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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章4  『旅行出発前途多難』



 屋敷に居残りするラムとの心温まる不安なやり取りのあった明朝――ロズワール邸の正門前に集まった屋敷の面子の中で、スバルは感動に思わず喉を震わせていた。

「ほあー、こいつが!」

 歓喜に声を、表情を弾ませるスバルの眼前、そこに悠然と構える威容の存在がある。
 緑色の硬質の肌、見上げるほどの巨躯、黄色く鋭い双眸――幾度も見かけておきながら、こうして至近で触れ合う機会に恵まれなかったそれは強大なトカゲの姿をしていた。
 ロズワール邸の正門に堂々と鎮座するのは、これよりスバルたちを王都へと誘う道行の案内人、地竜の引く竜車である。

「体でけー! 肌かてー! 顔こえー!!」

 大きな生物――生物に限らず、その巨大な存在を前にテンションが上がってしまうのは男子共通の感覚であろう。スバルももちろん、その『でかい』というだけの理由にメロメロにされて、早朝である事実と合わせてテンションフルスロットル。
 ぴょこぴょことトカゲの周りを跳ね回り、その姿に感激を露わにしている。

「ホントに、子どもみたいにはしゃいじゃって」

 その姿を眺めながら、唇をゆるめるエミリアは呆れたような吐息。彼女は自分の隣に控えるレムに同意を求めるように肩をすくめる。が、

「スバルくん……可愛い。エミリア様もそう思いませんか?」

「可愛いは可愛いと思うんだけど……レムもかなりスバルに毒されちゃったのね」

 うっとりと、はしゃぐスバルを見守るレムにもエミリアは吐息。
 背後でそんな感想を交わされているとも知らず、スバルは無遠慮に地竜に対してぺたぺた手を伸ばしては奇声を上げ、

「ヤバい、すごい感動がある! 超ファンタジー! デジカメがあれば、マジ激写すんのに! タイトルは『地べたを這い回る竜と俺――』でどう……」

 それこそテンションゲージが振り切り始め、触る手つきがタッチからアタックへと移行し始めた頃、トカゲのゲージの方が先に振り切った。
 具体的に言うと――、

「どすとえふすき!?」

「「あ――」」

 うなりを上げて旋回するトカゲの尾がしなり、スバルの肩あたりを思い切り殴りつける。威力に体の軸がぶれ、残像を生みそうな速度でスバルが飛ぶ。側宙の要領で吹っ飛ぶスバルは門扉の横、柔らかい茂みの中に頭から突っ込み、しばしの沈黙のあとでどうにかこうにかそこから抜け出し、

「――ど、どういうことなの」

「スバルくん。地竜はとても賢い生き物で、言葉は通じなくても大体の意思が通じます。だから扱いに関しても丁寧にしないとダメですよ」

「早く言ってね!? マヨ風呂以来の死を感じた……案外最近だな!」

 異世界にきてからというもの、身近に死を感じる機会がまったく絶えない。
 しばらく穏やかな日々を過ごせていたと思った矢先にこれだ。

 スバルは一撃を受けた肩を回しながら、えっちらおっちら茂みから足を抜いて正門前へ戻る。ちらりとビビりながらトカゲを見ると、奴はその黄色い瞳をほんのわずかに細めて、「気安く触るとそうなるんだよ」とでも言いたげに強く息を吐いた。
 人間相手に拒否られるのは慣れていても、こうした未開の土地の生き物にまで態度で示されるとそれなりに思うところがある。

「今後はもう少し、口の利き方と態度と行動と日頃の行いに気をつけよう……」

「省みるところ多いのね。でも、スバルらしいところだと思うけど」

「エミリアたんの好きなところ?」

「ときと相手と場合を選んだ方がいいかな、とは思うかも」

「肝に銘じやーす」

 手を上げて殊勝に従うと、エミリアが「よろしい」と腰に手を当てて笑う。
 そうしていると、ふいに屋敷の玄関の扉が開く。そこから出てくるのは、集合時刻に少し遅れてやってくるロズワールとラムの二人だ。
 スバルは腕時計をしていない腕を、指で軽く叩きながら、

「おいおいおい、遅いじゃないのどうなってるの。時間指定したのはロズっちじゃないん? 時間にルーズな奴は色んなことにルーズだぜ、なあ、レム」

「そうですね! 今日、時間になっても起きてこなかったスバルくんを起こしたのはレムですけど、褒めていただいてかまいませんよ」

「よーしよーしよーし、少し黙ってろよー、レム」

 余計なひと言を漏らすレムを、撫でくりして黙らせるスバル。そんなスバルにエミリアの白い目が突き刺さり、スバルは慌てて弁明するように、

「違うんだよ! 理由があるんだよ! 海より青く、山より碧い理由が!」

「青々しい言い訳もあるのね……聞きましょう」

「楽しみで寝付けなかったんです!」

「子どもじゃないの」

 エミリアが諦めたように肩を落とすのを見て、試合放棄で自分の逃げ切りとスバルは結論づける。そのまま連続しての追及を避けようと、改めてスバルは話題の矛先をロズワールたちの方へ向け、

「でっていう? ロズっちたちはなして遅れたのよ。別に朝飯の場面じゃ普通に揃ってたわけじゃん? 荷片しも基本はレムがやってっし」

「いんやーぁ、ごーぉめんごめん。ほら、ラムがお留守番ということでしばらく会えなくなるでしょ? だーぁかーぁらーぁ、ちょこーっぉと念入りにお別れをしていたわーぁけだよ」

 立てた指を振って、そう弁明するロズワールが己の襟を正す。その隣でそそくさとラムが髪や服を整える仕草、見ているだけで生々しさが伝わり、

「やっぱノーカン! 聞かなかったことにして、何食わぬ顔で点呼。一番、俺。二番、エミリアたん。三番、レム。ついでにロズっち」

「ついでとはこれいかに。竜車もわーぁたしの所有物なーぁんだけどね」

 小さく笑うロズワールが手を伸ばし、気難しいトカゲの顎にそっと触れる。
 スバルは思わず肩をすくめ、ロズワールが弾かれて吹っ飛ぶ姿を幻視――一瞬、それもメチャクチャ面白いと胸が高鳴ったが、それも淡い期待と消える。
 トカゲは触れるロズワールを跳ねのけるどころか、その鼻面を彼に寄せて、まるで馬が飼い主にそうするように親愛の表現をしてのけていた。
 先ほどのスバルへの扱いとはえらい違いである。

「なーんか、納得いかねぇなぁ」

「ロズワール様の飼い竜なんだから、ロズワール様に懐いていて当然でしょう。やたらめったに触って拒絶されるスバルとは違うわ」

「飼い竜ってすげぇ字面だな……っていうか、お前は俺の醜態をどこで見てた」

「あら、本当になの?」

 しれっと出任せだったと告白するラムにスバルは鼻白む。彼女はスバルの頭を指差し、それから「ハッ」と嫌味に鼻を鳴らすと、

「頭、それから体のあちこちに葉っぱがくっついてるわよ。おまけに土に擦ったあともついているし……竜車の中を汚してほしくないわね」

「掃除するのお前じゃねぇくせに……」

「ロズワール様も同乗されるのよ。御不快にならないよう、配慮するのも使用人の務めでしょう。それをバルスときたら……所詮、バルスということね」

「ダメの代名詞みたいに使うな、しまいにゃ泣くぞ」

 それもダダっ子のように地べたに寝そべり、手足ばたつかせての羞恥プレイだ。
 もっとも、ラムにとってはさらに侮蔑と嘲弄を積ませる逆効果になりかねないが。

 そうこう話している間に、レムがせかせかと竜車に荷物を積み終えている。
 談笑の時間も一区切りつけて、そろそろ出発しようという空気。居残りするラムにそれぞれが声をかける中、ふとスバルは思い出したようにぽつりと、

「そういや、けっきょくベア子の奴は見送りにもこねぇな」

 薄情なロリキャラだ、とスバルはクリーム色の髪の少女のことを思う。
 もちろん、こうなることも予想して、昨日の内に散々ベアトリスをからかって名残惜しんでおいたのだが、いざ出発の場面にいないとなるとそれも寂しい話だ。
 イマイチ、こういった場合の風情に欠ける奴め、と内心面白くないスバルは唇を尖らせて屋敷を睨みつけ、

「――お」

 ほんのちょっぴりだけ開いた扉の陰、こっそりとこちらを眺めていたドレスの人物と目が合った。
 相手はスバルが気付いたことに一瞬だけたじろいだが、すぐに開き直ったかのように堂々と――それでも、扉の陰に隠れたままのスニーキングミッションを続行。
 そんな意地っ張りな少女にスバルは苦笑し、手を掲げると、

『無事に帰れたら、きっと伝えたいことがあるんだ』

 と、そんな思いを込めてジェスチャー。
 それに対して少女は白けた顔で、おざなりに手を振ってこちらを追い払うアクション。それだけやって扉を閉め切り、見送りの義務は果たしたと言わんばかりだ。

「――スバル? どうしたの」

 振り返ると、竜車の客室から身を乗り出すエミリアがこちらを見下ろしていた。気付かぬうちに乗り込み始まっていたらしく、すでに出発組で地べたに足をつけているのはスバルのみ。慌てて、スバルも客室の戸に手を伸ばし――、

「はい」

 取っ手に触れるより先に、白い指先がこちらに伸びる方が早い。
 刹那だけ迷い、しかしスバルはその手を取った。手首の細さに見合わぬ力がスバルを引き、客室へとその体を引っ張り込む。

 スバルの乗り込みを確認して、レムがひとり残されるラムに頷きかける。
 双子の間に言葉の意思疎通は必要なく、そのアクションだけで思いは交換された。レムが綱を引き、地竜がそれに従って足を踏み出す。

 車体が軋み、動き始めるのを感じてスバルは窓の方へ。そこから頭だけを外に出して、こちらを見上げているラムに顔を向けると、

「んじゃ、行ってくる! お互い、気をつけてな!」

「バルスも、なにかあったら弾避けぐらいにはなるのよ。囮としての才能は――ええ、それだけは認めてあげるから」

「もちょっといいところあるよ俺きっと!?」

 締まらないそんな言葉の応酬が、この朝の別れの挨拶となった。
 竜車の加速が乗り、急速にスピードが上がり始める。途端に屋敷との距離が広がり、正門の側に立つラムの姿すらもどんどん小さくなってしまう。

 見えなくなる前に、ラムはスカートの端を摘まむと、ちょこんとお辞儀。深々と頭を下げ、まるで模範的なメイドのようにスバルたちを見送ってみせた。

「……これで仕事の能力が伴えば完璧なんだけどな」

 わずかに傾斜のある街道に入ると、それでラムの姿は完全に見えなくなる。それを確認して、スバルはやっと客室の座席に腰を落として一息。
 そして、なんだかんだで初めての竜車の乗り心地を確かめるように身じろぎ。座席の感触は客室の造りの良し悪しで変わるところだと思うが、肝心の乗り心地については意外なほど快適なものだ。

 実感として、それほど整備が行き届いているわけではない街道。元の世界ほど竜車の車輪なども開発が進んでいないはずだが、座るスバルの体に伝わってくる震動は予想していたものよりはるかに弱い。
 正直、元の世界の乗用車の揺れと比較しても遜色ないほどに。

「竜車が物珍しいみーぃたいだねぇ」

「珍しいっつーか、新鮮な驚きっつーか、何事も初めてはこんなもんでしょ。ちょいちょい騒がしくするけど勘弁な」

 ロズワールの問いかけに座席を軋ませながら応じて、スバルは車体の底から伝わる振動を足裏に感じる。ゆるやかな速度で走っているのならばわからないでもないが、窓の外の景色の動く速度はゆっくりとは程遠い。
 それこそ速度は乗用車に匹敵し、目測ではあるが百キロ近い速度が出ているように思えてならない。
 そうなると、今度は外でひとり、御者台に腰掛けるレムが気にかかる。

「なぁ、こんだけスピード出てるんだけど、御者台とか剥き出しで平気なの? 振り落とされたりとかは、まぁレムのことだから大丈夫だと思うんだけど……王都到着する頃には髪の毛も服もビシバシ乱れてね?」

「竜車は加護に守られてるから、そういう心配はいらないわよ?」

 スバルのわりと遅すぎる疑問に対し、エミリアは不思議そうな顔でそう答えた。彼女の答えにスバルは「加護?」と首を傾げると、

「なんかそれもちょいちょい耳にするワードだよな。マナとかよりも出現率が低かったから聞く機会逃してきたけど、それってどぅーんなもんなわけ?」

「加護は加護よ。生まれたときに世界から与えられる祝福……え、ホントに知らないの?」

 両手の指を立ててエミリアを指差し、体を左右に大きく揺らしながらスバルは「いやぁ」と照れ笑いして無知を表明。
 エミリアは自らのこめかみを軽く指で叩き、

「加護っていうのは、今も言ったみたいに世界からもたらされる福音のこと。色んな加護があるから一概には言えないんだけど、その種族には必ず与えられている加護っていうのもあったりするの。地竜の『風避け』の加護もそのひとつ」

「『風避け』の加護っつーと」

「地竜が大地を走り抜ける上で、風の影響や抵抗を一切受けない。そして、その加護の効力は繋がれた竜車に対しても反映されるの。だから、この客室も風の影響を受けてないってこと」

「そして、それは外のレムもおんなじってことか」

 エミリアの説明を頭の中で噛み砕き、スバルが納得の頷きを得る。
 「よくできました」と微笑むエミリアに感謝のウィンクをしてげんなりさせ、スバルはこれまでに耳にした加護を思い返す。

 やたらと逃げ足の速いフェルトが風の加護。そして、盗品蔵での攻防で見せたラインハルトの矢避けの加護。なるほど、色々とあるらしい。
 となると、

「俺は俺は? ねえ、エミリアたん。俺には加護とかないの?」

 生まれ落ちた瞬間に与えられる特別な加護――それこそまさに、スバルがこの異世界に召喚されたときから求めてやまない、チート性能そのものではあるまいか。
 微妙に用途が限定されるのは竜車やラインハルト然り。スバルに与えられた加護とやらも、少々使い道が限定されているせいで開花していない可能性がある。
 そんなスバルのわき上がってきた希望と期待の眼差しは、

「言い難いんだけど、加護を持たずに生まれてくる人の方がずっと多いの。それに加護持ちは、誰に言われなくても自覚しているはずだから……」

 語尾がフェードアウトし、エミリアが申し訳なさそうにスバルを見る。それだけで彼女が言外になにを言いたいのかが伝わってきて、スバルは建て直し終わったばかりの希望の塔が早くも崩れ落ちるのを体感。
 淡い期待だった、と皮肉げに頬を自嘲で歪めて、

「いや、いいんだ。俺には過ぎた贅沢だったよ。だって、俺はもっと大切なものをこの場所で貰ったんだから。そう、エミリアたんに出会えた奇跡こそ、どんな加護にも勝る福音だってことなんだから」

「はいはい。王都まで四時間くらいでつくから、それまで大人しくしててね」

「エミリアたん冷たい! でもそんな反応でも嬉しいのが悔しい……ッ」

 日々のエミリアとの触れ合いで、かなり高度な変態性を獲得しつつあるスバル。
 エミリアとロズワールが王都に到着してからの方針を話し合い始める傍ら、大人しくしててと言われたスバルはきょろきょろと竜車の中を観察する。

 竜車の広さは華美な見た目に反して案外狭く、よく映画などで見かけるお金持ちが乗りそうな四人掛けのこじんまりしたものだ。座席の素材は長距離移動に備えてかなり上質で、数時間座っていても尻が痛くなる不安はない。代わりに車内が手狭なこともあって、落ち着きのなさに定評のあるスバルは早くもダレ始めていた。

「エミリアたん、エミリアたん、窓際代わってー」

「どうしたの? あ、あんまり揺れないのに酔っちゃったんでしょ? 乗り慣れないとよくあるのよね。わかったわ、パックを貸してあげるから」

「嬉しい気遣いだけどちょっと違うかな。そして、酔った俺にパックを手渡そうとする意味がわからないんだけどなに? 緊急時のゲロ袋に使っていいの?」

「そこまでされたらさすがのパックも怒るんじゃないかしら……」

 時刻は早朝――まだ目覚めの時間にない猫型の精霊を話題に上げて、長閑な彼がマジギレするほどの所業に背筋を震わせる。
 それからエミリアは「でも」と息を継いでスバルを見返し、

「そうじゃないならどうして?」

「だってさー、エミリアたんとロズっちは今後のお話で忙しいじゃん? 手持無沙汰で寂しい俺、二度寝するのも癪だから景色でも見てふやけてることにする」

「あ、ごめんね、気付かなくて。それじゃ、はい」

 スバルのお願いにエミリアが身じろぎし、狭い車内で二人の座席が入れ換わる。スバルは当たり前のようにエミリアの隣に腰掛けていたので、移動する彼女が上を通る際には体のあちこちが触れることになり、役得役得と頬を緩ませる。
 そして、席の移動が無事に終了し、

「それじゃ、ちゃんと大人しくしておくこと。わかった?」

「うん。しばらくはエミリアたんとの、この間接シットダウンの温もりをそっと味わっておくことにするよ」

「なに言ってるのかわからないんだけど、すごーく嫌な感じがするからほどほどにしてね」

 そう言って、エミリアは心なしか尻をもじもじさせるスバルを心配するように何度か見て、改めてロズワールとの話し合いに戻っていく。
 彼女の視線に笑顔と手振りで答えて、スバルは確保した座席から覗ける小窓へ顔を向けた。乗り降り用の扉の上部に設置された小窓からは、今も高速で行き過ぎる外の景色が切り取られて流れていく。
 斜め下から見た角度では青空が占める割合が多く、背の高い木々の群れが見当たらないことから、もうロズワール邸の近辺の森林地帯は抜けているのだなと思う。

「とはいえ、王都と屋敷がどんだけ距離があるのか俺は知らねぇからな……」

 エミリアは四時間ほど、と先ほど口にしていたが、竜車の速度がどれだけ出ていての話なのかがわからない限りはあくまで参考記録にしかならない。
 座席から腰を浮かせて小窓に顔を当てると、横に流れていく景色の速度は予想よりずっと速く思えた。荒れた街道を快調に飛ばしているにも関わらず、車内に震動が伝わってこない原理は謎といえば謎。

「そのあたりは加護ってすげぇ、みたいなぼんやりな感じで納得しとくとして……トカゲの足って速ぇんだな。見た感じ、百キロ近く出てるか?」

 流れる景色のスピードは、いつか高速道路を走る車内から見た景色と遜色ないものにも思えた。この速度を継続的に出せるのだとすれば、竜車が普及する理由もわかろうというものだ。多少、トカゲ自体の世話と餌代がかかるだろうが、それは鉄の車でも同じこと。利便性でどちらに軍配が上がるかは好みの問題だろう。

「そして俺は機械系には興味ないけど、でかい生き物にはテンションが上がってしまうタイプの悲しい男の子なのだ」

 よって好み的には竜車の方を勝者としたい。
 心の中で乗用車と竜車に優劣をつけて、スバルは「さて」と視線をめぐらせる。このままここにいても、早くもに早くもを重ねて手持無沙汰だ。
 スバルは扉を軽く手の甲でノックし、二人の視線をこちらへ向けさせると、

「レムのところに行きたいんだけど、こことか開けても平気な感じ?」

「おーぉもしろいこと言い出すねぇ、スバルくん。加護に守られているから、竜車に接触していれば風の影響は受けない。車体を伝ってレムのところまで回り込むのはそう難しいことじゃーぁないけど……落ちたら死んじゃうよ?」

「おいおい、ロズっち、俺の運動神経なめんなよ? 全国の帰宅部の高校生集めて測定したら、俺ってばかなり上位に食い込む自信あんぜ、長距離走以外!」

「せーぇめて、レムに一声かけてからにしようか」

 サムズアップして歯を光らせてみせると、ロズワールは観念したように御者台に繋がる小窓を叩く。掌に乗る荷物を受け渡しができる程度の小窓だ。小窓が向こうから開かれ、「はい、いかがされましたか?」とレムの声だけがこちらに届く。

「あー、スバルくんが退屈だからレムの隣にいたいって。やた、愛されてるーぅ」

「スバルくんがですか? どうしましょう、一度止めましょうか? 立ち止まってしまうと、地竜が走り出すまでちょっとかかりますけど」

 レムの言葉にスバルが「ん?」と首をひねると、ロズワールが顎に手を触れ、

「加護というのも万能じゃーぁないからね。地竜の場合、こうして一度『風の加護』の効力を発揮したとなると、再度の加護の展開にはちょこーぉっとばかりのお時間がいるわーぁけ。早めの昼食時間にしてもいいけど?」

 ロズワールの説明と提案、スバルは納得の頷きをしてから拒否の首振りを入れ、

「んや、平気平気。ぐるーっと回ってそっち行くからレムは大人しく待ってろ。あ、くれぐれも地竜にドリフトとかさせないでね、慣性の法則で吹っ飛ぶから」

 ドリフトやらトリプルアクセルやら、そのあたりの挙動は堪えてもらいたい。
 加護とやらの効能がどの程度にまで通じるかわからない以上、無駄にトリッキーなアクションは避けてほしいのが本音だ。

「わかりました、お待ちしてます。隣、空けてます。早く、早く」

 小窓の向こうで、平静を装っておきながら待ち切れないレムの声。それに苦笑で応じてから、スバルはロズワールに手を掲げ、

「んじゃ、行くとするわ」

「まーぁたずいぶんとレムを手懐けたもんだーぁね。妬けちゃうじゃない」

「ロズっちに妬かれてもなぁ……エミリアたんが妬いてくれんなら大歓迎だよ!」

 ロズワールの軽口に適当に返事、それからスバルは勢いよくエミリアに振り返る。が、彼女はそのスバルの言葉は聞いていない様子で、室内の壁からせっせとなにかを引っ張り出している。
 そして、「はい」とその引っ張り出したものをスバルに手渡し、

「そこまで危ないことじゃないから止めないけど、これはちゃんと握ること」

「部屋の壁から伸びるヒモ……シートベルト的なもの?」

「竜車が横転するようなことだってあるかもだから、こういうベルトが備えつけられてるの。長めにとってあるから、命綱代りに持っていて。御者台についたら外してくれれば回収するから」

 エミリアに気遣いをありがたく受け取り、渡されたベルトをしっかり右の手首に巻きつける。命綱を取りつける作業をしながら、これなら最初から御者台の方に座っているべきだったよなぁと判断の遅さを今さら自省。
 それならそもそも大人しく座席で到着を待つべきなのだが、その選択肢が浮かばないあたりがスバルの我の強さを大いに証明していた。

 ものすごい心配そうな目をしたエミリアに送り出され、スバルは客室の扉を開けると外へと身を乗り出していく。相変わらず、竜車は高速で移動中。若干、その速度がゆるんでいるように見えるのはレムの気遣いの結果だろうか。
 こうして速度が乗っているのが目で確認できるにも関わらず、風の抵抗を一切感じない状況は不思議でならない。まるで、透明な箱の中に入れられたまま移動しているような錯覚――それに呑み込まれそうになりながら、スバルは車体に手を伸ばし、取っ掛かりを掴むと慎重に御者台の方へ回り込んでいく。

 風の影響が欠片もないため、移動自体は非常にスムーズなものだ。スバルに感じられるのは足場の悪い狭い道を進んでいるという、その程度のわずらわしさでしかない。

「これ実際、不可思議な感覚だわぁ。加護があるとこんなんばっかか」

 世界の不思議現象をその身で味わいながら、スバルはふと流れる景色の方を見て思う。時速八十キロ前後の世界――ぽつんとスバルの脳裏をかすめたのは、元の世界で耳にしたことのある都市伝説の一節。それは、

「時速八十キロの世界で触れる風の抵抗は、OPPAIの感触だと聞く……!」

 口惜しいことに、加護の影響で風を感じないためにそれを確かめることはできない。もしもそれが事実なら、加護なしの世界で今の状況におかれた場合、スバルはその全身で余すところなく女性の胸の柔らかさを実感できたはずである。

「さらにはちょっと視線をずらせば竜車の中にエミリアたん。――ひょっとして、エミリアたんを見ながらエアOPPAIを試せばイマジネーションの勝利じゃね!?」

 変なところで天啓が閃き、スバルはさらなる口惜しさに顔を歪める。
 諦めきれなかった未練がその手を虚空へと伸ばさせ、青空の下をむなしくスバルの指先が掻く。と、

「そうです、スバルくん。言い忘れていましたが、あまり竜車から離れた場所に体を出さないようにしてください。――加護から外れちゃいますので」

 そんなことを、レムが言った瞬間だった。

「――うそん」

 指先が虚空を掴んだ直後、手指が持っていかれそうなほどの風がスバルを叩いた。
 予想外の衝撃に車体を掴む手が軽々外れ、つまりは支えを失った体が真横へ吹っ飛ぶ。――当たり前のように、竜車の外へと身が投げ出された。

 今まさに、レムが忠告した通りの展開が訪れたのだ。
 フラグの回収が早すぎるだとか、お約束の展開だとか言っている余裕はスバルにはない。
 風に巻かれ、上下がわからないほど暴風に身を翻弄される。

「あばばばばば――!? これヤバいマジヤバいまさかこれ……でかるとっ!?」

 そのままあわや地面に激突――と思われた瞬間、右腕を起点に体が竜車に平行に浮かんだ。ちぎれそうな痛みが右手首に発生、見ればエミリアが繋いでくれた命綱が文字通りの役目を果たしており、スバルの消えかけた命の灯火をかろうじて守ってくれている。
 が、その間にもスバルの右手は悲鳴を上げ、手首から先が一瞬で青紫になり始めていた。

「手繰る! 手繰れるのか!? 揺れが酷すぎてちょっと無理っていう……が! 舌ぁ! 舌噛ん……ひげぅ」

 煩悩ひとつで大惨事になりかけるスバル。
 右の手首も耐久度も早くも限界に達し、なんか色々と投げ出してしまいそうな暗い気持ちが胸中を支配し始める。が、そんな諦観たっぷりのスバルの鼓膜を、甲高い音の連鎖が叩いた。

 顔を上げる。正面、のたくる銀色の蛇が見えた。蛇の体の先端は大きくて丸くて、棘がいっぱいに生えていた。

「――トラウマ蘇りそう」

 高い音を響かせてうごめく蛇が、スバルの体を絡め取る。想像以上の蛇の締めつけに苦鳴を上げ、その代わりにがっちりホールド。宙を浮く体が一気に引き上げられ、竜車を追い越してトカゲの真上にまで飛んでいき、ホールドが解除。
 再び宙に投げ出される体、目の回る視界の真下に、スバルはレムを見た。片手に鉄の柄と手綱を握るレムが、落下地点でスバルを支えようと手を出している。

 どうにかこうにか命は拾えたようだ、とそれだけを確認して、

「これからはもうちょっと大人しく生きよう……」

 色んな人から言われ続けた言葉、それを初めてなぐらいしっかり肝に銘じて――スバルは落下の結果を見届けずに、一足早く『二度寝』に沈んだ。

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