第一話 誕生日と擦れ違い(1)
「お誕生日おめでとう、エルダ!」
盛大な拍手が鳴り響く中、エルダは屈んで耳の脇に垂れている黒髪に触れる。そしてショートケーキの上にささっている蝋燭に向かって、息を吹いた。その息は蝋燭の先から揺らめいていた火を消していく。すべての火が消されると、視界が真っ暗になった。
しかしそれは一瞬のことで、すぐに部屋は温かな光が広がった。天井からぶら下がっている光宝珠に、エルダの父が触って光をつけたのである。
エルダは机の周りに集まった人々の顔を見渡した。両親と兄、隣人のマコーレー家の夫婦と、彼らの息子であり幼なじみのサートル、そして彼の弟が、エルダの生誕の日を祝ってくれたのだ。
「皆さん、ありがとうございます……」
胸の中が熱くなるのを感じながら礼を言うと、エルダの父が小さな箱を差し出してきた。しっかりとした作りをした、焦げ茶色の木箱である。エルダはそれを受け取り、おそるおそる蓋を開いた。
中には薄い緑色の宝珠が入っていた。やや黄色がかった明るい緑色である。それを摘みあげて、光に当てた。
「綺麗な色……」
まるで春に芽吹いた、若葉を思い出すような色合いである。一目見て気に入った。
「本当はエルダの瞳の色に合わせて、濃い色にしようかと思ったんだが、それだとお前らしくないと母さんに言われて、明るめの色の魔宝珠にしてみた」
娘好みの色をよくわかっている両親は、勝ち誇ったように微笑んでいる。エルダもくすりと笑みを浮かべた。
魔宝珠は今後の人生を歩んでいく上で、重要な役割を果たしていく物になる。それを身につける者としては、気に入った色の方が、愛着が湧きやすかった。
エルダは魔宝珠を箱の中に戻し、静かに蓋を閉じた。そして自分の様子を見ている一同に向かって、軽く手を合わす。
「ごめんなさい。まだ召喚はしません。自分がやりたいことが見つかるまで、このままにさせて頂きます」
残念がると思ったが、彼らの表情に落胆の色は見えなかった。わかったと言わんばかりに、軽く頷いてくれる。エルダが考えていることを、予め察していたのかもしれない。
父からの誕生日プレゼントの受け渡しが一段落すると、エルダの母はケーキを均等な大きさに切り始めた。その背中を見ながら、ぼんやりと思う。
この場で魔宝珠から華々しく何かを召喚した方が、十八歳の誕生日としてはふさわしいのかもしれない。
しかしその一瞬の出来事だけに、自分の考えや想いを妥協できなかった。
魔宝珠が入った箱を優しく握りしめる。顔を上げると、サートルと視線が合った。彼はにかっと笑い返す。それにつられて、エルダも微笑んだ。
* * *
魔宝珠――それはドラシル半島内にいる人々が、何かものを召喚する際に必要となる珠である。
光を発する光宝珠、結界を張る結宝珠、小さな火を発生させる火宝珠など、名称がついたものはいくつかあるが、それは魔宝珠全体でいえば一握りのものであった。
魔宝珠とは何か、と問われれば、おそらく大多数の人が『十八歳の時に一つだけ与えられる、レーラズの樹の恩恵を受けた自分だけの宝珠』と答えるだろう。
その宝珠から何を召喚するかは千差万別で、受け取った本人の考え次第で、物は変わってくる。
騎士や傭兵など戦いに身を置くものであれば、剣や槍といった武器を召喚物とするだろうし、知識を駆使する学者であれば、分厚い辞書などを召喚物とする者が多かった。他にも水晶玉、オカリナ、包丁など、多種多様なものが召喚されている。
そのように何を召喚しても構わないが、なるべくなら機能を事細かく想像できるような物がいいと言い伝えられていた。欲を言えば、実際にあるものを前にして召喚した方が、失敗がなく、確実に召喚できると言われている。
かつては想像のみで召喚を試みた人が多い時代もあった。しかし同時に思うような物を召喚できなかった人も多かった。結果として、せっかく召喚物を生み出したのにも関わらず、ほとんど召喚されなかったことも少なくなかったらしい。
どこでも召喚ができ、常に手元に置いておくことができる召喚物。
すなわち人生をともに歩んでいく物。
だからこそ、何を召喚するかもじっくり考え抜く必要があった。
十八歳の誕生日を迎えた翌日、エルダはここ一ヶ月ほど通っている魔宝珠細工師がいる店に顔を出した。
店の中は壁に沿って机が並べられ、その上には色鮮やかな宝珠が置かれている。さらに埃から宝珠を守るために、ガラスケースで覆われていた。
「おはようございます、ヴァランさん」
入り口から真っ直ぐ進んだ先にいる白髪の老爺に向かって、エルダは挨拶をした。左目にモノクルをつけていたヴァランは、顔を上げながらそれを外した。
「おはよう、エルダ。今日は特に早いな。その生真面目さをサートルに分けてやりたい」
「サートルはサートルで頑張っていますよ。今日はやりたいことがあったので、早く来ました」
エルダは腰にあるウェストバックから焦げ茶色の木箱を取り出し、それをヴァランの前にある机の上に置いた。その箱を開けると、彼は顎に手を当てながら顔を近づけた。
「ほう、魔宝珠か。まだ何も手を加えられていないな。昨日、落ち着かなかったのもそのせいか」
「お見通しでしたか、その通りです。昨日十八歳になりました。誕生日会の席で父から渡されたものです」
「誕生日くらい、言ってくれればいいものの……」
ヴァランはおもむろに一番上の引出しを開く。そして小指の先程度の大きさの灰茶色の宝珠を取り出し、それをエルダの前に持ってきた。エルダはすくうような格好で手を前に出すと、その上に宝珠を転がされた。
触れた瞬間、熱を感じたが、すぐに冷たい宝珠に変わってしまった。
「わしからの祝いの品だ」
「え、祝い?」
ぽかんとしていると、ヴァランは席を立ち、近くにあった椅子を彼の隣へ持ってきた。
「エルダのことだ、どうせ自分の魔宝珠で初めての細工をしたいと思っていたんだろ。それをその備え付けにでもしてやってくれ」
「ですが、これはかなり高価な宝珠ですよね? 見たことのない色ですし、一瞬熱が帯びていました……」
触れた感覚で何となく察したのだが、そこら辺で手に入れることができない代物である。
椅子に座ったヴァランは、腕を組みながらエルダを眺めた。
「触れただけで価値を判断できるとは、末恐ろしい嬢ちゃんと出会っちまったものだよ」
「はい?」
「いや、なんでもない。――弟子に対して物を贈るくらい、いいだろ? 細工の仕方を教えるから、さっさと椅子に座れ」
質問をさらにしたかったが、ここで気分を害されても面倒なため、エルダは彼の言うとおり椅子に座った。そしてバックから薄茶色の布を取り出す。
「まずは軽く磨いてからですよね。その後、細工の仕方を教えてください」
「どういう細工をしたいかは決めたのか?」
「はい、ざっくりとですが概要図を描いてみました」
小さなスケッチブックを開き、あるページ見せると、ヴァランの口元に笑みが浮かんだ。
「要所要所を押さえた、いい絵だ」
「絵は得意ではないので、最低限のものだけ載せました」
「これだと簡単な細工の部類になるが、いいのか? 細工というよりも、磨くのが主になるぞ?」
「シンプルなものにしたいので、これでお願いします。魔宝珠はいつも身につけるもの、どの服にでもあうようにしたいのです」
毎日たくさんの種類の服を見ているからこそ、出せる言葉だった。
エルダの両親は仕立屋を営んでおり、エルダはここの店に通い詰めるまでは日々手伝いをしていた。そのためかなりの量の服を見ていた。
豪華な服はアクセサリーなどなくとも、その人を目立たせることができる。逆に派手なアクセサリーを付けていると、服に打ち消されるか、邪魔をする可能性がおおいにあった。
だから常日頃持つことになる魔宝珠に関しては、様々な服に馴染むようなデザインにしたいのである。
脇で腕を組んでいるヴァランをちらりと見つつ、エルダは魔宝珠を磨き始めた。
まず全体を、次に凹凸がついている部分を重点的に磨いていく。
父から聞いた話によれば、この魔宝珠はラウロー町にある神殿にて受け取ったらしい。そのため予め綺麗にされていたからか、目立った汚れは特になかった。
磨き終えると、前々から用意していた魔宝珠をはめる型を取りだした。楕円形のシンプルなものである。これに魔宝珠をはめ込むために、磨いたり、削ったりするのだ。
「削りかすはあとで固めて他の部分に使うから、今は思い切って研磨してみろ。魔宝珠は今まで削ったものより遥かに堅い、心してかかれ」
ヴァランの言葉を受けたエルダは、首を縦に振った。
練習のために魔宝珠に似せた鉱物を削ったり、光宝珠や結宝珠の表面を研磨したことはある。光宝珠など人々に広く扱われている宝珠は、効力が小さくなった際、軽く削れば力が多少戻るため、駆け出しの魔宝珠細工師が研磨することはよくあった。
初めてそれを研磨した際、同じ部分を何重往復もした。いつ終わるのか途方に暮れるほど、堅かったのである。
それよりも堅い物を削ると言われたエルダは、気合いを入れて魔宝珠を左手で持ち上げた。対して右手には、粉末化した宝珠を固めた物を持つ。ヴァランが予備で使っている道具の一つである。それを自分の魔宝珠に近づけた。
宝珠同士が触れた状態で右手を動かすと、驚くほど簡単に削り粉が舞い降りた。予想以上の柔らかさに、エルダは目を見開く。光宝珠などよりも堅いと言われていたが、その言葉は嘘ではないかと思える柔らかさである。
少し場所を変えて、同様のことをすると、今度は力を込めなければ削り粉は出てこなかった。
エルダは自分の魔宝珠を指で回しながら眺める。
(場所によって、なぜこんなにも削り加減が違うの? 同じ宝珠なのに? まるでここの部分は削って欲しくない――)
一つの推測が、頭の中で浮かぶ。
手を動かすのをやめて、エルダは魔宝珠を机の上に置いて、じっと見た。
「どうかしたか?」
自分の作業に入ろうとしていた、細工師の師匠が怪訝な表情でエルダのことを見ていた。
「ヴァランさん」
「なんだ?」
「魔宝珠を削る時って、場所によって力加減が違うのですか?」
ヴァランはエルダと魔宝珠をそれぞれ二度見した。
「初めての研磨でそれに気づくとは。レーラズの樹に愛されているだけでなく、もともと察しがいいんだろうな」
「どういう意味ですか?」
エルダは顔を上げて、ヴァランに体を向けた。
「エルダのいうとおり、研磨する場所によって魔宝珠の堅さはまったく違う。柔らかいところはお前が研磨したいと思っているところ、堅いところは研磨してはいけない場所を示している」
「やっぱり……」
自分の思い違いでないとわかり、ほっと胸をなで下ろす。
「その現象を魔宝珠細工師の間では、『精霊の気まぐれ』と言われている。すべての魔宝珠で起きる現象ではないから、気まぐれなんだ。研磨するものと研磨されるものの相性によって、それは発生する」
「今回のは偶然だったんですね」
「そういうことになる。まあある程度力がつけば、手持ちの研磨用の宝珠から、最も相性のいいものを選ぶことは可能になるだろうが」
だからヴァランはたくさんの研磨物を持っているのか、とエルダは内心納得していた。
彼の召喚物は、大小さまざま、形も多種多様な、研磨用の宝珠が詰め込まれた箱である。ここまで細かく中身まで指定した物を初めて召喚する際は、入念な準備と想像力が必要だったはずだ。
改めて師匠を尊敬した目で見る。エルダの視線など気にも留めずに、彼は淡々と助言をしてくれた。
「今、エルダは始めたばかりだから、わからないことも多いだろう。だから手の感触で得たように、研磨しやすいところを順番にするといい。――ただし」
ヴァランの声のトーンが一段下がる。
エルダは手をぎゅっと握りしめた。
「あまりそれに頼りすぎると、心身ともに大きな負担になる。たった一つ研磨しただけで、一週間動けなくなることもよく聞く話だ」
「そんなに!?」
エルダはちらりと浅緑色の魔宝珠を見る。
顔をひきつらせていると、ヴァランはふっと口元を緩めた。
「それはかなり極端な例だがな。長年使い込まれている、精霊が強く宿っている魔宝珠を研磨するときは、覚悟した方がいい」
そして彼はエルダの魔宝珠を指で軽く転がした。
「今のエルダがこの魔宝珠を全力で研磨しても、せいぜい疲れ切って、夜すぐに寝てしまうくらいだ。――自分の魔宝珠、しかも初めての研磨。せっかくだから精霊の気まぐれに従って研磨して見ろ。そうすれば変な研磨にはならないからな」
そうだ、今回の試みは初めてなのだ。
自分の大切な魔宝珠、できれば失敗したくない。
体がくたくたになろうが、後悔しない選択肢を取りたかった。
エルダは再び姿勢を正して、自分の魔宝珠と研磨物を手に取る。そして感覚が許すままに、やりやすいところを重点的に研磨し始めた。