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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章7  『橙色の少女』



 声の方向へ行くか行くまいか、悩んだのはほんの数秒の間だけだった。

 決め手になったのがなんだったのかはスバル自身にも定かではない。
 迷子になっていた故の人恋しさだったのかもしれないし、トラブルと見れば野次馬しにいかずにはいられないへそ曲がりな根性が理由だったのかもしれない。
 あるいは幾度も繰り返した最初の時間、銀色の少女が同じような場面を見逃さなかったからなのかもしれない。

 嫌な予感に顔をしかめながらも足を踏み出し、スバルはその現場に出くわす。

「ふざけてんなよ、女ぁ! その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやろうか、あぁ!?」

「やいやい騒ぐでない、下郎。品性の足りん輩は因縁の付け方にも品がないの」

 唾を飛ばして怒気を振り乱す男に対し、その声は透き通るような凛とした音で猛毒を宿していた。
 そっと、曲がり角の端から頭だけを覗かせて、スバルはおっかなびっくりその様子をうかがう。

 正面、細い路地ではひとりの少女が、逃げ道を塞がれるように三人の男に囲まれていた。
 ありがちなチンピライベントの発生に嘆息しかけるが、そのことへの意識よりスバルの気を強く惹いたのは、その場の雰囲気にあまりにそぐわない少女の姿。

 鮮やかな橙色の髪は太陽を映したように輝き、バレッタでひとつにまとめられて背中へ流されている。華やかな真紅のドレスは舞踏会や貴族の茶会などでならその美しさを存分に発揮するだろうが、足場の悪い薄汚れた路地にはいかにも不相応。
 首元や耳、手指を飾る装飾品の数々も素人目で一級品だとわかるものばかりが散りばめられており、上から下までのコーディネートでスバルの持ち金が百回は飛ぶ。

 そしてその華々しい数々の装飾品を身にまとい、なおその高貴さに一切見劣らない少女の容姿が飛び抜けていた。
 挑戦的なつり目がちの赤い瞳。薄い桃色の唇に、処女雪のように白い肌が映える。芸術家が揃って筆を折る美貌、その顕現にスバルは異世界の非常識ぶりを再確認。

 そんな少女を取り囲み、男たちは猛然と暴力性を露わに怒鳴りかけている。
 それを平然と見返す少女。その態度には強がっている様子などは欠片もないが、かといってあの華奢な体のどこかに彼らを跳ねのける力があるとも思えない。
 というかあったとしても、未確認の現状ではないものと判断すべきだ。
 腕を組み、少女は豊かな胸を持ち上げるようにして悠然と構える。男たちがその仕草をさらに余裕によるものだと解釈、勝手にボルテージが上がるのが傍目にわかり、

「――よ、よお! 待たせてごめんな!」

 とっさに手を挙げて、スバルはそのやり取りの真ん中にへこへこ割り込んでいた。
 その場の四人――チンピラ三人と少女の視線を一身に浴びながら、スバルはとりあえずチンピラたちへと謝罪の意を込めて手刀を掲げ、

「なんかちょいトラブルあったみたいだけど、どうか俺に免じて勘弁してくれ。ほら、見た目でわかると思うけど、この子ってばちょっと頭がアレなんだよ。わかるべ?」

 治安が決して良いとはいえない都市の暗部で、身ぐるみ剥いでくださいと言わんばかりのセレブスタイル。これが頭残念な人の姿勢でなくてなんなのか。
 獣人モフりたさに正気をなくして道に迷った自分を棚上げして、スバルは鼻白む男たちに「じゃ、そゆことで!」と元気よく言って、背後の少女の手を掴む。

「む」

「ほら、お兄さんたちにこれ以上迷惑かけないうちに行こうぜ。今日は約束のスイーツを二人で『あーん』させ合いながら食べる約束……」

 エミリアとの妄想スケジュールをキャスト改変しつつ口からこぼし、スバルは足早に少女を連れてその場を立ち去ろうとする。が、

「気安く」

「――お?」

 とった腕を別の手に上から掴まれ、身をひねる動きでスバルの体の角度が強引に変更。身を屈ませられ、そのまま腰をグラインドするように身が回り、

「妾に触れるでない」

 握っていた手首が外された――と思った直後、後頭部を別の掌に触れられる感触。そのまま強い力が頭部にかかり、為す術なく、顔面が壁に叩きつけられた。

「げるぐぐっ!?」

「さてやれ、表に出るとすぐこれじゃ。妾の肢体目当てに男共が寄りついてきよる。まったく、油断も隙もありはせん」

 痛打した顔面を押さえて転がるスバルを見下ろし、まるでゴミでも見るかのようにそう吐き捨てる少女。鼻が石塀に削られる痛みに半泣きだったスバルはそれを下から見上げ、憤怒の感情に急き立てられるままに立ち上がると、

「お前、話の流れ掴めよ! チンピラから女の子救い出すありがちパターンAだっただろ今の! その意図に気付かれないとこまでテンプレか!」

「なにを言っておるのかわからん。妾は妾の意のままに、思った通り動いたまでじゃ」

「初対面で顔面壁に叩きつける女とか、我が強いってレベルじゃねぇぞ!?」

 助け出そう、というこちらの意図が伝わらないどころか、痴漢扱いな上で本人からの必殺仕置き人だ。鼻血が出づらい体質でなければ、あるいは常人より出っ歯であったら惨劇を免れないところだった。

 痛みと恥辱で顔を歪めていたスバルは、ふと黙る男たちがこちらを見ているのに遅れて気付く。彼らの前で盛大に情けないところを見せ付けたスバルは、顔面痛打のタイミングで取りこぼしたリンガを改めて壁に立てかけつつ、

「なんだよ、笑えよ。かっこつけて助けに入ったくせにその気持ちに気付いてもらえないどころか、フェイスクラッシュ喰らってるとかマジだせぇ、プゲラって笑えよ、えぇ!?」

「いや、笑えねえよ、さすがに」

 同情の色の濃い男の言葉に、スバルはいっそ笑い飛ばしてもらえた方が心情的には楽だったと肩を落とす。
 それから長い息を吐いて気持ちを落ち着けると、改めて仕切り直すように、

「テイク2! さあ、悪漢共! 俺がきたからには好き勝手はやらせねぇ! ここを通りたきゃ、俺を倒していくんだな。へへ、俺、この戦いが終わったら故郷でパン屋を開くんだ。幼馴染と結婚の約束もしてるしよ!」

 威勢のいい台詞で自らを奮い立たせ、スバルは男たちへ啖呵を切る。
 背後に少女を庇い、男たちがどう動くかを油断なく観察。三体一だから、最初の奇襲をこちらが取れれば勝ち目はある――とそこまで考えて、

「あれ、なんかお前ら、見覚えあんな」

 首をひねり、眼前に立つ三人の男の顔を見比べて記憶と照らし合わせ、思い出したとスバルは手を叩く。

「あ、トンチンカンだ。え、なに、嘘。王都ってお前らしかチンピラいないの?」

 見覚えがあるのも当然の三人は、召喚初日にスバルに絡んできたトンチンカンと名付けたずっこけ三人組だ。一度は彼らに命を奪われた経験もあるだけに緊張感がわずかにスバルを支配したが、

「それ以上に力が抜ける感覚の方が強いな……なんなのお前ら、毎度毎度こんなことやってんの? エブリデイ? ワンデイ? サマーバケーション?」

「突然割り込んできて頭打った挙句にわけわからんこと言い出したぞ」
「おい、俺あんまし相手したくねえよ、お前いけよ」
「オレだって嫌だっつの。適当に小突けばどっかいくんじゃないか?」

 警戒しているのか緊張が抜けたのか、イマイチ戦意のわかないスバルの腑抜け面に対して、男たちは顔を突き合わせると小声でそんな相談を始める。
 男たちがいよいよ戦意喪失、といった雰囲気になりつつある中、それらのやり取りに一切関わっていなかった少女が「おい」と口を出し、

「ウジウジと話が進まんのは興が乗らんぞ。女の子か貴様ら。それならばそれで身なりに気を遣い、妾が愛でるにふさわしい在り様を示すがいい。あちこち筋張って、いらん体毛の多い貴様らの愛らしい姿――さぞ、滑稽であろうしな」

 口元に手を当てて、少女は嘲弄と侮蔑を惜しみなくつぎ込んだ罵倒を投げる。
 一瞬、なにを言われたのかわからない四人(チンピラ+スバル)だったが、少し遅れてその意味が通ると全員が一斉に沸騰し、

「ふざけんなよ、クソ女ぁ!」
「誰が女の子だ、ざけやがって!」
「偉そうにくっちゃべりやがって何様のつもりだ、あぁ!?」
「マジ調子のんなよ、お前! 俺たちが女の子かどうか、お前のセックスアピールすごすぎる体を好き勝手にして教えてやろうか!?」

 チンピラ四人組と化して品性の欠けた反論が噴き出す。
 中でも最後のひとりの発言は後々に物議をかもしそうな嫌らしさに満ちていた。その最後の一言を叫んだ人物であるところのスバルは、荒い呼吸に肩を揺らし、

「しまった。俺はトンチンカンと一緒になってなにをやってるんだ……」

 我ながらの蝙蝠ぶりに自分でびっくりしていた。
 正直、チンピラたちの怒りももっともなぐらいの少女の態度。ではあるが、口が悪いからといって男たちに辱めを受けていいかというとそうはならないわけで。

「お前らにはものすごぉく同情するんだが、今さら初心も曲げられねぇ。そしてお前らに思うところがないわけでもねぇ。恨むなら、初日のお前らを恨んでくれ」

「その偉そうな女もそうだが、お前もけっきょくなんなんだよ、クソガキ」

 トンが頭を掻きながら、スバルの存在にやり辛そうにそう吐き捨てる。どうも彼らの記憶の中にはスバルの存在はないらしい。
 エミリアに魔法でぼこられたり、三体一でスバルにボロ負けしてみたり、そのあとはあとでスバルを通り魔したりと色々あったにも関わらず、薄情なものである。

「ま、そのイベントの全部がこの世界線だと起きてない出来事だかんな。実際、こいつらが覚えてるとすると……イケメンが颯爽登場したことぐらいか」

 一番穏便に片付き、スバルと彼らの因縁が一番浅い展開であったともいえる。
 互いに干渉を避けたともいうべき事態だったため、スバルの印象が彼らに残っていないのも仕方のないことだ。
 と、スバルは半ばそんな風に若干の寂しさを噛みしめていたのだが、

「おい、思い出した。こいつ、何日か前に商い通りの路地で……」
「――! あのときの、頭おかしいガキか! 変わってねえじゃねえか!」
「本当だ。格好が違うから気付かなかった!」

 チンがピンときたと指を鳴らして叫ぶと、トンとカンも続々と記憶を探り当てる。微妙に聞き捨てならないワードがあったことは水に流し、スバルはよくぞ思い出してくれたと手を叩くと、

「そう、そんなわけで俺とお前らは知らない仲でもないってわけだ。だからここは俺の顔に免じて、見逃してくり」

「バカか? 知らない仲じゃないって言うより、敵対関係だろうが。三体一が三対二の状況になっただけじゃねえか」

「あとひとりで戦力が拮抗しちまう状況だ。お互い、痛い思いはしたくねぇだろ?」

「訂正せい。三対二じゃなく、三対一対一じゃ」

「お前ちょっと黙ってろよ!?」

 出任せとハッタリとその場しのぎでどうにか穏便に片付けようとしているのに、その意思すら完全に無視して我を通す少女。
 つい五分前にタイムリープできるなら、壁際で様子をうかがう自分の肩を叩いて「マジやるだけ無駄」と声をかけてやりたいが、それもなにもかも後の祭り。

 もともと、気の長い連中でないことをスバルは実体験で知っているのだ。
 いよいよ彼らの態度に怒気ではなく、冷たく鋭い感情が混ざり始めるのを感じる。異世界にきてからもはやお馴染になってしまった、殺気というやつだ。
 各々が懐に手を差し入れ、手に馴染んだ血臭のする獲物を取り出すのも時間の問題。

「……仕方ねぇ。この手だけは使いたくなかったんだが」

 もはや衝突が避けられないと判断し、スバルは頭を振ると己の未熟さを恥じる。
 この場を話術だけで乗り切ることができず、毎度のように切り札を切らされるギリギリの修羅場――たまには余裕綽々で乗り切りたいものだが。

「やめとけ、お前ら。それ以上は遊びじゃ済まねぇ」

 掌を三人に向けて、スバルは今にも凶行に及びそうな男たちを牽制する。もっとも切れやすいチンがそのスバルの言葉に青筋を浮かべ、

「あ? 勘違いしてんじゃねーぞ? 俺らが上で、お前らが下だ。そのへん、間違えて命令してくれてんじゃねーよ」

 殺意を隠さず、懐からナイフを抜き放とうとするチン。
 スバルはその手が抜かれるより早く一歩前に出ると、そのチンの眼前に顔を出し、でき得る限りのドスの利いた声ではっきりと言い放つ。

「そんな口、利いて後悔しねぇな?」

「あぁ?」

「言っとくが、俺はラインハルトさん知ってんだぞ、おら。俺とラインハルトはマブよマブ。俺が呼んだらすぐビュンッて飛んでくるぜ」

「――な!?」

 スバルの口にした内容に、チンがその顔に驚愕を張りつけて後ずさる。
 オペレーション『虎の威を借る狐』――が発動、相手は心底ビビる。

 ラインハルトの名前を出されたことで、トンチンカンの間に動揺が走る。ハッタリであると抗弁したいところだろうが、生憎、彼らは実際にラインハルトがスバルに助勢するのを目撃した張本人だ。
 あのちょっとネジの外れた剣士の実力を、知らないはずがない。

「どうする、今なら俺の一声で手打ちにしてやんよ。やんよ」

 効果覿面と見るやいなや、スバルは両手を頭の上で合わせて腰を振り、余裕の態度を全開にして男たちを威圧。ぶっちゃけ、ラインハルトが市民の叫びに都合よく現れてくれるヒーロー的なキャラでない限り、この場で争いになるとスバルが痛い目を見るのは確定的に明らかであり、ある種必死のパントマイムだ。

 その内心の冷や汗を見切ること叶わず、男たちは悔しげに歯を軋ませると、

「今のところはこれで勘弁してやらぁ」
「だけどな、俺たちゃ負けたわけじゃねえ、覚えとけよ」
「ラインハルトの名前にビビったわけでもねえからな!」

 お約束の負け惜しみと、いらん説明文のせいで小者臭さを増しながら、男たちは口汚い罵声を残して路地から立ち去っていった。

 その背中が完全に通りの角に消えるのを見送り、そうしてやっとスバルは張り詰めていた緊張感を吐息にして全部出し、膝に手を当てて腰を折る。

「あー、しんどかった。マジ焦った。小者VS小者の争いは、どうやら俺の小者ぶりに軍配が上がったらしいな……イッツァスモールワールド!」

 軽口を叩いてどうにか平常心を取り戻し、スバルは背後の少女に振り返る。
 スバルが男たちに対して虚勢を張り、どうにか精神の均衡を保っていたように、ひょっとすると少女もそういった自己防衛からあんな高慢な態度に――、

「なんじゃ、物乞いのような目をしおって。貴様にやるようなものはなにもないぞ」

「いや、完全に素だこれ。助けたことへのお礼ぐらい言ってもいいのよ?」

「助けた?」

 小首を傾げて不思議そうな顔をする少女。
 彼女はしばし思案するように瞑目し、それから合点がいったとばかりに「ああ」と小さな吐息を漏らし、

「さっき貴様がさえずっておったのは妾を助けるためか。ふむ、気付かなかった」

「あれだけやらかして気付かれねぇとか報われねぇってレベルじゃねぇな!?」

 頭を抱えて腰をひねり、衝撃を受けたことを体で表現するスバル。が、少女はそんなスバルの様子を退屈そうな眼差しで見て、それからけっきょくなにも言わず、

「やれやれ、時間を無駄にした。妾の有限の時間を奪うとは罪深い話じゃな」

「けっきょくお礼は言わないのね……」

 お礼お礼と感謝の言葉ばかりを求めていると、ついついレムを思い出してしまう。今頃は王都で買い物行脚中だろう青髪の少女が、ほんの数時間しか離れていないのに今はやたらと懐かしい。癒されたい。

 やや恩着せがましいかもと自覚のあるスバルの声に、しかし少女は「んん」と首だけでこちらを振り返り、

「勘違いするでない。別にお前がいなくとも妾にはなんの問題もなかった。どうにでもなった問題を、たまたまどうにかしたのが貴様であったというだけのこと。それを己の手柄のように誇るなど、滑稽でしかないぞ」

「意味わかんないんだけどどゆこと? 助けてもらわなくても、妾様は超強いんだから全然平気だったんだからねっ! みたいなこと?」

「違う、もっと単純なことよ。――この世界は妾の都合の良いようにできておる。故に妾に不利益は起こらん。妾が助かったのは妾のおかげである。それを貴様は己の手柄のように、横取りなどと恥ずべきことだと思わんのか?」

 まるで当然のように、当たり前のように、世間一般の常識であるかのように、少女は堂々とその豊かな胸を張り、己の絶対性を主張してみせた。

 あらゆる事象が自身の味方であり、あらゆる現象は自身の行為の結果であると断言する溌剌さ。
 おまけに助けに入ったスバルの行為を、手柄の横取りと言い切る清々しさ。

 彼女のその太陽のごとき輝きを目の当たりにして、スバルははっきりと断定する。


 ――これは完全に、関わっちゃいけない類の残念さんだ。


「そ、そうか。それは余計な真似をして悪かった」

 こういう輩は余計な言葉で刺激せず、言葉を肯定的に受け止めてやるべきだ。
 スバルは逆らうような真似はしないで大仰に頷き、それから壁に預けていたリンガ入りの袋をそそくさと拾い上げる。
 フェイスクラッシュ時にばらまきかけたが、幸い、傷付いているものは見当たらない。八百屋のおっちゃんの厚意が傷付かず、ホッと一安心しながら、

「じゃ、そゆことで。お互い、もっと日の当たるところを歩くようにしようぜ」

 手を上げ、回れ右して少女に背を向ける。
 とりあえず神経を逆撫でしないように徒歩で距離を開け、曲がり角に差し掛かったら全力疾走で逃げ切ろう。
 そんな風に行動方針を決定し、曲がり角までの歩数を数えていたスバルを、

「――待て」

 背後からの低い声での呼びかけに、思わず足を止めたスバルは己の不徳を責める。
 聞こえないふりをしてそのまま歩き去ってしまえばよかったものを、立ち止まってしまったからにはその言い訳ももう通用しない。
 せめてもの反抗に、スバルは後ろを振り返ることはせずに声だけで、

「な、なんスか?」

 微妙にへりくだりつつの返事になったところに、すでに精神的な部分での優劣が発生していることにスバルは気付かない。
 精神的弱者のスバルは一生懸命に、振り返らないことで己の意地を通したが、精神的強者であるところの少女にはそんな拙い反抗も意味を為さず、

「その袋の中身はなんじゃ。見せよ」

 悠々と前に回り込んできて、少女は胸に抱え込んでいた袋を下ろすよう指で示す。
 素直に従う義理もないのだが、逆らって話が長引くのもご免だと、スバルは渋々とその指示に従って袋の口を傾け、その中身を彼女に見せる。
 熟れた赤い果実の山を見て、少女はその赤い瞳を何度か瞬かせると、

「見てもわからんな。この果物……はなんじゃ」

「なにって言われても、リンガだよ。見たことねぇのか」

 ロズワール邸の朝食に並ぶくらいだから、ポピュラーな果物かと思ったのだがそうでもないのだろうか。あるいはロズワール邸の食事の水準がかなり高く、リンガ自体も相当高価な食材の可能性が――というのは、先の銅貨二枚のやり取りで解消されている。となると、純粋な疑問符がスバルの脳裏に浮かぶ。

 そうして疑念に眉を寄せるスバルの前で、それ以上に顕著な反応を見せたのは少女の方だった。
 彼女は袋の中を再度覗き込むと、それからスバルを小馬鹿にするように見上げ、

「嘘をつけ。笑わせるでない。よいか? リンガは白い果実じゃ。断じて、このような赤い見た目の果実ではない」

「皮剥いた中身は白いわな」

 なにを言い出すのかと思えば当然のことをいわれ、スバルは憮然と言い返す。が、その返答にその表情から色を消したのは少女の方だ。
 その反応に不穏なものを感じ、スバルはおずおずと、

「まさか、マジで皮剥く前のリンガ見たことねぇの?」

「ふむ、言われてみれば食卓に並んだものしか見たことがないな。――わかった。寄越すがいい」

 ひとり納得するように呟き、それから少女は片方の手をスバルの方へ突き出し、リンガを渡せと要求してくる。
 その傍若無人な態度にスバルも反論を試みようとするが、それはこちらに向けられるのとは反対の彼女の手の様子を見て封じられてしまう。

 こちらに差し出される左手とは反対に、右手は彼女の懐に差し入れられており、豪奢なドレスからその掌が抜かれたとき、そこには刃渡りの短い短剣が握られていた。
 柄の拵えに宝石があしらわれたそれも見るからに高級品だが、ギラリと路地裏の少ない光源を受けて輝く姿を見るに、切れ味までも観賞用というわけではないらしい。

 カツアゲされそうな少女を助けに入って、その少女にカツアゲされるという稀有な状況を体験し、スバルは目が回りそうな感覚を味わっていた。
 そうして脳のオーバーワークに押し黙るスバルへ、少女は再度「寄越せ」と短く告げてきて、

「二つに割って中身を見てやる。それで貴様の口が嘘しか漏らさぬ風穴かどうか確かめてやろう」

「路地裏でナイフ向けられるとか生理的な嫌悪感が……」

「はやくせい」

 抵抗もむなしくリンガは奪われ、それは少女の掌の上で二つに切り裂かれる。
 逆手に握った短剣を、思ったよりも手慣れた仕草で扱う少女。二つに割られたリンガが白い断面をさらすのを見届け、彼女はわずかに掌にこぼれる滴を舌で舐め取り、

「甘酸っぱい……この味は確かにリンガの味じゃな」

「ご満足いただけましたかね?」

 ようやく納得したと言いたげな少女に対し、スバルは営業スマイル全開で接客。なんならその一個は進呈させていただくので、とっとと解放してもらいたいのが本音だ。すでにエミリアからはぐれてどれだけ経ったのか、腕時計がない状態ではわからないが、確かめるのも恐ろしい。

 しかし少女は無情にも、そのスバルの懇願めいた感情には欠片も配慮せず、

「面白い。残りのそれも全部寄越すがよい。ひとつ残らず割って確かめる」

「BA・KA・I・E!!」

 傍若無人を通り越して暴君でしかない発言に、さすがのスバルも噴火する。
 癇癪に体をばたつかせてスバルは少女に詰め寄ると、

「一個割られただけでも意味がわからんのに、どうして全部お前にやらなきゃならねぇんだ。絶対にノゥ! このリンガはな、リンガはな……俺と、あるひとりの男との絆の証なんだよ。ただのリンガじゃねぇ、絆の果実なんだ!!」

「戯言はよい、ならばこうせよ」

 熱弁するスバルに興味を払わず、少女は一方的な態度のまま話を続ける。
 彼女はスバルの抱えるリンガの袋を指差すと、その唇を横に裂いて嫣然と笑い、

「賭け、でどうじゃ?」

「――賭け?」

「そう、簡単な賭けじゃ。そうさな、投げた硬貨の裏表を当てるような簡単な賭けでよい。一回につき、リンガ一個を賭ける。どうじゃ?」

 コイントスを提案されて、しかしスバルは彼女の宣言を鼻で笑う。
 譲歩したとでも言いたげな態度ではあるが、そもそも前提からしておかしい。

「お前の言い分はメチャクチャだ。第一、その賭けには俺のメリットがねぇ。リンガ取られねぇってだけなら、このままダッシュでとんずらこいても一緒なんだぜ?」

「もちろん、貴様への見返りも用意する。そうじゃな……」

 考え込むように唇に触れる少女。それから彼女は艶めかしい流し目をスバルに送り、腕を組んでその豊かな胸を持ち上げてみせる。そして、

「貴様が賭けに勝った場合、妾の胸を触らせてやろう。それでどうじゃ?」

 自らの体を賭けのチップにする発言に、スバルは長い息を吐いて首を振る。
 安易に賭けごとに己を差し出す考え方、先のことを考えていないとしか思えない破滅的な思考――ギャンブルで身を持ち崩す人間の性質は常にそうだ。

 そして目の前の美貌の少女は、男と見れば誰もが色香に惑うとでも思っているのだろう。嘆かわしい話であり、それは悲しい考え方だとも思う。

 返事が遅いことをどう思ったのか、少女はわずかに不審そうにスバルを見る。
 その視線を真っ向から見下ろして、スバルははっきりと彼女に告げる。

「もっと自分を大事にしろ。バカ言いやがって……そんな色香に俺が惑うかよ!」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 ――そして、

「これで妾の七連勝じゃ。リンガ、あと三つしかないぞ?」

「バカな!? 身ぐるみ剥がされる!?」

 路地裏で連戦連敗し、ギャンブルで身を持ち崩すスバルの姿がそこにあった。


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