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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章9  『加護と再会と約束と』



 悪路を駆け出してからおおよそ五分――繋いだ腕を引かれながら、スバルは息も絶え絶えにふらつく足取りで懸命に前に踏み出していた。

「早くせんと追いつかれるぞ。遊んでおる場合か?」

「おま、お前がそれを言う……タンマ、マジ、ちょっと……っ」

 走り出した当初はスバルが前を走っていたものの、すでに体力的な問題でその立場は逆転している。
 前を走る少女は息も切らさず余裕の姿勢。一方でスバルは長時間の全力疾走に耐えかね、早くもグダグダの状態だった。

 ただスバルの名誉のために言い訳をするなら、彼の困憊ぶりにはいまだ体調が完全に復調したわけではないという点が挙げられる。リハビリ途中でもあるスバルの肉体は平常時から体力値が低いにも関わらず、現状はさらにその下――さもありなんといった有様であった。

「情けない奴よのう。妾のような可憐な乙女に後れをとるなど、恥と思わんか?」

「病み上がりだから色々大変っていうのを免罪符にしてみる、俺。……つっても、正直旗色はかなりヤバいな」

 背後、スバルと少女を追いかけるチンピラたちの脅威は依然継続中。幸い、スタートダッシュを制した二人と集団との距離はかなり開いている。が、基本的に路地は一本道であったため、速度を落とせばいずれは追いつかれるのが明白だ。
 その前に大通りに出るのが理想ではあるのだが、

「なぜかどんどんどんどん人気の少ない暗がりの方に進んでるし……なにか考えとかあんのか?」

 ずんずんと、迷いのない足取りで前を行く橙色の髪にそう問いかける。が、少女はその問いかけに「はっはっは、知らん!」と爽快に応じ、

「妾のなすところは全て妾の都合のよいようになる。故に深く考える必要はこれまでも、そしてこれからもない。妾のなすところを信じよ」

「頭が下がるぜ……ホント、どうにかなんのか……?」

 今のところ、行き止まりにぶつかっていないことが彼女の功績であることは間違いない。大通りに出るどころか、袋の鼠になる可能性を視野に入れれば、奥まった方へ進んでいる現状を悪化と捉えるのも早計だ。とはいえ、

「明るい条件が見えないことには……体力的にもきちゅい」

「――ふむ、これは困ったことになったぞ」

 荒い息でコメントの後半を噛んだスバル。その眼前で、ふいに少女が足を止めた。手を引かれていたスバルもつられて立ち止まるが、

「おいおい、止まってる暇とかねぇぞ、少しでも距離稼がねぇと追いつかれる」

 その場でジョッギングを行いながら、止まる少女を動かそうと声をかける。しかし少女はスバルの言葉に首をひねり、それから退屈そうな眼差しをスバルに向け、

「――飽きた」

「飽き……はぁ!?」

「飽きた、と言ったのじゃ。そもそも、なぜ妾が走らねばならんのか。妾の行動は妾が決める。断じて、後ろの粗野の輩の言動に左右されるものではない」

「そ、そうは言いますけどね!? 実際、それが通る状況じゃ……」

 お嬢様のわがまま爆発にスバルは焦る。正直、こんな押し問答をしている時間も惜しい。わが身だけを省みるなら彼女を置いて、すたこらさっさと逃げるのが最善の選択肢である。が、それだとそもそも最初の目的を見失うわけで。

 理想と現実と逃避の板挟みになって頭を抱えるスバル。と、少女はそうして百面相しているスバルを見ると、意地悪げにその唇をゆるませ、

「ふむ、決めた。――貴様に妾を抱きかかえる栄誉をやろう」

「ノーセンキュー!!」

 碌でもない提案をしてくる相手に両手を交差して拒否を表明。少女はスバルのその即断に著しく気分を害したように顔をしかめ、

「妾を抱き上げるなどという栄誉、誰もが受けられるわけではないぞ。それを自らふいにするとは、恐れを知らぬ男じゃな」

「人ひとり抱えて走れるマッチョマンに見えんのか、俺が? 万全の状態でもお前よりスタイル値の低い子抱えて十分が精いっぱいだったわ! ましてや今はもうすでに体力枯渇状態で両足が生まれたての小鹿だぞ、オラァ!」

 小刻みに震える両足を指差し、威勢よく威勢の悪いことを吠える。
 そのスバルの醜態を見下ろし、それから少女は「仕方のない奴め」と呆れたような吐息を漏らし、

「――アクラ」

 と、ポツリ呟いた。

「あ?」

 彼女の呟きが鼓膜に届いた瞬間、ふいに淡い光がスバルの周囲に発生。驚く彼の全身を包み込み、黄金色の輝きが肌の上にヴェールを生み出す。
 体をすっぽりと覆うその金色の光、スバルは両手を顔の前に持ち上げて、

「な、なんじゃ、こりゃぁ!? お、オーラが実体化して見える……オラ、わくわくしてきたぞ……!?」

 自分の体に起きている異常に混乱するスバル。その彼の動揺ぶりの陰に隠れ、少女はゆったりとした動きでスバルの背後に回り込み、

「抱くのが嫌なら、こうじゃ」

「うお……っと!」

 言い切り、スバルの背中に少女が軽やかに飛びかかる。
 両腕が首に回され、小柄とはいえ少女の全体重がかかる予兆にスバルは両足を踏ん張って堪える姿勢――が、その焦りは杞憂と消えた。なぜなら、

「なんだ、お前。羽みてぇに軽い……ってか、俺の体が異常に調子いい!?」

 少女を背中に乗せているにも関わらず、まるでその体重の重みを感じない。それどころか手の中のリンガの袋も重量が消え、ジョッギングを行っていた両足も新品と取り換えたかのような軽快さ。

「妾の祝福を受ければ、誰しも馬車馬のように働く。貴様もそうせい」

「うおお、釈然としねぇけどこんならいける! ナツキ・スバル、行きます――!」

 乗せた少女の腰に片手を添えて、振り落とさないようキープしながら駆け出す。
 軽い軽い、足が軽い。全身が肉体という殻を脱ぎ捨てたかのように軽やかで、一足が数分前までの五足に匹敵するほどの疾走感。

 停滞の間に詰まっていたはずの距離は再び開き、今度は縮まる気配もない。
 遠ざかっていく男たちの気配――それすらも研ぎ澄まされた感覚が鋭敏に拾い上げ、スバルは全身の機能が極限まで高められている全能感に満たされていた。

「なにこれ、すごい! 体が軽い! もうなにも恐くない!」

 身を低くして風の抵抗を減らし、勢いに乗るスバルの体が風になる。視界が狭まり、路地裏の細い悪路をすれすれの高速走行、その最中にスバルは首だけ少女に振り向き、

「こんだけ離れりゃちょっぴ余裕あるから聞くけど……そもそもなんで絡まれてたんだ?」

 権威に弱そうな連中だけに、この少女ほど見た目が派手だと逆に手を出しづらいような気がする。どう考えてもそこらの市井の人間という見た目ではない。
 もっとも、トンチンカンがそれこそトンチンカン過ぎてそこまで考えが至らなかったという可能性もあるが。

 スバルの問いかけに少女はその形のよい鼻を小さく鳴らし、「大したことでない」と前置きし、

「暇つぶしに物見をしておったら連れとはぐれてな。探すついでに普段は見ない小汚い路地を見物しておったら、ちょうど奴らと出くわしたわけじゃ」

「でも、それだけで絡んでくるとか……」

「で、あやつらの珍妙な風体を鼻で笑ってやったらあの有様よ」

「お前が悪いよ!?」

「堪え性のない連中の相手はこれだからしてられんの」

「お前もちったぁ口の滑りを堪えさせろよ!?」

 台風みたいな少女、その災難に巻き込まれたトンチンカンに同情心がわいてしまう。もっとも、この場合は一番とばっちりを食ったのはまんまとスバルなわけだが。

 そうこう言い合いを続ける間に、正面にスバルは直角に右に折れる道に出くわす。壁を蹴る勢いで速度を殺し、反動で右に折れる――とその流れを思い浮かべたところで、ふと脳裏を閃く名案。それは、

「道なりに進むだけじゃいつまでたっても奴らを突き離せない。ならば、俺は道に走らされるのではなく、道を作る――!」

「効き目が強すぎて頭までいきおったか?」

「ひどいこと言うなよ! そして俺を疑ったことを刮目して後悔しろ!」

 言い放ち、スバルはさらにギアを上げて速度を乗せる。
 背中に乗る少女は同じ視界を共有している。それだけに、スバルの勢いが真正面の壁への激突行為に他ならないことがわかったはずだ。
 彼女はスバルの首に回している腕をきつく締め上げ、

「おい、貴様。なにを考えておる、このままではぶつかる……」

「四の五の言わずに見とけや、ファイア! これぞ、貧民街の手癖の悪い小娘――フェルト直伝壁上り!!」

 勢いのままに灰褐色の壁に足をかけ、重力を無視して二歩目をかける。音を立ててスバルの体が上昇し、ニュートン半泣きのウォールウォークが実現――。

「たらばがにっ!」

 しなかった。
 四歩目で足がダダ滑り、後ろに一回転してうつ伏せに地面に落ちる。受け身も取れずに顔面を強打し、スバルはその場で悶え転がりながら、

「ひだいひだいひだいひだいひだいひだいひだひ……ッ!」

「なにをやっとるんじゃ、貴様は」

 擦過傷塗れで痛みを訴えるスバルを、ギリギリで飛び下りた少女が珍獣を見る目で見下ろしている。その手には落下の災難を免れたリンガの袋。
 その無事を確認してホッとし、スバルは寝ていた体を起こすと、

「クソ、まさかの失敗……フェルトの奴、俺に変な希望見せやがって……」

 この場にいない金髪の少女に悪態をつくが、彼女にすれば濡れ衣もいいところだ。そもそも壁の踏破を彼女がしたのは事実だが、それをスバルに伝授した記憶など彼女にはあるまい。もちろん、直伝された覚えはスバルにもないのだが。
 独りよがり全開の失敗を披露し、スバルは頭を掻くと気を取り直すように立ち上がろうとする。が、

「あれ、あれれ、足ひねっ……ってか、あれ、痛い!? やべ、おい、超痛い、超痛いんですけど!? ひねっただけなのに折れたみたいに痛ぇ!」

「全身の機能を超過状態にしておるんじゃ。手足が意のままに動くのはもちろん、痛みを普段より過敏に感じるのも当然じゃろ」

「当然じゃろ、じゃねぇよ!?」

 当たり前のようにスバルへのバフ効果の大きさを語る少女。彼女は痛みに呻くスバルに同情する気はないのか、「さ、立て立て」と無情にも催促してくる。が、スバルはそれに対して「痛い痛い泣いちゃう」と子どものようにダダをこねて拒否。
 せっかく稼いだ時間と距離が再び無為に消費され、男たちの荒々しい気配がまたしても近づいてくるのがわかる。

 と、そんなときだった。

「久々に見かけたと思えば、お前はなにをやっとるんじゃ」

 のっそりと、その声の主は折れるはずだった右の道から大柄な体を覗かせていた。
 視線を上げる。普通の人間の頭の位置は、しかしその人物にとってはまだ胸でしかない。さらにそこから視線が上がると、髭を生やした禿頭があって、

「あ、あんたは……」

 見覚えのある筋肉隆々のジジイが、スバルと少女を見下ろしていた。

「メインジジイきた! これで勝つる――!!」

「久方ぶりで早々に腹立つ小僧じゃの、お前。置いてくぞ」

「助けてマジヘルプ! 貞操の危機且つ内臓の危機だよ!」

 前者が少女で後者がスバルの危機。
 悪い奴らは内臓を売っているに違いない、という偏見からくる想定だが、それを聞いた老人――ロム爺は少女の身なりとスバルを見やり、

「なんじゃ、またぞろ厄介事に首を突っ込んどるんか。女連れで騒ぎとなると、お前さんも隅に置けんの」

「そういう好色ジジイみたいなコメントいらねぇんだよ! 助けて!」

 痛みを堪えて立ち上がり、片足ジャンプでロム爺を拝み倒す。彼はその無毛の頭を困ったように撫でながら、だんまりの少女の方に値踏みの視線。それにさらされた少女ははっきりと不愉快を顔に浮かべ、

「不躾な目を妾に向けるな、小汚いジジイが」

「俺もだけどお前も相当口悪ぃな!? 地獄で見つけた起死回生のジジイになんてこと言いやがんだ! 悪く思わないでくれ、ロム爺。俺もこいつも、根がちょっと正直なだけなんだ!」

「人のやる気を削るのが相変わらずうまいの、お前は! とっとと隠れい!」

 まだ毒を吐き足りないと言いたげな少女の口を塞ぎ、ロム爺が首をめぐらせて示す方向へ飛び跳ねて向かう。そこには詰まれた廃材が壁に立てかけられており、うまく屈めば二人の体を隠すだけのスペースはありそうだ。
 その場所に先に少女を押し込み、尻で栓をするようにスバルも押し入る。埃っぽい場所に少女は文句を言いたげにしたが、スバルは決死にその口を塞いでどうにか不満を押し殺させた。

「ロム爺、オッケー」

「おっけってなんじゃい……儂が体で隠してやるから、動くでないぞ。見つかったら面倒なのは儂も同じなんじゃからな」

 口では悪態をつきながらも、ロム爺はその巨体で二人の体をさらに視界から覆い隠してくれる。そうして壁に背を預け、腕を組むロム爺の背後で息を殺す二人。
 隠れてからほんの数十秒後、複数の足音がすぐ近くの路地に殺到し――、

「っだよ! ガキかと思ったらジジイじゃねーか!」

 人の気配にすぐさま飛びかかろうとでもしていたのか、先頭を走っていた男がロム爺の巨体の前で罵声を放つ。じろり、とロム爺が無言の視線を送ると、それだけで男はその威勢を挫かれたように「お、おお」と一歩下がり、

「なんじゃ、騒がしいの。年寄りを驚かせるような真似は感心せんぞ」

 特に威圧感を込めたわけでもないだろうが、ロム爺のような巨漢が低い声で機嫌悪げに言い放てばそれだけでひとつの恫喝だ。
 それは正しく狙った効果を発揮し、その男を始めとして追いついてきた男たちに動揺を走らせる。だが、

「誰かと思えば、クロムウェルのジジイじゃねーか」

 その集団の中から、ひとりの男がロム爺を指してそう呼んだ。
 聞き覚えのない名前にスバルは眉を上げたが、それより顕著な反応をしたのは呼ばれた側であるロム爺本人だ。
 彼はその皺だらけの顔に、さらに苦渋というべき深い皺を刻み、

「その名前で呼ばれるのは嫌いなんじゃがな」

「そうやって人に注文つけられる立場か? 盗品蔵を潰して、貧民街の連中からはいい顔されてねえって聞いてるぜ?」

「長年の垢が溜まった場所じゃ。きれいさっぱりなくなって、むしろ爽快ってところじゃな。……今は好き勝手にやらしてもらっとる」

 にやけ面の男に対して、ロム爺はほとんど表情を変えないで返答。
 突いてもそれ以上の反応は望めないと思ったのか、男は肩をすくめると、

「はっ、まあ好きにしろや。ただ、ラッセルさんに頭下げんなら早い内に挨拶しにこいや。とろけりゃとろいほど、あんたの立場が悪くなるだけだぜ」

 男はそれだけ吐き捨てると、後ろの男たちを伴って再び路地を進み出す。と、そうして視界から消える前に振り返り、

「と、そうだ。クロムウェルのジジイ……ガキが二人、こっちにこなかったか?」

「見とらんな。お前たちこそ、儂の知り合いの金髪の娘っ子を知らんか?」

「知らねえよ。はっ、拾っただけのガキがそんな大事か。耄碌したくねえな、お互い」

 おざなりに手を振り、男たちが今度こそ立ち去る。
 その背中をジッと見送り、ロム爺は怒りを堪えるように唇を噛んでいた。

 廃材の隙間からその横顔を眺め、スバルはどうにも居心地の悪さを感じずにはいられない。久しぶりに再会したロム爺が、こちらに友好的なのは嬉しい事実だ。だが、今の彼の様子はスバルの知る彼の人物像とは少しずれていて、

「ひふまで……」

「ん?」

 囁くような声が聞こえて、スバルは思考を中断して隣を見た。
 すぐ真横、息がかかるほどの距離に美貌の少女が屈み込んでおり、その口はいまだに言葉を封じる目的で押し付けた掌が塞いだままだ。
 彼女はそうして塞がれた口をもごもごと動かし、

「ふぁらふぁのふひをふさいで……おるか!」

 がぶり、と容赦のない力で犬歯が掌に食い込む激痛――。

「――あひん!!」

 と、子犬のような甲高いスバルの絶叫が、路地裏の隅に静かに響いた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「かくまってくれてあんがとな、ロム爺。頭強く打ってたからボケてんじゃねぇかとか疑ってたんだけど、大丈夫そうでなによりだよ」

「お前……まださっきの奴らがそこいらうろついとるじゃろうから、心変わりしてもいいんじゃぞ」

「図体でけぇのに器小せぇこと言うなよ! 小者は俺だけで十分だぜ、イェア!」

 サムズアップして歯を光らせるスバルに、ロム爺は疲れた顔でため息をついた。

 場所は先ほどの細い路地から移し、少しだけ開けた街路に入り込んでいる。廃材の隙間から抜け出したスバルたちを、ロム爺が人目に当たらない場所といって案内してくれたのがこの場所だった。
 追いかけてくる男たちという脅威が取り除かれ、ようやく人心地つくことができたスバルと少女。その解放感から出たのが冒頭の一言、ということになる。

「おい、貴様。親しげに話しておるが、このジジイは誰じゃ。妾に説明せい」

 と、ここまで無言を保ってきた少女が、ついに苛立たしげにスバルの袖を引く。尊大な態度でロム爺を顎で示す少女に、スバルは「ああ」と頷き、

「この爺さんは王都貧民街の裏の顔、手癖の悪い連中の元締めをやってた売人で巨人のロム爺ってケチな野郎だ。特技は節穴と孫可愛がり、あと噛ませ犬」

「会いたかったジジイと再会できたのが嬉しいのはわかるが、ちびっとばかし調子乗り過ぎじゃぞ、小僧?」

 自分を指差すスバルの手に掌をかぶせ、ロム爺はそうスバルをたしなめる。スバルは「悪い悪い」と反省の少ない態度でそれに応じ、

「とはいえ、悪ふざけ過多だけど嘘情報だらけってわけでもないけど」

「一部は事実、というわけか。つまり貧民街で暮らす手癖の悪いケチで節穴な噛ませ犬のジジイじゃな。その歳まで生きてきて哀れな評価よの」

「お前さんの相方も相当腹立たしいの!」

 地団太を踏むロム爺の前で、肩をすくめる動作を交換し合うスバルと少女。
 それからスバルは意気消沈するロム爺に向き直ると、

「どちらにせよ、会えてよかったってのはホントだぜ、ロム爺。ぶっちゃけあんときは俺も俺で瀕死だったから、状況確認する手段がなくてよ」

「……切り替えが早いというかなんというか、調子の狂う小僧じゃ。お前さんも、腹がかっさばかれたと聞いとったが元気そうじゃの」

 ロム爺は苦笑を浮かべ、それからスバルの全身を上から下まで軽く眺める。彼はスバルの露出する肌に残る傷跡を痛ましげに見て、

「儂も人のことは言えんが、かなりあのナイフ使いに手酷くやられたようじゃ」

「いや、モツ子にやられた箇所は基本腹だから、このあたりとかは全部あの一件のあとの傷だけど」

「あれからまだ一週間ちょっとしか経っとらんのになにがあったんじゃ!?」

「話すと長くてしんどいからいいよ。命あるからこうして話せる。それで満足。ってなわけで、話を戻すけど」

 驚くロム爺の視線から傷跡を隠して、スバルは貧民街の方(だと思われる)を指差して、改めて事の顛末の話を持ち出す。

「盗品蔵の騒ぎのあと、どうしてたんだ? ぶっちゃけ、職場がなくなったわけだけどちゃんとしたもの食べてる? またお惣菜ばっかりで済ませてるんでしょ」

「後半なにを言い出したんじゃかわからんが、どうとでもやっとる。なにも盗品蔵で呑んだくれとるのだけが仕事だったわけでもない。この歳まで王都の裏でせせこましく生きておれば、それなりのツテというもんは持っとるもんじゃ」

 田舎の母親みたいな心配をするスバルに、ロム爺はカカと笑ってそう答える。
 実際、貧民街でそれなりの信用を得ていなければ、盗品を取りまとめる役割に就くことなどできるはずもない。ツテ、というのもハッタリではないのだろう。
 どちらにせよ、あの一件でのケガの後遺症やその後の生活の心配などもないのであれば、スバルにとっても一安心という話である。もちろんエミリアやロズワール邸の面々、彼女らと比較すれば心を砕く割合の低い話ではあったが。

「そうなんだから、別にロム爺のことなんて心配してなかったんだからねっ」

「気色悪いこと言っとるとこ悪いが、儂からもお前さんに聞きたいことがあったんじゃ」

 と、意味のないツンデレーションを発揮するスバルに、ふいに声の調子を落としたロム爺がそう告げてくる。彼の面差しに真剣味が混ざるのを見て、スバルもそれまでの崩した態度を立て直す。すると、ふいにそのスバルの袖が背後から引かれた。
 振り返る。必要以上に近い距離に少女が立っていて、至近の美貌にスバルが驚く。そのスバルに彼女は、

「妾、退屈」

「この流れでわがまま言わない」

「わがままではない、世界の選択じゃ」

「やかましい。じゃあ、クイズを出そう。この世界には上り坂と下り坂、はたしてどっちが多いでしょうか。レッツシンキン」

 おざなりに少女を思考の海へ放り投げ、スバルはロム爺に向き直る。それから出鼻をくじかれて不満げな彼に、「どうぞ」と意を込めて手を示す。
 彼はスバルのその態度に吐息し、それから気を取り直したように首を振ると、

「小僧。お前さん、フェルトがどこに行ったか知っておらんか?」

「……聞いてねぇのか? ラインハルトの奴が連れてったって話だけど」

「ラインハルト……『剣聖』のことか? 『騎士の中の騎士』が、どうしてフェルトを連れていくなんて話になったんじゃ?」

 本気でわからないとばかりに首を傾げるロム爺。彼の態度にスバルは「やっぱり頭を強く打った影響が」と老人の不幸を憐れんだが、ふと盗品蔵での一件を思い返してみて、その話の齟齬に納得する。
 思い起こせばあの一件の最中、ロム爺が意識を失ったのはラインハルトの乱入の前の話だ。その後、スバルが意識を失うまでの間、ロム爺がラインハルトと意識のある状態で接触していた記憶はない。つまり、

「哀れ盗品蔵跡地に置き去りにされたロム爺は、目を覚ましても誰にも顛末を教えてもらえず、廃墟と化した自宅の前で呆然とするしかないのでした」

「そんな切なげな状況には陥っとらんわ。儂が目を覚ましたのは衛兵の詰め所じゃった。治療されておったのは助かったが、すぐにお暇させてもらったがの」

「ああ、確かに。なるほどそりゃちょっと居心地悪いわな」

 悪事の心当たりがある人間が、警察病院で目を覚ますというのは生きた心地のしない話だ。詳しい話を聞く余裕もなく、早々に逃げ出すのも不思議ではない。
 つまりロム爺は詳しい事情を聞かずに詰め所を離れたせいで、フェルトを保護したというラインハルトとも接触できず、今の今まで宙ぶらりんの状態でいるのを余儀なくされていたということらしい。

「それで話が食い違うのか。オッケ、んじゃ、とりあえず俺が意識なくなる前の部分と、意識なくしたあとの補填をちょいちょい話そう」

 前置きして、スバルは身振り手振りを交えてあの盗品蔵の一大決戦『剣聖VS腸狩り』をひとりで再現VTRしてみせる。
 無意味に迫力のある演技力を披露するスバルにロム爺は感嘆し、退屈そうにしていた少女も瞳を輝かせて先を先をとせがむほどだった。

「そして俺は驚く彼女にこう言ったのさ。――君の名前を、教えてほしい」

「かー! 言いおった、言いおったわ!」
「ほほう、なかなか風雅な言い回しではないか。妾も嫌いではないな」

 やや脱線気味になりながらも武勇伝を語り終える。
 少し熱の入った説明に三人共に興奮冷めやらぬ状態だったが、ふとその中で最初に我に返ったロム爺が、

「んなことやっとる場合じゃないわい。あー、つまり小僧もフェルトが『剣聖』に連れられていった以外のことはわからんわけじゃな?」

「ま、そうなる……ん、どしたよ」

「上り坂も下り坂も同じ数に決まっとるじゃろうが!」

「ばぁむくぅへん!」

 唐突に正解に到達した少女にボディブローを喰らい、スバルは悶絶しながらその場にしゃがみ込む。スバルを殴った拳を振り、少女はそれで満足したのか「あとは貴様らで好きにやれ」と宣言。
 ロム爺はしばし呆然としてから、呻くスバルを気の毒そうに見下ろし、

「儂が言うのも筋違いじゃが、お前さんも伴侶は選んだ方がいいと思うぞ」

「俺はとっくに選んでるよ! あとは向こうが選んでくれるの待ち! 視界から消えない努力の真っ最中DAZE!」

 跳ね上がり、スバルはロム爺の見当違いの勘違いを指摘してポージング。それからスバルは咳払いすると話題を戻し、

「長年のツテってやつで、ラインハルトの家に直接お伺いとかできねぇの?」

「そこまで万能なら廃屋で酒かっくらって暮らしたりしとるか。しかし、そうなると困った話になる。――よりにもよって、アストレア家か」

 後半、呟きはロム爺の口の中だけで作られてスバルの耳まで届かない。深刻そうな顔をするロム爺を見上げ、スバルは仕方ないと肩をすくめるアクションをして、

「んじゃ、俺の方でラインハルトと話せるかもだから、なにかわかったらロム爺にも教えるよ。もともと、フェルトがどうしてるかは確かめなきゃと思ってたんだ」

「そりゃ助かる話じゃが……お前さんこそ、妙なツテがあるの。あっちの嬢ちゃんの関係か?」

 以前の邂逅の際のスバルの人となりを覚えているのか、ロム爺はスバルの自信の源をスバル自身ではなく周囲のものであると判断したらしい。
 その判断自体は間違っていないが、それがあの少女所縁だと考えるのは間違いだ。

「いや、全然違うよ。そもそも、俺あの子の名前も知らねぇし」

「お前さん、名前も知らんような相手とどんな修羅場くぐっとるんじゃ!?」

「振り返るとエミリアたんも名前も知らないってのに必死こいてたわけだし、俺の行動としてはそんなおかしなことでもねぇかなぁと」

 あっけらかんと答えるスバルに疲れたものでも感じたのか、ロム爺は眉間に指を当てると瞑目して「考えるだけ無駄じゃな」と思考を投げ出す。
 そうしてからロム爺はスバルを真っ直ぐに見やり、

「あの嬢ちゃんでないにしろ、『剣聖』と話す機会が作れる可能性はあるんじゃな?」

「なんにもないロム爺よりは高いだろうな、と思うぜ。老朽化したつり橋を渡るような安心感を俺に預けろよ!」

「橋は叩いて渡る主義なんじゃが、どうしてこうなったやら……」

 誇らしげに胸を叩くスバルに、ロム爺は禿頭を撫でると覚悟を決めたように頷いた。

「あい、わかった。お前さんに頼もう。フェルトのことがわかったら、儂にも教えてほしい。礼はできることならする」

「奮発するな。やっぱ孫可愛さみたいなのあったりすんだ?」

「――そうじゃな。あの子は儂の、孫みたいなもんじゃ。だから頼む」

「んじゃ、頼まれた」

 まっすぐに、臆面もなく言い切られてしまえばスバルからの反論もない。気持ちのいい全肯定に、思わず口元が緩んでしまったぐらいだ。
 あの金髪の娘も、これだけ愛されていると知ればどう思うだろうか。あの子のことだから、赤い顔をして強がってみせるのではないかと思う。

「わかった場合、どうすればロム爺に連絡できる?」

「そうさな。……商い通りに『カドモン』って店がある。そこの強面に儂の名前を出してくれれば、繋ぎが取れるようになっとる。それで頼む」

「オーライオーライ、カドモン……カドモン?」

 どうも直近で記憶に刻み込まれた単語のような気がして、スバルは首を傾げる。
 とりあえず、商い通りと場所がわかれば問題あるまい。しらみつぶしに当たればほどなく店を見つけることも叶うだろう。

 頷いて理解を示し、スバルとロム爺は固く約束を交わした。
 スバルからすれば行きがけの駄賃というやつであり、断る理由も存在しない。もともとやろうとしていたことをやるだけで、老い先短い老人の限られた命の多少を自由にできると思えば儲けものだ。

「とか、エミリアたんなら言い訳するかな。これも自分のためって」

「なんか言いおったか?」

「いや別に。っつか、そーだ、ロム爺。いきなりだがさっそく役立ってもらうぜ」

 指を立ててロム爺に向き直り、スバルは腰を揺らして視線を呼び寄せる。
 さっそくの申し出にロム爺は露骨に嫌そうな顔をしたが、そこは先ほど交わしたばかりの約束もある。表情は苦々しいままながらも「なんじゃ」と聞くスタンス。
 そんな彼にスバルは「大したことじゃねぇんだが」と前置きし、

「実は俺もあの女も完全に道に迷っててな。約束を果たす云々以前に、このままだと俺の冒険はここで終わってしまった! ってなるから、通りまで案内頼む」

「……なんじゃ、そんなことか。わかった、任せろ。どこの通りじゃ?」

「とりあえず、詰め所の前まで頼む」

「お前、儂が詰め所から逃げ出したって話聞いとったか!?」

 ロム爺の裏返った絶叫が、路地の空へ吸い込まれていく。
 エミリアとはぐれてから、そろそろ小一時間が経過しようという空だった。

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