19冊目「リチョウさん昔を語る」
「〈西風の旅団〉はうまくいっているみたいるようだね」
「あはは。うちは、みんなが頑張ってくれて、ボクは飾りみたいなものです」
「謙遜は良くないな。結成すぐにこんな戦果をあげているギルドは、日本サーバでも〈ティンダロス〉や、〈シルバーソード〉くらいのものだろう。ギルド以外も含めるなら、〈放蕩者の茶会〉もか」
「……懐かしいなあ。クラスティさんからその名前が聞けるとは思わなかったです」
「一世を風靡したギルドくらいは把握しているよ。〈ティンダロス〉と〈茶会〉も君の古巣だったね」
「ボクは、人との縁にだけは自信があるんです。自分に足りないものだらけの分、神様が恵んでくれたんでしょうね」
「その台詞は、あまり人前では言わない方がいい。無用な嫉妬の種を撒くことはないだろう」
「……何かボク、変なこと言いました?」
「いや。それで、先ほどの提案は、〈西風の旅団〉の意見ということでいいんだね」
「ええ」
「誰かにそう思わされては、いないかな?」
少年は、沈黙する。
朗々とした青年の声には、いかなる感情も込められていない。
単なる事実確認、という程度の口調。
それは漠然とした質問の内容とあいまって、投げかけられた者に心の底までも見透かされているかのような感覚を少年にもたらしていた。
「ボクは、彼女たちを信じてます。ボクには、それくらいしかできませんし」
「そうかい。余計なことを言ったかな」
少年は、深呼吸をするようにして息をつき、そして笑った。
「いえいえー。やっぱりクラスティさんはすごいなあ。〈D.D.D〉がこんなに大きくなったのも、クラスティさんあってことなのかもですねっ」
「……さて。それは果たして、よいことなのかな? 君がいなければ成立しない〈西風の旅団〉。自分がいなければ大きくなれない〈D.D.D〉。それに、どんな意味があると思う?」
「ふえ?」
「いや。余計なことを話したね。ともあれ、よろしく頼むよ。ソウジロウ君」
「ええ。ボクも、クラスティさんたちと一緒に戦えるのが楽しみですっ!」
「ああ。それでは、彼女によろしく伝えておいてほしい」
◇ ◇ ◇
「〈西風の旅団〉と共同戦線って本当かっ!?」
「本当らしいですね。さっき、クラスティさんとソウジロウが会談したらしいです」
「あー……らいとすたっふさんらの馬鹿やらかした関係で、一緒になんかやって仲直り的な何かっすかねえ」
「おにゃのこだ! おにゃのこたちと共同戦線だと!?」
「いやー。でもあそこって、セタのファンクラブだろ? 付け入る隙とかねーっていうか。むしろ鉄壁、絶壁、ベルリンの壁っていうか」
「あきらめたらそこで終了だよ! むしろ絶壁はごほうびです。ちっぱいはせいこうのもと!」
「最低です不潔です助平です! だから男ってヤツは……っ」
〈D.D.D〉、〈西風の旅団〉と合同で大規模戦闘〈武天帝の遺産〉に挑む。
そのニュースは、アキバの街にあっという間に広まった。
片や、アキバ最大の戦闘系ギルド、片や、飛ぶ鳥を落とす勢いの新興系ハーレム戦闘ギルド。その連携ともなれば、話題性は十二分である。
一般に、大規模戦闘における有名ギルド間の連携攻略はあまり見られない。
高難易度の大規模戦闘攻略には、十分な戦力を持つプレイヤーの人数確保と、緻密な連携が求められる。
中小のギルドであれば、前者……「十分な戦力を持つプレイヤーの人数確保」のために連携攻略を行うことは珍しくない。そもそも規定の最低人数がいなければ、多くの大規模戦闘には挑戦すらできないからである。
だが、有名戦闘系ギルドは多くの場合、自前のギルドメンバーだけで「十分な戦力を持つプレイヤーの人数確保」が可能である。そうなると、普段連携訓練をしている身内で挑んだほうが、「緻密な連携」を発揮しやすくなるため、自然と単一ギルドでの攻略が多くなるわけだ。
さらに、大規模戦闘の報酬の分配のルールは、ギルドごとに多かれ少なかれ異なることが多い。そうした無用のトラブル、調整を避けるためにも、一般論として「大手戦闘系ギルドは連携しない」と言われている。
だからこそ、この2ギルドの連携はアキバ全体にとって衝撃だったのである。
それは、外部にとってだけではない。
〈D.D.D〉ギルド内部にとってもまた、驚きの話題だった。
◇ ◇ ◇
「いやあ、びっくりですねー」
「……あの眼鏡の人は何を考えてるのでゴザルか……」
「へっへっ、ゴザル。おまえさんに、あいつの考えが読めたことがあるかい?」
〈D.D.D〉資材管理部。
超巨大戦闘系ギルドのギルド倉庫管理、共有物品の扱いを任される担当……といえば聞こえがいいが、いわゆる雑用係だ。
大規模戦闘の準備のたびにわかに慌しくなるこの場所で、今は3人のプレイヤーがリストアップ作業をしていた。
「しっかし、今日はずいぶん静かだなあ。いつもの馬鹿らはどうしたんだ?」
「中二は『緋色の糸の果てに導かれ――』とか言ってたんで多分、いれあげてる〈西風〉のほえほえした女子のところでゴザルね。俺会議もなんか『うっかりのツケはでかかった』とか言って出てったでゴザルし。MAJIDEはいつもと同じように勘違いして寄ってきたファンを振りに」
「みなさん青春ですねー」
「ま、若いのはいいことさあ」
「あ、リチョウさん、狐猿さんー。ポーション系、サイトの一覧と一致してますよー」
「あいよ、お疲れさん」
「うし。そいじゃあ、とりあえずこんなもんでゴザルな」
ギルド結成の特典の一つであるギルド倉庫の容量は、ギルドの規模と活躍に比例して増加していく。単純な構成人数だけで考えても、生産系ギルド大手の〈海洋機構〉と〈ロデリック商会〉に次いで〈D.D.D〉のギルド倉庫は大規模ということになる。
その検索性を高めるためのリスト作り、出納ログの管理をしているのが、リチョウとゴザルを中心としたメンバーなのであった。
「〈武天帝〉は、氷属性の広範囲攻撃がメインだったか」
「あとは、ボスの周りで浮いてる浮遊盾が厄介でゴザルね。壊すまでろくに本体にダメージがいかない上に、状態異常付与のカウンター射撃つき」
「カウンターだと、メイン盾さんがヘイト上げても、アタッカーに被害が出ますねえ」
「ついでに言えば、〈武天帝〉は、氷結付与のヘイトリセット技持ち。食べでのある敵でゴザル」
「あー。んじゃ、〈精霊の火酒〉は在庫、はけちまうなあ。塩のついでにカラシンに頼んどくか。……ま、今回はうちの総大将が出るんだ。問題はないだろうさ」
「リチョウさんは、クラスティさんを信用してるんですねえ」
「信用してるっていうか。付き合いも長いしなあ」
リチョウは〈D.D.D〉の中でも古参のプレイヤーだ。
〈猫人族〉の〈武闘家〉で、レベルは90。虎をモチーフにした偉丈夫めいたアバターが特徴の青年である。年齢は明かさないが、〈D.D.D〉でも最年長の部類に入ると噂されている。
彼は高山三佐や櫛八玉といった幹部メンバーですら、「自分が入ったときには既にいた」と答える、長老格の存在だ。
その割に、リチョウの名はさして有名ではない。大規模戦闘にも数合わせ以外には参加せず、裏方の地味な役回りに徹しているからである。
「ね。リチョウさんとクラスティさんの馴れ初めってなんですか?」
「……馴れ初めってなんだオイ。そんな人に話すほど大したもんじゃないさ。普通にゲームで会って、つるむようになって、それだけだよ」
「始めは気に食わないいけすかないあいつ。だけれどそのぽっかりと空いた心の隙間に気がついて、いつの間にか彼の隣に……きゃっ」
「きゃっ、じゃねえよユズコちゃん」
「ま、まさかの趣味発覚でゴザル!?」
嬉々として空想上のクラスティとリチョウの出会いを語るユズコに、リチョウは盛大なため息をついた。
吹聴するような話でもないが、隠すようなことでもない。それに。
「……なんていうか。リチョウさん、付き合い長いって言ってる割に、クラスティさんに遠慮してるみたいな気がしますしー」
この少女なら、もう数ヶ月自分たちを眺めていたら、言わずとも全てを察してしまいそうな予感が、リチョウにはあった。
ならば、ここで話した方が、邪推がなくなる分ましだろうと彼は判断する。
「くだらない話だよ。あんまり吹聴してくれるなよ?」
◇ ◇ ◇
――昔、昔、あるところに。
自分が最強だと信じて疑わない若者がいました。
しかしある日、彼は自分と似たような戦術を得意としながら、己を易々と乗り越えるほどの力を持つ後輩と出会いました。
自分が最強でないことを認めがたい彼は、一対一でその後輩に挑み、敗北。
その黒星は、ありふれた勝負の結果に過ぎません。
ですが、山のように高い自尊心と、海のように深い羞恥心が、彼をそのままの姿ではいさせませんでした。
後輩と似た鎧を捨て、両手斧を投げ打ち。彼はその姿を消したのでした。
それからです。
新たなる「最強」の隣で彼を支える、一匹の虎が、周囲の噂に上るのは。
◇ ◇ ◇
「どんとはれ、と。……まあ、つまりはそういうことだ」
「山月記ですねえ。だからリチョウさんですかー」
「なんでゴザルか、それ?」
「ゴザルは国語の教科書でも読み返すか、中島敦あたりでぐぐる先生にお伺い立てな」
「……どれどれ、能力名〈月下じゅ……」
「待てゴザル、その過負荷は関係ない」
「にしても、ちょっと予想外ですー。リチョウさんが、クラスティさんと対決しただなんて」
ユズコの言葉に、リチョウは背がくすぐったくなるような居心地の悪さを感じた。
随分と昔の話だ。そりゃあ、今の自分を見ていれば想像もつかないだろう。
そもそも自分だって、あの頃なぜ「最強」なんかにこだわっていたのか、ゲームの中の強さで色んなものが測れるだなんても思っていたのか、よく思い出せないくらいなのだから。
「……まったくだ。笑っちまうよな。アイツに一対一の殴り合いで勝てば、アイツより優れてるって証明だと思ったんだ。あいつのメンツを潰せる、って。でも、そいつはチェスのチャンピオンにボクシングで勝負を挑むような見当はずれだったんだがな」
クラスティは、〈黒剣騎士団〉のアイザックと並んで、日本サーバー最強の〈守護戦士〉である。
クラスティは、大規模ギルド〈D.D.D〉を率いて〈大規模戦闘〉を率いる最高の指揮官である。
いずれも、正しい。
けれど、そのどちらも、彼の価値を一部しか捉えていない。少なくとも、そうリチョウは考えている。
「まあ、厄介なのは、アイツはチェスのチャンピオンの癖に、ボクシングだってタイトルホルダー並みだってことなんだが。だから、みんな誤解するんだよなあ」
「まあ、それがわかりやすいですからねえ。クラスティさんに挑戦したがる人、後を絶ちませんしー」
「うひひ、知ってるでゴザルよ。そういう輩を旦那がたまに転がして黙らせてるの」
「……因縁つけられたから相手してやってるだけだよ。大将には黙ってろよ。あいつの目的は多分、最強のプレイヤーであることでも、最優のギルマスであることでもないんだから」
「ふーん」
「ほーう」
「なんだよガキめら。その生暖かい反応は」
「いいえー。……女房系ツンですねー」
「なんでもないでゴザルよ。……バディ系デレでゴザルなー」
「やめんかー!」
「えへへ。ところで、最強にも最優にも興味がないって、それじゃあクラスティさんの目的って、リチョウさんは何だか知ってるんですかー?」
ユズコの問いに、リチョウは一瞬だけ間を開けて、肩を竦めるジェスチャーをした。
「……わからん。あいつの考えが読めたことなんて、俺にも滅多にないからなあ」
それは、たびたび彼がついてきた嘘だった。
リチョウは、クラスティがこのゲームを続け、ギルドを運営する理由の、全てではないが少なくとも一つを知っている。
けれど、それはうかつに口にすべきではないことだ。
あの青年は、他のプレイヤーとは別の次元で物事を認識している。それに基づく目的に悪意はないし、倫理的に問題もない。ただ、ある種の人間にとって、その目的は彼への信頼にひびを入れる原因となりうるものだった。
オルテンシア、レモン=ジンガー……その他かつての三羽烏たちのうち何人かも、クラスティの目的を知ってから、このギルドを離れていった。
「リチョウさんにわからないなら仕方ないのかもしれないですねえ」
「案外どこぞのキラキラ☆武士のようにハーレム希望だったりするかもでゴザルよ! 現に今、三佐さんにリーゼさん、クシ姉さんと妙齢の女性に囲まれてるでゴザルし!」
「ま、大将がどんなヤツかなんて、おまえさんらが見て勝手に判断すりゃあ、それが正解だよ。別に答えが一つとは限らないだろう。アイツはそういう、鏡みたいなヤツだからな」
軽口を叩く二人を眺めながら、リチョウはいつかの光景を思い出す。
ジンガー兄妹がいて、オルテンシアがいて、まだリチョウになったばかりの自分がいて、クラスティがいて、まだ〈D.D.D〉が小さかった頃。
問題ばかりで、一つ一つ面倒な事態を解決するための仕組みを作り上げていった頃。
自分を傍観者ではなく、世界の中心に立っている存在だと錯覚していた、クラスティと自分の差を、埋められると思っていた頃の記憶。
ぼんやりと考えていたリチョウを現実に引き戻したのは、ユズコの言葉だった。
「……なに言ってるんですか、リチョウさん。人を妖怪みたいに。そんなの、誰だってそうじゃないですか?」
思わず、リチョウは口を開けたまま、間抜けな呼気を漏らした。
なるほど。誰だってそう。そりゃあそうだ。人間そんなもの。クラスティが特別なわけじゃない。
まったくもって、違いない。
「あはははは、そうだ、そうだなあ。違いない。うん、ユズコ嬢はすげえなあ」
「なんだかよくわからないけど、お褒めに預かり恐縮ですー」
【ユズコの〈D.D.D〉観察日誌】
○リチョウさん
・〈武闘家〉の虎さん。もふもふ。資材管理部のえらい人。
・大人の男性。クラスティさんの女房役。バディ?
・昔はナイフみたいに尖っては、触れるもの皆傷つけてたみたい。
・リーゼさんの先代の教導部隊隊長さん。らいとすたっふさんの先生らしい。
・ちょっとクラスティさんに遠慮がち?
・婚約者さんがいるって! リア充さんだ!