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うちの部長が鳩になった

作者: 腐れ大学生

全ては夏の暑さのせいです。

「くるっぽー」

「なんでやねん」


 生粋の関東人である私が関西弁でつっこんでしまった。一生の不覚である。

 しかし、この状況に出くわせば、誰もが関西弁でつっこむことだろう。

 状況を整理しようと思う。

 私はいつも通り朝食もそこそこに家を出た。時刻は七時。家から駅まではさほど距離もないので、七時八分発の電車には悠々と間に合う時刻である。

 いつも通り駅で電車が来るまでのわずかな時間を、生意気な小学生を苛めてつぶした私は、いつも通りの時間に来た電車に乗り込み、いつも通りにすし詰めになった人の隙間から伸びてくる痴漢の手を捻じり取り、いつも通りに会社へと続く大通りを疾走したはずだ。

 いつものように玄関ホールの可愛らしい受付嬢を嫉妬の目で睨みつけ、エレベーター脇の上向きの矢印のボタンを連打し、いつものように七階のオフィスに到達した私は、いつものようにタイムレコーダーにタイムカードを突っ込んだはずなのだ。

 それなのに。


「くるっぽー」

「なんでやねん」


 私はいつもと違うことを何一つしていないはずだ。しかるに今日もいつも通りの日常があるべきなのだ。

 なのに、今私の目の前にいるのは、部長席の上に威風堂々と立つ鳩なのだ。

 高槻部長は本当に尊敬のできる人物だった。頭脳明晰、質実剛健、快刀乱麻、率先垂範、阿鼻叫喚。最後はなにか違う気もするが、とにかくオフィスのみんなからも信頼の厚い、素晴らしい人物なのだ。

 高槻部長はオフィスの誰よりも早く出社する。一度社員の一人がどうにかして彼よりも早く出社しようとしたらしいのだが、午前四時には既にオフィスにいて、全ての机を丁寧に拭いてまわっていた、という伝説が残っている。

 さすがにそれは誇張な気もするが、ともかく部長が毎朝一番に出社していることは事実なのだ。

 数週間前にそのことを初めて聞いた私は、部長の心意気に感銘を受け、あることを決意した。

 実際、私はこの数週間、そのことを続けている。

 初日は部長も驚いていたようだが、日を追うごとに部長の表情は柔らかなものになっていき、最近では笑顔すら見せてくれるようになってきた。もしかしたら部長は、この早朝のわずかな時間を楽しみにしてくれているのではないかと、勝手なことを考えたりもした。

 それなのに、なんだこの状況は。

 私は部長のために入れたお茶をそっと机におくと、目前の鳩に向きなおった。

 なぜ、部長の代わりに鳩がいる。

 綺麗な鳩だ。羽毛は一点の曇りもない白。公園や電線の上で見られる灰色の連中とは格が違う。ここがオフィスでさえなければ、豆をまいていたことだろう。

 喉を震わせて放つ鳴声は、恋焦がれるようなボーイ・ソプラノ。机の上を歩きまわる姿は、六月の花嫁の様だ。

 私は不覚にも、鳩に対して気品のようなものを感じてしまった。

 ふと、気付く。鳩がこちらを見つめている。その目は最高級のルビーを示す、ピジョン・ブラッド。この世の全ての汚れを悟ったかのようなその瞳に、私は既視感を覚える。

 憂いを帯びた、何かを訴えかけるような瞳。まさか。


「まさか、部長なのですか」

「くるっぽー」


 今まで大人しくしていた鳩が、突然両の羽を大きく羽ばたかせた。正解、ということなのだろうか。純白の羽毛が一人と一羽しかいないオフィスに飛び散る。


「部長、わかりましたから落ち着いてください! このままでは掃除婦の方に恨みを買うことになります! あの人の恐ろしさは知っているでしょう!」

「くるっぽー……」


 よかった、どうやらわかってくれたようだ。物分かりの良い鳩、もとい部長だ。

 二度とあの回転クリーナーの惨劇を繰り返してはならない。あれはあまりに非人道的な掃除器具だ。

 飛び散った羽毛は、拾い集めて同僚の山下のデスクにまとめて詰め込んでおく。


「しかし部長、何故そのような姿になってしまったのですか。鳥のように自由になりたかったのですか」


 部長は私の問いには答えず、器用にもくちばしでコンピュータの主電源を入れた。

 よく考えたら鳩なので答えられるはずもないのだが。


「もしかして部長、パソコンで意思疎通するつもりなんですか?」

「くるっぽー!」


 さすがは部長だ。いかなる問題も彼の前では塵芥同然。確かに、キーボードならば鳩でも文字を打つことができるかもしれない。


「あれ? 部長、それはメールソフトですよ。わざわざメールを使うんですか?」


 部長は器用にも足でマウスを操作し、青色の鳥を模したアイコンをダブルクリックした。

 別にメールを使わなくても、文書を作ってそれを見せてくれれば十分なのに。


 いや、違う。私は部長を侮っていた。部長が宛先に選んだのは、私のアドレスではなく、取引先のアドレスだ。


「嘘でしょう、部長! この状況下でまだ仕事をしようと言うのですか! 仕事熱心なのはわかりますが、もう少し自分の体を省みてください!」


 私の進言を聞き入れず、部長は無情にも本文を作成し始める。部長はくちばしでキーボードを打っているのだが、その速度が尋常ではない。頭部の上げ下げが速すぎて、もはや振動しているようにすら見える。くちばしがキーボードを叩く音もまた凄まじく、オフィスにはさながら削岩機のような音が響いた。

 数瞬後、部長はゆっくりと頭を上げる。どうやら打ち終えたようだ。キーボードからは白い煙が立ち上っており、キーがへこんでいたり、吹っ飛んでいたりと、ひどい有様だ。

 おそらくもう使い物にはならないだろう。

 コツリとわき腹をつつかれるのを感じた。見ると部長が翼でディスプレイを指している。

 見ろ、ということなのだろうか。

 メール本文には一言だけ書かれていた。


「嫁の飯が不味い」


 知ったことではない。これを取引先に伝えてどうするつもりなのだろうか。取引先の人間もきっと本文を二度見することだろう。

 いや、深読みすれば「だからお前が俺の飯を作ってくれ」という意味にもとれる。

 遠まわしな不倫の申し込みだ。なおさら取引先に送れたものではない。


「部長、英雄色を好むとは言いますが、現代日本において浮気は悪です。ダメ、絶対」

「わかった、妻とは別れよう。だから私と結婚してくれないか」

「あら部長。いつからいらしたのですか?」

「君が山下のデスクに羽毛を詰め込んだあたりからだ」

「それなら声をかけてくださればよかったのに。乙女の秘め事を覗き見るだなんて、趣味が悪いですわ」

「君の趣味ほどではないよ。毎朝小芝居を見せられる私の身にもなってくれ」

「またまた、うれしいくせに。ところで、さっきの言葉に嘘偽りはありませんか?」

「もちろんだ」

「うれしいっ、幸せにしてね」


 こうして私達は結婚し、幸せな家庭を築いた。

 鳩は焼いて食った。


最後の方は投げました。今は反省している。

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