第三十一話 幻の果実
前回までのあらすじ!
人斬り侍とドラ子が耳の長えやつらに囲まれたぞ!
だが、飯にはありつけた。
肉も魚もねえが、穀物と野菜があれば生きられる。それが江戸の人間ってもんよ。
そも、獣肉なんざ戦前に精を付けるためや病を払う程度にしか口にしねえもんだ。魚は欲しいが、まあ問題ねえ。
味も質素だ。
アリッサに食わせてもらった宿屋の食事とは大違いで、総じて薄い。その上風味もほとんどない。特になんだ、このスープってのは。味気ねえ。芋の塩水煮かよ。味噌を使え、味噌を。せめて出汁くれえ取れってんだ。
「マスター? そのようにがっつかなくても、食事は逃げたりはしませんよ?」
「ふるへー!」
おれは涙を流しながら冷めた玄米にスープとかいう汁物をぶっかけたものを掻き込む。
生きてる。ああ、生きているとも。同じ死に方にしたって、餓死なんざ真っ平ご免。死神のお迎えは今回も先送りだ。ざまあみやがれ。
ぽっかり空いた木の洞の中。
ただし、太い木造の格子で洞の入口は閉ざされている。つまりはエルフ種族の牢屋ということだ。
ちなみに菊一文字則宗は没収された。
つってもこの程度の牢屋、リリィがその気になりゃあ大樹ごと粉砕できそうだが。
「あの、マスター? よろしければわたしの分もどうぞ」
「ふぇ?」
赤い懸衣姿で正座をしているリリィが、苦笑いを浮かべた。
「エルフは小食です。一人前ではとても足りないでしょう?」
「おふぁへふぁ?」
「お気になさらないでくださいませ。わたしは結構です。何度か申し上げましたが、古竜種は魔素を体内で栄養素へと変換できます。この森は魔素が豊富ですし、今はマスターの御身を第一にお考えくださいませ」
な……んて……いい女なんだ……。
ものすごい勢いで口もとから涎を垂らしていなければの話だが。
「ぅじゅる」
あ~あ~、なんか涙ぐんじまってるし、視線はてめえの皿に釘付けだ。喋りながらもおれの目なんざ一切見てねえ。
おれは片手に持った二本の細枝を簡易的に箸として使い、焼いてぐずぐずになった赤い果実を口にねじ込んだ。
む! こ、こいつぁ……!
なんとも珍妙な味だ。
跳ねやがる。口ン中で何か小さなものが無数に弾けたかのように舌が痺れる。そして鼻に抜ける芳しく刺激的且つふくよかな香りは、焼き目の焦げと合わさって得も言われぬ爆発力を生み出していやがる。
毒か――!
だがしかし、だがしかし止まらん! 咀嚼が止まらねえ! 美味! こいつは美味だ!
なんという高揚感。このような味気ない食事の中に咲いた、一輪の毒花――。
咀嚼し、ついには飲み下す。本望だ。これで逝けるなら。
だが、味と予想に反し、肉体に変化はない。あえて言うならば多少発汗が促された程度のことだ。どうやら毒ではなかったらしい。
「マスター?」
「お、おう」
おれは彼女がおれに寄せたリリィの皿を、そっと押し返す。そうしてできうる限り邪気のない笑みで囁いた。
「おまえも食え。食べてえんだろう?」
リリィが両手で口もとを覆い、感動したように目を見開く。
「マス、ター……」
おれは優しい瞳でうなずいてやった。
「おれはもう、これだけで充分だ。満たされた」
すっと、彼女の皿から焼いた赤い果実だけを手に取って。
涙をこぼしかけていたリリィが、一瞬で真顔に戻った。
「いえ、わたしのほうこそその果実一つで充分です。残りはすべてマスターが食してください。マスターにはいっぱい食べて元気になってもらわないとです」
そうしておれのものになったはずの赤い果実へと白い手を伸ばす。長い振り袖を片手で押さえながら、上品に。
こ、こいつ、知ってやがる……この味を……。
二つの歪な笑みが交差した。
「莫っ迦やろう。こんな小さな果実だけしか渡さねえんじゃあ、侍が廃るってもんよ」
「ですがわたしも銀竜女の端くれ。マスターには満腹になっていただかないと」
譲らねえ。これほどの美味、次にいつ食えるかわからねえ。
「さ、お渡しくださいませ」
「ク、ククク。……しらこい態度を取りやがって……」
「ふふ、ふふふ。……オキタこそ、その果実が欲しいと顔に書かれていますよ……」
なんて邪悪な笑みを浮かべやがる。
盟約を使用するなら今か――。
「おまえさん。おれに最後の手段を使わせる気かい?」
リリィの端正な顔が、ぴくりと引き攣った。
「あら? 矜持なき行為は切腹ものではございませんか?」
く……ッ、女狐め……!
しばらくにらみ合うが埒もなく、おれたちは表情を崩した。
「まいった。分けてもらってもいいかい?」
リリィが嬉しそうに柔らかな微笑みを浮かべた。
「半分こしましょう? わたしはこちらから囓りますので、マスターはそちらから囓ってください。はい、いっせーのー――」
「いや、待て待て待て。同時にいくのか?」
なんだ、この吉原遊びみてえな提案は。まかり間違って接吻しちまったらどうするよ。
「平等に分けるためです。先に囓ったほうが沢山食べたらどうするんですか」
「切り分けりゃいいだろ」
憮然とした顔でリリィが唇を尖らせる。
「切るものがないではありませんか。キクイチモンジ……ノリ……? ノリスケは没収されたのでしょう?」
没収云々の前に銘を間違えているし、そも、おれの菊一文字則宗を何に使うつもりだったんだ、こいつは。刀身こそ美しく見えても、散々っぱら人の血を吸ってきた刀だぞ。
「ん、まあ。……や、おまえさん指先で切れるんだよな? 銀貨偽造のときに、ほれ、指先で髪を切ってたろうが」
無表情に戻ったリリィから、ほんの小さな舌打ちが聞こえた。
なんなの、これ。
「やりますよ、やればいいのでしょう。オキタのバカ」
なんで怒ってんの……。
ドラ子の雑感
必死なお顔のオキタ……すきっ!