7月:弁当小話
とある噂話と、お弁当の話
「あれ、詩織ちゃんのお弁当、いつもと雰囲気が違わない?」
裕美ちゃんがそう言ったのは、確か5月の半ばごろのことだった。
お昼休みのお弁当タイムを一緒に過ごすのにも慣れてきたころである。図書委員会に入った裕美ちゃんは、週に二日ほど図書室当番になるから、それ以外の日は私と一緒に食べている。私は視界の端で同じようにお弁当を広げるマリア嬢と京子嬢を観察しながら、世間話と洒落込むのだ。
この他には、委員長と一緒に食べることも多い。委員会の用事がお昼休みにある時なんかがそうだ。手早く動くために、打ちあわせしながら食べているわけである。
「うん、今日は私の作品だからね」
私が言うと、裕美ちゃんは目を丸くした。
「詩織ちゃんが作るの?すごーい!」
「別にすごくないよ?見てのとおり、茶色いし」
そもそも裕美ちゃんがパッと見て違いに気づく有様である。どことなく全体的にこげ茶色。うん、要するにちょっと焦げ気味なのである。
「詩織ちゃんは普段、おうちのお手伝いとかしてるの?」
「うん?料理ってこと?あまりしないなあ……、私の家って、台所は母親の場所なんだよね。お菓子作りする時は台所使わせてもらうけど、それ以外の時にはあまり入らないようにしてる」
まあ、言い訳である。母親だって私が自発的に手伝いを申し出れば喜んで受け入れるはずだけど、単にやらないのだ。めんどくさいんだもん。
「でも、それだと母親の負担が大きすぎるでしょ?そんなわけで、父親が月に一度『母の日』を作っててね、その日は、朝から晩まで母親はなんにも家事をしないの」
ついでに言うと、その日の夕飯は、夫婦でレストランとかに行くのである。たまの贅沢ってことらしい。子供のころはなんとも思ってなかったんだけど、毎月コースメニューを食べているかと思うとうらやましい。ぜひとも今夜は私も連れて行ってくれないだろうか。
とはいえ、残された私と、祖父と和兄は、私が自作したカレーあたりを食べるのが定番だ。和兄はともかく祖父の分の食事準備があるので、両親は私を連れて行ってはくれないだろう。
「その日はお弁当も、自分で作るんだよ」
とはいえ、中学までは給食だったので、その必要はなかったんだけどね。
説明を終えた私は、こげ茶色のデコレーションをしたお弁当を平らげることにした。火加減が今ひとつ決まってないので見栄えが悪いけど、ちゃんと味見してるので味付けは問題ない。
「へえ~。じゃあ、今夜は詩織ちゃんが夕ご飯も作るんだね」
まあ、そうなる。メニューは今月もカレーのつもりだったけど、なんだか少し見栄を張りたくなってきたので、酢豚あたりに変えておこうかなあ。それとも夏だしもっと爽やかなメニューの方が良かったかな?なんてことをもやもや考えつつ、私は話題を切り返した。
「ちなみに裕美ちゃんは?おうちのお手伝いとかするの?」
「え?私?うーんと、おかあさんに言われたら手伝う感じかな」
裕美ちゃんはそう言って、わずかに目を泳がせた。
そんな会話をしてから、二か月近く経ったころである。
家庭科の調理実習なども経験し、クラスメイトの料理の腕前もだいたい把握してきたある日。
私は、委員長と二人でお弁当を広げていた。本日は残念なことに裕美ちゃんは図書当番なのだ。生徒会総選挙が終わって、もっと楽になるかと思いきやとんでもなかった。学級委員はいつでも雑用係なのである。仕事は減らないのにやることは増えるってどういうことだ。私が過労で倒れたら誰が責任をとってくれるというのか。
仕方がないので昼休みにテスト勉強をしたり、委員長と打ち合わせをしたりしているわけだけど。
「どうしたの、委員長」
他人のお弁当の中身について言及するという行動に出たのは、お弁当派だったはずの委員長が、コンビニで買ってきたと思われるパンの袋を机の上に並べたせいだ。
飲み物は校内で買えるやつである。この夏場に入ってもホットコーヒーだ。よく売ってたな。
「購買のパンって、昼休みに入るなり急がないと買えないだろう?」
委員長はそう言って、「だからあらかじめ買っておいたんだよ」と続けた。
確かに委員長は運動がダメなので、速度が要求される購買競争には不利だ。そこらへん、自分のことをよく分かっている委員長である。
「そういうことじゃなくてさ。いつもお弁当持ってきてるじゃない」
「ああ……」
「バランス良さそうなお弁当で、感心してたんだけど。おかあさんが体調でも崩してるの?」
私が尋ねると、委員長は少し黙りこんだ。言いづらそうに視線をさ迷わせた後、苦笑いを浮かべてから答える。
「実は、母が実家に戻っててね」
「えっ……」
思わず声を失ったのは言うまでもない。私、とんでもない地雷を踏んだんじゃあるまいか。
青ざめた私の顔色をどう受け止めたのか、委員長は笑った。
「ああいや、そういう……別に夫婦喧嘩したとかって話じゃないんだよ。年の離れた弟が産まれたんで。身体が落ち着くまでは向こうにいるって」
「そうなの?いいなぁ!おめでとう!!」
パンと両手を叩いて私が喜ぶのに、委員長は渋い顔をした。
「そんなに喜ぶことかな」
「えー、だって私一人っ子だから、年下の兄弟ってうらやましいけどなあ」
でも弟よりは妹が欲しいな。いろいろ着せ替えとかして遊ぶの。ふふ。
ついでに、私が必要以上に喜んだのは、別の理由があった。だってさ、『実家に戻った』なんて聞いたら、離婚でもしたのかって思うじゃないの。聞いちゃマズイこと聞いたらしいと思った直後に逆方向の理由だったんでホッとしたんだよ。
委員長は恥ずかしそうに目をそらした。
「いや、正直なところけっこう複雑だよ?16にもなって、いまさら弟がって言われてもさ。……弟っていうより、なんか息子くらい年が離れてるじゃないか」
「いいじゃない。なにが嫌なの?」
「恥ずかしくない?赤裸々なことを言えば、いい年した両親が、仲良くした結果ってことだろう?」
「親が仲良くて恥ずかしがる必要はないと思うね」
うちの両親なんか、あれだけ仲が良くてどうして子どもが私一人なのか疑問なくらいである。
「……」
委員長は少しばかり納得のいかない表情を浮かべていたが、やがて「ふう」と息を吐いた。年頃の男の子としてはいろいろ複雑なのだろう。
「まあ、この件に関する個人的な感想はさておいて、そういうわけなんで、しばらく弁当は期待できないんだよ」
「なるほどね。……でも、それならせめて野菜は加えた方がいいよ?サラダがダメなら野菜ジュースにするとかさ。それにそのパン、菓子パンばっかりじゃない。それじゃおなかにたまらないでしょ」
私としてはコンビニで買うならせめておにぎりにした方がいいと思うわけだ。
「……新見さんて、けっこう説教好きだよね」
委員長は笑って言った。うむむ、確かにそうかもしれない。
でもねえ、運動をしない委員長なら、せめて食事バランスに気をつけないと。年を経った後に後悔するかもよ?
「でも、大変だね。毎朝学校に来る前に買うの?」
「駅でね。……買うのは大変じゃないけど、飽きるね。さすがに」
「ちなみに何日目?」
「もう一週間」
委員長はそう言って、コンビニ袋を見下ろした。スーパーのお惣菜コーナーで調達するならともかく、コンビニのパンではバリエーションに欠けるのだろう。せめてそこはコンビニ弁当とコンビニおにぎりを混ぜて、日替わりにすると良かったと思う。
「なら、明日は別のにしてみる?」
私が言うのに、委員長は首をかしげた。
「私、明日『母の日』なんだよね」
意味が分からなかったらしく、委員長は目を二度ほど瞬かせた。
「詩織ちゃん、迂闊すぎ」
翌日、私は裕美ちゃんに端的なお叱りを受けた。
再びお弁当タイムである。『母の日』であった私は、相変わらずちょっと茶色めのお弁当を広げながら首をかしげた。
「……えっと。どういう意味?」
「噂話を増長させてどうするの。っていうか、当分消えないよ?あれ」
「えっと、待って。何が?」
「くっ、しかも気づいてないとか。詩織ちゃんの親御さんにはもう少し情操教育を施しておいてほしかった……っ!」
はあ、と裕美ちゃんは首を振り、私の短慮を説明してくれた。
「ええとね、まずね。詩織ちゃん。今日は、詩織ちゃんはお弁当を作ってきたんだよね?」
「うん」
「そのついでに、ある人物のお弁当まで作ってきたよね?」
「そうだね」
「彼にお弁当を渡したの、いつ?」
「朝だよ。だってお昼に行動が一緒になるとは限らないでしょ?」
つまり、そういう話だ。同じ食事ばかりで辟易してるようだったから、委員長に毛色の違うものを食べさせてあげようかと思っただけである。特別に作るのだと面倒だけど、私の分を作るついでだったから。
「しかも、皆がいる前で渡したよねっ!?」
裕美ちゃんは批難するように声を上げた。
私は、毎朝わりと早めに登校している。理由は簡単で、満員電車に乗りたくないからだ。
ジョギングのおかげか朝に強い方なので、一走りして、シャワーを浴びて、それから登校するわけだ。
今日は『母の日』だったので、ジョギングはお休みしてその時間を朝食とお弁当作りに当て、約束していたので委員長の分も作った。まあ、私の分のついでだからして、おかずは一緒である。茶色具合も似たようなもんだ。
台所へ覗きに来た母親には「和翔くんの分も作るの?」とかって驚かれたけど、「クラスメイトの分」というと納得してくれた。
登校してきた委員長を見つけた私は、彼の前にツカツカと進み寄り、カバンの中からお弁当箱を取り出したのである。
「ハイ、約束のやつ」
私が差し出したそれを、委員長は目を丸くしながら受け取った。
私の顔とお弁当箱とを何度か往復して見た委員長は、うなるような声を漏らした。
「……まさか本当に作ってくるとは思わなかったな」
「なんでよ。やる気なかったら約束しないよ?」
だいたい、それってヒドイでしょうが。果たすつもりのない約束をされて、真に受けて食事を用意して来なかった場合困るじゃないか。食事抜きってわけにもいかないだろうし、その場合は苛烈な購買競争に足を踏み入れないといけなくなるのだ。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
委員長はしばらくの間、迷ったような表情を浮かべた後、観念したような顔で笑った。
「ありがとう。心して食べるよ」
どういう意味だ。
「……別に食べておなか壊したりしないからね」
「そういう意味じゃないけど。……まあ、いいか」
少しばかり照れたように、頬のあたりを赤く染めた委員長は、私から受け取ったお弁当箱をカバンに入れた。
まあ、私が作って来ないと思ってたのだとしたら、きっとカバンの中には買ってきたパンが入ってるんだろうし、持ちづらそうだけど、どうでもいい。
「空箱の返却は明日でいいからね」
私はそう言ってひらひらと手を振り、自分の席へと戻った。
……と、こんな風である。
確かに人前ではあったけど、裕美ちゃんに批難されるような特別なことをしでかしたんだろうか?
「まあ、男の子にお弁当作ってあげるとかって、好意があると思われても仕方ないよね」
えー。どうしてだ。横からひょいと割りこんできたデザイナーくんに、私は納得ができかねる顔をした。
「火村くんなんか、ほぼ毎日もらってるじゃないの」
「まあね。あ、この卵焼きもらっていい?」
「すでに食べてるし」
デザイナーくんは、お父さんの単身赴任に付いてきちゃったという経緯だからして、実は父子二人暮らしである。両方とも料理はしないタイプらしくて、朝ご飯も昼ご飯も家では食べないんだそうだ。そうすると、どうなるか。デザイナーくんの場合は、彼に好意的な女の子たちが作ってくれるお弁当の差し入れを食べたり、それがない時はお弁当を食べてる女の子グループに割りこんで、おかずをつまんでいくのである。足りなければパンを購買で買ったりもしてるだろうけどね。もちろん、私と裕美ちゃんのお弁当も、ほぼ毎日ちょっとずつつまんでいかれている。
「詩織ちゃんの作品を食べるのははじめてだけど。卵焼きの味付けはこっちの方が好みだなあ」
デザイナーくんはそう言って、へらへらと笑う。
母親の作より味付けが好みだと言われて、嬉しくないわけがない。思わず照れてしまった私は、誤魔化すように話を返した。
「あれこれ食べてるのに、味覚えてるの?」
デザイナーくんはにこりと笑った。
「もちろん」
こういうところが、デザイナーくんがモテる理由だろうか。
「まあ、けど。しばらく噂がなくなるのは諦めた方がいいんじゃない?」
デザイナーくんはそう言って笑って、チラッとクラスの片隅でお弁当を広げている委員長を見やった。
とはいえ、大したことはないだろうと思っていたのだ。
別に私と委員長が甘い間柄じゃないことは、裕美ちゃんとかはよく知ってるし。
ところがである。
裕美ちゃんは週に二度ほど図書委員の仕事で席を外す。そういった場合に、一緒にお弁当を食べる人を求めて、私は別の女子グループに紛れこむことがある。幸いにしてB組は気さくな性格をしていて、自分のグループ以外とお弁当を食べたくないといったメンバーはいないのだ。
マリア嬢だってそうだ。京子嬢の報道部は、週に二度、必ずお昼の放送当番があるので、その日のマリア嬢は他のグループと一緒に食べているわけである。
たまたまその日、私とマリア嬢が一緒になったのは、七瀬さんという子を中心とした女子グループであった。
七瀬さんはB組女子の中でも運動が得意な方である。陸上部に所属している。勉強は不得意なんだけど、数学の成績は私よりはいいので、補習組にはならない。体育祭でも大活躍だったし、今度の球技大会にも活躍してもらう予定だ。
「でさあ。結局のところ、新見さんって、渋谷くんといつから付き合ってるわけ?四月?」
やけに大きなおにぎりを頬張りながら、七瀬さんは聞いた。彼女のお弁当はダイナミックである。全部おにぎり。たぶん、具は変えてあるんだと思うけど、炭水化物に特化しすぎであると思う。
「は?」
私は目を丸くした。
「付き合ってないよ?」
「えー、そんなことないでしょ。手作りのお弁当を渡す仲じゃないの」
にやにやと笑いながら、七瀬さんは言った。
「確かにお弁当は作ったけど……」
私が戸惑いながら首をひねるのに、七瀬さんグループはそろって目を輝かせた。ついでにマリア嬢の目も期待するかのように煌めく。
「だって、ほら、放課後とか一緒に帰ってるじゃない?部活してるとたまに見かけるもん」
「?委員会の後だけね。遅くなるから駅まで送ってくれることが多いけど」
「いつも一緒にいるし」
「?仕事が一緒だからね?」
「席も近いし」
「むしろ遠いと思うよ?教室の端と端くらいは離れてるから」
「ああ、もおっ!新見さん、ノリが悪い!」
怒られた。どうしてだ、理不尽だ。
「そこはもっと、こうね、『そ、そんなことないよ』とかって恥じらうべきだよ!ほら、愛川さん、実演!」
「えええええ!?」
「あなたまでノらないって言うの!?」
「そ、そんなこと言われても。ま、待ってね。ええと……」
話題を振られて困り果てたマリア嬢は、それなりに必死に考えたらしい。わずかに顔を赤らめて、右の手を小さく拳の形にすると、口元に当て、ちらっと上目使いをしつつ、恥ずかしそうに言った。
「『そ、そんな、こと、ないよ……?渋谷くんとは、友達だもん』」
ぐはああああああああああああああああああ。
可憐過ぎる。なんだそれは!!
そんな顔されて否定されたら、誰も信じない。誰が見たって『成立寸前、でもまだ一歩踏み出せないの』な公認カップルである。
私がのたうち回るだけではなかった。七瀬さんグループは総じて撃沈した。あまりの美少女ぶりっ子ぶりに、もはや太刀打ちは困難だ。何の話題をしていたのか、忘れる勢いである。少なくとも七瀬さんは、私をからかおうとしたという主題は忘れただろう。マリア嬢、ぐっじょぶ。
「くうっ。あたしが甘かったわ。ここまでの人材だったなんて。京子に言って、演劇部への加入をすすめるよう言っとくわ」
「え。あの、別にわたし、演劇部に入るつもりはないんだけど……?」
十分な演技派であると思われる。将来の女優さんになる日を楽しみにしていよう。
「それと新見さんは、いつ陸上部に入ってくれるの?」
「……副学級委員長の間は、考える余裕もないかも」
なお、七瀬さんは体育祭以来、私を陸上部に勧誘しようと熱心だったりもした。
「ということがあってねえ」
雑談代わりに話題を持ち出しつつ、笑う私に、委員長は苦虫を噛んだような顔をした。
「それを僕に言ってどうしろっていうのさ?」
「別にどうしろとも言ってないよ?でもさ、誤解は解いた方がいいと思うんだけど。なんかいい方法ないかな」
「誤解を解くのに?」
放課後である。例によって委員会で遅くなった私は、委員長と一緒に連れ立って帰る途中だった。
七瀬さんには悪いが、私と委員長との間に、甘酸っぱいものなど存在しないのである。というか、世の中の仕事の同僚すべてにそんなものがあっては、社会は機能しなくなると思うんだよね。
男女の間にあるのは恋や愛だけではなく、ビジネスライク的な何かの方が多いに違いない。
「……僕は別に誤解されたままでも困らないけどね。それで被害をこうむってないし」
肩をすくませながら委員長が言う。
「実は被害受けてるかもよ?委員長に片思い中の女の子とかが、勝手に誤解してアピールできずにいるかも」
私が言うと、委員長はちょっと気の毒そうな目を向けてきた。
「……そうだね。逆パターンもあるかもな」
やれやれ、とばかりにため息をついて、委員長は続けた。
「まあ、松本まで誤解してるようだし、何か手段を講じた方がいいかもしれないけど」
では実際どうするかというと、なかなか良い手段が浮かばない。
「誤解を解く一番楽な方法は、別に恋人を作ることじゃないか?」
委員長が言った。
「それができれば苦労はないと思うけど。委員長、心当たりの女の子でもいるの?」
「いないけど」
「ダメじゃん。それに、単に他に恋人作って否定するんだと、今度は委員長、二股ってことになるんじゃない?」
「どうして新見さんはフリーだっていう前提なんだ?新見さんも恋人を作ればいいだろ」
「相手の心当たりがないし」
とりあえずこの案はボツだな。お互いに顔を見合わせてそういう結論になったんだろう。別の手段を考えて、二人で首をひねる。
「ならいっそ、本当にしてみるとか」
「は?」
「僕と付き合ってみる?」
「冗談で言ってるでしょ」
「まあね」
それも却下だ。そういうのは冗談でやるべきものではない。
いくつか案を考えたけど、結局これといった作は思いつかないまま、駅にたどり着いた。
委員長の最寄り駅は、沿線ではあるんだろうけど、どの駅なのかは知らない。いつもホームで解散だしね。
「仕方ないね。誤解が解けなくて困ったら、お互いに協力して口添えするってことで」
現状と変わらない結論である。私は同意してうなずいた後、「あ」と思い出して口を開いた。
「そういやさ、先日の空箱返却の時に、袋に入ってたやつ、これ何?」
カバンの中から取り出した小さな袋を見て、委員長の表情が変わった。
お弁当の空箱は、翌日返却された。紙袋に入っていたのでそのまま受け取って帰ったところ、中に違うものが入っていることに気づいたのである。
小さな青い紙の袋で、金色のシールで封印がされているというそっけないものだけど、メッセージカードとかそういった雰囲気。
「入れ間違えかと思って中は確認してな……、っ……?」
別人宛だと困ると思って、開封してなかったのだ。そう説明をしていた私は、驚きに声を途切れさせた。
「……っ」
みるみるうちに顔を赤らめた委員長は、慌てたように顔をそむける。
「……委員長?」
「……あー、くそ。柄にもないことするべきじゃなかったな」
ぼそりと呟いた委員長は、額に手をやって二度ほど首を振り、それから苦笑いをして私を見た。
「お礼。……さすがにちょっと、あのクラスの雰囲気だと言いづらかったんで。まあ、その」
「……私宛だった?」
返答は苦笑いだ。
「……ええと。開けてもいい?」
「さすがに目の前では止めて欲しいな。気恥ずかしい」
委員長は笑って、「まあ、大したことは書いてないよ」と続けた。
「それじゃ、僕はこの辺で。また明日ね」
軽く片手を挙げて、委員長はホームの雑踏の中へと消えていく。
残された私は……、どうにも気になってその場でメッセージカードを開封した。
中にあったのは、こんな文章だ。
『新見さんへ
ありがとう、美味しかった。
火村は卵焼きって言ってたけど、僕としては唐揚げが良かったな。
また作ってくれない?
渋谷』
……うむむむむ。これ、面と向かって言われるより、よほど恥ずかしいのはどうしてだ。
むしろ口にして欲しかった。そうしたら簡単に返答して終わりにできたのに。
解散地点から身動きできずに数分間。
私が考えたのはこんなことだ。
教室の端っこで素知らぬ顔していたくせに、実は私と裕美ちゃんのお弁当タイムが聞こえていたんだろうか、あの男。
元から噂に強い委員長だが、むしろこれは地獄耳の域である。
翌日私は彼にこう告げた。
「来月は夏休みなんで、その次の月にならいいよ?」
それがメッセージカードへの返事だと気づいた委員長は、なんとも微妙な表情を浮かべた。嬉しいのか悲しいのかよく分からないといった感じ。まあ、二カ月も先なので、その時彼が覚えているかどうかは、知らないけどね。
私と委員長の仲を取沙汰した噂話については、夏休みの間に静まったらしい。人のうわさも75日とはよく言ったものだ。
お弁当作りどころじゃない噂話が蔓延したせいなんだけど、この時点での私はそんな未来を予測することなど到底できなかったのだ。