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kiss.48 嵐の前の……

 翌朝のことだった。
 駅で一緒になった紗枝やカイと一緒に正門を潜ると、道場の方からやって来た諏訪に遭遇する。
 真っ先にばっちり目が合って。「おはよーございまーす」と小さく挨拶。
 気付いた他のふたりも声をかけると、諏訪の口の端がゆっくりと引き上げられた。

(なんか……いやーな予感が……)

 ゆったりとした足取りで近付く、カイのもと。

「橘」

 てっきりあたしへ来るかと思われた行き先がまさかの自分に定められたカイもまた、驚いたように目を瞬かせる。

「初恋が実らないとはよく言ったものだな」

 高らかな勝利宣言のようにも聞こえた諏訪の台詞にあたしも、カイもあ然、ぼー然。
 隣の紗枝からは「あらまぁ」と小さく声が聞こえた。
 それきり通り過ぎて行く華奢な背中を三人で見送る。

「見て。鳥肌たってる」

 制服の袖を捲くりながらカイが苦笑した。
 
 ――諏訪がやたらと機嫌がいい。

 ひそひそとそんな言葉が耳に届いたかと思えば、あたしへ向けられる視線を感じて。
 「諏訪=あたし」みたいな図式は変わらず鉄板なのね、と身に染みた。
 いつもなら“何なのよっ!!”と注がれる視線に対して声を大にするところだけれど。今回ばかりは心当たりが大いにあるあたしとしては、穴があったらぜひとも住まわせて頂きたいくらい、ものすごく、恥ずかしい。

『ちょっとは――特別なんだって、自惚れてもいいと思うよ』

 ご機嫌な理由は恐らくそれ。
 なんだってあたしもあんなこと言っちゃったんだろ。言ってること中途半端な上に何故か上から目線でさ。
 そんでもってあの人は、そんな言葉にどうして浮かれっ放しなんだろうか。
 普段より表情筋が緩んでる諏訪を見かける度に思う。そして次には後悔するんだ。どうせ言うなら。もっとちゃんと――

「ちゃんと……すき、って言えば良かったのかな」

 ひとりごちる言葉の中に紛れた二文字に、その人を重ねると途端に脳内が沸騰しそうになるなんて今までなかったことだった。
 流され続けて洗脳された結果みたいな状況で、口からその二文字を吐き出すのをあんなに戸惑うなんて思いもしなかった。

 だって諏訪はいつだって簡単そうに言う。
 恥ずかしげもなくさらっと、けど目も逸らさずに真っすぐあたしだけを見て好きだって言うから、楽勝なんだって思ってた。
 
「こんな、心臓痛くなるほど緊張してるあたしがバカみたい」

 剣道の試合で感じる緊張感とは全然違う。
 全然慣れない――それどころかどんどんひどくなってく気がするのに、ズルイよ。

「絶対、センセのには毛が生えてるんだ。絶対そう」
「やっだ梨緒ってば白昼堂々大胆にも下の話? 貫通式も無事に迎えるとこうも変わるものかしらねぇ」

 どこから聞いていたんだと思うような、突然のタイミングで現れた紗枝に思い切り叩かれた背中がイタイ。

「迎えてないし!! っていうかその表現止めてよねっ」

 そっちの方が十分ネタ的には下ですから!

「あら違ってた? 今朝のことといい、降水確率80%で控えてた雨雲まで追い払った不気味な機嫌の良さの原因は、絶対そうだと思ったのに」
「別に雨雲追い払ったのはセンセのせいじゃないと思うけど」
「いーえ、絶対そうよ。ま、そんなことはいいわ。諏訪のご機嫌具合のホントのところ、じっくり聞かせてもらいましょうか」

 鋭く突っ込まれたら白状への道しか残されていない紗枝の前で、あたしは自分の正直な気持ちを初めて打ち明けながら昨日の出来事を話した。

「んま~~っ、かわいいっ、梨緒ってば!!」

 むぎゅうって。
 豊満な胸元に抱き込まれて、何度目かの窒息寸前状態に。

「諏訪の前には障害なんてあってないようなものだって思ってたけど、あんた自身が最後の砦なのね~~崩し甲斐があるったらもう!」
「な、なんの話かさっぱり分かんないよ」
「おバカで鈍感な上に意地っ張りで不器用な梨緒には、諏訪もお手上げってこ・と・よ♪ちょっとしたことがいちいち嬉しくて仕方ないのよ、あのヒト。ふふ、可愛いったら」
「だからさっぱり分かんないよぉ!!」
「いーのよ、分かるような賢い子じゃ諏訪は萌えないの」
「萌……萌え???」

 あのドS鬼教師に到底そぐわないと思われる単語だと思う。

「とにかく。あのオタク男子のラブレターに期待以上の効果があったみたいで良かったわぁ。私も諏訪に横流しした甲斐があったってもんよ」
「そうだよ忘れてた! 紗枝ってばヒドいよあたし宛の手紙を勝手に、よりによって諏訪になんて渡すんだもん!」
「まあまあいいじゃないの。おかげでちょっと前進したことだし」
「……う……」

 結果論で上手いことまとめられて言葉に詰まる。

「だーけーど」

 むにいと。頬を掴まれて。

「これで安心なんかしてたらすぐに足元掬われるから、気をつけなさいねー」
「……どういうこと?」
「そのうち分かるんじゃないかしら」

 意味深に微笑んでみせる紗枝の言葉は、それからすぐに現実となってやってきて。後悔は更に大きな波となって押し寄せることになった。
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