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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章10 『合流とお別れ』



「最初は薄汚い場所は雑然としているなりに見所があるかと思ったが、見慣れてしまえば目を引くものでもないの。妾の無聊を慰める役にも立たぬ」

 持ち上げた腕の先、ドレスの裾をひらひらと揺らしながら、橙色の髪の少女は退屈そうな眼差しを崩さずにそう呟いた。

「ほんの数分、路地裏見ただけで見切った発言か。王都を設計したデザイナーも、街並みが退屈とか評価されると思ってなかっただろうに」

「世界が妾のためにあるのだから、この世の全ては妾を楽しませるためにあるべきじゃろう。こんな退屈な街並みを採用した奴の気が知れん。王族というものも、存外に見る目のなきものよ。最近、そのせいか絶滅したらしいがの」

「お、王様のお膝元でどんだけ不遜な発言だよ、お前……」

 聞いているだけでハラハラさせられる少女の発言に、誰も周りにいないとわかっていても、スバルは身を小さくして視線をめぐらせてしまう。
 少女はそんなスバルの慎重、というより臆病な様子に鼻を鳴らして、

「つまらん反応でくだらん杞憂じゃな。その程度のことに怯えるとは、所詮は貴様も凡百の器のひとつということよ」

「俺が凡百凡庸凡人の凡々な小市民なのは自覚あるからいいんだよ。すでに今日、とばっちり食った身として、これ以上はお前の不用意な発言に巻き込まれたくねぇの」

「それこそくだらぬ。妾の華々しい道に、端役としてでも関われたことを誇りに思うべきじゃろう。そこに不服を見出すなど、もはや理に背くことに等しい」

「これ以上、時間ロスして連れに迷惑かけたくねぇの! もう完全に時間的にアウトだけど、経過時間増えるごとに立場悪くなんだよ! アウトオブ眼中になる!」

 エミリアに冷たい視線で見られることを思うと、背筋に恐怖で寒気が走る。あと、不思議なゾクゾクする感覚も。その謎の感覚の正体がなんなのかわからないまでも、それが確かめてはいけない類の感覚であることはなんとなくわかる。
 ので、これ以上、この少女の強固な自我に付き合う道はできるなら避けたい。

 そんな風に自分に危機感を覚えるスバル。だが、少女はそのスバルの訴えをそれこそ小馬鹿にするように口の端をつり上げ、

「馬鹿馬鹿しい。妾といる間、妾以外の存在に意識を裂くことなど無礼である。現に妾にも連れはいるが、妾ははぐれたことをなんとも思っておらん」

「そこはちょっとは考えてやれよ。お前の連れが哀れでならねぇ」

 この傲岸不遜の権化みたいな少女の付添いだ。まだ見ぬその人物の苦労が短時間ながらスバルにもしのばれて、同情心がメラメラとわき上がる。
 きっと理不尽系お嬢様に振り回される、薄幸の清楚系美人に違いない。お淑やか系のキャラクターに目がないスバルとしては、チェックしておきたい人材である。

「その代わり、その子と接触するにはこいつと一緒ってのが必須条件なんだよな」

「妾をこいつ呼ばわりとは、貴様ずいぶんと調子に乗っておるな。あまり妾の機嫌を損ねると、その命まで損ねることになるぞ」

「その手の話は食傷気味だよ! 俺はどんだけフラグ踏まないように気をつけりゃいってんだ、チキショウ。いい子いい子、機嫌治してねー」

 隣を歩く少女の前に回り込み、ひらひらと手を振ってからかうように声をかける。その態度に少女は思うところがあるように眉を寄せたが、ふっと失笑し、

「まあ、よい。道化は己を道化と割り切ってこそ道化足り得る。己の身の置きどころを定めることすら叶わぬ愚物、妾の手を汚すまでもないじゃろうよ」

「なんか頭良さそうなこと言って俺をバカにしてる?」

「それを馬鹿じゃと肯定してしまえば貴様の思う壺よな。それが自覚的か、無自覚的かの違いこそあれ」

 悟りきったような口調で言って、彼女は前を行くスバルを嘲弄する目を向ける。その不愉快な視線を受けて、スバルは彼女との相性の悪さをはっきり自覚。

「ま、別にいいけどよ」

 もともと行きずりの相手だ。お互いに名前も知らない同士、このまま大通りへと出てしまえば背中を向けて二度と会わないだろう関係。
 わざわざ不快な感情を我慢してまで、誰とでも仲良くする博愛精神など持ち合わせがない。嫌いなものを好きになる努力など、スバル的に最も忌むべき行いだ。
 そう判断しておきながら、それでも大通りに出るまでは少女と別れるつもりがないあたり、スバルという人間の性質が表れているのだが。

 こうして険悪に談笑する二人の間、それを取り持てるだろう人柄の持ち主であったロム爺の姿はそこにはない。彼は大通りに出るのを嫌がり、スバルたちへの同行を固辞されてしまったのだ。
 久々に会ったあの老人は飄々とした態度のままであったが、その立場があまり良好でないことはスバルにもうかがえた。

 貧民街の人々にとって盗品蔵という場所がどれほどの価値を持っていたのか、王都についても貧民街についても理解の浅いスバルにはわからない。が、盗品蔵の主というロム爺の立場がそれなりに周知されていたのは、先ほどのチンピラたちとの会話からも察することができた。
 その盗品蔵を失ったことで、彼の立場が決して明るくない方向に落ちていることも。

「どうすることもできねぇってのは、薄情な話だけどよ」

 その立場を察していながらも、彼のためにできることはスバルにはない。そも、盗品蔵を潰した一件に関してスバルは当事者ともいえる立場だ。
 ロム爺からすれば、スバルは自分の仕事場を叩き潰した忌まわしい面々のひとり。逆恨みの言葉をぶつけられても仕方ないにも関わらず、スバルにそれをぶつけなかった彼はやはり理性的な人物だ。
 その人柄を好ましく思えばこそ、彼の望みだけはどうにか叶えてやりたいと思う。
 せめてフェルトの行方だけは確かめなければ、それに報いることもできない。

 ロム爺に説明された道筋を辿れば、多少迂回の時間はかかっても安全に大通りへ出られるとの話だ。チンピラたちとの二次遭遇は断固拒否して当然の身の上、道すがらの少女との不毛なやり取りを除けば文句などあるはずもない。

「――とかなんとか思ってる内に、ようやく出口か」

 曲がりくねった路地を抜けると、暗がりの向こうにようやく明るい日差しの差し込む通りが見えた。横切る人影が途切れることなく続くところを見ると、商い通りかそれに近い活気のある場所に出るところらしい。
 ようやくこの苦痛の時間が終わる、とスバルは少女に振り返り、

「表に出たら、俺とお前はもはや赤の他人だ。俺は俺の可愛い可愛い連れを探さなきゃだし、これ以上にお前と付き合って面倒事も避けたい。お前はお前で連れが必死こいて探してんだろうから、無駄に動き回らないで見つかってやれよ」

 薄情、冷血と罵られるのは覚悟の上で、スバルはかなり強めに少女を突き放す。ここまでペースを掴まれっ放しなので、それに対する意趣返しもあるのだが、それ以上にこうまではっきり伝えなければ、目の前の少女に意思が伝わらないと判断したためだ。

 スバルがはっきりそう断言したためか、少女もそれを自分の都合のよいようにはとらなかったらしい。が、それでも不敵に笑うことは忘れずに、

「貴様と妾に関係がないことなど、わざわざ口にするまでもない。貴様はあくまで無数にある妾の踏み台のひとつよ。路傍の石に拘ることなど、世界の寵愛を一身に受ける妾には無用のことよ。――別に、気になどしておらんからな」

 腕を組んで豊かな胸を強調すると、彼女はちらちらと横目でスバルを見やる。
 その仕草には言動と裏腹な感情が見え隠れしており、人の機微に鈍感なスバルにすらそれはわかりやすいほど伝わり、

「そんな不遜なのに嫌われんのは恐ぇのかよ! 面倒くせぇな、お前!」

「妾が森羅万象に愛されるのはこの世の定理である。それに逆らうということは、理から外れるということじゃ。むしろ妾は貴様の非常識さに驚いておるほどじゃ」

「俺も非常識さには自信あるけどお前ほどじゃねぇよ!」

 それまで険悪だった空気もどこへやら、スバルは盛大に声を上げて突っ込む。
 ただ嫌悪感だけを募らせて別れてくれるなら、後腐れなく忘れられたというのにこの態度だ。見た目美少女なのは間違いないので、そうして微妙に憎めないところを見せられるとスバルも対処に困ってしまう。

 自我が強固で人の気持ちを弁えない発言をする癖に、他人に嫌われることは恐いのだ。
 ――まるで、誰かを見ているようで心が痒くてしょうがない。

「ああ、はいはい、わかったわかった。嫌わない嫌わない」

 どうしてか毒気を抜かれてしまい、スバルは苦笑しながら彼女に答える。それに少女は不服そうに眉を寄せて、「なんじゃ」と前置きすると、

「愛されることが当然の妾じゃぞ。貴様、当たり前のことを口にするな」

「あー、はいはいそうでちゅねー。精神赤ん坊のあなたでちゅから、赤ちゃんみたいにみんなに愛されて当たり前でちゅよねー。あばばばばー」

 渾身の変顔はご近所の赤ん坊連中で大評判の一品だ。以来、ご近所付き合いするママさんたちからは見かけられるたびに爆笑されるほど。別にそのときには変顔していたわけではないので、無性に空しい気持ちにさせられてしまったが。

 そんな悲しい思い出と表裏一体のアプローチ。これは喝采間違いなしと確信していたのだが、肝心の少女の反応はといえば、

「ふむ、少しばかり貴様を憐れんでやろう」

 笑うどころかため息をつき、額に指を当てて瞑目したまま首を振ったのだ。彼女は変顔で硬直してしまうスバルを見ないまま、

「自覚的にか無自覚的にか、そうして振舞うことが身にしみついてしまっておるのじゃな。それは貴様の美点とはなり得ぬ。単なる弱さを隠すだけの薄っぺらな殻じゃ。見るに堪えん。その面構えと合わせてな」

「前半でシリアスっぽいこと言っておいて、後半でさりげに顔の造りを馬鹿にしやがったな……!?」

「あくまでそれを通すなら、妾の関知するところではないがな」

 少女はそうして話を締めくくり、以降のスバルの態度に言及することはしない。
 変顔を元に戻す切っ掛けを失い、表情を歪ませたままのスバルは彼女の言い分に首を傾けて無理解を示す。

 彼女がなにを言いたいのかが、スバルにはイマイチ伝わってこない。
 態度や行動が示す通り、発言すらも他者へ理解させる配慮に欠ける少女だ。
 深く追及しても明確な答えは得られないだろう。そう考えてしまうと、スバルはそこから先の少女への言葉を諦めてしまう。

 あるいはそうして彼女を理解不能の存在と決めつけることで、スバルはこの場でその言葉と向き合うことを避けたのかもしれない。
 もっとも、この場に限ってはスバルがどう応答したところで、それ以上の答えを得ることはできなかっただろう。
 なぜなら――、

「――やっと見つけた」

 通りに出た瞬間、二人を出迎えるそんな声が届いた。
 路地裏の暗がりと違い、大通りには高い日差しがこれでもかと照りつけている。暗闇から日向の場所へ急に顔を出し、陽光に目を焼かれてスバルは目を細めた。

 その輝きを背負うように、白いローブをまとう少女がスバルを見ていた。
 疲れたように困ったように端正な眉を寄せ、フードの中に隠された銀髪が軽やかに揺れる。整った顔立ちの中で唇は安堵の微笑を結び、紫紺の瞳が言葉にし難い感情に淡く震えるのがわかった。

 その憂いを帯びた美貌を一目見ただけで、彼女がどれだけスバルの行方に心を砕いていてくれたかがわかる。
 そうして不安がらせてしまったことを申し訳ないと思う反面、心配してもらえることが嬉しい男心。恋心は男女の隔たりなく複雑なものである。

「あ、エミリ……」

 大通りに出た途端、会いたかった人物が顔を見せてくれたのだ。
 期待以上の合流の速さに顔を明るくするスバルはその名を呼びかけ、しかしそれは違和感によって唐突に断ち切られてしまう。

 こちらを見て柔らかい吐息を漏らす彼女の隣に、人影が立っている。
 がっしりとした体つきからして男と確定。スバルの脳裏に即座に『寝取られ』の四文字が過り、

「ちょっとちょっとなによ! その男、エミリアたんのなんなのよ!」

 ずんずんと前に飛び出し、即座に男とエミリアの間に割って入る。エミリアを背中に庇いながら後ろに下がり、指を突きつけて睨みつけ――その憎き男の顔面を拝んでやろうとしたスバルの表情が強張る。と、

「おーいおい、嬢ちゃん嬢ちゃん。お前の連れ、かなりネジ飛んでんな、大丈夫かよ」

 そうやって肩をすくめ、親しげにエミリアに声を投げかける男――その声は若干、聞き取り辛くくぐもっている。

 なにせ、その頭部は漆黒のフルフェイス型の兜に包まれているのだから当然だ。
 顔全体を覆い隠す兜――それだけならさほど目立つ装いとはいえない。場所が王都であるだけに、通りを行き交う人々の風貌は多種多様だ。
 中でも甲冑姿や魔導士服など、それらしい人々の装いはポピュラーなものといえる。衛兵として騎士が城下に降りているくらいだ。全身甲冑がうろついているぐらいではスバルもここまで驚いたりしなかっただろう。

 それでもその男の風貌にスバルが呆然としたのは、当然その装いが全身甲冑であるより王都において奇抜であったからに他ならない。

「女言葉でいきなり泥棒猫扱いとか、オレも新鮮でわくわくすんよ」

「そういうお前も相当ファッションセンスやべぇな!?」

「かなーりお前も目上に対する口の利き方なってねぇぜ。オレが渋くて気のいいオッサンだから許してやるけど、相手次第じゃ首チョンパだ」

 絶叫するスバルの正面、指を突きつけられる男は楽しげに首筋を叩いてみせる。

 その異様さは頭部だけに留まらず――否、むしろ留まっているからこそ異様だった。
 頭部を覆う漆黒のフルフェイス。その首から下、そこには通常なら同色の鎧が続くはずである。が、実際に彼の首から下は鎧ではなく、麻布のような安い素材で作られた軽装に包まれている。
 特殊な素材で編まれている、というようにも見えないそれは本当に単なる軽装だ。上着だけでなく下履きも同じ系統のそれであり、あまつさえ履物は草履だ。

 もはやその取り合わせの意味がわからない。
 格好の奇抜さではスバルのジャージもこの世界では異質だったが、眼前の男の装いもかなりのマイナー度であることは間違いない。
 あるいはこれがこの世界のスタンダードの可能性も否定できないが、

「そんなことないよね、エミリアたん!?」

「安心していいわ、スバル。あの人の格好に驚いたのは私も同じだから」

「そうそう、すげぇ驚いてんの、かっわいいよな。そのあとで迷子探し中のオレに付き合ってくれるとか言い出したのはこっちがびっくりだけどよ」

 けたけたと笑い、男がエミリアとの遭遇時の話をあっさりと口外する。
 それを聞いてスバルはエミリアをじと目で見やり、

「エミリアたんのお人好しは超美点だけど、さすがに相手は選んだ方がいいぜ。毒キノコがなんで見た目から毒々しい色してるか知ってる? あれは『俺は毒あるぜ、危ないぜ、食うと死ぬぜ』って周りに教えて被害を未然に防いでんだよ?」

「おーいおい、それ聞くとまるでオレが危険人物に見えるみたいに聞こえる以外の捉え方が思い浮かばねぇよ、ひどくねぇ?」

「あんたほど見た目から怪しい奴、子どもの過保護が超発達した俺の故郷なら即通報のレベルだよ。近隣の小学校で臨時の全校朝礼開かれるぜ」

 しまいには平日の昼間に道を歩いているだけで回覧板が出回るレベル。
 行き過ぎた防衛意識が、それでも大して子どもの役に立っていないような気がするのはスバルの偏見なのだろうか。

 などとそんな益体のない感想に行きつきながら、スバルはエミリアに向き直り、

「とにかく、俺は常々エミリアたんに車と男に気をつけるように言ってるだろ? 特に男は狼なんだから、無防備に笑顔向けるとかダメじゃんか……怒ってる?」

「スバルが私に言ってくれることを聞いて、スバルも私が言ったことを覚えてくれてるのかなーって思ってるだけよ。ええ、他意なくね」

 藪蛇突いた、とスバルは顔を覆いたくなる自分の失言を悔やむ。
 が、その場でのそれ以上のお説教の流れは幸いにも中断された。その出どころは今の会話に参加していた三人ではなく、

「ふむ、妾の行く先で待っているとはなかなか気が回る。思ったよりも殊勝な心がけじゃな、アル」

「……正直、偶然でたまたまのまぐれな感が否めねぇんだが、そう言って姫さんのご機嫌損ねるのも面倒くせぇから頷いておくぜ。ああ、その通りだ!」

 前に踏み出し、尊大に言い放つ少女に男――アルと呼ばれた男が笑う。それから彼は掌で橙色の少女の頭を乱暴に撫でると、その体を自分の隣に引っ張り、

「なんとも数奇な偶然だが、嬢ちゃんの探してた相手とオレの探してた相手ってのが同行してたらしい。こりゃなんかしらの縁でもあるかもな」

「俺とエミリアたんとの間の赤い糸がたぐられただけで、この二つのコンビの間に縁とかはねぇと信じてるよ、俺!」

「口の減らねぇ奴だ」

 スバルの応答にくぐもった笑声を上げ、アルは少女を撫でていた手をひらひらと振る。先ほどから彼のアクションはその右手の動きだけで表現されている。
 それも当然の話だ。なにせ目の前の男性には、あるべき左腕が存在しないのだから。

 隻腕の上に漆黒の兜、そしてその威圧的な風貌に見合わぬ軽々しい服装。
 声の調子と顔以外の見た目の様子から、おそらくは一回り以上年上の人物。にも関わらず目上といった印象を抱かせないのは、服装と同じくらい軽々しいその態度にあるのだろう。
 良い言い方なら親しみやすい。悪い言い方なら落ち着きのない大人だ。

「っていうか、その子の連れってあんたなのかよ! 振り回されていつも困ってます的な清楚系美少女がお付きってお約束はどうなる!?」

「そう都合よくはいかねぇよ、オッサンで我慢しとけや。――嬢ちゃん?」

 自分の予想と違う展開に不満を隠せないスバルに対し、鷹揚に流した男が怪訝な様子でエミリアに話を振る。
 その男の態度でスバルも遅れてエミリアの変調に気付く。

 先ほどから会話に混ざらず、押し黙るエミリアの様子がおかしい。
 彼女は顔をさりげなく隠すようにフードの端を摘まみ、スバルの背後に隠れるようにして視線を遮ろうとしている
 彼女が隠れようとしている相手など、この場にはたったひとりしかいない。立ち位置から割り出そうとしなくても、そんなことはすぐにわかる。

「なんじゃ、じっと妾を見て。離れるとわかれば惜しくなる美貌。妾が罪作りな神の造形であるのは確かじゃが、無言で注視など無礼であろう」

「悪いが目の保養目的ならうちも粒揃いなんでな。……お互い、探し人は見つかったみたいだし、そろそろ解散の方向だろ」

 エミリアが隠れようとしている相手――少女からの言葉にすげなく応じ、スバルは彼女ではなくアルの方に水を向ける。
 なぜだかはわからないが、エミリアはこの場でこれ以上の自分の存在を出すことを躊躇している。ならばその意を酌むのがスバルの選択。そしてそのために交渉するべきは話の通じなそうな相手より、まだ話の通りそうな相手にするべきだ。

 そんなスバルの内心の意図を察したかは定かではないが、アルはこちらの発言に対して特段否定するようなことは言わず、

「ま、それでいいだろうよ。お姫さんに付き合って疲れるってのはよくわかる」

「……あんたには少なくない同情するよ。いや、マジで」

「大人の包容力でうまいこと相手すればさほど疲れねぇよ。同年代のガキにそれを求めるのは酷だろうからしねぇけどな」

 わりと本気のスバルの言葉に肩をすくめ、アルは少女に視線を落とす。兜の中の双眸は見ること叶わないが、その雰囲気は愛娘を見守る男親のそれに近い。
 悪い関係ではないのだろうな、と漠然とそれを感じる。

「じゃ、俺らはこっちに行くけど……そっちは?」

「ならば妾たちもこっちに行く」

「……じゃ、反対にいくわ、俺ら」

「ならば妾たちも反対に……」

「面倒くせぇよ、俺のこと大好きになったのか!? チョロインか!?」

「ほんの冗談じゃろうが、小うるさい。つまらん男はつまらん死に方をするぞ」

 最後の最後まで退屈そうに言い切り、少女はお伴を連れて威風堂々と歩き去る。その背中に一切の躊躇がなく、望んでいたのにばっさり切り捨てられるのが面白くない。
 なのでスバルは去りゆく少女に最後の意趣返しを込めて、

「おい、受け取れ、尊大娘」

「ずいぶんと妾に舐めた口を。アルに命じてその首を……」

 物騒なことを口にしかけて振り返る少女、その赤い双眸が軽く見開かれる。
 彼女の眼前に放物線を描いて飛ぶのは、スバルが下手で放り投げたリンガだ。二つのリンガはゆるやかな軌道で少女を目指し、その手の中にすっぽりと収まる。
 しっかり彼女がそれを受け取ったのを見届けるとスバルは笑い、

「やるよ、絆のリンガだ。次からは悪い大人がリンガを餌にぶら下げてきても、ふらふらついてったりしたらダメだぜ」

「妾はそんなアホの子のような理由で路地裏にいたわけではないんじゃが」

「俺の中での不動の立ち位置に固定だ、お前は。とにかく受け取っておけ」

 乱暴な理論でリンガを押し付けて、スバルはエミリアの腕を引くと彼女らに背を向ける。向ける直前でいっそ、肩を抱いてしまっても今なら拒否されなかったかもしれないと行動を後悔。後悔した上で、今は手を繋げるだけで満足しようと自分を納得させる。
 そうして足早に立ち去る二人に向かって、最後に通りの向こうから、

「――嬢ちゃん、探しものに付き合ってくれてありがとよ!」

 と、くぐもった声が、しかし感謝の意を込めてそう叫ぶのが届いていた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 尊大な少女と見た目ちぐはぐな保護者と別れ、通りをしばし歩いたところでスバルは立ち止まった。

「あのさ、エミリアたん。あいつらいなくなったけど、そろそろ話せる?」

 周囲の様子をうかがいながら、スバルは同じく立ち止まるエミリアにそう声をかける。ここまでも無言を貫いていた彼女は、深くフードを被り直したせいでスバルにすらその表情を見せていない。
 さっきの少女たちとのやり取りの中で、なにか彼女の機嫌を損ねるようなことを言ってしまったろうかと悩むスバル。そのスバルに、

「……えっと、ごめんなさい、スバル。ちょっと、ボーっとしちゃって」

 ふいに我に返ったように瞬きして、エミリアがそう呟いてくれていた。
 とりあえず最初の一言が出たことにスバルは安堵し、その安堵感を胸の内側にこっそりと隠しながらおどけてみせ、

「俺の前でならいくらでもボーっとしてくれてていいぜ? その間に俺はエミリアたんに口では言えないあんなことやそんなことをするチャンスも生まれてくるし」

「口では、言えない……?」

 指をわきわきと動かすスバルの言葉に、ふいにエミリアの紫紺の瞳に波が生まれる。波紋がその大きな瞳を揺らすのを見て、スバルは首を傾げながら、

「そう、筆舌に尽くし難いやつだ。しかしエミリアたんもいつしか俺のゴールデンフィンガーの動きに魅了され、やがては俺なしでは生きていけない体にされてしまうのさ……あれ、なんか後ろ髪とか凍ってる気がするけど気のせいかな!?」

『気のせいじゃないんじゃないかな』

 うっすらと漂う冷気がスバルの首筋を物理的に冷やす感覚。それと同時に脳裏に響いたのは、小一時間前に体感したばかりの強制的なテレパシー。
 姿の見えない灰色の小猫、エミリアの保護者の静かな怒りを実感しつつ、スバルは冷や汗まじりで身ぶり手ぶりし、

「とはいってもアレだ。そこは俺も日本男児まっしぐらの益荒男だから、合意なしにそんな非道は致しません。最初はお互いに夜景の見えるスイートで、きっちりと想いを伝え合った上でないと嫌だよね、ね!」

 乙女みたいな思考に及ぶスバルの発言に、見えない誰かのため息の気配。
 どうにかお仕置きからは見逃されたようだ、とさっきとは別の安堵に肩を荷を下ろすスバル。そのスバルに対し、エミリアは小さく唇を結び、

「スバル。――さっきの女の子とは」

「え、なになに、エミリアたん嫉妬? ヤキモチとか妬いてくれちゃった感じの展開か? マジかよ、苦節二週間――俺の努力がついに実る日が」

「――スバル」

 エミリアの言葉を遮って自らの願望を口にするスバル。そのスバルの言葉をさらに遮り、エミリアが強い語調でスバルの名を呼んだ。
 その表情は真剣で、紫紺の眼差しには気迫すらも込められていて、さしものスバルも異変を感じ取っておどけるのをやめる。

「あ、あれ? エミリアたん、そんなマジ顔でなにを……」

「お願いだから茶化さないで。スバルは、あの子とどうして……」

 エミリアがスバルのなにかを追及しようとしている。彼女からのそうした求めに動揺しつつも、なにがしかの納得いく答えを返さなくてはならない。
 ――そんなスバルの珍しく真摯な想いは、

「やっと見つけたぜ! てこずらせてくれやがって!」

 二人の会話を上書きするような、粗野で荒々しい怒声にかき消されてしまった。

 驚き、スバルは周囲を振り仰いで愕然とする。
 先ほどまで少ないながらも人気のあったはずの通りが、今や見るからに荒くれといった風貌の男たちによって包囲されているのだ。
 彼らの先頭に立つのは、スバルも見覚えの強いトンチンカンのトン。チンとカンは見当たらないが、彼は立ち尽くすスバルたちをにやけ面で見下し、

「ずいぶんとさっきは馬鹿にしてくれやがったじゃねえか。そのお礼をしてやろうと思って、お前とあの小娘を探してたんだよ」

「……ちょっとした口ゲンカの報復にお友達ぞろりとか、お前の性根の曲がりっぷりに俺ぁガッカリだよ。お前はたとえどんなに馬鹿にされても、悔しくても、それでも自分の尻は自分で拭く。けじめはきっちり自分でつける。そんな男だと……俺はずっとそう、信じてたのに……ッ!」

「なんか心痛いこと言うんじゃねえよ! お前が俺のなにを知ってんだよ!」

 唾を飛ばす男の悪態を聞きながら、スバルは静かに周囲を観察。
 通りの左右を塞ぐように立つ男たちの数は、おおよそ十五、六人。全員が目立たないような凶器――短い棒やナイフなどを手にしており、人払いもうまいこと済ませてあるのだろう。巻き込まれてしまいそうな民間人の姿もない。
 通報か、異変に気付いた衛兵がその内に駆けつけてきてくれるとは思うが、ラインハルトのようなご都合主義のヒーローが間に合うかどうかは正直賭けだ。

 逃げるのは難しい上、誰かの助けがあるのを待つのも現実的でない。
 従って、この場を切り抜けるのにもっとも有効的な打開策は、

「情けない話だけど、エミリアたんとパックに頼るのが我ながら最善……!」

『ホントに情けない感じがするけど、自分の無力さを欠片も躊躇なく認めるところは悪くないと思う』

 スバルの清々しいまでの他力本願を、聞きつけたパックがそう賞賛する。
 皮肉ともつかないその言葉にスバルは大仰に頷き、それから踊るようにエミリアの前に立ちながら、

「とかく、そんなわけでお前らに先に忠告しとく。言っとくが、襲いかかって後悔するのはお前らの方だぜ?」

「この数が見えねえのか。女の前でかっこつけてえのはわかるが、痛い目にあって泣きを見んのはてめえだぞ、コラ」

「早とちりすんじゃねぇよ。お前らをボコるのは俺じゃなくて、俺の後ろのかわいこちゃんだぜ、ざまぁみろ!」

「てめえ、少しは女の前でかっこつけろよ!?」

 トンが盛大に怒声を張り上げるのを心地よく聞き流しながら、スバルは「さあ」とエミリアを振り返り、周囲を囲む男たちを腕で示しながら、

「頼ると決めたら全部預ける。そんなわけでエミリアたん。こう、軽くばしばしっと片付けてくれや。なんなら奴ら全部雪像にして、ルグニカ雪祭りでもやろう」

『さらっと君の頭の中を見てるとおっかないこと言ってるね。……でも、その必要はなさそうだよ』

 氷像が立ち並ぶ通りを生み出し、エターナルフォースブリザードストリートとでも名付けようと思っていたスバルにパックがそう漏らす。
 彼の言葉にスバルが「ん?」と疑問符を口にするのと、

「――スバルくんの臭いを追いかけてきたら、これはなんの騒ぎですか?」

 上空からそんな病みかけっぽい台詞を口にして、青髪のメイドが降ってくるのはほとんど同時だった。

 空中で縦回転しながら降りてきたレムは、スカートの裾を押さえて爆音じみた効果音とともに着地――砂煙を腕で払い、周囲からの視線を一身に浴び、

「それでスバルくん。なにかレムに言うことはありませんか?」

「レムってばマジ痒いところに手が届く超女中! 惚れ直しちゃう!」

「そんなに褒められると逆に困ってしまいます」

 突然のレムの登場に浮足立つチンピラたちの中、今日もスバルとレムのやり取りは通常運行中である。
 スバルの喝采に頬を赤くして悶えるレム。その二人の会話に青筋を浮かべ、最初にアクションを起こしたのはトンだった。

 ちょうど、スバルとトンの間に割って入る形だったレム。強面の男はそのレムの肩に感情のまま掴みかかり、

「おい、場違いなメイドさんよ。そこのガキ共は俺らと話が――」

 その精いっぱいにドスを利かせたはずの啖呵は、最後まで言い切られることなく夢の彼方へと消失する。

 レムに胸倉を掴まれ、そのまま地面に頭から叩きつけられたトン。地面に逆さまになった彼の体はゆっくりと横倒しになり、白目を剥いたままぴくりとも動かない。
 たぶん、おそらく、きっと、死んでいないとは思うが。

「スバルくんとエミリア様の身の安全を脅かす輩、とレムは判断しますが」

 低い声で、お仕事モードの無表情になるレム。
 それでも呼びかけの頭にスバルを持ってきているあたり、微妙に彼女の中の優先順位がうまく整理されていない。
 そのへんのことを感じながら、スバルは明らかに怯んだチンピラたちに同情。心の中で合掌し、せめてもの温情として、

「レム」

「はい」

「殺しちゃダメだよ?」

「はい、四分の三殺しで」

 七割五分殺しが確定したところで、レムがゆっくりと動き出す。
 その彼女に破れかぶれで飛びかかるもの。逃げようと背を向けるもの。わけもわからず蹲ってしまうもの。

 ――その全てに対し、彼女の制裁は等しく降り注いだのであった。

「うわぁ、すげぇ」

 人が軽々と宙を飛び交う姿を見て、スバルは唖然とそうこぼす。
 その頭は完全に目の前の騒動の終結に向かい切っていて、騒ぎからも切り離されたような静けさを保ち、自分を見つめる紫紺の瞳には、

「――スバル」

 その懇願するような呟きには、欠片も気付いてあげられなかった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 一方、スバルたちと別れた少女とアルの方にも騒ぎは拡大している。

 スバルたちと背を向けてしばし歩き、人気が微妙に薄くなる場所で襲われるのは手口まで同じ。こちらにはスバルがチン・カンと名付けた二人がきており、その二人を含めた人数もわずかながらこちらの方が多い。

 スバルたちに比べて、少女の方が身なりなどの面から彼らの興味を引いたのだろう。あるいは単純に、チンピラたちの怒りの矛先をより集めたということかもしれないが。

「そんなわけで、少し痛い目にあってもらうぜ。少し、そう少しだけな」

 下卑た口調で笑いながら、チンが少女の肢体を好色な目で眺める。
 周囲を囲む男たちの目にも似たような下賤な光が宿っており、彼らが彼女を捕えたあとでどうしようとしているのか、それは口にされずとも明白だった。

 そしてそんな好色な視線を向けられる少女はといえば、

「……ふむ、甘酸っぱい。やはり中身もリンガに間違いないか。これでさっきの道化が戯れに果実を赤く塗ったという線も消えるの。驚きじゃ、リンガとは赤かったのか」

「あーあー、姫さんよ、現実見えてる?」

 手の中のリンガを短剣で切り分け、口に運ぶ少女は男たちを歯牙にもかけていない。そのことに気付いたチンピラたちが憤怒の度合いを強める中、アルがそんな彼らの気持ちを代弁するかのように口を出す。
 そうだ言ってやれ、と男たちの気持ちがひとつになる中、少女は自分に声をかけるアルをじろりと見上げると、

「なにが言いたいのかははっきり申せ。妾は回りくどいのは嫌いじゃ」

「ならはっきり言うけどよ。――リンガ二つあんだから、片方はオレのじゃねぇ?」

「はっ、馬鹿馬鹿しい。よいか? 道化が投げたリンガは二つとも妾が受け取った。ならばこれは両方ともに妾のものである」

「二つあんだから二人で分けろって意味だろ、常識的に考えて」

 疲れたように吐息し、アルは周りの男たちに同意を求めるように肩をすくめる。
 だが、もともと彼らの期待を裏切る発言をしたアルに求めた答えがあるはずもなく、

「おーおー、殺気立っちゃって。雁首揃えてお茶目な冗談のひとつも受け止められねぇのか、さもしいねぇ」

「妾は冗談など言っておらんぞ。リンガはやらん。両方妾のじゃ」

 頑なな少女にアルは苦笑の気配を兜の向こう側から外に漏らす。
 そのやり取りに、チンピラたちは今度こそ堪忍袋が限界に達したようだ。

 明白な敵意を込めて、それぞれが獲物を手にじりじりと包囲を縮め始める。彼らもアルの風体の異常さには気付いているようだが、その首から下の貧相さと隻腕である事実を加味し、全員でかかれば敵ではないと判断したのだろう。
 集団で個人を叩きのめすのに慣れていると思しき陣形。その動きを皮肉まじりに吐息で賞賛しつつ、アルは少女に首を向け、

「で、お姫様。どうするのが世界のお望みで?」

「妾の選択は即ち世界の選択である。弁えたようじゃな、アル」

「それなりには」

 アルの言葉に満足げに頷き、少女はそれから改めてリンガをかじると、その甘酸っぱさに頬をゆるめ、愛らしい顔に天使の微笑を刻んだ。
 そして、

「妾は今、機嫌がいい。――故に、殺さずにおいてやるがいい」

 羽虫の羽をもぎ取る天使の無邪気さで、当たり前のようにそう告げた。
 その言葉を聞き、男たちに向き直るアル。その手が腰の裏に回り、横向きに備えつけられた身幅な大剣の柄を握る。
 ゆっくりと音を立てて、鞘から剣が引き抜かれる音。
 それをBGMにしながら、

「――あい、まむ」

 凄絶に鮮烈に、血色の笑みが漆黒の兜の内側に生まれていた。


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