7月:七夕小話
7月7日は七夕である。このイベントを知らない者は、日本にはいないと思う。
もちろん私も幼少期から、毎年笹の葉に短冊を提げていた。途中からちょっと面倒になったりもしたんだけど、うちの場合、母親がこういう『飾り物』が好きだったりするので、毎年新しい笹を買ってくる。そうすると、飾りも毎年作らないといけないんだよね。まあ、あまり小難しい飾りではないよ。折り紙で、輪つなぎとか、あみかざりとか、星とか、吹き流しとか提灯とかを作るんだ。
もし作り方を知らない人がいたら、ネットで検索してみて?びっくりするくらい簡単に、しかもそれっぽく作れるから。
短冊には穴を空けて、モールを通して括りつける。けっこう力作になっちゃうと、毎年処分するのが惜しいんだけど、まあ、そこはそれ。
梅雨明けしてないことが多いから、驚異的な雨率を誇るこの日。
毎年毎年、織姫と彦星は天気予報とにらめっこしているに違いないと思うんだよね。
確かカップルになったことに浮かれた二人は毎日遊び呆けて仕事を放棄した。それを咎められて天帝に引き裂かれてしまったのだ。新婚だからということで許されたのは最初だけ、いつまでも仕事に戻らないから怒ったんだろう、無理もない。
うん、私も今、盛大に抗議したい。
織姫と彦星よ、なぜ夏休みまで待ってくれなかったのだ。学期末試験!学期末試験があるのに!私にとって、実に貴重な日曜日だったのだ。勉強させろよ、おい。七夕飾りとか作ってる暇はないんだよ。
そんなわけで、私の願い事は『試験が無事に終わりますように』『補習になりませんように』である。ぜひとも夜には晴れて欲しい。
「色気のない……」
和兄が私の短冊を見て、そんなことをのたまった。失礼な。うちの母親みたいに、『来年の結婚記念日には二人で温泉に行きたいです(ハートマーク)』なんて書くようなキャラじゃないのである。母親の願い事は直接父親に言うべきだと思うよ。うん。ちなみに父親は『家族がいつまでも幸せでありますように』と書いている。まともだ。祖父は『健康第一』。それって願い事かな、標語じゃない?
「そういう和兄はどうなのよ?」
「これ」
そう言って和兄が笹に結びつけた短冊には、『一年が無事に過ぎますように』と書かれてあった。……もっとストレートに、『マリア嬢が別の攻略対象と結ばれてくれますように』って書かないと通じないと思うんだけどな。でもそう書いたら、母親に『それ、誰?』と首をかしげられるのは間違いない。和兄がロリコンになりかねない校内一の美少女という説明で通じるだろうか。
「逆方向の色気ではあるけどさ。織姫と彦星だって困るんじゃないの?」
ちなみに本来の七夕は、むしろ詩歌や書道などの技芸の上達を願う日だったらしい。織姫が機織りなので、特に裁縫の腕の上達に効果あるのだそうだ。
「今現在で一番切羽詰ってるというとこれだしな」
和兄はそう言って、「で」と続けた。
「特訓の方は、どうなんだ?言っておくが、テスト期間はそれに集中するべき時間なんだからな?負担になるようならきっちり断れ。ゴネるようなら俺からも叱っておくぞ?」
「そう思うなら、和兄が勉強手伝ってくれてもいいじゃない」
「さすがに、テスト期間中はダメだ。あとでカンニングだとか情報漏えいだとか疑われても嫌だろう」
まあ、そのとおりである。
そんなわけで、来週頭からテスト終了まで約二週間の間、和兄は我が家には寄りつかないと決めているらしい。
ロリコン予備軍のくせに変なとこは堅いんだから。いっそもう少しお堅くなれば、マリア嬢だって脈なしだと諦めそうなのに。
「練習は、まだいいんだよ。けど、毎日っていうのがねえ……」
ふう、と私はため息をついた。
「……毎日、放課後……?」
和兄はなんだか複雑そうな声で呟いて眉根を寄せたが、「……まあ、学校だからな」と小さな声でぼやいた。
「まあ、これで飾りつけも終わったし。私は買い物に行くけど、和兄はどうする?家でのんびり?」
「出かけるのか?」
意外そうな顔をした和兄に、私はうなずいた。前述のとおりの事情なので、しばらく放課後に学校帰りの買い物はできそうにないのである。まとめ買いをしておきたい。
「ルーズリーフとシャーペンの芯が、そろそろないんだよね。駅前にある文房具屋さんまで行ってこようと思って」
「荷物持ちしてやろうか」
「別にいいよ、そこまで重くないし」
言いかけた私は、ふと別の可能性に気づいて首をかしげた。
「駅前のケーキ屋さんの七夕限定スイーツは、今年はプリンじゃなかったと思うよ」
和兄は黙りこんだ。やっぱりそれが目当てだったんだろう。
さてさて、駅前の文房具屋さんである。
学校の最寄り駅と違い、私の家からの最寄り駅前にある文房具屋さんはさほど大きくはない。半分は本屋になっているけど雑誌コーナーで占められてるし、新刊本以外を見つけるのはほぼ不可能という代物だ。参考書とかが欲しければ学校の最寄り駅か、あるいはショッピングモールまで出かけた方がいい。
欲しいのはルーズリーフとシャーペンの芯だけだったので、さっそくそれを手にする。せっかくお買い物に来たんだし、他にも買うものないかなと思いながら視線を巡らせると、見覚えのある人物がいた。
「月島先輩……!?」
月島元生徒会長。聖火マリア高等学校の三年生である。
いやはや、驚いた。もしかして、駅一緒?家が近かったりするの?
私が声を上げたせいか、月島元生徒会長が気づいて振り返る。どこからかかった声か分からなかったのか、しばらく周囲を見回して……やがて私に気づいて穏やかに微笑んだ。
「やあ、こんにちは。学校外で会うのははじめてだね」
ぐはああ、いい声!ホンットにいい声だよなあ。なんか嬉しい。
ついでに私服姿もはじめて見た。言っては悪いが、こちらは地味である。若いんだからもう少し若々しい格好でもいいんじゃないかと思うんだけど、ゴルフ場ルックみたいと言ってイメージが伝わるだろうか?良く言えばイギリスブランドばかり載ってるファッション雑誌に出てきそうな、シンプルなスタイルだ。本当にブランド物かどうかはよく分からない。
私はひそかにテンションを上げつつ、月島元生徒会長の腕の中にあったものに気づいて首をかしげた。
「筆ですか?」
そうなのである。書道とかに使う筆だ。あまり日常的なものじゃない気がする。選択書道とかとってるのかな。
「ああ。買い物か。……うん、七夕だろう?」
「短冊を書くのに、筆を使うんですかっ!?」
私が思わず声を上げちゃったのは無理もない。というか、身近に短冊を筆で書くような人がいなかった。筆ペンならともかく筆だよ、筆。普段、どれだけ使い慣れてればそんな連想になるんだろうか。
「その方が雰囲気が出るだろ?」
月島元生徒会長はそう言って穏やかに微笑んだ。
「まあ、ただのこだわりだから、筆でないといけないってものじゃないと思うけどね」
「はあ……」
いやあ、でも、すごいわ。ちょっと感動。毎年笹を飾る私の家だって、短冊に書くのに筆でないといけないなんて縛りは存在しない。こだわり派だなあ。
「月島先輩って、文字も綺麗そうですよね……」
書道何段とか持ってるんだろうか。ますます隙のない人である。
「そんなことはないよ。筆でないと、なんて言うのは父や祖父だしね。趣味で短歌を詠んだり写経したりとかしてるから、そのせいだろう」
うむむ、なんということだ。うちの祖父とは教養レベルが違う気がしてきた。
あ、ゴメン。別に悪く思ってたりしないからね。大好きだよ、おじいちゃん。
「気合が入ってるんですねえ」
私は感心しつつ、ついでに尋ねた。
「じゃあ、飾りとかもいろいろ作るんですか?」
「いや……」
月島元生徒会長は首を振った。
「あまり、そういうのは得意じゃないんだよ、だからいつも短冊だけ。笹も、祖父の家にある竹に直接という形だしね」
それはまたちょっと惜しい。
「それなら、折り紙で飾りを作ってみるのはどうでしょう?意外と簡単に作れるんです」
短冊に書くのに筆を使う人にとって、あまりに惜しいことじゃないか?そう思った私が、こんなことを言い出したのは、単にさっき飾りを折ったばかりだったので調子に乗っていたというだけの話である。
決して、月島元生徒会長とお茶してみたいと思ったわけではないのだ。あとから考えれば、小学生レベルの折り紙創作を、さも自慢げに申し出てしまったことに顔から火が出るほど恥ずかしい気がする。
「そうなんだ?……教えてもらってもいいかい?」
なんとなんと。私は月島元生徒会長のお申し出のおかげで、駅前のケーキ屋さんの喫茶コーナーでお茶をしつつ、かつ折り紙でいくつかの飾りを折り、提供するということになった。
うん、さすがに折り紙とハサミは買いました。だってケーキ奢ってくれるっていうからさ。そのくらいはしないとマズいでしょう。
七夕限定のスイーツは、今年はゼリー。二色になってて、上に載ってるのはスカイブルーみたいな色をしたゼリーで、金粉がまぶしてあった。たぶん、天の川をイメージしてあるんだろう。味はほどほどだけど、いやあ、その。月島元生徒会長と同席ってだけでテンションが高かったから、めちゃめちゃ美味しかった。ファン心理ってやつかな、これ?
他にも夏限定メニューなんかもあるようだ。ケーキとかプリンとか。メニューを見ているだけで楽しくなってしまうのは、スイーツ好きな女の子ならではだと思うね。
月島元生徒会長は、小さいころに折り紙などをあまりしたことがないらしい。
「鶴くらいは折れるけどね」
「けっこう意外です。なんでもお得意かと思ってました」
私が言うと、彼はわずかに苦笑した。
「そんなことはないよ。わりと日常的な悩み事も多いし。もう少し生徒会長として頼りになる人物になりたかったんだけどね」
いやいや、新しい生徒会長の水崎先輩に比べたら、信頼感ハンパないんですけどね。
調子に乗って、知る限りの七夕飾りを折った私は、それを月島元生徒会長に渡して満足げであった。尊敬する人の役に立てるというのはいいね。あと、ゼリーも美味しかったし!
紙袋いっぱいに飾りを押しこんで。ほんの少し押しつけがましかったかな、なんて思いもしたが頭から外しておく。少なくとも月島元生徒会長は迷惑そうではないのだし。
「先輩の願い事も叶うといいですね」
私が言うと、月島元生徒会長は少し意外そうな表情を浮かべた。
「どうして、願い事があるって分かるんだ?」
今度は私が意外そうな顔をする側だ。
「そんなに七夕に気合が入ってるんですから、そういうことだと思ったんですが、違うんですか?」
「……」
月島元生徒会長は微笑んだ。少しはにかんだような、それでいて寂しそうな微笑みだった。
「そうだな。叶うといいんだけどな」
その後、少しだけ喋った後、月島元生徒会長は店を離れた。なんでもこれから行くところがあるらしい。たぶん、七夕準備の途中だったんだろうから、引き留めてしまって悪かったなあ。
私はほくほくした気分で帰宅することにし、ルーズリーフとシャーペンの芯、ついでに必要ないのに買い足してしまったハサミをしまい直してふと考えた。
このハサミは、さすがに文房具代としてお金を出してはくれないだろう。お小遣いの残りが乏しいというのに、ちょっと衝動買いが過ぎたかもしれない。
折り紙を折ったりするのにかかった時間は三十分足らず。ゼリーをご馳走になった時間を含めて二時間しない買い物タイムだったと思う。
家に帰った私は、苦々しい顔の和兄に出迎えを受けて首をかしげた。
「文房具屋行くだけにしては遅かったんじゃないか?」
「そうだねえ、途中で知り合いに会っちゃったから」
肯定してうなずいた私は、和兄に向かって笑いかけた。
「七夕限定のゼリーが美味しかったよ」
「……おまえな。寄り道するなら……」
そう言って口を開きかけた和兄は、わずかに迷った後、そのまま苦笑いをしてごまかした。
「まあ、いいか。楽しかったんだな?」
おそらく久しぶりに会った中学の友人とでも思ったんだろう。駅前で会うなら、りっちゃんとかそのあたりの方が可能性としては高かったんだし。
「うん」
にこりと笑った私は、それ以上の会話は切り上げた。買い物に長く時間を使っちゃったので、それどころではないからだ。
「ところでさ、和兄?今日はこの後用事ある?」
「?いや、特にはないが……」
「なら、数学教えてよ。明日からはテスト期間仕様かもしれないけど、今日はまだ、いいんでしょ?」
私がおねだりする目で言うと、和兄は口元に小さな笑みを浮かべた。
「調子に乗るな」
言葉こそ否定だが、これは肯定だ。そんな優しい顔して、意地悪言ったって通じないね。
それが分かったので私は隠し持っていたケーキ屋さんの袋をじゃあん!と取り出して見せた。
「お礼は駅前のケーキ屋さんの、『夏限定マンゴープリン』です!」
私が言うと、和兄は目を見開き、それから目を細めて笑った。
「おまえ、礼と言いながら金は俺に払わせる気だろう?」
あたりまえじゃん。少ないお小遣いを、これ以上減らしてなるものか。
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月島元生徒会長の願い事が叶うのには、七夕だけでは足りなかった。
でも、一年はかからなかったから、たぶん、織姫と彦星も頑張ってくれたんだと思う。
「私の折った飾りの分も、効果があったらいいんだけどな」
私の願い事が叶わなかった分も、こっちにプラス加点があったと思うわけだよ。
なぜなら学期末試験の結果は散々で、数学だけとはいえ、見事に補習になったからだ。ぐすん。