけど…」

 戸惑いつつも即答する塙太を見て、瑛里は塙太にも聞こえる声で一人ごちた。

 「勘弁してよね」















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