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4月:友達小話

まとまりのない小話です。エピソード集みたいな感じ。

詩織サイドと裕美サイドがあります。オマケに委員長サイドつき。

□■□ side 詩織 □■□


「それでは各委員を決めたいと思います」

 ロングホームルームの司会を務める渋谷委員長がそう言って、私は黒板に委員会の名前を転記していった。

 聖火マリアには日々忙しい委員会と、年に一度だけ忙しい委員会があるようで、補足説明としてそれも説明する。和兄から渡された委員会メモには細々とした情報が書かれており、これをクラス全員分コピーした方が早かったのにと思ったりもした。

 それによると、忙しいの筆頭は学級委員である。年間に何度かある学校全体の行事について、すべて出番があるらしい。マジか。

 担任紹介の冒頭で学級委員を決めた理由が分かった。この用紙を見た後に決めようとすると、皆嫌がって逃げるからだ。

 私が愕然としているというのに、委員長は平常運転だ。

「では、続いて立候補を募ります。決まらなかった委員会については、ジャンケンで決めてしまいましょう。予定があってどうしてもできない事情のある人は、自分の予定範囲で可能な委員会に先に入ってしまってください。ジャンケン後に『これこれいう理由で無理』という言い訳は聞きませんので」

 委員長はそう言って、クラス中を見回した。

 図書委員の立候補を募った際、小さく手を挙げた女の子がいた。

 机の上に置いた手を、ほんの少し挙げて、チラッと委員長を見上げる。

 綺麗な黒髪をした、メガネをした女子生徒。座っている状態でもかなり小柄なのが見て取れる。童顔というわけじゃないのに、全体的に小さい。おとなしそうな雰囲気で、本が好きと言われれば納得するような。

 それが佐々木裕美ちゃんだった。



「あれっ、そのストラップって……」

 次に話題を振ってくれたのは、実は裕美ちゃんの方からである。

 入学式初日の友達作りに出遅れた私は、お昼休みは積極的に女子の輪に加わることにしている。ありがたいことに京子嬢が名前呼びをはじめてくれたおかげで、女子の輪に加わるには問題ない程度の親しみを、彼女たちは持ってくれたようなのだ。

「ストラップ?」

 その日のお昼休みに私がお邪魔させてもらったのは、裕美ちゃんとは中学が一緒だった女の子グループだったらしい。なるほど、顔見知り同士で寄り添ってしまう理由は分かる。 

 彼女が指摘したのは、私が携帯電話につけていたストラップだ。ターコイズの石がついたもので、シンプルなチェーンタイプ。キラキラしていて可愛いので気に入ってるものである。

 食事が無事に終わったところで、マリア嬢の動向を和兄に報告しておこうと携帯電話を取り出したところだったのだ。

「それって12シリーズあるやつでしょ?新見さんて、誕生日は12月なの?」

「知ってるの?」

「ほらほら、私も」

 そう言って裕美ちゃんは自分の携帯電話を見せた。彼女の携帯電話についているストラップは、ルビー。石部分以外は私が持っているのとほぼ一緒のデザインである。

「佐々木さんは、7月?」

「そうなんだよー」

 にっこりと裕美ちゃんは笑って、それからしばらく私と裕美ちゃんはストラップの話で盛り上がった。どこで買ったのかとか、購入した時のエピソードとかだ。

 ストラップがおそろいだった縁ということで、裕美ちゃんと私は名前呼びで呼び合うことになり、それが私と彼女との友情のはじまりと言えた。ちなみに私のストラップは、たまたま駅前を歩いている時に衝動買いしたというもので、面白いエピソードはなかったのだけど、こうなってはもはや、裕美ちゃんとの友情のために外せないね。

 

 さて、裕美ちゃんの容姿について、私は一目見てうらやましいと思っていることがあった。

 黒髪である。

 私の髪は淡い色で、猫っ毛なので、日本美人みたいな黒い髪の毛に憧れがあるのだ。両親も従兄も茶色で癖っ毛ぎみなので、これはもはや遺伝としか思われず、よって将来的に艶やかなストレート髪に変化してくれる見込みはない。ストレートパーマをかけたら違うかもしれないけど、そこまでしようとは思っていない。

「いいよねえ、黒髪」

 私がうっとりと見惚れて言うと、裕美ちゃんはぱちくりと瞬きした後、「うーん」とうなった。

「単に、伸ばしたままなんだけどね。本当は、色を抜いたりだとか、ちょっとしてみたいんだけど……」

「えええええ。もったいない。止めた方がいいって!そんなにきれいな髪なのに!」

 絶対髪が痛むと思う。いや、オシャレに興味を持つことは大事なんだけど、どうせなら自分の長所を生かす方向にした方がいいと思ってしまうのは私が黒髪贔屓なせいなのかな。確かに色を抜いた方が垢抜けた感じにはなると思うけど。

 私が大慌てで止めたので、裕美ちゃんはちょっと笑った。

「まあ、その、ね?興味はあるけど、黒髪もけっこう気に入ってるから、いいかなって。……それに違う髪型にしたければ、手段はいろいろあるし」

 裕美ちゃんはぼそっと付け足す。

「うんうん、そうして。だって枝毛とかもなさそうだし、お手入れ気を使ってるんでしょ?」

 私が聞くと、裕美ちゃんはまた驚いたように目を丸くする。

「よく分かるね?」

「そりゃあ」

 私だって身なりには気をつけているつもりである。そうすると、他人が気をつけているかどうかも、意外と分かるのだ。

 観察するに、裕美ちゃんは、お肌の手入れについては手が回っていないが(おそらく夜更かし生活を送っているのだと思われる。若いうちはともかく、年を経った後に響くと思われるので、早寝早起きをオススメしたい)髪の毛の手入れをちゃんとしている。

 ちなみに容姿についてB組でもっとも手抜かりがないのはマリア嬢だ。彼女はお肌も髪の毛も、一切手を抜いていない。感心することしきりである。日常的に意識してないと、ああはできない。男子たちは、単純に彼女が美少女なので目を奪われているけど、女子はむしろ彼女が身だしなみに気を使っているところを評価しているのである。たまに、どんな手入れをしているのかアドバイスを聞きにいく子もいる。

「詩織ちゃんはふわふわだよね、やわらかそう。触ってみてもいい?」

「いいよ」

 了解をとってから、裕美ちゃんは私の髪を撫でた。

「うわっ、やわらかっ……。気持ちいいかも。すっごい猫っ毛だね」

 そうなんだよね。そのせいかちょっと広がり気味である。

 私としては梅雨時のちょっぴり艶々キューティクルバージョンの方が気に入りなのだが、通常モードの髪も、それはそれで触り心地がいいらしい。これは和兄のコメントなので、頭から信じてはいないんだけど。

「えー、そうなの?わたしもわたしも」

 一緒に食事中だった残りの女子たちも加わって、最終的に私の髪はくしゃくしゃになった。お昼休み終了間際にトイレに駆けこんで、必死に直したのは言うまでもない。



 裕美ちゃんとよく喋るようになって、数日後。せっかくだから一緒に帰ろうよ、という流れになった。

 ふふふ、念願の下校デートだ。ぜひともこのまま仲良くなりたい。

 彼女も電車通学だというので、ごく自然な流れで駅まで同行する。さらっと口にしているが、ここまで持ってくるのにはけっこう緊張を伴った。私だって友達が少ないわけじゃないんだけど、誰とでも仲良くなれるほど社交的ってわけでもない。


 裕美ちゃんと連れ立って歩いていた時である。

 横断歩道の途中で、裕美ちゃんが小さな悲鳴を上げて足を止めた。

「痛っ……」

 どうしたんだろうと思ったら、ポケットから布のようなものを取り出して、メガネを外して拭きはじめる。

 風と一緒にゴミでも飛んできたかな?メガネが曇ったのかな?

 痛いというコメントからするとゴミ説が有力だとは思うのだが、だとするとメガネを拭く理由がよく分からない。

 だが、ともかく。

 立ち止まるには場所が悪かった。

 信号機が点滅をはじめ、私は焦る。残り十メートル程度ではあるが、いつ車が来るか分からないのだ。

「裕美ちゃん、ゴメン。ちょっと急ぐよ」

 彼女の視力がどの程度か分からないので、強引に腕をとって歩きはじめる。

 判断が間違ってなかったことは、すぐに分かった。さすがに自動車だったら急ブレーキをかけてくれたかもしれないのだが、ものすごい音を立てて走り抜けていったバイクがあったのだ。む、しかもヘルメットをしていない。

 駆け抜ける風のせいでスカートがまくれ上がり、私は眉根を寄せた。

 バイク自体は轟音と共にあっというまに見えなくなったが、巻き上げた風で裕美ちゃんは布を手放してしまったらしい。

「あ、あ、あ!」

 ひらひらと飛んでいく布が、横断歩道の中ほどへと消えていく。信号が変わると同時に走り抜けていった自動車に踏まれ、見るも無残な姿に成り果ててしまった。

「あぅぅ……」

 肩を落とした裕美ちゃんは、仕方なくメガネをつけ直そうとした。


「危ないなあ」

 ふと、覚えのある声が聞こえて、私はそちらを振り向いた。

 下校途中だったのだろう、渋谷委員長がいた。走り抜けていったバイクを目で追いかけながら、ぼそりと呟く。

「信号無視にノンヘルメット。ナンバープレート見たけど指摘したい?」

「え……」

「ぶつかってはいないから、罪に問うことは難しいと思うけどね」

「い、いや、いいよ。メガネ拭きなら買い直せばいいし……」

 裕美ちゃんが首を振る。いくらかは知らないが、メガネ拭き一枚で裁判沙汰にはならないと思う。

「あ、でも渋谷くんメガネ拭き持ってる?貸してくれない?」

「いいよ」

 委員長はあっさりとうなずくと、カバンの中から黒いメガネケースを取り出した。

 改めてメガネを拭く裕美ちゃんをじっと見やる。

 彼女のメガネは太ブチで、そのせいかすごくメガネの印象が強くなる。メガネ姿もチャーミングではあるんだけど……。

 思わずマジマジと見つめていた私を不審に思ったらしい。裕美ちゃんはメガネをつけ直した後に首をかしげた。

「どうしたの?」

「ねえねえ、もう一度外してみてくれない?」

「?」

 言われるまま、裕美ちゃんはメガネを外してくれた。

「ねえ、委員長。どう思う?」

「どうって……」

 委員長はコメントに困ったように苦笑した。

「思ったとおりに言えばいいんじゃないかな」

 うーむ、そう?そう思う?でもなあ、さすがにまだ親しくなりはじめの現在、ちょっと照れが混じるんだけど。

 コホンと咳払いをしてから、私は裕美ちゃんの手を両手で握った。

「へっ!?」

「裕美ちゃん。メガネなしの方が可愛い!コンタクトに変える気はないの!?」

 手を取られた裕美ちゃんは困惑したらしい。目をぱちくりさせた後、軽く笑った。

「お金がないから無理」

 がふぅ。即答であった。

「コンタクトって、けっこうお金も時間もかかるんだよね。洗浄液とかさ。定期的に検査しないといけないって聞くし……。おねえちゃんが、っとと、姉がコンタクトだから多少は知ってるんだけどね。痛そうでちょっと怖いし……。今はお小遣いを趣味に使いたいから、当分メガネを変える予定はないかなー」

「そ、そっかあ……」

 正直なところ、残念。

 だけど、さすがにこれはごり押しできない。

「ええと、それで、その……」

 裕美ちゃんは頬をわずかに赤らめつつ言った。

「そろそろ手を離してくれない?」

 おっとと、手を握りしめるのはさすがにちょっと大胆すぎたかもしれないな。


□■□ side 裕美 □■□


 高校の入学式当日、佐々木裕美は自分が人生の賭けに勝った、とさえ思った。


 誰と賭けたかと言えば、姉である。

 素敵な高校生活やカッコイイ男の子との出会いに憧れを持つ裕美を、姉はことごとく冷めたコメントで返してきた。

 いわく、『高校生なんて、昨日まで中坊だった連中よ?いきなり素敵な男になってるわけないでしょ』『先生だってくたびれた中年ばっかりなんだからね』『いーい?裕美、いい加減漫画やゲームで夢ばっかり見てないで少しは勉強もしなさい』

 言っていることが間違っているわけではないだろうが、もう少し夢見がちなコメントをくれてもいいと思うのだ。

 姉だって高校生になる時はさぞかし夢を見ていたに違いないと言うのに。

 

 だが、入学式当日、裕美を待っていたのは、担任は美形でクラスにはイケメンがいるという状況だった。

 その上、クラスには学年でも一人混じっていたらすごいだろうと思われる美少女が、三人もいた。

 いや、美少女なのは裕美本人ではないし、だからこそ別に裕美が人生の勝ち組になったわけではない。

 だが、少なくとも、これは中学とはまったく異なる環境だったのだ。

(高校生活は絶対、これまでとは違う!)

 それはもはや確信だった。


 裕美の見たところ、クラス一の美少女は愛川マリアと言った。容姿がすでにレベル違いである。華のある美少女で、男も女も振り向かずにはいられない。最低でもモデルだとかそういった経歴がありそうなのに、そういったことはないらしい。世の中は見る目がないんだろうかと裕美は思った。

 クラス二番手の美少女は、祭京子と言った。名前は賑やかそうだが、本人はショートヘアのスポーティな印象を受ける美少女だ。愛川マリアのことが気に入ったらしく、さっそく彼女に近づいている。美少女は行動力も並ではないらしい。美少女同士が並んでいる様子は目の保養だったが、美少女同士で固まられるとガードが堅くて困りものだと裕美は思った。

 クラス三番手は新見詩織といい、裕美のクラスの副委員長に就任した。どことなく真面目そう、優等生な印象を受ける美少女だから、担任教師もそう思ったのだろう。学級委員なんて面倒そうな役職を、さほど嫌がりもせずに引き受けた様子に、裕美だけではなくクラス全員が感心したに違いなかった。


 入学式から数日間、裕美は出身中学が同じ女の子たちとグループを組んでいた。

 顔見知りと一緒にいる方が気楽だという、ただそれだけの理由だ。親友同士というわけでもないので、お互い新しい友達を増やす努力はしている。

 そんなある日の昼休み、転機が訪れた。

 新見詩織の携帯電話ストラップが、裕美のものと同じだったのだ。

 よくは覚えていないが、一つ五百円程度のストラップで、星座別に12種類あった。裕美は7月生まれなのでルビー(本物かどうかは怪しい。値段から考えてもほぼ間違いなくガラス玉のはずだ)のついたものである。新見詩織の色はターコイズ。ということは彼女は12月生まれに違いない。

 そこまで頭の中で考えてから、裕美は彼女に声をかけた。

「あれっ、そのストラップって……」

「ストラップ?」

「それって12シリーズあるやつでしょ?新見さんて、誕生日は12月なの?」

「知ってるの?」

「ほらほら、私も」

 裕美は自分の携帯電話から揺れるストラップを見せながら、期待を込めて新見詩織を見つめた。

 どこで買ったのか、購入時のエピソードなどを話しながら、期待していたのは恋バナだった。裕美でさえ、このストラップの入手については『友達から誕生日にもらった』というエピソードつきだ。残念ながら贈り主は女の子である。近所の店で買われたものだったので、値段だって把握している。

 だが新見詩織の場合、きっと、贈り主は男の子だろう。そんな裕美の期待は、即座に砕かれた。

「ああ、うん。これは駅前でね、衝動買いしたの。文房具を買いに行った時だったかな。確かシャーペンの芯を買い足しに行ったのに、予定外に予算使っちゃって、母親に頼まれたお使いを優先したら結局シャーペンの芯は買えなかったんだよね」

 しかも面白くもないオチがついている。

 裕美は内心でがっかりしたが、それはそれだ。

 ストラップがおそろいだった縁ということで、新見詩織とは名前呼びで呼び合うことになり、翌日から裕美は彼女とお昼を一緒にすることが多くなった。

 

 新見詩織は裕美の黒髪が気に入ったらしい。

 黒髪の艶は、背も低く胸もささやかな裕美にとって唯一の自慢できるところなので、褒められて悪い気はしない。

 お返しに話題を振ろうとして新見詩織の髪の毛を観察する。

 淡い色をした髪は色を抜いたりしているわけではなく、天然ものであるらしい。ふわふわとやわらかそうでぬいぐるみみたいだ。

「詩織ちゃんはふわふわだよね、やわらかそう。触ってみてもいい?」

「いいよ」

 了解をとってから、髪に触れた裕美は驚いた。

 細くてやわらかくて、指触りがいい。その上、撫でられるのが気持ちいいのか、うっとりと目を細める様子が、なぜか猫を思わせる。ずっと撫でていたいが、この顔を長くされると危険な気がした。副委員長として雑用をしている際は、どちらかというと自立心が強い優等生のような雰囲気なのに、髪を撫でたとたん、まるで甘えたようなしぐさをするのだ。顎の下を触ったら、ゴロゴロ言ってくれるんじゃないかという期待さえ湧いてしまう。

(うわー、うわー、うわー……、もしかしてこの子って……)

 調子に乗った裕美の横から、他の女の子たちも加わってきて、最終的に新見詩織は鳥の巣みたいにくしゃくしゃにされたのだが、彼女は若干苦笑して髪型を直しに行っただけで、少しも怒らなかった。

 クラスの端の方でお弁当を広げていた男子の一部が、新見詩織の思わぬ表情を見てごくりと息を呑んだようだったのだが、裕美は特に言及はしないでおいた。女の裕美だって思わず危険な香りを嗅いだくらいだ、無理もないと思ったのだ。



 新見詩織とよく喋るようになって、数日後。裕美は彼女に一緒に下校しないかと誘われた。

 話を聞けば電車通学だというし、それならば駅まで一緒に行くのは自然なことだ。バス通学の場合、すぐ間近に停留所があるので、ほとんど歩く時間がないのである。


 聖火マリアには、正門と裏門とがある。どちらも広い道路に面していて、自動車の往来があるため、車に気をつけるようにと注意勧告されている。小学生じゃないんだから、と裕美は思っていたが、横断歩道で青信号を待つくらいの分別はつけている。

 だが、急に目にゴミが入った時までは、その限りではない。

 

 横断歩道の途中で、強い風が吹いてきたと思った瞬間だった。

 春の風というものは時に強く、目にゴミが入るととんでもなく痛いのだ。姉に言わせると、コンタクトの場合もっと痛いのだという。なぜか自慢げに教えてくれたが、『もっと痛い』と言われてコンタクトに憧れを持つ者なんていないと思う。

 目にゴミが入った時は、とにかく泣いて涙で洗い流すのが早い。だがメガネをしたまま泣くと、レンズに涙がついてしまい、メガネが曇ってしまう。

 とっさに目を潤しながらメガネを外した裕美は、いつものようにレンズを拭こうとした。

 焦ったような声が聞こえてきたのはその時だった。

「裕美ちゃん、ゴメン。ちょっと急ぐよ」

 新見詩織はそう言うと、裕美の腕を強引に引いて歩き出した。

「えっ?」

 ぐいぐいと横断歩道を渡りきった瞬間である。先ほどまで二人でいた場所をバイクが通り過ぎていった。

 メガネを外していた裕美には運転手の顔など少しも分からなかったが、鋭く睨む新見詩織の雰囲気からして、運転手は速度を落とす気配がなかったのかもしれなかった。

(あ、もしかして私ひかれかけた?)

 もしかして今、自分は命を救われたんだろうか。そう思いはしたが、新見詩織の表情からは大事の様子は伺えなかった。

 バイクの巻き上げた風がメガネ拭きを運んでいき、裕美もまた、そちらに慌てて今の衝撃を忘れた。


「危ないなあ」

 タイミングよく声をかけてきたのは渋谷委員長だった。

 どうやら彼も下校途中だったのだろう。声をかけるタイミングをはかっていたのかどうかは分からない。通り過ぎていくバイクを目で追いかけた後、彼は言った。

「信号無視にノンヘルメット。ナンバープレート見たけど指摘したい?」

 いやいやいや、と裕美は慌てる。指摘するって、それはつまり警察に連絡をするという意味だろう。別にぶつかったわけでもないし、何より警察と連絡なんてとりたくない。

 渋谷からメガネ拭きを借りた裕美は改めてレンズを拭きはじめ、それを見ていた新見詩織が表情を変えた。

 マジマジと顔を覗きこんでくる気配に、裕美は思わず身を引いた。

「どうしたの?」

「ねえねえ、もう一度外してみてくれない?」

「?」

 メガネのない自分が珍しいのだろうか。珍しいってほどまだ知り合い歴は長くないんだけど。そう思いながらメガネを外した裕美は、驚いた。

 渋谷相手に迷うようなしぐさを見せた後、新見詩織は裕美の手を握りしめてきたのだ。

「裕美ちゃん。メガネなしの方が可愛い!コンタクトに変える気はないの!?」

 目をキラキラさせてそう言った新見詩織の表情に嘘はなかった。

 裕美は少しばかり姉を思い出しながら、軽く笑った。

「お金がないから無理」

 返答に、新見詩織はガクンと肩を落とした。よほどメガネなしの姿が気に入ったのだろうかと思うと、悪い気もしない。

(おねえちゃんに言われなきゃ、高校デビュー的にコンタクトに挑戦したいと思ったこともあったんだよね)

 お小遣いの優先順位を趣味に回しているのでお金がないのは確かなのだ。

(使い捨てのやつとかで、コスプレの時だけでも試してみようかな?)

 果たして新見詩織がその姿を見ることがあるかどうかは別として。


「ええと、それで、その……」

 裕美は頬をわずかに赤らめつつ言った。

「そろそろ手を離してくれない?」

 この大胆さを男子に発揮したら、見かけとのギャップもあってけっこうな男子が被害に遭うのではないかとふと思ったが、まだ判断するには早計だと口にするのは控えることにした。

 裕美が、新見詩織の行動は単に色恋に疎いがゆえであることに気づくのには、それから一か月かからなかった。


□■□ side 渋谷 □■□


 新見詩織と佐々木裕美の出会いには、劇的なものは何もなかった。

 同じクラスになった者同士、携帯電話のストラップがおそろいだったというだけの縁だ。だがお互いに琴線に触れるものがあったのか、昼休みも含めて一緒にいることが多い。


 渋谷にとって、彼女たちは女友達というカテゴリに属する。

 学級委員の職務上の問題から、新見と一緒にいることが多くなり、彼女と仲良くなった佐々木とも話すことが増えた、という自然な流れである。

 新見はよほど彼女が気に入ったのか、一緒にいるとよく佐々木の話題を出す。

 7月が誕生日らしい、という前置きをしながら、彼女が誕生日プレゼントについて悩みだしたのがいつごろのことだったか、渋谷はよく思い出せない。

「予算はね、ある程度割いてもいいんだ。けどさ、ほら、裕美ちゃんは自分が欲しいものは発売日に即買っちゃう方なんだよね。さりげなく観察してるんだけど、雑誌とかで目を留めてるやつはたいがい、発売日には手に入れてるみたいだし。オススメ本については借りてみたりもしてるんだけど、あまり詳しくなれてないし」

 新見がどう思っているか知らないが、佐々木はオタクにカテゴライズされるタイプの女子である。興味範囲が狭く深いのだ。この手の女子は、自分の趣味に対してはどこまでも追求する。にわか知識で便乗しようとするとかえって逆効果なので、今の新見にはオススメできない。

 一方の新見はと言えば、興味範囲が広く浅い。あまり入れ込まないタイプであるようで、いろいろなことを知っているが、どれも本職には劣る、といった感じだ。目下のところ一番興味を惹いているのは愛川マリアの行動のようなので、強いて言えば人間観察が趣味なのかもしれない。


「何がいいと思う?」

 何度目かな、と思いながら渋谷はため息をついた。

 あれこれ考えはするものの、良案が思いつかないらしく、二転三転した後に、こうやって渋谷に話題を振ってくる。他のことならばともかく、佐々木が喜ぶ誕生日プレゼント案なんて渋谷には手におえない。

「どうしてそこで、僕に聞くかな。女の子の喜びそうなものなんて僕の方が知りたいよ」

「そこで諦めたらいい大人になれないと思うわけよ。どうせ贈るなら喜んでもらいたいんだもん。なんかいい案ない?」

「女の子同士なんだから、新見さんが欲しいと思うものにすれば?」

「え?新しい服」

 即座に返ってきた返答に、渋谷は少し黙りこんだ。女子の服の相場なんて知らないが、男子のものより高そうということだけは分かる。

「……まあ、高校生同士で贈り物にするには、ちょっと予算が高いかもしれないね」

「そうなんだよねえ。サイズの問題とかもあるし。あと、趣味の違いとかもあるから」

 仕方なく渋谷はヒントを散らすことにした。この手の回答は自分でたどり着いてもらわねばどうしようもない。後で責任がとれないから。

「新見さんにとっての、彼女の特徴ってなに?」

「外見って意味?うーん、小柄で、すっごく綺麗な髪してて、メガネで、私と同じストラップ使ってて……」

 指折り数えているうちに答えが見えてきたらしい。もう少し早くこうしておけばよかったと渋谷は思った。

「そっか。髪飾りなら。多少趣味と合ってなくても服装に合わせて変えられるし、いいかもしれない!」

 天啓のように思いついたらしく、新見はさっそくメモをとった。嬉々として手帳を取り出し、週末のスケジュール調整に入ったところを見ると、ショッピングモールかどこかに探しに行くのだろう。

 やれやれ、と渋谷が肩の荷を落としかけた時だ。


「あ、せっかく裕美ちゃんの誕生日教えてあげたんだから、委員長も用意するんだよ?プレゼント」

 当然のような顔をして、新見は言った。

「え?」

「なんだったら一緒に探しに行く?」

 次いで提案された言葉に、渋谷は耳を疑った。

「…………え?」

「ショッピングモールはね、けっこう女の子向けアクセサリーが充実してるんだよねー。ふっふふふ、お年玉貯金はまだあったっけ?いざとなったらお小遣い前借りするって手もあるし」

「ちょ、待っ……」

「ん、何?」

 不思議そうに首をかしげる様子を見て、他意がないのは理解できた。そして、買い物をしている様子を想像してもいないのだろうということも。

 同世代の男女二人が休日のショッピングモールで一緒に買い物をしている様子を、誰かに目撃でもされた場合、その誰かがどう考えるかということが、まったく考慮から抜けている。

「……君、僕の性別完全に忘れてるだろう」

 渋谷が絞り出した声は、不本意ながら苛立ちを含んでいた。

 指摘は検討違いだったらしく、「委員長は男にしか見えないけど」というコメントと共に首をかしげている。

 本当にこの女は高校生かと渋谷は心の中で叫びたくなった。

 鈍い。疎い。他のことはそうでもないのに、色恋沙汰に限定して!一体どこの誰だ、この女をこんなに鈍く育てた阿呆は!

 渋谷はため息をついた。

「……分かってるよ。新見さん相手に動揺してる僕が馬鹿なんだろうな」

 あーあ、と渋谷は呟いて首を振った。


 結論から言って、新見と一緒に出かけるはめにはならなかった。少し遠くの駅に気に入りのアクセサリー屋があるとかで、親戚に車を出してもらったと言っていたからだ。ホッとしたような、残念なような、複雑な気分であった。

 情報としては知っていた佐々木の誕生日に、渋谷は何も用意しなかった。代わりに、当日の話題でさりげなく誘導し、あたかも今知ったような顔で「おめでとう」の一言を告げた後、飲み物を一缶奢っただけだ。

 新見はそれを友達甲斐がないと思ったらしい。真意を尋ねてきたのでこう答えた。

「物を贈らない方がいいっていう選択肢も、世の中にはあるんだよ。僕は佐々木さんとまで距離感を間違えたくはないからね」

 肩をすくめながらそう答えた渋谷は、いつものとおり苦笑している。

 距離感を間違えたかもしれない、と薄々感じているケースが、約一例、あるだけに。


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