kiss.18 鬼の扱きと甘い唇
地区大会では見事男女ペア優勝を果たしたあたしの所属する剣道部。次の大会に向けて練習にも熱が入っている。
……のはいいんですけどね?
「時任っ! いつまで休んでる、さっさと入れ!」
あたしは今、たった5分の休憩すら儘ならないほど、諏訪の容赦ない鬼の扱きの矢面に立たされている。
返事をして面を被ってはみるけど、今日はやっぱり体が重い。
―――女子の悩み、月のモノが2日目を迎えて絶好調(それはある意味絶不調とも言う)な訳で……もうサイアクだ。
「もうっ!」
男の人には一生絶対理解できないこの辛さとイライラ。不満を唱えながら向かった先の掛かり稽古が諏訪の目に止まると今度は。
「いい加減に打ち込むな時任! ない頭絞ってでも少しは考えて打て!」
そんな指導はどうなのよ、と思うような檄が飛んで来る。体調も万全で精神的にも冷静でいられるならきっと、あたしの中で適切な指示として処理されるんだろうけど。
(考えてるのっ、これでも一応はっ)
反抗的な思考しか浮かんで来ることはなかった。
「踏み込みが足らねえ!」
だぁぁぁっ、ウルサイ!!
なんで今日に限っ……らないけど、いつにも増して輪をかけて厳しいのっ!?
「梨緒、体調悪い?」
竹刀を交えた面越しに、こっそり気遣いを見せてくれる橘くんを見習いなさいよ、この高慢チキ!!あたしが好きだとか言うなら、ちょっとは労ったらどうなのよエロ教師!!
心情を言葉に出来たならさぞやスッキリと晴れただろう気持ちのモヤモヤ。それをほんの少し紛らわせてくれるのは、橘くんの穏やかな眼差しだった。
「無理しないで休んでたら?」
「……ありがと、大丈夫」
短く言って、甘えを断ち切った。と瞬時に飛んで来る鬼の説教。
「そこの二人! 足が止まってる声を出せ! 休んでんじゃねぇぞ!」
えぇ、えぇ。確かに指摘は正しいんだけど。正しいんだけどねっ!?
あたし、2日目だからっ!!!!
……言えるものなら、言ってやりたい。
「時任お前は居残りだ、今日は動きが悪過ぎる。休憩10分、その後に再開」
部活終わりの全体挨拶の後に、近づいてきた諏訪が言う。
ようやく解放されたかと思ったあたしの目の前が、真っ暗になった。一気に重くなる両肩を、先輩達が“がんばりな”と同情の意味を込めて叩いて去っていく。
(同情するなら代わって欲しいんですけどぉー)
悔し過ぎて涙も出て気やしない。
「あのセンセ。再開って……あたし一人で、何するっていうんですか?」
やけっぱちで訊いたあたしに、冷ややかな視線を投げた諏訪の口から。
「俺と真剣勝負だ」
思いがけない台詞が飛び出したのだった。
(真剣勝負? 諏訪が? 道着に着替えてまで?)
男子更衣室に消えてた後ろ姿の残像を見つめながら、首を傾げた。だってそんなものは一度も見たことがない。
防具などつけなくても、竹刀一本で充分に部員と遣り合える技術を持ち合わせているから、必要がなかった。
(……ってことはよ?)
冷静なあたしは考える。完全装備の諏訪はどれだけ強いか底知れない。思わず震えたそれは武者震い。
これは貴重な体験をさせてもらえるかも、と強い相手を前にするとワクワクする性質のあたしはすっかりやる気モードに転換していた。
水分補給とトイレを済ませ戻ってみれば、初めて目にする道着姿の諏訪が立っていた。
「諏訪先生、カッコいいじゃん」
「あーホント」
紺地の道着から覗く首や手足は、普段目にするより一層肌の白さが引き立っていた。眼鏡を外し手拭いを頭に巻いた、凛々しい剣士。部員の皆も初めて目にするその姿に思わず足を止めた。
「お前ら目障りだ、さっさと帰れ」
面を被りながら諏訪がギャラリーを一蹴すると、名残惜しそうにしながらもみんなが素直に道場から出ていくのは、従わなかった場合に待ち受ける制裁が恐ろしい事を身を以て知っている部員達だからだ。
「梨緒、無理しないで」
小さく声をかけて、最後まで気遣ってくれたのは橘くんだった。
一応、それに頷いて答える。
(――でもね橘くん。ここは無理しないと、乗りきれそうにないよ)
交えた竹刀。あたしの向かいで防具を身に纏った諏訪を見ながら、身構えた。
目には見えない威圧感。橘くんの時とは全然違う、ピンと張り詰めた緊張感。
怖いんじゃない、ゾクゾクとしたこの気持ちは興奮。あたしは中学で経験した全国大会決勝戦の時を思い出していた。
「俺から一本でも取ったら、補習はナシにしてやってもいいぞ」
「取って見せます!」
体の中から声を振り絞るように、宣言した。
「……いい目だ」
低く呟いて笑ったように見えた諏訪に、容赦なくあたしは飛び込んで行った。
隙があるようでまるでない。
……それは普段の諏訪と同じで。付け込んでも逆手に取られて、いつの間にか主導権を握られてしまう。
彼は、冷静だ。そして、あたしの攻撃を全て先読みして動いている。
―――敵わない。
戦意を喪失させるほどの完璧な防御と多彩な攻撃に、結局あたしは手も足も出なかった。
「時任。お前は余計な事を考え過ぎる癖がある」
簡単な試合形式の稽古を終え、面を取り外した諏訪が目の前にやって来た。
被っていた手拭いが汗で湿気を含んだせいで、普段しっかりと固められている髪が降りている。眼鏡も外されているからまるで別人。
アッシュグレイの瞳さえなければ。
「ない頭で考えろって言ったのは、センセじゃないですか」
「考えるなと言ったら、お前は本当に空っぽになるだろうが。俺の言う“余計な事”ってのは、相手の見た目に騙されるなってことだ」
「……見た目?」
「外見から咄嗟に色んな判断下し過ぎだ、処理しきれなくて動きに繋がらない」
……うっ、当たってる。どうしよう、って一瞬迷うことが時々あるんだよね。
「大した処理能力も無いくせに、大量の情報を集めようとするな。直感で見極めろ」
「直感って――そんなのムリですってば!」
「無理じゃない、お前にはそれが出来る」
言って頭に乗せられた手。目の前の人は諏訪の声で話をして、諏訪の瞳であたしを見るけど。
「ね、センセ。せめて眼鏡掛けてよ。髪型違って、変な感じ」
やっぱり違う人みたいで、諏訪に指導されてる気がしない。
「変だと?」
声が低くなって、ぴくりと片方の眉が上がるから思わず体が竦んだ。
けど諏訪はすぐに表情を崩して、
「……お前は少し、顔色が良くないな」
頭に置かれていた手が頬に触れる。ひんやりと冷たいその手は、間違いなく諏訪のものだった。
少し優しい口調と細められる眸は、最近目にするようになった特別な諏訪の表情。
今そんな顔をされたら、「体調が悪いのにセンセが鬼みたいに扱くから!」そう言ってやろうとした言葉が出せないじゃん。
――ずるいよ、センセ。一人でコロコロとモード切り替えしちゃってさ。
「あのセンセ? ……なんで、あたしなの?」
普段見せないような顔を見せる相手が、どうして自分なのか。ずっと思っていた疑問だった。
諏訪だけど諏訪じゃないような目の前の彼になら、素直に訊ける。
「……目がな……」
「はっ? 目?」
訊き返すと微かに笑ったように見えた顔が近付いてきて、あたしの頬に柔らかいモノが触れた。
唇を離す時にはわざと音を立てるようにして。
「――いつか話してやる」
囁くように言ってもう一度小さく頬にキスをする。
それきり更衣室へと姿を消した諏訪の後姿を見送って、あたしは顔を覆った。
「あたし……」
全身がカッと熱くなった。血迷った意識を掻き消せるものなら、そうしたかった。
いつになく優しい口調、頬に触れた諏訪の唇の感触を思い出して。
触れて欲しかったのは、頬じゃなくて……。
唇へのキスが欲しい、だなんて思ってしまったあの瞬間。
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