主人公 時任梨緒 17歳。
天敵の日本史教師 諏訪センセ。
kiss.01 大キライ
『追試!!』
(あーあ……また、やっちゃったー)
赤色で殴り書きされた文字が踊る答案用紙に、がくりとあたしは顔を埋めた。
一学期の中間考査の答案が返ってきた。
内容はまあほぼ、予想通りというか……。特に中学の頃から苦手な日本史は、高校へ入っても相変わらずで。どんなに必死で勉強したと訴えたとしても、結果がこれでは信じてもらえるはずもない。
これで通算何度目だろう。
高校へ入学してからというもの、日本史の答案用紙にこの文字を見なかったことはなくて、漏れる溜息も自然と重くなる。
カツ、カツ、カツ、と。
まるで死神の足音のように響いて聞こえる、靴音。
ゆっくりとした間隔で近づいてくるその音に、自然とあたしの体は恐怖に対する身構えをする。音を聞けば持ち主が容易に判別できるくらいに研ぎ澄まされたあたしの耳には、悲しいかな、幾つかの足音が混じってもそれを聞き分けることが可能になっていた。
「おい時任。追試も入学して以来の皆勤となると、表彰モノだと思わないか」
日本史担当の諏訪が、授業の終わりを告げるチャイムと当時にあたしの席の前に立ちはだかった。
低い声にものを言わせて抑揚をつければ、嫌味テイスト7割増。
両サイドを前髪の一部を巻き込みながら後方へと撫でつけられた、イエローブラウンの短い髪。
幾筋か下りた前髪が、カッツカツの四角い黒縁フレームの眼鏡にかかるレンズの向こう、アッシュグレイの涼しげな眼に鋭い光。
あたしを見下ろし、仁王立ちした諏訪。
冴え渡る眼光は、あたしの背中に悪寒を走らせるには充分過ぎる迫力で。
「お……お褒めに預かり光栄ですー」
「褒めてねえ!」
バゴッ。
――皆勤賞でも貰えるんでしょうか。
そう、訊ねる前に間髪入れず脳天を直撃される、テキストを丸めた凶器で容赦ない鉄拳。
「いったぁ……これ以上バカになったら、どうしてくれるんですかっ!」
「心配するな」
痛みで机に伏したあたしの顎を、手にした凶器で持ち上げる。
「お前のバカレベルは底だ、底! 学年平均80点クラスのテストで1ケタ台で収まるような歴史的バカは、いっぺん地中深くに埋まってみるか? あぁ?」
バゴバゴッ。
『バカ』をやたら強調しながら言って、再び凶器が振り下ろされた。
「――それとも何か」
一転、静かな口調で諏訪が顔を寄せながら訊いてくる。
「俺への当て付けでワザとか」
なんてとんでもない事を言い出した。
「ちがっ……」
「ほぅ。そうか。それは違った意味でくだらん才能といい度胸だな」
「だから違うって!」
「……それなら!」
バンッ。
彼の凶器の被害を受けたあたしの机。
「毎度毎度ヒトの仕事を増やしてくれるな、俺は世話好きでもなきゃ、お人好しでもないんでな」
誰か……目の前に教師の仮面を被った鬼がいるんですけどー? 豆ぶつけて追い払ってもいいかな?
……あぁでもきっと返り討ちに合うのは目に見えてるし……
「文句があるなら声に出せ、受けて立つぞ」
「と、とんでもございませ~~ん……」
加えて地獄耳。――あぁ、なんて最悪。
「そこでお前に朗報をやる。喜べ」
目の前の鬼教師が、ニヤリ、笑う。
その表情があたしに朗報を齎してくれるとは、とても思えなかった。
「この追試が一発クリア出来なかったら、お前限定でペナルティをくれてやる」
――案の定。
彼の口から出て来たのは朗報だなんてとんでもない、単なる悪魔の宣告だ。
「……はい?」
(くれて……やる?)
思わず引き攣るあたしの頬。
そんなものは、のしつけて突き返して差し上げますけど?
「毎日部活後1時間、みっちり楽しい補習授業だ」
「ええええええっ!!!!」
教室はおろか、廊下にまで響き渡ったであろう絶叫に。
バゴッ。
「うるせえ。嫌なら根性見せてみろ。こっちも好き好んでサービス残業するつもりはない」
とどめの一発と捨て台詞を置き土産に、鬼畜教師・諏訪は教室から出て行った。
散々叩かれた頭が、ジンジン痛い。ココロの方は、もっと痛い。
「相変わらず愛されてるわねー」
よしよし、と諏訪とのやり取りを一部始終見ていたらしい紗枝が、あたしの頭を撫でてくる。
中学から一緒でクラスメイトでもある彼女は、事あるごとに
『あんたは諏訪に愛されてる』
って、そう言う。
「見てたんでしょー? あれのどこが愛なの? 酷くない? 回を増すごとに鬼畜度アップしてない?」
「そうねぇ。回が増すごとに、楽しそうに見えるわ」
「……あたしはヤツのオモチャじゃないんだから!」
八つ当たり気味に剥れるあたしに、
「仕方ないわよ、諏訪にしてみれば梨緒はしつける前の子犬みたいなモノなんだから」
「子犬……?」
「絡むたんびに、キャンキャンとよく吠えてるでしょ」
紗枝がそんな毒舌評価を下す。
それってどうなの? と疑問に思いながらも、心当たりがあり過ぎて。
「ほらぁ! そうやってシュンってなっちゃうとことか、私も可愛くて仕方ないのよ?」
も~~~! って叫びながら彼女に抱きしめられる過度のスキンシップはいつものこと。
――諏訪が紗枝のように思っているとは、あたしには到底思えない。
1年の頃から日本史のテストでは追試必至の常連で。その追試も、一度や二度で済んだ例がなかった。 故に、1年生の2学期にもなるとあたしはしっかり諏訪のブラックリストの一番最初に堂々名前を連ねている。
……だから。
補習確定なのをわかってあんな無茶なペナルティを持ち出したのは、やっぱり諏訪の嫌がらせに決まっている。
「でもよ? 毎回、梨緒がちゃーんと追試クリアできるまで、何度でも最後まで付き合ってくれるじゃない? あれを愛と呼ばずに何て言うの?」
「あたしが苦しむとこみて喜んでる、ただのサド教師だよ!?」
「……分かってないわね、あんたも」
やれやれ、とでも言いたそうに紗枝が溜息をつく。
そりゃね。確かに毎回追試で最後まで残るあたしに付き合ってくれるけどさ。
それでも途中は『バカ』のオンパレードだし? 何度も睨み殺されそうになるし? バシバシ頭は叩かれるしで生きた心地しないんだから。
……紗枝はそんな現状を知らないから。
愛されてる、だなんて言うんだと思う。
「諏訪の信者がどれだけ梨緒のこと羨ましがってるか、知らないでしょ」
「……信者? なにそれ、ただのマゾ集団じゃないのー!?」
思わず引いたあたしの後頭部を、ペシッと叩く。
「梨緒ぉ。あんたいっぺん、彼女達にやられちゃいなさい」
サド教師を信仰するマゾ集団になんて、何されるか分かったもんじゃない。
「ぜぇーったいに、イ・ヤ」
胸の前で大きく×を作ると、紗枝は小さく笑った。
笑いあり、ドキドキありのドタバタラブコメディー。
甘い関係になるまでにはまだもう少し。
二人を温かい目で見守ってやって下さいね。
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