kiss.05 触れた唇
「やっぱり怖いなあ……この道」
学校から駅までの道は街灯が少なく、店や民家も余りない。不審者情報なんかを学校を通して知るだけに、本当に暗いし、怖い。
基本的に暗いのは得意じゃないあたしにとって、この時間が一番苦手でいつも部活帰りには誰かを捕まえるんだけど。今日はその人物―橘くんに逃げられた。
恐怖心を打ち消すように一人叫んだ。
「何かあったら橘くん、恨んでやるからぁっ!」
その時、道路が明るく照らし出された。背後から来た車のライトによるものだった。
通り過ぎると思われたその車に見覚えがなければ、クラクションを軽く鳴らされても足を止めることはなかったと思う。
(……げっ)
ど派手なイタリア製の赤いスポーツカー。諏訪の所有車であることは学校内でも有名だ。
安月給の教師が乗るには不釣り合いだけど、実は彼、高名な家柄のお坊ちゃんなのだという噂を耳にしたことがある。それが事実ならまあ納得なんだけど、どうして教師なんかしてるのかって疑問は残る。
「送ってやる。乗れ」
歩道側のウィンドウが半分ほど下ろされて、運転席から持ち主の顔が覗いた。
一瞬迷って乗り込んだこの決断が、今後のあたしの高校生活を大きく変えることになろうとは。
***
「なんですか、これ」
助手席に乗り込むと突然差し出された一枚のタオル。
「髪が生乾き。バカは風邪ひかないらしいが、オトナの優しさとして有り難く受け取れ」
(制限時間なんかつけて急がせたのはアンタだっ!)
ハンドタオルは橘くんに渡してしまっていた。ショートヘアのあたしでも、自然乾燥だけでは乾ききらないこの季節。正直、首筋辺りが冷たくてさっきからゾクゾクしてた。
「もとはセンセが15分でとか言うから……」
「いらないなら返せ」
「つ……使います、ありがたーく使わせて頂きますっ」
「素直に受け取ればいいモノを」
ふんと鼻で笑って、諏訪が車を走らせた。
「……らしくもないことするからじゃん」
ハーブ系の香りのするタオルで髪を拭きながら呟いた。
視線を前方に向けたまま、聞こえたらしいあたしの声に諏訪が答える。
「俺はそこまで冷徹教師じゃないぞ」
「……」
――――嘘だぁ。
「ウソつけ、って顔してんじゃねえよ」
「だって、センセ怒鳴るし叩くし……無茶苦茶言うでしょ」
今日だって散々……
「恨むなら、俺が苛めたくなるタイプの自分を恨め」
「はあっ!? そこ、あたしですかっ!?」
仮にも教師が何を言うっ。
思わず声を上げたあたしに、運転席の諏訪が笑った。
「そういうとこ」
(……うっ)
何も言い返せなかった。何を言っても逆手に取られそうだから、あたしは貝になる決意をした。
貝は貝でもせいぜいシジミレベルのあたしが、諏訪の横顔を眺める。
ステアリングを握る姿を見るのは、当たり前だけど初めてで。
涼しげな目元、すっと通った鼻筋、薄い唇。
背は特別高いわけじゃないけど、他の先生が着ている色褪せたヨレヨレの物とは違う、質の良さそうな高級スーツもさらっと着こなせるくらいにはスタイルがいい。
黙っていれば……いい男……かな?
「ヨダレ」
「えっ?」
慌てて口元に手をあてた。
……そんなものが出てるわけないんだけど。
(またからかわれた!)
唇を噛んで諏訪を睨みつけると、口元に笑みを浮かべている。見られていることを気づいていながら、恥ずかしいとも思わないのが可愛くない。
「急に黙り込むな。気味が悪いから何か話せ」
「……センセって、ほんっと口悪いよね」
「物覚えの悪いお前のアタマと一緒で、性分だからな。どうしようもない」
――ほんっっっといちいち、一言多い。
「センセは彼女作らないんですかー」
気味が悪いなんて言われて不機嫌なあたしは、半ばやけくそで思いついた質問。
ここ数年は特定の彼女がいないのだと、クラスメイトがそんな話をしていたことを思い出したから。
「立候補か」
小さく、諏訪が口の端を上げた。
「は? 誰が何の立候補するっていうんですか! 何か話せ、ってセンセが言うから訊いただけ!」
別に個人的興味があるワケじゃありませんって、場の繋ぎよ、繋ぎ。
「センセの信者、とかいう子たちがいるって聞きましたよー?」
「若くて容姿端麗な年上の教師がいたら、当然だな」
「うわ……すごい自意識過剰……」
諏訪が謙遜するなんて思わないけど、照れもしないのかと思うと、得意満面なその顔がますますムカつくんですけど!?
「――なんだ、ヤキモチか。やっぱりお前立候補したいんだろ」
加えてその超お気楽極楽&自分勝手な好都合思考!!!
「だからあたしは別に――」
「好きな女がいる。信者なんて騒いでるような奴らを、遊び以外で相手にする気はない」
「え……遊びなら相手にするんだ……」
「何だ、今度はショック受けたか」
真面目に聞き返されてあたしは呆れた。
「さっきからねぇ! あたしがセンセのこと好きみたいな前提止めてくれません!? オトナ発言にちょっとびっくりしただけです! っていうかセンセ好きな人いるんだ?」
さらっと流された重要ポイントの方が気になる。
「ああ、いる」
「彼女じゃないの? ……ってことは片思い? ……センセが? 意外~!」
「意外?」
横目で窺う諏訪の眉が上がった。
「だってセンセ、ぐいぐい攻めそうなタイプでしょ。狙った獲物は逃さない、みたいな」
「ふうん。それは……時任にしては珍しく、言い得てる」
楽しそうに鼻を鳴らした。
あたしの目の前では信号が、黄色から赤に変わろうとしていた。
「だけどセンセが片思い中なんて知ったら、信者の女子たち、大騒ぎだろうねぇ」
「奴らは詮索好きだからな」
「そーそー」
校内中が騒然とする様子を思い浮かべるのは、思いの外簡単。
ゆっくりと車が停止して何気なく見上げた三色灯。
暗闇に映える深紅のサインが、妙に眩しく感じて視線を逸らそうとした。
「知れたら、それこそどうなるか」
「ホント朝から大騒ぎできっと大変――」
信号は完全に色を変えていた。まるでこれから起こることを予知する、警告灯みたいに。
―――それは、ほんの一瞬。
頬にひんやりと冷たい感触。
目の前に何かがやって来たかと思ったら。
唇に、何かが触れた。
頬に当てられていた感触が、ほんのりと温かくも感じた。
全面塞がれたあたしの視界。
唇に感じた柔らかい感触。
―――なに……これ……
唇を、空気がなぞる。
一気に開けた視界。
頬から消えて行った感触。
サインに従って車は再び走り始めた。
あたしは茫然と前を見つめたままで。そっと、唇に触れてみた。
「まさかお前、キス初めてだったのか」
笑うように言った諏訪の言葉で。
先程のそれが彼の唇で、キスをされたのだという事実を理解した。
「な……な……なぁぁぁぁぁっ!!」
思いきり腹の底から叫んで、助手席の窓に思わず張り付いた。
手の甲で唇を隠しながら、何食わぬ顔で運転をしている諏訪を見る。
心臓を揉みしだかれたかのように一気に速度の上がる鼓動。
「窓が震えるほどの声量で叫ぶオンナなんて、百年の恋も冷める」
「だ……だ、だって、今センセあたしにキ…キス……」
「して悪いか」
なんで開き直ってんのよ!! こんの、エロ教師っ!!
「わっ、悪いに決まってるじゃん! ……何すんの、ファーストキス返してっ! バカっ!!!!」
手に持っていたタオルを思いきり投げつけてやった。
あたしにだって、一応憧れるシチュエーションとかあったのに。
なんで、突然。
なんで、こんな所で。
なんで、このヒトに―――。
頭を抱えパニック状態だった思考回路が、見慣れた外の景色によって少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。
角を曲ればあたしの家はすぐの場所。小さな公園の前に、諏訪は車を止めた。
カチャリ。
シートベルトの外される軽い音がしたかと思えば、その人は予告なしにあたしへと身を寄せてくる。
「こ……来ないでよっ」
狭い車の中じゃ逃げ切れるわけもなくて。
黙ったまま伸びてきた諏訪の手が頬に触れて、指が、あたしの唇に触れた。
冷たいその感触は、キスされた時に頬に感じたのと同じだった。
目の前にある顔が、じっとあたしを見る。
暗い車内でもはっきり分かる表情がレンズの奥で僅かに瞳を細めて。
「竹刀持ってないと隙だらけだな、お前」
聞いたこともないような甘い声が、再度、唇を塞いできた。
吸いつくように触れて離れた瞬間。
「バカっ!!!!!!」
思い切り、目の前の顔を引っ叩いていた。
時任梨緒、17歳。
ファーストキスを奪っていったのは、大っ嫌いな、ガッコのセンセ。
読んだよ♪のご報告に、簡単なメッセージに、宜しかったらお使い下さい。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。