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Re:ゼロから始める異世界生活 作者:鼠色猫/長月達平

第三章 再来の王都

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第三章2  『使用人の茶話』



 御者に見送られ、屋敷の玄関ロビーに入った二人を出迎えたのは、

「お帰りなさいませ、エミリア様」

 と、その整った面持ちから感情を消し、声からも温度をなくして腰を折るレムであった。
 頭を上げる彼女の表情は、もうずいぶんと久々に見ることになる無表情だ。最近は屋敷の中――もっぱらスバルの前でだが、笑顔(ドヤ顔ともいう)を見せることが多くなった彼女の態度に、外向きの仮面を付けていることがうかがえる。
 一緒に戻ったスバルの存在を度外視し、エミリアにだけ声をかけているのもその証左だろう。

「ただいま。屋敷を空けててごめんなさい。――来客があるみたいね?」

「王都から使者の方がお見えになっています。今はロズワール様が応対なさっていますが、同席をお願いしてよろしいでしょうか?」

「もちろん。私の問題なのに、私が蚊帳の外ってわけにはいかないじゃない」

 問いかけに応じるレムに頷き返し、エミリアは上階へ続く階段へ足を向ける。と、その前に戸惑うスバルを振り返り、

「あ……っと、スバルはどうする? ちゃんとひとりで部屋まで戻れる?」

「子どもか、俺は。ってか、俺も一緒にってわけには……」

 わずかに緊張の色を薄れさせ、首を傾けるエミリアにスバルはそう申し出る。が、その言葉を遮ったのは困った顔をしたエミリアでなく、

「席には姉様が同席しています。それ以上の使用人が入る必要はありません。わかりますね、スバルくん」

「む……」

 有無を言わせぬ、といったレムの言葉にスバルは喉を詰まらせる。
 とっさに反論も出てこないスバルに対し、エミリアは小さく片手を掲げると、

「そんなわけだから、ごめんね。レム、案内して」

「はい。スバルくんは部屋に戻っていてください」

 謝罪の言葉を投げかけて、エミリアはもうスバルを振り返らない。そうして所在なさげにするスバルにレムがトドメを刺し、先導する彼女に従ってエミリアが銀髪を揺らして上階へ消える。

「ああ、クソ、面白くねぇ」

 二人の姿が見えなくなってしまうと、途端にため息まじりの悪態が口から漏れた。
 置いてけぼりにされている。――物理的にも、精神的にもだ。

「そりゃ確かに、異世界知識のしょぼい俺がいたとこでなんの役に立つんだよって話じゃあるけどさ」

 すでに屋敷にきてから二週間(体感時間では一ヶ月半)が経過しているが、その間にスバルが学習したことといえば、いくらかの基本的な家事と文字の読み書きの習得にとどまる。いわば、村の子どもたちの家の手伝いと同レベル帯だ。
 その程度の実力で貴族間の――ましてや、ひとつの国の頂点を定めるやり取りの端っこにでも関わろうなどと、大望が過ぎる。身の程ぐらいは弁えている。

 故に、取り残されたことへの納得はある。不満がないわけではないが。

「そんでもって、このまま部屋に戻って不貞寝するほど素直じゃない」

 エミリアやレムの意見に従えば、自室に戻って二度寝するなり、昨晩の書き取りの復習なりするのが望ましいだろう。あるいは次善策として、屋敷の扉のどこへなりでひきこもっているインドア娘に愚痴をこぼしにいくのも悪くない。
 悪くないが、もっとできることがあるだろう。

「そうと決まれば、とりあえず厨房厨房」

 行動の方針を練り、悪だくみに頬を歪めるスバルの足が動き出す。
 向かう先は言葉通りに厨房――そこで、温かい茶を入れることから始めよう。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ずーっと表で待ってるのも退屈しません? 一服いかがッスか」

 御者台に腰掛けていた老人は、そう言ってお盆を手に戻ってきたスバルを見下ろし、驚いたように軽く目を見開いていた。

 場所は再び屋敷の外、正門前に止められた竜車のすぐ傍らだ。
 相変わらず見慣れないトカゲの巨体に若干ビビりつつ、茶を差し出すスバルは驚き顔の老紳士を半笑いで見上げている。と、

「これは失礼しました。少しばかり意外でした故、上からなどと無礼を」

 最初の衝撃から立ち直るや否や、老紳士は御者台からひらりと地面の上へ舞い降りる。着地の音がほとんど聞こえない動きに、スバルはかすかに息を呑む。
 飛び下りた、と表現するのが正しい程度には、御者台は高さのある場所だ。腰掛ける位置はスバルの目線よりやや高いぐらいで、支えなしで降りるには足裏の痺れを覚悟しなくてはできそうもない。

 しかし、老紳士はスバルのそんな推測に反して悠然と歩き、差し出される盆の前で優雅に一礼をしてみせながら、

「お言葉に甘えましょう。確かに少々、喉が渇いておりましたので」

「あ、どもッス。好みがわからないんで、とりあえず一番高い茶にしときました」

 盆を差し出すと、老紳士がその顔に柔和な微笑みを刻む。年齢に応じた皺が口元に浮かぶのを見ながら、すぐ側に歩み寄った彼をスバルは子細に観察。

 上背はスバルよりやや高く、完全に白く染まった頭髪は薄くなることと無縁の豊かさ。その服装は御者――というには格式高すぎる黒の正装だ。背筋はピンと伸び、衣服の下の肉体も老齢に見合わぬほど研ぎ澄まされているのが伝わってくる。
 つまるところ、正面に立ってるだけで否応なしに緊張させてくる御仁ということだ。

「俺の知ってる異世界高齢者ランキングが即座に塗り替えられたな。さらば、ロム爺。でも正直、アンタが活躍してる場面に俺遭遇してないよ」

 巨人族とか設定が深そうだったわりには見せ場のないまま退場だ。
 その後については確認がとれていないが、強く頭を打っていてより残念になっていたりしないだろうか。それだけがほんの少しだけ気掛かりだった。

「――単なる老骨ですよ。警戒される必要はございません」

 ぼんやりとそんなことを考えるスバルに、ふいに穏やかな声がかけられる。
 老人がカップを受け取り、それを口に運ぶまでの間に一言物申したのだ。じろじろと無遠慮な視線を向けていたことに気付かれ、罰の悪いスバルに老人は笑い、

「いい味です。かなり奮発されたものと思いますが……」

「誇張でもなんでもなく、マジに一番高い茶です。たぶん、勝手に飲んだのばれたら桃色の髪のメイドが本気ギレするぐらい」

 大雑把に見えて、アレで意外と茶葉などに関しては繊細な舌を持つラムだ。
 『持ち出し厳禁』とされた最高級の茶葉を勝手に使ったと知れれば、それなりのお説教が待ち構えていると思っていい。もっともスバル的には、

「厨房から茶葉は持ち出さず、ちゃんと中で作って外に持ち出した……という一休さん理論でひとつ、納得してもらえないかなぁ」

「ふむ、策士ですな」

「残念なことに、相手にこの屁理屈が通じるかは完全に運任せなんですけど」

 しかも七割方負けが確定している賭け。挑むことすら馬鹿馬鹿しい。
 それだけのリスクを負う価値があると思ってこその、この茶飲み話なのだが。
 老人はカップをさらに一度傾け、感慨深げに吐息を漏らし、

「さて、それでこのお茶を撒餌に、老骨になにをお求めですかな?」

 片目をつぶったまま、こちらを推し量るような顔つきで問いかけてくる老人。
 スバルはその鋭い彼の態度に肩を落としながら、

「うーん。これまで会った人の中だと、ロズワールの次にやり辛いな」

「メイザース辺境伯と同じように扱われるとは、光栄ですな」

「つまるところ変態と同等扱いですよ? 今の、俺もかなり怒鳴られるの覚悟の発言だったんだけど」

 涼しげな顔つきであっさりと流され、スバルは肩透かしの気分を再び味わう。老練、というべきか、彼の人物は人生経験の濃さも厚さも薄いスバルに太刀打ちできる相手ではない。どこぞのでかくて禿げた老人とは完全に別物だ。
 となれば、スバルにできることは白旗を上げることだけであり、

「参りました。――俺の名前はナツキ・スバル。現在、ここロズワール邸にて使用人見習いをやっております。せめて、あなたの名前をお伺いしたい」

 若輩なら若輩である事実を認め、その上で年長者の慈悲に縋るぐらいが関の山。
 素直に頭を下げるスバルに、老紳士はかすかに頬をゆるめると、

「これはこれはご丁寧に。私はヴィルヘルムと申します。今はカルステン家に仕え、仕事を頂いている身になりますかな」

 ヴィルヘルム、と名乗った老紳士に対し、スバルは舌の上で一度その名前を転がしてから、

「名前、教えてもらってありがとうございます。ありがとうついでに、せめて今日の訪問の理由……いや、内容まで踏み込んでもらえませんかね?」

「その件に関しましては、使者が今、中で話している最中だと思いますが」

「そうなんですけど、実にさらっと参加禁止の扱い受けましてね。このままイベント不参加で話が進むのも面白くないんで、俺なりのアプローチとか」

 口を割らせるのが簡単な相手でないのは、初見の印象とこれまでの会話から把握している。が、その上で相手の懐にずんずん踏み込むのはスバルのお家芸。伊達に他人の気持ちがわからずに孤立した経験が多いわけではない。
 ヴィルヘルムは貪欲なスバルの態度に刹那だけ言葉を失い、

「思惑を外されて熱くなるでもなく、それも織り込み済みで前に出ますか。そして、考えが見透かされても悪びれるどころか開き直る。――相手が相手なら、不興を買う損な性格ですな」

 一見は辛辣な言葉。だが、それを口にするヴィルヘルムの表情は柔らかい。今の言葉の内容通りならば、スバルの態度は彼にとっても好ましくないものであったろうはずだが、そこは年長者としての器の大きさが受け流してくれたらしい。
 ならば、とスバルは顔を上げ、

「触りだけでもダメですかね?」

「あなたが屋敷でどんな立場にあるのかわからない私には、迂闊なことを口にすることはできませんね。ご理解を」

 わりと無礼極まりないスバルの姿勢にも、丁寧に応じるヴィルヘルムにスバルはお手上げだ。こうまで頑なな人物の気持ちを曲げさせる交渉術など、スバルには到底持ち合わせがない。
 このままだと、ただ高い茶を持ち出してラムに怒られる条件を満たしただけだな、とスバルが途方に暮れていると、

「ただ、王選の候補者であるエミリア様と親しい間柄にある、というのは先ほどの様子からうかがえましたな」

「お、お、お、見えちゃいました? 俺とエミリアたんが仲睦まじい嬉し恥ずかし赤面トーキングしてたの、見えちゃいました?」

「たん……?」

 呼び方に不思議そうに眉を寄せて、それからヴィルヘルムは現金なスバルの態度に苦笑する。

「険しい道を歩きますな。相手はもしかすると、次期ルグニカの女王になるかもしれない相手ですよ?」

「現状はただの超可愛い女の子と、冴えない使用人ってだけ。未来は無限大だから可能性の話だけしてたら身動きとれなくなっちゃいますよ? ヴィルヘルムさんは、ひょっとすると奥さんは世界一可愛いかもしれないとか思って結婚しなかったの?」

「妻は――」

 スバルの極端な物言いに、ヴィルヘルムは一瞬だけ口ごもる。
 が、すぐにスバルを見つめ直すと、その瞳に感嘆というべき感情を閃かせ、

「なるほど、あなたの言う通りだ。私も妻が世界一美しいと思っていました。誰もが彼女を見ている気がした。釣り合わないかも、などとは情けない」

「だしょ? 誰かに渡すくらいなら、ふさわしくないと思っても俺のものにする。どうにかこうにか手の届く位置にいてもらって、あとはこっちが釣り合うようになれるよう日進月歩でwinwin、ってのが理想」

 最近はそんな感じで、自分の恋心の行く末を思い描いているスバル。
 いまだに彼女の心にこちらの真剣味が伝わらないのは、そこに辿り着けるだけのものをスバルが持ち得ていないからだろう。
 それなら、どうにかしてなってやろうじゃないか、と今は思っている。

「だからエミリアたんの事情に、俺がノータッチってのは避けたいんですよ。だいぶ前を歩かれてんのに、気を抜くと小走りに走り出してる――追いつくために、全力疾走はもちろんだけど、近道でもなんでも利用したい性質なんで」

「ずいぶんと、面白い理屈で動かれるお方だ。実に興味深い。ですが、私にそれ以上のものを求められても些か困ってしまいます」

 申し訳なさそうにこちらに掌を向けて、しかしヴィルヘルムは首を横に振る。
 彼はあくまで真摯な態度を崩そうとしないまま、スバルをなだめすかせるように、

「あくまで私は単なる御者です。事情に関してそこまで詳しく把握しているわけではありません。あなたのお役には、立てそうにありませんな」

「そっかなぁ。フード被ってるエミリアたんの素姓に気付いてたくらいだし、ただの御者って言い訳はちょいキツイと思いません?」

「――――」

 スバルのあっけらかんとした物言いに、ふいにヴィルヘルムは表情を消して黙り込む。そんな彼の様子を横目にしたまま、スバルは指をひとつ立て、

「まぁ、屋敷に近づいてくる奴がいればおおよその想像はつくかもだけど、それも確信とは言えないっしょ? でも、ヴィルヘルムさんはエミリアたんを即見抜いたし」

「以前にも、エミリア様とお会いしていただけかもしれませんよ?」

「したら、エミリアたんなら挨拶するでしょ。教えたがりのエミリアたんが、知り合いを隣にいた俺に紹介しないとか考えにくいし――そもそも、フード被ってたエミリアたんをエミリアたんと判断した時点で、ヴィルヘルムさんがただの御者って設定は厳しいかなぁ」

 無言でスバルに説明を求める視線。スバルは「いやいや」と手を振り、

「エミリアたんが着てたローブってややこしい術式が編まれてるらしくて、なんでも認識を阻害する感じの効果があるらしいですよ? エミリアたんが許可してるか、その効果を突破できるような人でないと、エミリアたんに見えないらしくて」

 王都で初めて会ったときも、彼女はあのローブを羽織っていたはずだ。
 それが彼女の出自――おそらくは、ハーフエルフである事実が招きかねないトラブルを避けるためだったのだと、今のスバルはなんとなくわかっている。
 銀髪のハーフエルフである彼女が、この世界で生きる上でどれだけ過酷なハンデを負っているのか、その表層を感じるぐらいには。

 スバルのそんな感慨を余所に、ヴィルヘルムは今の説明に観念したように肩を落としている。彼は「これはこれは」と驚いたように力なく首を振り、

「最初の時点で、こちらを測っておられたとは……あなたも人が悪い方ですな」

「そこまで賢しい感じじゃないですけどね。屋敷でお茶淹れてる間に、『あれ、おかしくね?』って思っただけだし。偶然、偶然」

 それでも、その取っ掛かりを掴むことができたのは、スバル自身の心がけのおかげだ。エミリアを危険な目に遭わせないようにすること。
 魔獣の一件のことも含めて、この世界にどれだけ危険が満ちているのかをスバルは痛いほど思い知った。その牙が、少しでも彼女から遠ざけられるよう、焼け石に水をかけるような行為で好意を示すのが、今のスバルの精いっぱい。
 だから、掴むべきものはなんでも掴むし、確かめるべきところはなんでも確かめる。

 へらへらと軽薄に笑いながらも、スバルはヴィルヘルムを逃がすつもりがない。最初のお茶の誘いに乗った時点で、この老紳士はスバル時空に引きずり込まれていたのだ。
 相手の立場も都合も全部無視した上で、自分の都合だけを押しつける調子のいいスバル時空に。

「ただの御者、という言い訳は通りませんか。……お察しの通り、私は確かに王選の関係者――いえ、関係者の関係者というべきですかな」

「関係者の、関係者……」

 やり込められた形になるヴィルヘルム。彼はその敗者としての義務を果たすべく、言葉を選ぶようにゆっくりと語り始める。
 その内容を反芻し、スバルは言葉の意味を頭の中で噛み砕くと、

「つまりは、立ち位置的には俺みたいなポジションってことですか?」

「理由が懸想でないことが、あなたと私の差異ですかな」

「そら世界一美人の奥さんがいるなら浮気のひとつも考えないでしょ。可愛さならエミリアたんの方が上だと思うけど」

「いえ、可愛さでも私の妻の方が上のはずです」

 茶化したつもりが頑として言い返され、スバルも思わずたじろぐ。
 スバルは口の端を歪めて笑みを作ると、ぴしゃりと言い切ったヴィルヘルムを睨み、

「案外、変なところで粘るッスね、ヴィルヘルムさん。……思ったよりお茶目だ」

「年少者にやり込められた老体の意地、と思っていただければ幸いですな」

 そのわりには本気っぽい発言だったが、と突っ込みたいのを我慢して、スバルはさらに踏み込んだ内容を聞き出そうと頭を回転させる。
 どうにか引っかけて、姑息に人情に訴えかければいけそうな気がするが――。

「――どうやら、時間切れのようですな」

「へ?」

 間抜けな声が出てしまうスバル。そんな彼に対して、ヴィルヘルムは無言で唇を引き結ぶと屋敷の方を手で示す。
 それに従って振り返ると、遠く、屋敷の玄関の戸が開かれており、

「出てきたのはレムと……誰だ」

 両開きの扉の向こうから姿を見せたのは、見慣れた青髪のメイド。そして、彼女を伴う見知らぬ人物だ。
 話の流れとヴィルヘルムの態度からして、おそらくはその人物こそが、話題に上っていた使者ということになるのだろうが。

「なんつーか――まさに、ファンタジーって感じか?」

 思わず口からそんな感想が出てしまったのは、その人物の見た目があまりにも『使者』という単語に似つかわしくない雰囲気を持っていたからかもしれない。
 その人物は自分を凝視するスバルの視線に気付くと、悪戯っぽい笑みを浮かべてずんずんとこちらへ――竜車の方へとやってきて、

「こらこら。美人がいるからって、そんなにじろじろと見てたら失礼だゾ」

 スバルの正面に立つや否や、白い指先をこちらに突きつけて、片目をつむるアクション付きでそう言い放ったのだった。

 おそらくは使者であるだろう人物――それは、亜麻色の髪をセミロングで切り揃えた、愛らしい顔立ちの少女だった。
 身長は女性にしては高く、スバルとほぼ同じくらい。しかし線の細さは当然ながら比べるべくもなく華奢で、仕草ひとつひとつに女性らしさ――というより、女の子っぽさとでもいうべき煌びやかさがある。
 亜麻色の髪は白いリボンで飾られ、大きな瞳を好奇心に輝かせる姿はまるで猫のような愛嬌があり、そして実際にその頭部には、

「ついに接触、モブじゃないネコミミ」

「にゃにゃ?」

 呟きに応じるように震えたのは、彼女の頭部で存在を主張する、頭髪と同じ色をした獣の耳だ。亜人が当たり前のようにいる世界で、これまで王都で見かけた以外の亜人と接触する機会はなかったのだが、こうして実物を目にすると圧巻だ。
 なにせ、

「俺のモフリストとしての魂が、目の前の存在を求めてやまない……クソ、鎮まれ、俺の右腕……ッ!」

 傍目にもふわっふわの毛で覆われた猫耳の感触が想像できて、彼女の存在はスバルの前に立つだけで猛毒という有り様だ。
 決死の表情で震える右腕を押さえ、なんとか後ずさって彼女から距離を取る。
 そんな怪しい挙動のスバルを彼女はきょとんとした顔で見送り、

「あれれ、嫌われちゃったかも? フェリちゃん、失敗~」

 てへり、と頭を拳骨で叩き、舌を出して見せる少女。
 その仕草に先ほどとは違った戦慄を覚えて、スバルは驚愕に喉を凍らせる。

 ――頭コツンした上で、舌出しウィンクだと!?

 もはやスバルの元の世界でも滅多に見かけないほど古典的で、使い古された伝説の『ぶりっ子』パターンだ。あざとすぎてそんなことを実際にやる人間がいたら、いつか張り倒してやろうと心に決めていたものだが――、

「いざ実物を前にすると、破壊力が高すぎてなにもできねぇ……ッ!」

 そのあまりのあざとさに手を出す気力すら奪われる、という意味。そして、やる相手がやればはまりすぎて可愛いから手が出ない、という二つの意味が重なり合い、結果としてスバルは見送るという選択をするしかできなかった。

 そんな明後日方向の戦慄で身を震わせるスバルを余所に、少女は無言でお辞儀し、出迎えるヴィルヘルムに向き直ると、

「ただいま、ヴィル爺。外で待たせてごめんネ。退屈だったでしょ?」

「いえいえ。こちらの方が老骨の話相手になってくださいましたので、思いのほか楽しい時間を過ごさせていただきました」

「ふみゅ?」

 先ほどまでのやり取りをそう飾るヴィルヘルムの言葉に、少女が自分の頬に指を立てながら鋭敏に反応。猫の瞳の瞳孔が細まり、口が心なしかデフォルメされたωみたいな感じになっているように見える。と、

「あーあーあー、なるほどねー。そっかそっか、君がエミリア様の言ってた男の子なんだね。なるなるほどほど」

 上から下まで舐めるようにスバルを見て、少女は納得するように手を叩いた。その視線にスバルは思わず手で体を覆い、視線から逃れるように身をよじって、

「いや、やめて。男だからって、そんなじろじろ見られたら恥ずかしいじゃない」

「そう言わないでよ、ハニー。無駄なお肉の少ない、いい体してるじゃないの。誰かの所有物でなければ味見しちゃいたいくらいなのにぃ」

 悪乗りするスバルに対し、少女も手をわきわきさせながら乗ってくる。
 普段ならば女の子とのキャッキャウフフな掛け合いに、スバルもここから調子が乗ってき始めるところなのだが、

「なんか不思議とやる気がわかねぇ。なんだこの気分……こう、生理的な?」

 嫌悪感などとは違うが、スバルの本能が先ほどから声高に主張している。
 目の前に立っている悪戯な瞳の少女が、ナツキ・スバルという人間にとって明快なまでの天敵であるのだと。
 蛇に対してのナメクジ。ナメクジに対しての蛙。蛙に対しての蛇。スバルと彼女の相性は、常にスバルが弱い側で彼女が強い側――それを本能的に悟ってしまった。

 故にスバルの方からは普段のような、TPOを弁えない行動が出てこない。が、完全に調子を見失うスバルに反して、少女の方はアクセル全開のまま踏み込んでくる。
 具体的にはその手を伸ばし、スバルの首にそっと腕を絡めて抱き寄せてきたのだ。

「う、え、え!?」

「動かない。今、ちょっと調べてるから」

 身長がほとんど同じなだけに、抱き着く彼女の顔はスバルのすぐ真横だ。声はスバルの耳元すぐ傍で囁かれ、くすぐられるような感覚を全身に叩き込んでくる。
 抱擁の感触に顔を赤くするスバル。が、その表情が助けを求めるように周囲をめぐり、屋敷の入口あたりに佇んでいるレムを見つけて一気に青ざめる。

 仕事用の無表情だったレムの顔から、さらに温度が消えているのが遠目にも伝わってきているのだ。
 そのまま口をパクパクとさせるスバルに対し、レムはふいに持ち上げた両手を小刻みに動かしてなにがしかのジェスチャー。
 別に符号に関しての取り決めがあったわけではないのに、スバルにははっきりと彼女の意思表明がなにを示しているのか伝わった。

『――エミリア様に言いつけてやります』

「やめてぇ――ッ!!」

 とっさの判断に体が動き、スバルはどうにか抱き着く少女を引き離す。といっても突き飛ばすような乱暴でなく、肩を掴んで遠ざけただけだ。むしろそのあとに尻餅をついたのは、よろよろと後ろに下がったスバルの方である。
 スバルはこの十数秒の間に起こった様々な感慨を一気に処理しようとしてできず、女座りでさめざめと袖を眦に当てると、

「俺の意思とは無関係に、どうしてこう……俺はエミリアたん一筋なのに」

 泣き真似しながら現実を悲観するスバル。と、その肩がふいに優しく叩かれた。思わず視線を持ち上げると、こちらの肩に手を当てるのはヴィルヘルムであり、

「お察しします」

 と、優しげにこぼした彼の手には白い手拭が握られていた。手渡されたそれを目に当てて、スバルは「ありがとう」と応じながら立ち上がる。
 大人の包容力――それを目の当たりにして、思わず取り縋ってしまいたい衝動に駆られていたが、スバルはそんな己の弱さを一喝して引っ込める。

「だってあの人には、誰よりも愛する奥さんがいるんだから――と、小芝居やってる間に感情の整理終了。で、今のがなにか聞いてもいい?」

 別になにを拭いたわけでもない手拭をヴィルヘルムに返却し、スバルはさっきの行動に関しての説明を少女に求める。
 その言葉に対して、少女は思案げに唇を曲げていたのだが、

「――お話に聞いてた通り、体の中の水の流れが澱んじゃってるね。どうにかしてあげたいけど、時間がないから今は無理かなー」

 思わせぶりな発言を残し、少女は問題を自己完結。
 今のがどういう意味か、とスバルが問い質すより先に手を天に伸ばして振り返り、

「それじゃ、早く愛しのクルシュ様のところへ戻りましょ、ヴィル爺。あんまり長く空けてると、なにをされるかわからないお方だから」

「――お言葉の通りに」

 てきぱきと方針を伝える少女に、ヴィルヘルムは言葉少なに従う。
 彼は最後にスバルに一礼すると、空になったカップを地に落ちていたお盆の上に戻して、

「ご馳走様でした。では、スバル殿、ご健勝で」

 ひらりと御者台に身軽に飛び乗り、トカゲを操る綱を手にするヴィルヘルム。
 その所作を言葉もなく見送るスバルに、今度は少女が拝むように手を合わせ、

「それじゃ、ご挨拶もまだだけど、私も忙しいからごめんネ」

 板に着いたウィンクを残し、少女は竜車の方へと体を向ける。とっさにその背に手を伸ばし、脳裏をかすめる疑問を声にしようとするが、

「待ってくれ。聞きたいことが山ほど……」

「素直にエミリア様に聞く方がいいと思うな。それじゃ、縁があったらまた王都で会いましょ。ばーい」

 質問をばっさりと断ち切って、少女は微笑みを残して竜車の中へ。
 完全に相手のペースに呑まれたことを理解し、口惜しげに手を引っ込めるスバル。その彼にヴィルヘルムが「では」と残し、竜車がトカゲの嘶きと共に出発する。

 車体が軋み、車輪が回り始める。
 トカゲが前に踏み出すために数度、大地を力強く踏みしめ――加速は直後に行われた。

 車輪が前に進み、車体が動き始めるとその後は早い。
 竜車は見る見る内にスピードを上げて道を乗り越え、砂煙を巻き起こしながら一気に遠ざかってしまう。

 けっきょく、その場に残されたのは完全にやり込められた敗北者のスバルと、ほとんど飲まれ損となっただけの高級茶の香りの名残だけであった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 一方、ロズワール邸より遠ざかる竜車にて。

「――使者としてのお役目は果たせましたかな?」

「それはもちろん。フェリちゃんがクルシュ様にお願いされたこと、失敗するなんてありえないじゃない。ヴィル爺ったら心配性なんだからー」

 竜車を操る御者台にて、その会話は交わされている。
 御者台に座り、トカゲを難なく操っているヴィルヘルム。その彼のすぐ背後、トカゲの引く個室の窓から亜麻色の髪の少女が顔を外に出している形だ。
 竜車はけっこうな速度で走行しているはずだが、風の加護に覆われた竜車には強風の影響はなく、会話するにも音を遮られる心配もない。
 ある種、密談を交わすのにこれほど適した条件もないのかもしれない。

 少女の返答にヴィルヘルムは苦笑し、「余計な心配でしたな」と応じる。と、その返答に少女が「それより」と返し、

「私としては、ヴィル爺が待ってる間に人とお話してた方が意外だったかなー。だってヴィル爺って、人と話すのなんて大嫌いでしょ?」

「それはとんでもない誤解ですよ」

 即座に否定の言葉に少女は「ああ、違う違う」と手を振り、

「そうだよね、ゴメンゴメン。――話すより、斬る方が好きなだけだもんネ」

「……それもひどい誤解ですな」

 揶揄するような少女の言葉に、しかしヴィルヘルムはそれ以上の言葉を使わない。
 その挑発めいた発言への反応が少ないことに少女は不満げに口を尖らせ、

「つーまんないの。フェリちゃんとのお話は、さっきの男の子とのお話より面白くないんだ? そんなに気に入ったの、あの子」

 親にかまってもらえない子どものような拗ねた声音。
 少女は反応に乏しいヴィルヘルムのリアクションを引き出そうとするかのように、窓からさらに身を乗り出して彼に体を近づけ、

「特別なことは私はなにも感じなかったけど、ヴィル爺にはなにか響いたの? あんなだけど実はすごい強いとか、その才能の片鱗が見えた!」

「いいえ。彼の評価に関してはさほどの違いはありませんよ。彼は素人――毛も生えていない素人です。そして目を惹くような才覚もありはしない。凡庸な存在であることには間違いないでしょうな」

「それじゃどうして? 塵芥なんて、ヴィル爺が一番嫌う性質じゃない」

 いちいちヴィルヘルムを人格破綻者にでも仕立てあげようとしてくる少女。その言葉にヴィルヘルムは苦笑すら浮かべず、静かに持ち上げた手で己の目を指し、

「目が」

「――目?」

 問い返す少女の声に顎を引き、ヴィルヘルムはただ思い返すように視線を上げ、

「あの少年の目が、少しばかり気になったのです。あれは、何度か死域に踏み込んだものの目です。寸前で立ち帰り、戻ったものはいくらかいます。ですが……」

 言葉を切り、ヴィルヘルムは静かに瞑目すると、

「一度ならず数度、死域から舞い戻る存在を私は知りません。故に、興味を惹かれたというところでしょうな」

「ふーん、よくわかんない」

 が、感嘆まじりのヴィルヘルムの言葉を、少女は無理解の言葉であっさり両断。
 今度こそ苦笑するヴィルヘルムに、しかし少女は「でも」と言葉を継ぎ、

「今のヴィル爺の言葉がどうであれ、きっと平坦な道は歩けないよね、あの子」

 少女もまた、何事かを思い出すように目を細めて、それから御者台に座る広い背中をジッと見つめると、

「『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアに気に入られるなんて、魔女に魅入られるのと変わらない不幸なんだから」

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